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p.29 舌をかんで死のう

2010-07-06 11:33:51 | ・本・記事。
 前田さんの西隣り、金城さんの家では、三人の娘たちがこどもを連れて、実家に帰っていたため、十三名の大家族だった。西隣りは空屋敷で、後は竹林になっていて、その中に防空壕を二つ掘って、長女、二女とその子供たち、母親と十三歳のトミさんが一つの壕に。もう一つの壕には、防衛隊に入っていた三人の義兄が解散になって帰っていたため、父を含めて、四人の男が入っていた。そして、三女の金城ユキさんが、前隣りの前田さんの壕に入っていたのだった。
 金城さんの家の壕の一つ、女、こどもばかりが入っていた壕に時を同じくして、入口から日本兵によって手榴弾が投げられ、入口に置いてあった大きな水瓶が割れ、中の水がこぼれて、壕の中がビショビショにぬれてしまった。金城さんのお母さんは、誰も声を発しないように指示した。二女の姉が
 「どうせ、こんなにしていても殺されるんだから、自分たちで死のうね。舌をかんだら死ねるからやってみようね」といったので、やってみたが誰も死ねなかった。三女の姉(ユキさん)母子が隣の壕に入っているため別れ別れになっていたのでお母さんは、
 「家族みんなでいっしょだったら、もう死んでもいいか」とポツンといった。
 そこへ、三女の母子が、血相変えて壕に転がり込んで来たのだ。前田さんのお母さんの斬首の血を浴びて──。
 「また、手榴弾が投げられる」というので、壕の中にある荷物を入口に全部積み上げた。じきに、二発の手榴弾が投げ込まれ、こどもたちが、怪我をした。
 このさわぎを聞きつけ、隣の壕にいた金城さんのお父さんが、「家族がやられたらしい」ということで飛び出して来た。外で見張っていた兵隊がばらばらとかけ寄り、金城さんの両腕をおさえつけ、前の家までじりじりと引っ張っていった。ガジマルの切り株の上に「坐れ」と命令した。瞬時にスパッと白剣が首をはねた。
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p.28(続) 斬首の血をあびて

2010-07-06 11:23:41 | ・本・記事。
壕の一番奥に寝ていた金城ユキさんは、眠りからまだ、はっきり覚めないまま何のさわぎなのかもわからずに、たち上った。壕の中は真暗闇で、何も見えない。その時、何かずしりと重いものが身体にあたり、下に転げ落ちたと思った。次の瞬間、着ていたシュミーズがベトベトにぬれたのを感じた。その時、ユキさんは、それが何なのかまったくわからなかったが、それは、壕の入口ではねられた前田ハルさんのお母さんの首だった。
 ともかく、ユキさんは、四歳と誕生前の子( * 注 )二人をわきの下にかかえて、壕の外へ出た。そこにはおどろいたことに、日本軍の兵隊が四、五名立ちはだかっていた。ユキさんは兵隊の気嫌をそこねてはと思い、できるだけ平静な気持で、
 「兵隊さん、いくさはどの辺に来ているんですか」と聞いたら
 「こっちへ来ているんだ。あっちへ行きなさい」と怒鳴っていた。西の方へ行こうとすると、
 「いやいや、敵はもうこっちへ来ているからあっちへ行け」と、追いたてられた。
 「兵隊さん、ありがとうございます」というなり、転げるように逃げ出した。ユキさんはガジマルがしげっているため、暗やみとばかり思ってたが、空には月があかあかと光っていた。
 自分の屋敷まで来ると、また一人の兵隊がおいかけて来た。
 「おばさん、おばさん、治療してあげるよ」と、ユキさんの手をつかまえていった。
 「兵隊さん、ありがとうございます。わたしは怪我をしているのではありません。他の人の血を浴びているのですから」
 と身体をのけぞっていうと、今度は下着に手をかけ、「治療する!」とすごんだ。
 「いえ、兵隊さん、有難とうございます」というなり、夢中でかけだしたが、すでに大勢の兵隊に取りまかれ、仲新川小の屋敷に引っぱられていった。一人の兵隊が手で合図をした。「やりなさい」
 ユキさんは、これで自分たちも最後だなと思い、両わきの子をかかえなおして、顔を見た。
 「兵隊さん、ありがとうございます」
目をつむって、心を落ちつけた。しかし、ユキさんは、足だけが物につかれたとでもいおうか脱免(ママ)のように駆け出していた。
 「おばあ、おばあ」と狂ったように母の居場所を探した。
 「早くこっちへ入んなさい」
 壕の入口の畳がのけられた途端、中に飛び込んだ。二人のこどもは、しっかりと両腕にかかえられていた。
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p.28 闇に消えた声

