三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

世界遺産・中城城

2006年03月14日 06時34分58秒 | Weblog
さて沖縄シリーズ、きのうはやや社会ネタで、皮肉気味でしたが、
きょうは少し歴史教養系ネタということで。

行ってきました。
これも気になっていた、「中城」~なかぐすく~城跡。世界遺産なんです。
あんまり知識がなかった分、現地で見て、もうぶったまげましたね。
一目見た感じは、南米なんかのインカとか、マヤの遺跡と通じた感じ。
同じように石積みしているからそう感じるのでしょうか。
石積み技術の圧倒的な歴史的蓄積を感じますね。
日本に開国を迫ったアメリカのペリーさんは
そのまえに沖縄を「訪れて」いて、この城を見て、とくに真ん中のアーチの門を見て
その建築土木技術水準の高さに驚嘆したのだそうです。
詳細な報告文を書いているそうです。
遙かな後年、アメリカが沖縄を攻撃した時期、
当時町役場が置かれていたこの城の建物や、その資料が
米軍に接収され、その技術が利用されると困るという狭小な考えから
軍国日本国家により貴重な資料もろとも放火され、灰燼に帰したそうです。
なんともまぁ、バカ極まりないことをしたものですよね。
しかし、木造の城郭建築は焼失しても、
炭素年代の永続性があるこの石積み構造群は、
この遺跡の価値を十分に伝えてくれます。

琉球王国は歴史的に中国との交易で栄えた貿易立国国家だったのですね。
その王様とは要するに商人的な存在だったのでしょう。
その富と力は、こうした大土木技術を発達させるだけのものを持っていたのです。
最近、与那国島沖の海底に発見された海底遺跡も、
その構造は、この中城とよく似た構造を持っているといわれています。
太古の昔から、琉球は、その地理的な位置から
こうした建築的文化を連綿と保持するような歴史年代を過ごしてきた、
誇り高い地域・国家だったのでしょうね。
一番高台の丘陵城からは、東シナ海と太平洋が一望され
ここが確かに軍事的にも、琉球にとって要となる要衝・要塞だったことは、まさに明確でした。

あした以降、ご紹介したいと思っている「中村家」住宅も、すぐ近く。
この城の城主に請われた建築技術を持った、中村家初代が建てた家なんだそうです。
ようするに昔の「建築家住宅」のようなんですよね。
ということで興味深い、沖縄シリーズ、もうすこし続けたいと思います。
コメント
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