三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

震災大津波から4年が経ちました・・・

2015年03月12日 06時21分52秒 | Weblog

メモリアルがいろいろにあった1日でした。
きのうは東日本大震災から丸4年がたった1日でしたが、
北海道と東北で仕事をしていて、
なにかまとめるというか、第3者的にどうこうとは言えないので
きのうはブログでもなにも触れずにおりました。

いつも、北海道と東北とを行き来しております。
ちょうど震災の日も、13日には北上で講演を予定していて
そのための準備などもしておりました。
飛行機も12日には搭乗予定でチケットも購入済み。
前日には、東北からの住宅見学のご一行を視察案内などもしていました。
テレビで仙台空港に押し寄せる津波の映像を見ていながら
でも、翌日には間違いなく飛行機に乗るものと思っていました。
さすがに明日では空港の整備は間に合わないだろう、
でも明後日は大丈夫かなぁ、などという平常感覚が残っていたと思います。
岩手県の仕事先に連絡して、たぶん飛行機が飛ばないので
申し訳ありません、というような連絡もしていました。
仙台には小さいけれどオフィスも構えている。
そんななかでの震災体験であります。
すぐに仙台の事務所とケータイで奇跡的に連絡がついて、
まず無事を喜び合い、そこからいろいろな指示もして
安全と人命第一、生活の基盤確保が第一という基本線で対応してきました。
スタッフの無事になにより安堵したのですが、
今度は、その先のスタッフの家族の安否確認、
当面のアポイント先との連絡調整などに忙殺されていました。
戦争を知らない世代のわたしにとって、
生きているとこういうことにも遭遇するのだということが、
内心の驚きだったように思っています。
震災当時は北海道から東北に向かう交通手段が全部途絶していた。
そういうなかで、すぐにボランティアとしての住宅情報ツールを起案し、
その準備作業にとりかかり、たまたま長期出張してきていた
東北の責任者スタッフの帰還ルート、日程起案などに
向かっておりました・・・・。

先日、たまたま車両陸送の機会があったとき、
やはり震災・大津波被害地の現状をこの目で確認したくなったのは
そういうあの日からのさまざまな出会い、取材活動などの
その後の現在の様子を、自分の目でじっくりと確認したかったからです。
そして、やはりいろいろ、肌で知る部分もありました。
多くのみなさんが、それぞれにあの体験を共有したと思います。
人それぞれではありますが、今でもやはり、いま出来ることを
少しでも役に立てることを願いながら、行動し続けるしかないでしょうね。
ということですが、今週末もふたたび東北秋田でのお仕事。
金曜日に行って、帰還は日曜日深夜の予定です。
まぁ走りながら、思いを致す、ということですね。

<写真は明治の三陸大津波の報道写真誌>

コメント
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