飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

サクラ咲け 優しき先生への道 1

2024年05月24日 05時22分07秒 | 教師論
本文からの引用。


「いい先生」になるためには、たくさんの経験と時間、そして良き指導者との出会いが必要だ。
それらが揃っていても、少なくとも十年はかかると覚悟したほうがいい。
簡単に辿り着ける場所ではないというのが事実だ。
そうなるまでは、何度も授業で嘘を教えるだろう。
失った信用を取り戻すために必死になる必要もあるだろう。
「隣のクラスがよかった」「前の先生が良かった」という声に何度も出会うだろう。
たくさんの失敗と後悔を繰り返して、それでも「二度とあんな思いはさせない、そしてしない」ち葉を食いしばって何度も立ち上がる先に、ようやく「先生」としての「一人前」がある。
その覚悟をもってほしい。


どれほど大変でも、先生になったからには、そこには辿り着かなければならない。
なぜなら、生徒は教わる先生を選ぶことはできないから。


きっとどこかには、その子を「英語好き」に変えられる先生がいる。
でも子供には先生を選ぶ権利がない。
だからあなたがそんな誰かになるしかないのだ。
先生はなった瞬間から、常にその宿命の中にいる。
一方で、今の時代、あなたがそこに至るまであなたに指導をしてくれる、先輩や師匠を見つけのが難しいのも事実だ。
「こうしないとダメだ」
「もっとこうした方がいい」
「こうしてみたらいいんじゃないかな」
どんな言い方をしたところで、相手が「断ることができない威圧感」を感じた時点で「パワハラ」と認定されてしまう可能性があるのが今の時代だ。
授業に苦しんでいるあなたを見ても、あなたから声をかけない限り、あえてアドバイスをしたり、指導をしようとする人は年々少なくなっているだろう。
厳しいことを言う人がいなくなり、本当はこのままではダメだと思っていても、
「いいと思うよ」
「好きなことをやればいいんじゃないかな」
と当たり障りのないことを言っておく。
それが普通になってきている。

saintai

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