飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

論理的思考を育てる前提

2024年06月14日 05時03分01秒 | 授業論
説明文を読解するとはある意味、論理的読解をすると言ってもいい。
説明文を読み解くには論理的思考が必要となってくる。

1 事実と意見

説明文を読み進めて行くときに気にすることは事実と意見の違いを意識するということである。
論理的思考を身に付けるためには、事実と意見を明確にわけて、意見がどのような事実から支えられているか意識する必要がある。

例えば「この本の70%を読むことができた、だから全部を読み終えるのにあと2日ほどかかるだろう」といった場合、「あと2日ほどかかるだろう」が意見であり、「この本の70%を読み終えた」というのが事実になる。

こうして事実と意見を明確にすることで、議論の検証が容易になる。
読書の例で言うと、70%を読み終えたことは事実だが、本当にあと2日で読み終えることができるかどうかは未定である。
このことを検証することで、意見が正しいかどうかを証明することが可能になる。
都合により読書の時間がとれないかもしれない。
また、必要があって速読できない状況も生まれるかもしれないという不確定事項も生まれてくるかもしれない。
かります。

(1)事実と意見を定義づけする授業

授業開始と同時に黒板に次のように書く。
「〇〇先生はハンサムだ。」
「〇〇先生は、美人だ。」

そう思う人はノートに〇、そう思わない人はノートに✕と書きなさい。
ここは意見が分かれる。
それは、ハンサムの定義があいまいで、好みが人によって分かれるからだ。
主観が大きく入り込んで、客観性に乏しい。
それぞれ立場と根拠を言わせる。

次に、このように問う。
「〇〇先生は教師である。」
これは全員が〇と答えるだろう。
客観的に教師という職業が定義されていて、共通認識がある。
しかも目の前にいる人が教師であることは間違いのない事実だからだ。

このように、10人の人がいたら10人が認めることを事実と言い、そうでないことは意見という。
こんなふうに子どもたちには理解させる。
しかし、こだわりをもって事実を見ていくと、新聞に書いてあることは事実かと問えば、そうだという人もいるしそうでないと言う人もいる。
新聞に書いてあることは正確に言うと、「伝聞の事実」ということになる。
とくに書かれていることは記者の主観も入っているので、事実としてとらえるには弱い。

saitnai



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