goo blog サービス終了のお知らせ 

三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【長期的環境縮小のなかの出版業】

2017年02月18日 07時26分24秒 | Weblog
わたしどもは地方での出版業・情報企業であります。
図表は日本の「出版社数と総売上高推移」であります。
きびしくそのどちらも下落傾向に推移してきていて、
2015年統計では、総売上1兆7,900億円・会社数3,489社。
こういった激変状況の中で売上ダウンよりも
企業数の減少割合の方がより少なく推移してきている。
企業経営として考えると、事業の環境はたいへん厳しいもの。
最近は書店の経営状況もいろいろ話題になってきており、
活字、紙文化そのものが大きくその存立基盤が揺れている。
ご存知のように、出版という業種は首都圏に圧倒的に集積している。
情報の収集活動において、中央省庁とか研究機関などの存在が
首都圏にほぼ独占されているので、
地方というのは、圧倒的に不利なので致し方ない。
しかし人口は東京は1300万人しかないし、首都圏とくくっても
おおむね3000-3500万人程度。
わたしどもが基本エリアとしている北海道・東北は、人口規模では
550万人+900万人の1,450万人とみれば、対比では
情報ニーズは確実に存在することは疑いないと思います。

こうした数字が事業環境の現状であり、その状況の中で、
各社ともどのような生存戦略を立てていくのかの問題なのでしょう。
事業環境縮小は多くの領域でいま日本の企業が直面している問題。
逆に言えば、こういった激変はあらたな発展のための
あらたな環境が生成してくることを表してもいる。
最近、人類史というようなスパンでの把握が可能になってくる、
そうした情報に接することが多くなってきた。
以前のブログでも書いたけれど、人類が衣類を着用するようになったのは、
赤道付近インドネシアジャワ島の地球規模での大火山爆発が
そのきっかけになった「気候変動」があったとされる。
寒冷が世界を覆いつくし、たぶんまだしも気候が穏やかであったろう
中緯度地方に向けて現生人類などがその生存域を
拡大させ移動していく過程で、動物の皮革などを
生存を担保する「衣類」として身に付けていったようです。
こういった人類史的推論が成立してきているということ。
ただしその過程で相当の類的大量死があっただろうとされる。
そういったプロセスは避けては通れないのでしょうね。
人口減少社会での生き残り方、サバイバルの時代が、
否応なく迫ってきているのだと考えれば、むしろ知恵も湧いてくる。
また、衣類発明までの人類的大転換とも思われない。
無理矢理にでも(笑)前向きに向かっていくしかないでしょう。
人間は必ず生存戦略を確立することは間違いない。
きのう、仙台でライターさんやカメラマン、印刷業者さんたちと
懇談しながらそんな雑感を抱いていた次第です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【爪のかさぶた表皮膜切除。新爪再生】

2017年02月17日 05時28分12秒 | Weblog
爪の再生プロセス、いよいよ最終段階。
昨年10月2日以来、ずっと内出血〜化膿〜沈静〜と推移していた
右手小指の爪の損傷。
ついに一昨日、形成外科に診てもらってきました。
爪の表面の盛り上がっていた古い患部の爪が、ちょっとした拍子に
破断面が横に走って、ぐらぐらとしてきたのです。
自分で多少の血しぶき飛散程度を覚悟の上で剥ぎ取るか、
考えたのですが、やはり形成外科にチェックしてもらいました。

