長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

全国城めぐり宣言 第3回「下総国 高品(たかしな)城」

2011年04月30日 22時34分56秒 | 全国城めぐり宣言
 こんばんは~。そうだいです。今日も春でしたね。ゴールデンウィークも2日目なんですけど、オレは特にこれといった予定もねぇぜー!! みなさんはいかが?

 いつの間にか4月も最終日になってしまいました。
 まぁ、先月がいろんな意味で長~く感じるものでしたからね……深刻な内容を報じつづけているニュースや夜の街の暗さなど、まだ日常を取り戻しきったとはいえない春でしたが、桜もきれいだったし、あたたかな陽気もうれしかった。
 ひょっとしたら、今年の4月ほど「春」のありがたみを心の底から感じた4月も、今まではあまりなかったかもしれません。あっというまに終わってしまいましたが、とてもいい月でした。

 さて、あたたかくなってきたらやっぱり外に出たくなるのが心情ってもんであります。そして、そうなると私の中では秘められた大いなる野望が首をもたげてくるんだ!

 ほぼ半年ぶりにこの話題をおっぱじめますが、わたくしそうだいは「いつかは必ず行ってみたい!」と思っている日本国内の城(か城跡)が、全部で402ヶ所あります。

 選定ルールとしては、戦国時代になんらかの重大事件にかかわったというお城からリストアップしました。全国あわせておよそ5万あったともいわれる城のうちの厳選402ヶ所。
 いやー……私、ほんっとに日本史が好き、なのよねぇ。

 なので、これからもヒマで天気がいい時にはいろんな城めぐりをしてみたいものであるぁと考えているのですが、実は今の時点で、402ヶ所のうち2~3すでに探訪を終えているお城(跡)があるんです。まずは近場から攻め落としていこうという感じで、自分の家に近いお城からどんどん計画を始めていました。
 その第1弾となったのが2年前、2008年の春先に行った千葉県千葉市生実(おゆみ)町の「小弓(おゆみ)城」だったわけです。いや~あれは楽しかったねェ。
 そして小弓城を皮切りとしていくつかの探訪を終えていたのですが、今年これからの探訪再開を期するに当たって、まずその前に過去の探訪の記憶を確認しておきたいと。

 ということで、今回はその年の夏に行った、そうだい402城制覇プロジェクト第2弾のリポートを復活させていただきたいと思います。前半は、所属していた劇団のホームページ内の劇団員ブログでも当時つづったことのある内容です。


 時は、2008年7月。

「納涼! 交差点にいた女」

 ※その夏、私の中では未曽有の稲川淳二ブームが到来していました。以下の文章は、なるべく怪談を語っている時の稲川さんの語り口で脳内再生してみてください。

 イヤイヤイヤイヤどうもどうも、そうだいです。
 なんだか最近、ミョ~な異常気象が続いてるんですけど、やっぱり夏ですから、恐い話を聞きたいって言う方もいらっしゃるんですよねぇ。

 これはねぇ……恐くはないんですけどね、ちょーっと不思議な話なんです。

 ついこないだのことなんですけどね、私~、近所の古い城跡をたずねることにしましてね。

 「高品(たかしな)城」っていうんですけどね、なんでも千葉市の若葉区にある城跡なんだけども、戦国時代の前半ごろにこの辺を支配していた千葉さんっていう大名の家来が住んでた城らしいんですよ……なんでもその時ご主人の千葉さんは、今は立派なお城の形をした郷土博物館が建ってる「千葉城」ってところにいたらしいんですけどね。そっちのほうは「亥鼻(いのはな)城」ともいうらしいんですけど、「千葉城」のほうがわかりやすくていいよね、千葉さんが住んでるんだから。

 でさっそく私、真夏の昼過ぎに自転車かっ飛ばしてね、その「高品」っていう地名の残ってる丘に登って、城跡を探してみることにしたんです。

 けどねぇ……それがおかしいんだ。

 城跡だったら、せめて古い石碑ぐらいは立ってるようなもんなんだけど、丘のど~こを探してもなんにもない。
 困っちゃったんで、何人かこの丘に住んでる方にも実際に聞いてみたんだけど、み~んな「高品城なんて知らない、聞いたこともない。」って言うんだ。