2010-07-06 11:20:17 | ・本・記事。
 前田ハルさんのすぐ下の妹は、末の子を背負い、与那城のよし子さんはもう一人の子の手を引いて壕の外へ出た。前田ハルさんのいる所へ行こうと必死で走った。隣のやしきの前を通り、次の所の空地で、一人の兵隊が手を引っぱり、ハルさんの妹の腹部に軍刀をズバッと差し込んだ。弟をおぶっている手がはなれ、弟は地べたに転げ落ちた。そこを思いのままに長い軍刀が走った。
 いっしょに壕を出た与那城のよし子さんは、兵隊と何やら話をしていたが、前田さんが泊っていた屋敷へ行く途中、兵隊にとらえられてしまった。西新川小の家の前で、「姉さん姉さん」と声をふりしぼっていたが、まもなく、その声も闇に消えた。
 夜が明けてからよし子さんは発見されたが、カスリのモンペをきりっとつけて倒れていた。
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p.27「友軍がいちばん恐ろしかった」。

2010-07-06 11:11:40 | ・本・記事。
リード文「あの日のことをおもいだすと、とてもねむれません。日本政府はこの責任をどうしてくれるのですか!?」

遠くに、近くにひっきりなしに聞える、迫撃砲。敵の砲弾をくぐりぬけ、飢えをしのいできた人びとは、昼の緊張と疲れとで防空壕の中で、泥のように、眠りこけていた。
 沖縄は南部にある糸満市字前栄平での出来事。夜も十一時頃の事であろうか、突然、バラバラッと、数名の人かげがあらわれた。軍刀を腰につけた日本兵であった。庭先に掘ってあるあっちの壕、こっちの壕の入口を足でけり、ドンドンたたき、口ぐちに何かわめいている。
 前田さんの庭先に掘られた壕の一つに、前田さん母子四人、与那城のよし子さん、そして金城ユキさん(当時、二十四歳、主婦)母子三人が、身体を寄せあって入っていた。この庭には、ガジマルがうっそうと生い茂り、根をはっているため、この壕の入口は、大人がやっと一人出入りできるくらいの狭さだった。外のただならぬ気配に入口近くに寝ていた前田ハルさんの母親が、電げきを受けたようにとび起きた。
 「この壕には何名いるか」
という、男のするどい怒声。
  前田さんのお母さんは、びっくりして、ろくに口もきけず、
 「フィフィ」
と、言葉にはならない声を発しながら、壕の入口に首をのぞかせた。そのとたん、日本兵の長い軍刀がくらやみにおどり、前田さんのお母さんの首が闇の中にとんでいった。

* 用字は原典どおり。入力ミス以外は…。
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「海鳴りの島から」。

2010-07-06 10:57:00 | ・本・記事。
先日たまたま海鳴りの島からというブログを知り、沖縄を言うによくある呼び方なのか、私の持っている同名の古い冊子は不要かとかなんとか尋ねたところ、沖縄県立図書館か公文書館に寄贈したらどうかというお返事をくださった。

図書館も公文書館も、そのサイトでの検索では「海鳴りの島から」はヒットせず。やり方のまずさか、東京での発行物だからか、あまり有用な資料ではないかのどれかだろう。とりあえず寄贈用のフォームを利用してお伺い送信をさっきしたところ。

昭和2年生まれのアカ嫌いの母がなぜか持っていたものを、黙ってちょっと借りたまま、私の何回もの引っ越しの荷物の中にいつも入っていた。

写真ページを含め38ページの冊子のうち、p.27からp.31までを1章ずつ書き抜いてみる。

目次(p.5)では、
日本軍がいちばん恐かったです──前田ハルさんの話──(27)
となっているが、p.27では
タイトル「友軍がいちばん恐ろしかった」
リード文「あの日のことをおもいだすと、とてもねむれません。日本政府はこの責任をどうしてくれるのですか!?」となっている。 
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