こういうときに、写真を取り続けていたことがたいへん役立つ。
発症直後からの患部の状態を先生に詳細に説明して
最終段階の状態も確認していただき、切除という判断を下していただき、
先生自ら、はさみで病変患部を剥ぎ取っていただきました。
写真は、4カ月前の左上、1カ月前の左下、そして切除後の様子が右。
爪先端には黄色変異した病変部もあったので、
その部分まで切除した結果、いまのところ、やや凹みが
爪先端部に残りましたが、
「これから爪が伸びていって、徐々に復元されていくでしょう」とのこと。
「なにか、軟膏などを塗って置いた方がいいでしょうか?」
「いや、この状態で普通の生活をしてください。それの方が治りが早い」
というような今後の方針を示していただくことができました。
考えてみるともう4ヶ月半程度の期間でしたが、
こういった小事とはいえ、手指先というのはなかなかデリケート。
ヒトという動物は、「手型動物」〜外界との接触対応で、口型が一般的な
動物界のなかで、特異的に手多用型に発展したイキモノだそうですが、
まことにデリケートな時間を過ごしていました。
こうして復元力だけで再生できたことは、
まだまだ若さが身体中にあるということだと確認することもできて、
いい体験でもありました。
こういう健康なカラダに生んでくれた親には、いまさらながら感謝です。

さて本日は、東北出張。
仙台から週末は秋田にてテレビ番組出演、収録の予定です。
撮影終了後、番組の内容についてはまた、ご案内いたします。
秋田地方の方は,ぜひご覧ください。ではでは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【宮古島公営住宅 ウチソト緩衝領域の豊かさ】

2017年02月16日 07時12分21秒 | Weblog



宮古島から来て北海道の住宅を巡ってくれた伊志嶺徹子さんの
宮古島での設計事例として、公営住宅の解説があった。
わたしは実物を見学しているので、そのときの体験を追想しながら、
多くの再度の「気付き」を得ていた。
とくに建築家の山本亜耕さんが、その公営住宅の間取り図に着目されて
エントランス、玄関周辺の間取り構成を質問されたとき、
見学時に感覚した「空間の豊かさ」について、再確認した次第。
まぁその見学は、住まいと環境 東北フォーラムという、どちらかというと、
住宅熱環境をテーマとする見学で、壁から内の熱環境に興味が集中、
彼我の相違を対比的に見るという見学習慣が刷り込まれていた。
それに対して相撲を見に行ってテニスを見るような
そんな豆鉄砲を食らったハトみたいに意表をついた攻撃を受けて
その場では詳しく質問出来ず、今回山本さんの質問から、
改めて、その不意打ちで受けた「空間の豊かさ攻撃」体験が蘇ってきたのです。
思わず伊志嶺さんに「宮古島に移住したくなったくらい、あれよかったです」
と言ってしまっていた(笑)。いきなりホンネが出てしまったというか。

山本さんの指摘から、あの見学で抱いていた感覚が一気に襲ってきた。
そうなんです。公営集合住宅ということで法的な縛りと防火などの設計要件を
満たしつつ、なお、コストの問題をクリアさせるのには、
ほぼ全国画一の仕様パターンが行われるに相違ないという刷り込みがあった。
ところがそこで見せられた住宅では、玄関という概念が非常に拡張して、
人間の出入りにおいてごく自然で、ソトとウチとの区画性を感じさせない。
具体的には、明確な防火玄関ドア、鉄製扉がなかったのです。
伊志嶺さんも説明資料をいくつかスライド表示されていたけれど、
その見学時の取材写真を再度探し出して再構成したのが上の写真・図面類。
当方としては熱環境的な取材としての訪問意図だったけれど、
そこにあったのは、違う次元での建築の環境対応。
わたしは戸建て住宅がメインの住宅情報人間であるので、
共同住宅、集合住宅の一般的知識には乏しい。
ただこの見学の時、「めちゃくちゃいいな」と思っていた。
集合住宅なのでコンクリート造であるのだけれど、
玄関は木製の引き戸であって、その入ってすぐには木製の自立壁、
そう、沖縄に特有な「ヒンプン」が装置されていて、
あえてそこから「回遊」させられつつ、居室内部に導かれていく。




