地域で住宅雑誌を発行しているので、
たまにローカルのテレビのコメンテーターみたいな役回りを
引き受けることがあります。
わたしは小学校時代から、よくテレビには出ております。
最初はたしか、小学校の生徒会での発表風景を
ローカルNHKが地域の話題コーナーで取り上げたのに出ました。
それ以来、50年以上、なにくれと縁がある次第。
20世紀中葉から21世紀を生きる人間として
テレビメディアとの付き合いは、大きいモノがあるでしょうね。
まずは圧倒的に受動的に接する日常があります。
これによって、大きく感受性まるごとが影響されているでしょう。
いろいろなテレビ的な「共有コミュニケーション」が発展して
ふつうの人間交流も変化してもきただろうと思います。
一方で、テレビに出るという体験機会も増えてきます。
きのうも初めてテレビに出た人のコメントをSNSで見たら
「恥ずかしい」という表現があって、
ニヤリとさせられます。
たぶん、日常生活で受動的に接しているテレビに
自分自身が映し出されている現実に接して、
多くの人から、素朴に出てくる気分だろうと思います。
で、わたしの場合、こうした機会がたまたま増えていって
25年前くらいから、テレビに出てコメントを発するという
役割を仰せつかるようになったのです。
テレビ的な限られた時間経過のなかで、事実に即していて
そこから読み取れる住宅建築的な意味合いを抽出して
視聴者のみなさんに「わかりやすい仲介的言語」をお届けするということに
まことに一期一会的な体験感を抱いておりました。
たくさんのいろいろな背景を背負って
それを一気に直接的に表出させる必要が、一瞬一瞬迫ってくる。
「あ~~」だの「う~~」だのという間合いの間に表出言語を整理する
というような時間的ゆとりはあまりないのです。
瞬間瞬間での、その場の空気を読み取って
それに対するわかりやすい解説コメントを、自らに課していく。
考え方によっては、まことに刺激的な体験であります。
まぁ、そういった機会に対しては
自分自身への修行にも似た気分で、対することにしております。
まぁ、限られた時間と与えられた任務の中で
全力で瞬間瞬間に正面から立ち向かう、ということですね。
やっているうちに、ある清々しさを感じ始めもいたします。
テレビとの「付き合い」という現代的生活感、それなりに面白みを感じてます。