 ミョ~だなぁ……もう城跡さえ残ってないのかなぁ~と思って私、あきらめかけて丘を降りちゃったんだなぁ。悔しかったんだけどねぇ。

 そしたらねぇ。あれ~? これがヘンなんだなぁ。

 丘を登るときにはな~ぜか見落としてたんだけど、登り口からちょっと行ったところに、小さなほこらがあるんだ。格子戸はガッチリ閉まってるんだけど、なにかがまつってあるらしいんだな。
 なんだろうなぁ~? と思ってのぞいてみたらね……ずいぶんと古そうな仏像が、昼なのにうす暗~いほこらの奥から、私をジーっと見てるんですよ……
 私もう、あ~こりゃたいへんなものだと直感しましてね、ほとんど反射的に手を合わせてしまいましたねぇ。

 そしたらね、私、突然ハッとひらめきましてね、そこから自転車で往復1時間かかる図書館に駆け込みまして、高品城の『発掘調査資料』ってのを引っぱり出しましてねぇ、よくよく確かめてみたんだ。

 イヤ~驚いちゃったなぁ私……道、まちがえてたんですよ。

 丘の上じゃなくて、ふもと! 例のミョ~なほこらを通り越したところにあったんだ、高品城の城跡っていうのは。

 私はもう、急いで高品の丘にまた向かったんだ。いつのまにかだいぶ時間もたっちゃってて、もう外は日が暮れかけてるんですよ。真っ暗な城跡なんてヤなもんですよ~!
 さっさと見つけちゃおうと思って私、自転車を立ちこぎ全速力で走らせたんだ。もう汗だくですよ~、歩いてる人なんかビュンビュン追い抜いちゃったりしてね。

 でもねぇ……その高品に行く道の最後にあった信号がね……

 そこ、4車線どうしのでっかい交差点なんですけどね、車の交通量もたいしたもんだったんだけど……信号が赤になっちゃったんだなぁ!
 くやしかったなぁ~、もうちょっとだったのに。

 もうだいぶ真っ暗になっちゃっててねぇ、私、信号が青になったらすぐに渡っちゃおうと思いました。必死でしたねぇ。

 ところが……ミョ~にヘンなんだなぁ。

 信号待ちしてる私のとなりにね……すごくかわいい女の子がいたんですよ……ミニスカートで自転車なんだなぁ。
 おかしいなぁ~……だっておかしいんだ。明らかに私のタイプなんだなぁ。

 そこで私ね……信号が青になっても、ちょーっとだけスピードをゆっくりめにして、その女の子と自転車どうしで併走してみようかな~と思っちゃったんだなぁ。
 交差点を渡るぐらいのあいだならねぇ……これも縁ですから。城跡だってもうすぐなんだから。急がないと消えちゃうもんでもないんですしね。

 しばらくして信号が青になりましてね……その女の子、見た目を裏切らないかなりのスロースタートでこぎだしたんだ。私もそれにあわせてゆっくりと……

 その時だ、

 ブゥうウォオおおおお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~オオオン!!

 わあアアアアぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!

 信号無視のチャラい真っ黒ワゴンが、私と女の子のすぐ前を猛スピードで横切ってったんだ!

 イヤ~……スケベ心おこしてほんとによかった……交差点であの女の子に気づいてなかったら私、死んでました……
 そのあと私、またあのほこらに行ったときに拝みたおしましたね。

 あの交差点の女の子は……仏様がつかわしてくださった天女だったんですかねぇ。ふつうに一緒にびっくりしてましたけどねぇ。不思議だなぁ~!

 まぁ、そんな話なんですけどね。

 え、高品城?

 あぁ~……城跡まるまる、マンションになってましたね。
 半日つかってこのオチですからね……恐いなぁ~!!