内部は、肌に触れる部分の仕上げには木質がセレクトされて使われていた。
床フロアの色合いはかなり濃いめで仕上げられていた。
この見学居室はいちばん大きめのタイプのようでしたが、
とにかく導入部分・エントランスがたいへん豊かな空間構成なので、
家のウチとソトの関係性が非常に開放的と感じられた。
家を出ればすぐに東シナ海の遠望が目に飛び込んでくる環境。
公営住宅でありながら、こういったバッファーゾーンの豊かさが実現している。
これは建築家としての伊志嶺さんの強い説得力の産物であったようです。
行政側との詳細な(笑)やり取りの様子も聞かされました。
ですからもちろん沖縄のどこででも実現できているわけではないでしょう。
このあたりのことは専門外なので、詳しくはありません。
寒冷地では居室内での熱環境の確保保全が最優先になるけれど、
蒸暑地沖縄・宮古島では、ウチとソトの暮らしのアクティビティこそが優先され
設計の視線としての重視項目に「暮らし方の豊かさ」目線が大きい。
そしてこのアクティビティは、バッファーの豊かさに裏打ちされている。
沖縄の家はバッファーゾーンの方がむしろ居住性の大きな要素を持っている。
家概念が少し違う。北海道ではこうしたバッファーの豊かさは追究しにくい。
単純には「相互浸透」はしにくいでしょう。
まったく違う様相の中にあるワケだけれど、しかし少なくともわたし自身は
北海道の人間としても強く惹かれるものをそこに感じる。
逆に沖縄の人は北海道の家をどう感じられるか、そこもよく知りたいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【沖縄宮古島のエコな住まいと街並み】

2017年02月15日 07時06分36秒 | Weblog


きのうは、このブログでも1月にご案内のエコハウス講演会が札幌で開催。
一昨年訪問見学した宮古島エコハウスの設計者・伊志嶺敏子さんが来札。
旧交を温め、じっくりと設計思想をうかがうことができました。
沖縄は省エネ基準では8地域で、蒸暑地域とされている。
北海道とは気候性・歴史風土性がまったく異なっている。
独立したての頃に吉村順三さんの名作住宅と近似したプランを
宮古島の建て主さんに提案したところ、
まったく受け入れられなかったところから解題されていました。
氏が気付いたのが、下の図のような集落調査での「南面開放型間取り」という
沖縄の人のDNAにまで深く刻み込まれてきたような建築常識。
沖縄の風土性としての住宅への典型的意識が反映されている。
地域の住宅を代表する「中村家住宅」を見てみると、
街から住居を区切る塀やフクギの植え込みがあり門があって、その先に
ヒンプンと呼ばれる自立壁があり、それを回り込んで「中庭」空間がある。
沖縄ではいわゆる住まいというのは、この塀から内側のすべてを含む概念。
そのなかに個別棟が場合によって複数存在するけれど、
このように区切られる全空間が「住宅」という認識だと知られるのですね。
たしかに年間の気温推移を見ればこの1−2月の最寒期ですら、
曇天でも20度程度の最高気温であり、陽射しが出れば26度程度の
気温上昇が見られる(伊志嶺さん談)という外気温状況のなかでは、
人間居住環境において、ウチとソトの概念でもバッファー的な
中間領域の占める割合が大きくなってくるのは自然でしょう。
外界との熱環境制御で、建築と衣類というものの役割の差が接近してくる。
この「南面開放型間取り」とその先に広がる中庭は、
沖縄のみなさんにとってあらゆる生活シーンの背景ステージとして、
生活伝統に深く根ざしているのだろうと想像できる。
さらに街並みという視点では、写真の琉球石灰石がまことに特徴的。
この石は生物化石であり組成分析でもまことに不定形の組織構造を
持っているけれど、さらにこうした塀として形成されても、
そのカタチは直線的ではなく、曲がりくねり「生物」的な道になっている。
これらが台風に対してその威力を「いなす」工夫であろうことも
生活実感としても理解されるし、事実その通りなのだろうだと思います。
そのように丹念に地域性風土性の探求・最適化の姿勢を持って取り組んできた
そうした仕事ぶりを紹介されていました。

