怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

調理台に靴を置いてもOK

2016年07月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
ときどきドイツ人の衛生観念の違い(低さ、と書こうとして遠慮した)に驚かされる。
義母の場合はこうだ。
この調理台に靴を置くことがあるんだ。

すでに使っている靴を。
何か、間違えてしまったのか、と思ったけれど、二度も目撃してしまった。
その後にそこを拭くなどする行動も無かった。
ドイツの道は、一般的に日本より汚い。最近はウンチ袋普及運動のせいか、犬の排泄物があちらこちらに落ちているということはあまりなくなったけれど、人々は平気で痰を吐いたり、ひどいときは手鼻をかんでいたりする。たばこの吸殻など、日本では考えられないほど大量に落ちている場所が多くある。
そんな道を踏みつけた靴をテーブルどころか、食べ物を直接載せる場所に置くのは、いったい、どういうことなのだろう。
ドイツのほとんどの家庭は玄関先で靴を脱いで室内履きに履き替えて過ごす。
アメリカ映画などで、ベッドに靴のまま寝転がるシーンがあるけれど、あれは映画のための演出なのか、それともアメリカでは本当に平気で靴のまま家に入って寝室まで行ってしまうのか?
もしかしたら、義母だけの奇異な習慣だと思っていたら、在独日本人仲間からも同じ行動をするドイツ人を見かけてたまげた、と報告を聞いた。
中世の欧州でペストが大流行したのは、履物を平気で食品と触れるところに置くような衛生観念だったからと考えちゃうぞ。ペストの感染経路は違うだろうが。

もちろん、ドイツ人すべてがこんなではない。
義母の息子、つまり私の夫など、義母のこんな行動を見たらすぐさま大量に所持している消毒液を持ち出して義母にたらたらと不満を言いいながらせっせと拭くだろう。
いや、神経質な夫だけでなく、普通の感覚の日本人でも消毒するのではなかろうか。

義母に靴の不具合を指摘するために見せたのがきっかけだった。
玄関先より台所の方が明るいので、そちらに持っていって義母が靴を点検し、何気に調理台に置いたんだ。
これから義母に靴を見てもらうのは止めよう。
いや、そんなせこい努力をしたところで、私がいないときに義母、または義父はさまざまな日本では考えられない物資を調理台に置いているだろう!
そこで扱った食品を何年もここで食べていて、義両親たちはかなり健康だし、夫もそうだ。
私は少々具合悪いことが多いが、とりあえず、細菌やウイルスなどによる病気になっていない。
そういうわけで、靴を調理台にちょいと置いたところで、さして健康に影響なし、ともいえるかもしれない。

神経質すぎる日本の生活で鍛えられた我々日本人だけが、こうしたドイツ人の行動に不満を感じているのかな。






ミュンヘン銃撃

2016年07月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
私が領事館から事件のメールを読んだのと、義両親たちがテレビ放送で知ったのがほぼ同時だった。

テレビは同じ動画を何度も流しながら興奮気味のアナウンサーがまくし立てている。

数日前のウチより北の街近郊での斧事件はそれほどショックではなかった。
「斧」ってところがなかなか原始的な印象なのと、死者がなかったことだったからかな。
ミュンヘンと言えば、夫が私にここに来た頃から「危険だから行ってはいけない」と禁止している場所だ。
彼のそんな言葉に素直に従っていたら、何もできないので、在外選挙など重要な用事はもちろんのこと、ミュンヘン在住の知人友人を訪ねたりして夫には内緒でたびたび行っていたものだ。
こんな事件が起こってしまっては、本当に行けなくなってしまうではないか!
先日も在独日本人仲間のE子さんとミュンヘン近郊のお城に行こうか、という話をしていたところなのに。

おお。
夫はまだミュンヘンの事務所にいるぞ。
事件発生場所から離れているが、犯人逃走中らしいので、ちょいと心配だ。
いつも深夜の帰宅だ、今日は早く帰って来いよ!!











持ち寄りパーティの季節

2016年07月23日 | カテゴリー分けするのに飽き
今月末から学校が夏休みの南ドイツ。
子供の学校以外のお稽古事やグループ活動も、7月いっぱいがその最後となることが多い。
私が二年以上通っている縫い物コースも夏休み前の小さなパーティとなった。

持ち寄りの料理。出来合いの物を持ってくる人が多かった。私はいつも巻き寿司。
インド人は「インド風パンケーキ」アフガニスタン人は「アフガニスタン風ハンバーグ」だった。どちらも非常においしく、彼女らはドイツ人夫人たちに作りかたを尋ねられていた。
ポットに豆乳を作って入れてきた。でも、ほとんど誰も飲んでくれなかった。豆乳は冷たいところを飲むものらしい。うっ、そ、そうだったな。次回はしっかり冷やして持参しよう。

簡単なかばんだが、これらはカーテンや家具に使われる生地見本を使ったものなのだ。
もらい物のそれらの品を利用した貴重品。

このコース、始まった二年程はトルコ人女性ばかりだったのに、今はドイツ人年金生活者または、子育て終了して時間ができた婦人ばかりになってしまった。
私ともう一人だけがずっと続けて来ている。

ドイツ人女性、皆大きい・・・
縫いかたを学ぶところでなく、布を使って抽象的な表現をした作品をみんなで作り上げてきている。

さて、この集まりが終わった後、ドラッグストアで買い物をしようと店に入ったところでちょっと気になっていた人物に出会った。
親しくしていたマレーシア人だ。
去年、彼女の家を訪問したときそのときの社会情勢がまずかったのか、彼女から一方的に私がイスラムを批判するもののように扱われてしまった。
何か機嫌を悪くすることを言ってしまったのだろうと、今後の付き合いを諦めることにしたんだ。
久しぶりに見る彼女に声をかけるか一瞬迷った。意図的に批判することを言っていないという自信のある私は思い切って挨拶してみた。
「コーヒーでもいかがですか?ごちそうします」
という彼女の提案に、ほっとした。
結局、私一人で誤解していたのか。
私がまだ外国生活に完全に馴染んでいないのだろう。
日本以外の国の人々は、相当激しく口論を交わしても、関係そのものが壊れることはめったにないんだ。
これを思い出して、そのとおりだとつくづく感心した。
それで、コーヒーとピザをごちそうになった。ちゃっかりした私、へへへ。