三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【社会「分断」はWEB履歴応答システムがもたらす?】

2019年01月20日 06時03分11秒 | Weblog
写真はふと見掛けた「おかぐら」建築。
おかぐらというのは平屋に2階を増築すること一般を指すことなのですが、
通常は、構造的に不安定な増築方法として避けるべきとされる。
この写真の建物はブロックの1階に対して、
木造と想像される2階が大きな面積になっている。頭でっかちであやうい・・・。
どうも最近、社会の見えない部分でこういうおかぐらが進行しているかも。

WEBは非常に有益な情報手段として定着してきたのですが、
一方でこのことが社会に変化ももたらしてきているというのも事実。
そろそろ、このことについての論考もされるべきではないかと思っています。
というのは、WEBの発展によって社会の「分断化」も進んだと思われること。
さらに、中国という共産党一党独裁のような国家体制が
その技術を悪用して社会管理を強化して、独裁の延命に利用してきていること。
このような「害毒」も無視はできないと思われようになったと思うのです。
とくに「社会の分断」については、WEBの「履歴検索対応」という
システムが非常に大きく関与しているのではないかと思われます。
一度ある特定の主張のサイトを見ると、WEB広告のひとつの機能である
履歴情報にその内容が記憶されて、その内容に近似した広告などの情報が
その利用者個人の同意を経ることなく、繰り返し表示されるようにプログラムされる。
みなさんよく経験されると思うのですが、一度WEB検索したら、
繰り返しその情報がパソコンやスマホの画面のどこかに表示されることがある。
あれは、情報を「合法的」に受け取って広告としての「高い効率性」を
追究するシステムが動作して、個人に対して情報を送ってくるのです。
本来であれば、こういう情報選択について個人意志が前提されるべきだけれど
現状では機械的な情報の偏り、操作が同意も論義もないまま、許容されている。
こういうことがもたらす社会の弊害について、
人間社会としての判断はどうしたらできるか、ということも不明だと思う。
政治が取り上げるべきなのか、それ以外の「公共」が取り上げるべきなのか、不明。
メディアのような存在が、こうしたWEB情報操作・利用について声を上げない限り
なかなか社会一般化しないように思われます。
ある特定の意見に引き込まれると、繰り返しその「方向」からの情報が
どんどん勝手に情報を送りつけられる。あまりにもお節介ではないか。
はたして人類社会はいつこういうことを許容したのだろうか?
コメント
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