わたしは、沖縄が大好きで
その住宅地景観、住まいのありように強い興味を持ち続けてきました。
ただ、沖縄の設計者とはなかなか対話する機会は持てませんでした。
温熱や人のいごこちに関する手法作法は、またかたちを変えて存在する。
さらに氏の、公営住宅での仕事について、
現地視察時に気付いたけれど、質問対話まではできなかったことについても、
今回お話しすることができてたいへん興味深かった。
それについては、明日以降。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【自分史タイムトラベル 卒業校区・古住宅地図】

2017年02月14日 06時57分42秒 | Weblog


わたしは出版とか、広告の世界で過ごしてきています。
こういった傾向の人生になったのは、はるかな少年期にさかのぼる。
そんなことなので、同窓会とかでは印刷物企画の担当者になることが多い。
大体友人たちが、あいつがハマり役だと推薦してくるのですね。

そんな経緯で2005年、いまから12年前にも中学校同窓会での印刷物制作を
企画から進行管理までさせられる機会があった。
この中学校は、南東端が札幌市中心部、南3条西5丁目、
北西端は、北19条西15丁目までの範囲を校区として存在しました。
名前は陵雲中学校と言います。開校が1954年で、閉校は1968年。
まことに瞬時に消え去った、人口爆発期の戦後・札幌を
象徴的に表すような歴史を持ち、卒業生の記憶の中だけにいま存在する。
しかし、確実にそこに存在していたことは間違いがない。
そんな母校に対する愛惜を込めて、校区の住宅地図を再現する企画を
立案して、同窓会当日に配布することにした。
調査活動や、著作権関係での各種請願・許諾などを経てようやく実現した。
短い存在期間だったけれど、その期間にも住宅の状況は変化する。
居住者は転々と変化していくので、1957年の地図に特定した。
できあがった住宅地図は、ルーペなどで見れば居住者名も確認可能。
「あ、おれん家だ。おお、あいつの家この辺だったな(笑)」
「あの店、こんなとこだったっけ・・・」みたいに楽しめる。
校区が広いので、識別可能な印刷画面にするには4枚の分冊として、
予算が厳しかったので、その分冊の一枚だけを来場のみなさんに配布し、
合本になった4冊ワンセット版は、カンパ購入していただいた。
けっこう売れたけれど、もちろんそれでもはるかに持ち出しだった。
そういったことよりも、ひとつの企画を達成した満足感も得られてうれしかった。

もうそんなこともほぼ忘れかけていたら、
ことしも5年に一度の開催予定の中学校同窓会幹事期のかたから、
お問い合わせをいただいた。
「あれ、いったいどうやってつくったんですか?」
というものでした。著作権許諾などの壁のことですね。
わたしがつくった制作物に感激していただいている旨、聞かされた。
自分が手掛けたことが誰かの役に立って、喜んでいただいていることに
なんともいえないよろこびがこみ上げてくる。
人間のやることって、きっとこんなことが実質なんだろうと思わされます。
ということで、ふたたび倉庫から引っ張り出してきて、
ルーペを片手にしながら、「そういえばあの辺、どうだったっけ?」と
自分史タイムトラベルを楽しませてもらっています(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【戸建とMS 冬の雪かきにも認識偏差?】

2017年02月13日 06時19分47秒 | Weblog
どうしても戸建て住宅に関わった仕事をしているので、
いわゆるマンションなどの共同住宅との差異を意識しなくなる。
図表は日本の住宅のありようを示したもので、国の統計資料。
戸建てと共同は普通によく分かるけれど、
「長屋建て」というのは、いわゆる町家のように壁を共有する建築のこと。
長期的に減少してきているので、まぁ都市の町家と想定される。
で、一般的には戸建てかマンションかという選択になる。
わたしは住宅雑誌をはじめたので、必然的に戸建ての方に
比重がかかった経験知蓄積をしてきた人間でしょう。
このグラフでは、長期的な人口の都市集中が結果として
マンション生活が主流になってきている流れを表現している。
最新の国勢調査の反映として平成25年段階で、
戸建ては2860万戸に対して、MSは2209万戸という状況。

