「数学者の無神論」 (J.A.パウロス) を読み終えました。
神の存在を証明するという各種の論証を検証しています。
ユーモアもあり、興味深く読みました。私も著者に倣って、「イェーイ」 教徒になろうかな。
良いことがあったら イェーイ !
ガッカリすることがあったら、当然 「オーマイ ガッ」 !
なかなか参考になったので、要点を記録することにしました。
Ⅰ.古典的な4つの論証
① 第一原因論法
物事にはすべて第一原因が無ければならず、それが神である。
→ 第一原因が必要という論証が無い。またそれが神でなければならない理由がない。
(仏教には輪廻という考え方もある。)
② デザイン論法 (創造主義論法)
この世の生物の複雑さは誰かがデザインした以外には考えられず、それをしたのは
神である。
→ 進化論こそがその説明である。もし神がそんな複雑なことをあらかじめデザイン
することが出来たとして、そんな複雑な神はどうやって出来上がったのか。
③ 人間原理による論証 (宇宙は人類が発生するのにちょうどよく出来ている)
この宇宙の物理定数の数値や物質と反物質の不均衡など、物理法則が人類の発生に
丁度いいようにファインチューニングされており、それをしたのが神である。
→ 物理法則が違っていたら違う種類の生命が誕生したかもしれないし、宇宙自体も
一つではなく多数あったり、進化したりするかもしれない。人間原理は神が存在
する証明にはならない。
④ 存在論的論証 (大主教アンセルムスの論証)
神は最大にして最も完全なものであり、最も完全な存在は 「完全」 に属する性格を
すべて持っているはずである。存在しないより存在するほうが完全であり、従って
神は存在する。
→ この論法ではありとあらゆる完全なものをすべて証明することが出来てしまう。
しかし命題の否定が矛盾を生じるなら命題は正しいが、神が存在しなくとも
矛盾は生じないから、正しいとは言えない。
Ⅱ.主観的な4つの論証
① めぐり合わせ論法 (不思議な同時発生事象)
特別な事が同時に起こったことは偶然ではありえず、その理由は神に依る。
→ 偶然を誰かの陰謀や神の御業にこじつけているだけ。
② 預言論法 (また聖書の暗号)
聖書は預言し、それが成就したと伝えているが、聖書は本当のことを書いているから、
神は存在する。
→ ほとんど論理に成っていない。また聖書に暗号が隠されているという説があるが、
長い文書であればどんなものでも何らかの文字列は発見されて当然である。
③ 主観からの論証 (また信仰・空しさ・世界観)
個人的な信仰や熱意から、神は存在するとする。
→ しかし論証にはなっていない。
科学と聖書はそれぞれの世界観を構成し、それらは同等でそれぞれ正しい。
聖書の世界観では神が存在するのだから、神は存在する。
→ 論証にはなっていない。
④ 奇蹟からの論証
何にしろ奇蹟は起こるので、それは神が介入したことの証拠である。
→ 本当に起こりえないことが起きたのかどうか確認できない。また現在の知識で
解釈できないだけとも考えられる。
Ⅲ.心理・数理論論証から、2つだけピックアップします。
① 普遍性論法 (善悪の普遍性)
文化の境を越えて、正しいことと間違っていることの類似は著しいが、それを最も
よく説明できるのは、神に由来すると考えることである。
→ 善悪の判断の類似というが、たとえば女性に対する神学的な厳しい制約は宗教に
より異なり、類似しているとは言えない。
善悪は神よりも、進化の過程で培われたものと考える方が合理的。
② ギャンブル論法
神が存在する、しないどちらを選んでも良いが、もし神が本当にいたなら永遠の
責め苦を負う恐れがあるから、神の存在を認める方がいい。
→ 賭けの片方に均衡を欠いた見返り (又は損害) を付与することが間違いだ。
逆に憎むべき虐殺のような行動も合理化されてしまうことになりかねない。
主な論点は以上でした。
いろいろな角度からの神の存在論があることを知るだけでも、御興味深い本です。