三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

函館市電に乗って考えたこと

2016年04月25日 06時18分17秒 | Weblog
先日の青森出張の帰り、函館市内で休日を過ごしました。
函館の駅に到着したあと、湯ノ川での宿泊先まで、
結構好きな市電に乗車していたのです。
北海道内では札幌以外では、函館にしか市電はありません。
東北では仙台にも市電はないので、北海道東北で市電があるのは大変珍しい。
わたしの3歳からの札幌居住体験のなかで、市電は大きな存在でした。
クルマの大量普及前、市電が果たしていた役割は大きかった。
ただ、そういったいわば交通革命以降、
市電というのは、その存在基盤が大きく変化もしていったのでしょう。
クルマに大きく手段が変わって以降、
自分自身もクルマの免許を取得してからは、
ちょうど市電の利用可能地域から引っ越ししたこともあって
まず利用することはなく、たまに函館に行くときしか利用することもなかった。
たぶん、多くのみなさんも同様だろうと思います。
で、久しぶりに乗車してみて、その「機能」変化を実感した次第。

というのは、利用した時間帯にも関係するのでしょうが、
利用者に「高齢者」のみなさんがたいへん多いこと。
まぁ、わたし自身ももう少しでそうなるわけですが、
一見して、後期高齢者の方たちの利用が多い。
函館駅から湯ノ川まで、停留所が20箇所近くあると思うのですが、
気をつけてみていると、ほんの1箇所ー数カ所移動に利用されている。
まさに高齢者市民生活の「足」になっているのですね。
しかしそれにしては、乗車に際しての「階段」ステップが高い(!)。
なので、ついハラハラしてしまい、
「大丈夫ですか?」と声を掛けることが増えます。
また、その後の行動を自然、見続けていると、
なるべく降車位置である前側に移動されようとしている。
たぶん、降車の際の移動の負担をなるべく小さくしたいということでしょう。
降車に際して、忘れ物なども発生する。それを若い方が気付いて
声掛けして手渡したりされていた。
やはり人間、自分自身もやがてそうなるという思いからか、
まことに注意深く、その行動を学ばせていただいていました。
人によっては、降車した後、電車の車体に手をついて
カラダを支えているケースもあって、
1人乗務に当たっている乗務員さんは、発車時点で、
かなり心配そうに、降車したひとを「見守って」いる姿を見ました。

普段のクルマでの移動とはまったく違って、
このような「他者への配慮」ということが、一番の体験だと。
小さな車両のなかで、それぞれの様子を見ながら、
まだ体の自由のきく人間が、当然のように高齢者のみなさんに
その注意を払っている、払うことを心がける習慣が存在すると感じられた。
また一方で、高齢者のみなさんからも、ふとした仕草で「ありがとう」の
表現が伝わってきます。
ほんの数十分間の体験でしたが、都市生活の底に、
こういった市民お互いの気配りが根付いていることを体験できて、
普段は気付いていなかったことに気付かされた次第です。
コメント
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