東京に至っては、約7割がMS居住ということになっているけれど、
北海道での住み方、それも札幌のような大都市でも
この住み方の違いが、ライフスタイルに大きく関わってくる。
そうです、雪かきへの認識の差が確実に存在する。
マンションライフの北国での一番のメリットは冬場の除雪のこと。
マンションではクルマと駐車場使用の面倒さくらいで、
それらがない場合、雪のことをほぼ忘却した生き方もできる。
高齢化社会の進展で戸建ての維持管理の大変さがクローズアップされる。
この週末、山陰側、日本海側各地の大雪状況が伝えられましたが、
北海道では最近はほぼ全域で多雪化傾向にあり、
除雪の困難さはほぼ全道的な生活上の大きな問題といえる。
これからさらに高齢化社会が進展し、さらに世帯家族数が減少していくと
北海道では除雪の問題が、より大きな問題になってくる可能性が高い。
一時期、エネルギーコストよりも生活利便性に走って
融雪器やロードヒーティング需要が高まったけれど、
いつしか、コスパ問題からそういう方向での消費は減退している。
わたし自身もいまのところは、雪かきに前向きに立ち向かっていますが、
今後健康との関係で、どうなるかという一抹の不安もある(笑)。
ただ、周辺の戸建て住宅のみなさんは幸い高齢の方も、
そのことが背筋を伸ばさせて、健康と元気をもたらす生活のハリに
なっているとも感じられ、このことについてまだらな印象があります。
そういった緊張感を持った生き方の人と、あまり雪に左右されない人とでは
同じ北国居住と言っても、意識に違いが出てくると思われますね。
こういうトレンドと意識変化、興味深く見ています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ホワイトハウス黄金カーテンと日本の金屏風】

2017年02月12日 10時38分07秒 | Weblog


きのうからの日米首脳会談。
世界中の耳目がかなり集中して注目しているようです。
いま現在もまだフロリダでゴルフをしながら続いている。
予測が利かないトランプ大統領のふるまいが、世界に混乱を与えている。
そういう最中に端然と飛び込んでいく安倍さんの姿は、
落ち着きが感じられてここまでは自然な印象を与えている。
しかし外務省関係者や随行団のハラハラ感も察せられます。
最終的に安倍さんが帰国の途につくまで安堵感はないだろうと思います。

トランプさんは大統領になってからも
既成メディアとの対決姿勢が際だっており、
アメリカ社会が置かれている「分断」状況が伝わってきます。
しかしイスラム圏7カ国からの入国拒否という大統領令についてすら、
半数近いアメリカ世論の支持があるというのは、
これまでの世界が認識してきた常識からはかなり距離がある。
アメリカ社会の基底にあるホンネをトランプが掘り起こしているのでしょう。
イギリス国民投票が火を点けた流れが世界的な底流になっている。
日本としてはなかなか難しい舵取りを迫られる。
世界的なグローバル化、人間の交流の拡大では、
たぶん移民政策や難民の受け入れなどで、一番保守的な政策の日本。
ひょっとしてトランプさんの娘のイヴァンカさんが
「パパは安倍さんのいうことを聞けばいいのよ」と語ったという情報は、
アメリカ社会が抱えたグローバル化の痛みに対して
この日本の政策をモデルのように考えているというサインなのかも。
まぁ、まだまだ予測不能な部分は大きく、慎重な外交が求められる。