(ここまでが2年前の記録です)


 いやぁ~。高品城ぜんっぜん関係なかったね。

 でもほんとに、実感として高品城はほぼ「ない」にひとしかったんですよ。
 現在、高品城だった区画の大部分は11階建ての高層マンションの敷地になっております……

 千葉市の市街地からもほど近い住宅街となっている千葉県千葉市若葉区高品町に高品城跡はあったのですが、もともと丘ともいえないような低めの丘を利用して築城されたらしい高品城は、今やマンションとJR成田線の線路に寸断されて「城の形跡」を残している場所はほとんどありません。
 ただ、そもそも「お城」というものは、現役当時に中に住んでいた人々が信仰していた寺や神社といった宗教施設がたいてい敷地のどこかにあるもので、これはもう「生活する場所」や「武器庫」とおんなじくらいに必要不可欠なものだったのです。
 そして、人の信仰心というものは時間がたてばたつほど独特の重みを増してくるものでして、肝心のお城が消え去ったあとも、城内にあった寺や神社だけは取り壊されずに残されている、という現状になっている城跡も少なからずあるんですよ。
 この高品城もそのご多分に漏れず、マンションのすぐ近くには今でも年季の入った春日神社や等覚寺がかろうじて残っており、特に春日神社の敷地内には、いまだに「見ようによっては土塁や空堀に見えなくもない」地形もチョビッとは残っており、高品城付近の道が入り組んでちょっとした高低差が連続しているのも城跡っぽくはあります。でも、ほんとに「小高い」っていう程度の丘なので、「要害の平山城」というほどのお城が建っていたことは、なかっただろうな。

 歴史的なことを確認してみますと、下総国にあった高品城ははっきりした築城時期も廃城時期も確定していないのですが、鎌倉時代のいにしえからながらくこの一帯を支配してきていた千葉一族の重要な拠点のひとつとなっていました。
 高品城の場合は、実用的な軍事基地というよりも宗教的な施設の防衛基地という意味合いが強かったようで、代々千葉家の当主となる人物が元服式を挙げる時にセレモニーを行っていた「千葉妙見神宮」にほど近い地にあった高品城は、同じ千葉市にあった千葉家の本拠地・千葉城から挙式のためにやってきた当主一家の宿所となっていたりもしていたようで、ふだんは千葉家譜代の家臣である安藤家が城主となって経営していました。

 ところが、高品城は戦国時代の前期からかなりアブない戦国大名と戦国大名との軍事境界線に入る地域に。
 ながらく千葉県一帯を支配していた名族・千葉家は、室町時代後期に動乱の時代が始まるに当たってみるみるうちに領地を減らしてゆき、1455年ごろには、本拠地を千葉城からおよそ15キロほど北東にある本佐倉(もとさくら)城(千葉県佐倉市酒々井町)に移転するようになっていました。

 見捨てないでぇ~!!
 高品城のねがいもむなしく、それ以降の千葉家の元服式は本佐倉城ちかくの神社で執り行われることにあっさり決定し、戦国時代が始まる頃には、かつて千葉家が住んでいた千葉城も、それに付き従っていた高品城も時代の表舞台からきれいさっぱり消え去っていたのです……

 哀しいですね~。哀しいけど、これ戦争なのよね!

 由緒ある千葉家をして代々の本拠地を放棄させるほどにまで追い詰めたのは、現在でいう千葉県の中部で独立した「小弓公方」でおなじみの足利義明(義昭じゃないよ!)や、南部から疾風怒濤のいきおいで勢力を拡大してきた『信長の野望』でおなじみの里見家、そして最終的には関東地方のほとんどを呑み込むことになったキョーフの後北条家といった、次から次へとやって来る「新しい時代の波」でした。う~ん、まさに戦国時代!

 当時の高品城探訪のことで思い出す光景は、暗い夜の春日神社の境内で休んでいたときに見た、たかだか30分もしないうちに次から次へとマンションに来ては去っていき、マンションに来ては去って行きしていたデリバリーピザの配達バイクでした。

「配達のバイクが、城に伝令に来たり馬出しから出撃していく騎馬武者のようだ……今もこうやって、ピザを食べて高品城に住んでいる人々がいる。これは観光の名所になるのとは別の次元で、高品城が現代に生きているということなんだろうなぁ。」

 あ~、はやく新しい探訪に行きたいな~!
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