ヨシノ。      はるかのちに加筆。

2006-10-28 08:50:47 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
自治体政府は子供がひとりになるとき、ひとりになる箇所、ひとりになる数を学校が把握しているか及びそれについて対処しているかしていなければ校長喚起と御近所の底力を総動員するよう指導する。

最近になって始まった午後の広報無線は幼い子供たちの公共機関からの帰宅時間を報せるものである。道わきには子供の視線の高さに合わせた標識のようにしっかりしたチラシ掲示。

どこへ行くの? ひとりで歩くと危険だよ。

サカナヤのヨシノは結婚もせずに駅前でちっぽけな飲み屋をやっている。こないだは弔問に行く相手の住所がわからないから教えてくれと突然電話をしたらアタシも行くよ、車で送る、でも少しうちの仕事があるからと言う。

知らせず寄らず帰ろうと思った実家におそるおそる寄ると母親も機嫌がよくみんなは留守で、ほっとして時間を潰させてもらっていると、一時間ほどで店から声をかけてきたヨシノは、あいかわらず豊かな髪と白い肌、伏目がちの黒い目でしかし高校時代からの左右にチョコチョコ重心を移すヨシノな歩き方で車に誘った。

高校時代に幾度か訪ねたその家への道を私は全く忘れている。途中の田畑や小さな橋にヨシノはああここだよこんな感じだったよねと言うが私は全く忘れている忘れている。近づいたとき、一軒家だったその周りに新建材の家がたちならぷ中にその家を特定したのは私のほうだったが。

不在だった。朝、メールしたのだが返事がないままに来てしまったこととかそれをした私についてヨシノは全く触れない。ああここに葬式の跡があるよやっぱりここだったんだねえほんとに変わったねえと嬉しそうに見上げたりホッツキ歩いたりするのだった。

ヨシノののみやに男になって行ってみたい。

集団登校はしていたけれど、5年生でやっと自転車に乗れるようになった後まで、港なんてあたりまえ、チイコの家や、イッコ、信子ちゃんの家までひとりで平気で歩いていったのだ。子供のころは歩く地図だった。道すがら何を考えていたのだろう。道やふうけいなんて見る必要はなかっただろう。

どこへ行くのどこへ行くのひとりになれずにどこへ行くの






3月12日に書き込みをし、削除し、メモしておいたもの。
みまもりがあれば、ひとりでなければ殺されなかった、のではなく、その後の生きるということに苦しみあがかずに済んでいたかもしれないひとびともいることを、かんたんに忘れてしまう私だ。





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2019-06-02 10:00 写真追加と加筆



少し前のℕスペで不登校の定義に30日以上の欠席というのがあった。私の高校時代の後半はイマいうところの不登校だったのだ。もすこし前の東京新聞(写真)でこれも自傷だと書かれていた。

そうだったんだ

ってだけにせよ






 
コメント
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