ホワイトハウスの主が変わって、
トランプさんが最初に指示したのが会見場の後背カーテンのチェンジだとか。
その写真が、安倍さんとトランプさんの会見で披露されていた。
トランプさんってこういう金ピカ系趣味傾向なのだとわかったけれど、
これって日本の伝統的な背景装置、屏風の豪華版、
「金屏風」に通じる考え方ではないかと内心感じていました。
いうまでもなく金屏風はアジア世界の中で日本が突出的に進化させた
インテリア装置。本来は大陸から装飾文化として日本にもたらされたけれど、
すぐに日本から中国への交易品、朝貢品としてリストアップされるようになった。
〜中世では輸出品として珍重され外国への贈答品としても使われた。
遣明船の場合だと、必ず金屏風三双を送る習わしだった。(Wikipedia)〜
トランプさんにはいろいろな危惧が言われるけれど、
同盟国としては、その首脳にまずは友好関係構築が求められるのは必然。
こういったかれのメンタリティも十分に咀嚼して、
外交的に対話して行かなければなりませんね。
黄金カーテンと金屏風、建築的相似性って面白いかと。
今回の訪問、ここまでの政府関係者の労を多としたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【歴史時間旅行と北海道の古建築】

2017年02月11日 07時36分11秒 | Weblog
年が明けて以降、同時進行的に仕事の企画案件が進行していて、
なかなか詠嘆的にとか詩的にというか、そういった時間を過ごしていません。
人間、公理とか常識的平常心だけの世界にばかりいると、
どうも息が詰まるというか、バランスを取りたくなる。
若いときなら、お酒というのもちょっとしたトリップにはなるでしょうが、
わたしの年代になってくると、やはり歴史時間旅行というのが楽しい。
具体的な古建築というたたずまいに接することで、
過去に確実に存在した人々と、なんとなく対話ができることがあって、
無上の楽しみとなってくるものではないかと思います。

本州以南地域のように積層した時間は確かに少ないのだけれど、
北海道内でも、それなりには古建築がそうしたよすがを見せてくれる。
写真は日本海側の小平町にある花田家番屋。
上の写真もややセピア調に写っていますが、現代の復元された状況。
下の写真は、この建物が最盛期だった江戸末期・明治初期の様子を
イメージとして再現した浮世絵風絵画。
この「イメージを想像力で丹念に紡ぎ出していく」ことが好きなんですね。
そうすると、この時代を生きていた人びとの息づかいのようなものが感じられる。
人間って言うのは、DNA的にこれくらいの時間経過では
たぶん、感受性とかの本質は変化はないと断言できるでしょう。
そうしたら、自分の身体感覚や感じ方を応用して、
これらの人々がどのような気持ちを抱いていたかも、想像できてくる。
まぁそういうことが、歴史時間旅行というようなことなんでしょう。
こういったことが無上に好きなんだと言うことが、いよいよ自覚できます。
やっぱりたまにそういう時間を得たいと思うコトしきりなのであります。
この絵画のなかには、労務しているひとが描かれていますが、
このひとたちが起居していたスペースを見て感嘆させられたことがあります。
人間立って半畳、寝て一畳というコトバがありますが、
大空間の中の「個空間」に、まさにそのコトバ通りのスペースに寝泊まりしていた。
寸法というモジュールも、こういう身体発想から生まれてきたことも
具体的に「こういうこと」と特定できる。
そういう環境の中で、いったいどんな夢を見ていたか、
どんな希望を持って生きていたのかと考えると眠れなくなる(笑)。
また時間を作って、こういうトリップを楽しみたいと思います。

さて、どうなることかと思われた日米首脳会談、なんとか乗り切れたようです。
トランプさんを選んだという
アメリカ政治社会の現実は柔軟に受け止めて行かなければなりませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【Instagramにも。オーバー還暦の挑戦は続く】

2017年02月10日 06時27分00秒 | Weblog
わたしはアナログ広告の世界から仕事人生をはじめたので、
基本的にはそういう価値感の方が優勢なタイプ。
でも好奇心は強い方なので、新しいものには比較的に惹かれる。
けれど、奥手というか、着手するのにはやや遅れる慎重なところもあるようです。
Facebookについても本格的にはじめたのは2年前から。
コミュニケーションの世界は急速に変わってきているので、
若い人からの刺激を大事にして、関わっていきたいと思っています。

