三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

現代人とテレビとの付き合い方

2015年03月16日 06時04分25秒 | Weblog

地域で住宅雑誌を発行しているので、
たまにローカルのテレビのコメンテーターみたいな役回りを
引き受けることがあります。
わたしは小学校時代から、よくテレビには出ております。
最初はたしか、小学校の生徒会での発表風景を
ローカルNHKが地域の話題コーナーで取り上げたのに出ました。
それ以来、50年以上、なにくれと縁がある次第。
20世紀中葉から21世紀を生きる人間として
テレビメディアとの付き合いは、大きいモノがあるでしょうね。
まずは圧倒的に受動的に接する日常があります。
これによって、大きく感受性まるごとが影響されているでしょう。
いろいろなテレビ的な「共有コミュニケーション」が発展して
ふつうの人間交流も変化してもきただろうと思います。
一方で、テレビに出るという体験機会も増えてきます。
きのうも初めてテレビに出た人のコメントをSNSで見たら
「恥ずかしい」という表現があって、
ニヤリとさせられます。
たぶん、日常生活で受動的に接しているテレビに
自分自身が映し出されている現実に接して、
多くの人から、素朴に出てくる気分だろうと思います。

で、わたしの場合、こうした機会がたまたま増えていって
25年前くらいから、テレビに出てコメントを発するという
役割を仰せつかるようになったのです。
テレビ的な限られた時間経過のなかで、事実に即していて
そこから読み取れる住宅建築的な意味合いを抽出して
視聴者のみなさんに「わかりやすい仲介的言語」をお届けするということに
まことに一期一会的な体験感を抱いておりました。
たくさんのいろいろな背景を背負って
それを一気に直接的に表出させる必要が、一瞬一瞬迫ってくる。
「あ~~」だの「う~~」だのという間合いの間に表出言語を整理する
というような時間的ゆとりはあまりないのです。
瞬間瞬間での、その場の空気を読み取って
それに対するわかりやすい解説コメントを、自らに課していく。
考え方によっては、まことに刺激的な体験であります。
まぁ、そういった機会に対しては
自分自身への修行にも似た気分で、対することにしております。
まぁ、限られた時間と与えられた任務の中で
全力で瞬間瞬間に正面から立ち向かう、ということですね。
やっているうちに、ある清々しさを感じ始めもいたします。
テレビとの「付き合い」という現代的生活感、それなりに面白みを感じてます。


コメント
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