怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

ボウフラお住まいの水を使う

2016年07月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
二階からひょいと下をみたら、義母が雨水タンクで不断草を洗っていた。ヒエー、と思ってカメラを取りに行っているうちに、彼女はその作業を終えてしまった。
壁に取り付けられている鉢に植えられているのはイチゴ。終盤で、あまりおいしくないものが実っている。

土が付いてどろどろなのを、溜めてある雨水で洗ったところ。その雨水が問題なんだ。
ボウフラがうようよいるんだものねー。

水面に向かってカメラを向け、ボウフラ撮影を試みたけれど、上手くできなかった。
収穫した野菜を洗うために、または草木にやるための水として雨水を敷地内の数箇所に溜めてある。

さすがに、雨水だけで洗ったのはよろしくない、ということでもう一度水道水で洗う。
ああ、ちゃんと、付着したボウフラは取れたかなぁ~
 
軽く湯がいて、細かく刻んで冷凍保存する。冬場のビタミン源だ。
私が日本から持ってきた包丁に、義両親たちは恐怖を感じている。例の事件は、ここでも大きく報道されたので(しかも、その市の名前が太字で印字されていた)その恐怖感は増強中・・・
ときどき、日本の刃物が褒められる。切れ味はこちらのものより優れていることが多い。同じく、私が実家から持ってきた裁ちばさみも義母が絶賛している。
義母の持っている台所用包丁は小さいものばかりだ。
 
てっきり、この不断草が昼食になると思った。

収穫期になったズッキーニを食べることになった。
 
義父と私はいつも「皮をむかないで食べよう」と提案していたのに、義母はかたくなにそれを拒んでいた。
ところが、最近新聞記事でズッキーニの皮の栄養価の高さを読んだらしく、ころっと意見を変えた。
「それみろ、私がいつも言っていたとおりじゃあないか」と義父が言った。
私はさすがにそこまで義母を責めることはできなかった。
マスコミの報道って、家族の意見より信用されちゃうのね、と恐ろしく思った一瞬。



捨てるぞっ

2016年07月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
ウチでは食器がかけても割れていても、そのまま使い続けるという恐ろしい習慣があるんだ。
義母愛用のマグカップはこんな風なのに、もう何年も使っている。

高級品ならともかく、その辺の普通の品、あるいは普通以下に見える。

私はいまだにその習慣に馴染まない。

りす部屋専用カップに、いつの間にかヒビが入っていた。
義母に見つからないようにそっと処分した。義母だったら、このくらいでは捨てない。使い続けるだろう。
高齢になると、極端に物を大事にするようになるのか、あるいは貧しい時代を経験するとそうなるのか。
ドイツ、あるいは欧州は古いものを大事にする傾向にあると昔から読んで知っているけれど、それは骨董品的な価値のある物資に限ったものというイメージがないか?
他のドイツ人高齢者の持ち物も観察して報告したいものだ。





固定電話は消滅か?

2016年07月28日 | カテゴリー分けするのに飽き
りす部屋の原始的な電話機。以前にもブログ記事内で紹介した記憶がある。あれから変わらず、いまだにこの古い電話機なんだ。
 
夫はこれにイライラしているようで、自分のコードレス機のお下がりを私に渡して「使え」と命じたこともあった。
コードレスだと、音質が悪くなるのよね。通話相手が使っている電話機もコードレスだと非常に聞き取りづらくなる。
ただでさえ電話での外国語会話は難しいのに、電話機で音質が悪くなると聞き返しばかりになってしまう。
そういうわけで、コードレスでないこの電話機は、音質という点では重宝している。

それにしても、この粗野な繋げ方・・・義父の仕事なのがけれど・・・

掃除などでうっかりこれに触ってしまうと、細い針金部分が外れてしまうんだ。それを自分で差し込む作業をするときの気分は「ここは先進国か!?」なんだ。

もう、何ヶ月もこの電話機に電話がかかってきたことは無い。
私も、夫の事務所に電話するときくらいにしか使わない。友人との連絡はほぼ携帯電話になってきている。
なので、電話機や悲惨な接続状況を改善しようなどとは思わなくなってしまっている。
日本ではもう、固定電話が全く使われない状態の家庭も多いのではなかろうか?
階下の義両親の電話は毎日使われている。ミュンヘンの娘との連絡、義母の妹とはしょっちゅうだし、義父のスポーツクラブ関係の人たちの連絡などもこれでなされているようだ。
義父も携帯電話を持っているのだけれど・・・
ここに来て初めて私が携帯電話を持ったとき、彼からのアドバイスはこうだった。
「使うときにだけ、電源を入れなさい」
こんな調子なので、義父の携帯電話が実際に使われたことはない。
練習と称して、義父と私が家の中で何度か呼び出ししあったくらいだ。