自然に暇はない。ひとは知能のゆえに余暇というものをつくり出し、それは例えば負け戦を承知で戦うことにうつくしさを見る。
幾度も録っては結局重ね録りなどで消しおり、きょうも殆ど消しかけて、久々のNスペ。進行役者があらわれれば急き立てられるように早回しをするひまな私。
芸術を見抜く才はいらない。意味を纏うシンクロナイズドスイミングのように固唾をのんで見守ることはない。ひとの名づけてすなるマスゲームが模倣したのかもしれぬ自然の群落はもしかすると完璧に美しい。
群落だけではない。光やいとなみ、振り向く視線、意思なき意志、潜む陰、果てのないそれらで、神の目のようにカメラを操るひとというものまで有り難い。
完璧という言葉はひとがつくった。だからひとに言う。ただれていようとかたわであろうと、その形をもってそこに生成するということこそ。などと思いつつ、気づくとシリーズが既になくなっていたりするのだろう。