三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【仙台オフィスは「陸奧国分寺」遺跡から1km(*⌒▽⌒*)】

2019年01月27日 06時32分01秒 | Weblog


わが社の仙台オフィスは仙台駅の東口、新寺という地域にあるのですが、
2年前ほどに開通した「地下鉄東西線」がすぐ近くを通っています。
最寄り駅は「連坊」駅になるのですが、そこから1駅東には「薬師堂駅」があります。
その新駅周辺に最近、見慣れない古代木造建築風の朱塗り建築ができた。
ときどき前を通る度に「陸奧国分寺」という看板を見ていた。
きのう、仙台市内での仕事が一段落したタイミングで
気になっていたその「陸奧国分寺遺跡」を見学して来ました。

陸奥国というのは、645年の大化の改新の頃から国司が派遣され
いまの仙台市太白区長町に「郡山官衙」施設が造営されたとされています。
その後、724年頃に多賀城が対蝦夷の軍事拠点として築城され
やがて「国府」機能も併設されていくようになったとされる。
この時代は奈良の都の時代であり、国府と「国分寺」とは、
国家権力とはなにかをわかりやすく人々に理解させるふたつの機能を見せていた。
国府は人民を支配する政治機構。国分寺は宗教による人民救済を指し示していた。
多賀城からは10km程度離れているので、やや異例の距離感とされてきた。
しかし郡山遺跡に国府が置かれた位置関係からすると、
この現在の場所は、比較的に近隣であり常識的な配置といえる。
そういう国の歴史の最前線施設がごく身近に存在してくれる。
わたしのブログの読者の方々はわたしがこういう時間旅行大好きということは
ご存知の通りでありますが、こんなに近隣に軽く1,000年を超える遺跡。
これは徹底的に検証してガイド役も引き受けたくなってくる(笑)。
別にたまたま賃貸の事務所をそこに借りたというだけの縁ですが、
もうすでに誇らしい気分でハイテンションになってくる。
なにやら日本国の歴史が、北海道という新開地ネイティブ人間を哀れんで
あっちの方から近づいてきてくれた、みたいなウレシイ気分が充満してきます。
下のGoogle航空写真マップの左上の青いマークがわが社の位置であります。
歩いても十数分の近さにあることがわかります。

きのうはとりあえず、駆け足で一巡してみて、
主要な建築群の配置関係などを体感させていただきました。
最近の発掘などで869年の貞観の大津波で被災した状況もわかってきたそうで、
そこから被災、復興というプロセスも見えてきているようです。
仙台では昨年は住宅着工が「需要の先食い」の影響から落ち込んできたとされますが、
長い歴史でもそうした社会の「波動」はあったようですね。
まさに「身近」な歴史に大いに学んで生きていきたいと思います。
コメント
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