クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

8月

2016年08月17日 | ブログ
今朝は極めて微かに、肌に心地よさを感じました。昨日までとは明らかに違っていました。しかし、この後の時間帯は又、猛暑が襲うことと思います。それでも暫くの間、心に潤いが生まれたことは確かです。ところで、8月は“祈り”の月です。広島、長崎、地元の方々の満蒙開拓団自決、盂蘭盆、終戦と、黙祷が続きました。第二次世界大戦に関してもこの8月は本当に色んなことが絡んでいるようです。そういう中、私の誕生もあります。(鈍な私ですので自分の記憶はありませんが)私は、産婆さんに来て戴けるだろうか、と心配される激しい、激しい雷雨の中での誕生だったそうです。そしてそれはその後の私の人生を予告したものだ、と私は思っています。生存している現在までの内、前半は自分の愚かさが創ったことではありますが、自分の命に関わる諸々の事故などに埋め尽くされていました。よく生きて来られたものだ、とつくづく思います。私の場合もまた、後半の人生は、ある方が言われた“余生”みたいなものですし、まだ、為すべき事が私に残されているのでしょう。

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