Facebookでの毎日情報発信約2年ほどの結果、
友だちの輪が広がって、2100人を超えてきています。
日本の場合、Facebookはビジネス的な人脈形成に役立つメディアなのかも。
若い人はだんだんとデジタルネイティブになっていくでしょうが、
わたしのような年代にとっても、こういうコミュニケーションは興味深い。
SNS的コミュニケーションは、現実の人間関係にも
大きな変化をもたらしてきていると感じますね。
たぶん、電話よりも前にこういったコミュニケーションの世界があって、
その上で現実に会っていくというようなプロセスが普通化している。
昨秋、東北のほぼ全域を歩いて数百人のみなさんと会ってきましたが、
かなりの割合でブログを見ていただいている現実を再認識。
本当に変化を実感させられました。
ということで、新しいことにはより積極的になろうと考え、
スタッフが最近、Instagramでの情報発信をはじめたことを知り、
自分自身でも調べはじめている次第であります。
とりあえずアプリをダウンロードしてログインを試みてみたら、
Facebookアカウントでログインできるということ。
Instagramは、Facebookが企業買収したものなのですね。
で、Facebookの友だちのうち、半数程度がInstagramにも登録している。
へ〜、っていうところであります。
調べてみると、Macからでもログイン、投稿が可能のようでもあります。
きわめて初歩的な段階で、右と左を確認しながら、
徐々に画像投稿に進んでいきたいと思っております。
こちらの方でも先達のみなさん、ご教導をよろしくお願いします。
オーバー還暦の手習い挑戦は続く、いったいどこまで(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【生き方アバウト人間の苦行 規則的点眼ライフ】

2017年02月09日 06時57分40秒 | Weblog
ここのところ、白内障手術からの話題が続きます(笑)。
毎日更新のブログなので、どうしても身近な話題に目が行く。

手術後、渡されたお薬は写真の点眼薬3点。
左右の目で、手術日程に2週間のタイムラグはあったのですが、
どちらとも同じ点眼薬になったので、一時期の「右はこれで、左はこっち」
みたいな混乱状況は解消された。点眼回数は1日4回という指示。
「朝・昼・夕食時+寝る前」というようになっています。
人間、だいたいは1日に3食は食べるので、習慣としては合理的。
で、この3つの点眼薬の入れ方ですが、
左・中・右の順番で、「5分おき」に点眼しなさいとなっている。
これが、言うは易く行うは難しなのであります(泣)。
愚痴です。
5分という時間はなかなか、なんともいえずに微妙なのです。
大体入院しているときからして、看護師さんでもこの時間は守りずらい。
いわんや、当方のようなズボラなタイプにはキビシイ。
1本目をさしてから5分となると、普通はちょっと別のことをし出す。
わたしの場合には、メールをチェックしたりとかやり出す。
で、それに集中するからちょっと忘れて、あわてて2本目を点眼する。
で、また別件に取りかかる。
ほぼ忘却していて、気がついたら何本目だったかを忘れている(笑)。
そもそも、点眼薬を眼にさすのもチョコチョコと「失敗」する。
どうも眼が小さく出来ているのか、
うまく眼の中に的中させられないことが、3回に1回くらいはある。
上を向いて点眼する、その角度と体勢が一定でないのでしょうか。
1日4回ですから、各5分×3本×4という時間、集中しなければならない。
計算したら、合計時間は60分になりますね。
甘く考えていましたが、一種の難行苦行とも言えるのかも知れません。
大体、毎食時15分って、実質食べる時間と同じくらいではないか。
ということで、仕方ない、点眼方法キッチリ順守は諦め、
「大体」アバウトということにしようと、固く心に決めました(笑)。
5分間隔を開けるというのも、適時、融通性をもって判断。
15分を5分程度に短縮して、点眼生活を送っております。
あ、お医者さんには内緒であります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする