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すごい?

2017-01-20 09:51:42 | ・ことばの尻尾踏み。

義理の姉、義理の親とか並べるうちに、義理のおっとととととと
 そうだな、義理の妻とか、いや検索はしてないけど 言わないよね。


すごいね。すごいか?





たまにアクセスを見たらとつじょひとけたになってたんで検索したらペナルティーを受けたらしい。「セカイ」のブログ内リンクしか思い当たるフシはないが、アフィリエイト稼いでるわけぢゃなし、かえって広告チャンス減って  って、もともとほとんどアクセスないから大してヘリもしないけど・から・意味ないじゃんねー。






──── (2024-03-28)

すごいな
山本文緒。






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私も 進化語法語彙を乱発しているだろう。でもなあ。

2017-01-10 08:51:21 | ・ことばの尻尾踏み。



スポーツ中継で耳に障るのが了ったことに対する「○○ってきました!」だ。ついでに「進化」もね。でもそれなしの中継は現在ほぼない。



テレビのテロップで気になるのが「1番」だ。何よりもいいってな意味で言う副詞は 一番 であってほしいけど、なんでもリンクさせたがる私の脳は、一番を1番と表記させるクセがついたのは、日本におけるPC(変換大会)普及率ピークとセカイのヒットが重なったころかもなあとの妙な納得もする。

次が「痛む」「痛み」だ。
確かに痛みは傷みからくるし、同義同語と言っていいこともある。よくわかりませんが。 でもなあ。




大地や空気が傷んでいても痛みはとどかない。もとい。彼らは傷んでも痛まないかもしれないし痛もうと傷もうと彼らは彼らでしかなくにんげんなどちょこざい瑣末。



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被害者が毒殺。

2016-11-16 10:18:59 | ・ことばの尻尾踏み。


「が」が「は」なら被害者が刺殺ではなく毒殺「された」のだとおもう。
「が」だからわたしはひっかかる。「した」みたいじゃんと。





blog.goo.ne.jp/ramen0069/s/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%81%8C%E5%BB%BA%E8%A8%AD
blog.goo.ne.jp/ramen0069/s/%E3%82%B5%E5%A4%89
リンクがきかん。要らんからだろう。ひまなつもりはないがひまだ。



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じんせーたのしくね、ね、ね?

2016-10-02 00:01:55 | ・ことばの尻尾踏み。




例がよくないけど、 さいきん考えるのがめんどくさいってより以前に話がとまっちゃうんで


例えば、だけど、
「遊んでください」の「遊んでね」の語尾にいつからか「?」がつくようになったのは、イントネーションからだよねきっとととりあえず思ってきた。「?」がついてもつかなくても気にならなくなるにつれて、「ね?」に粘着が附随するようになってきたように感じられないでもないのは、

「遊んでいるのではないか」の「遊んでね?」とかの「ね?」がするっと伝播したからのように感じられないでもなく、

もう思い切り個人の思い付き感なんだけど、

そのうちにどっちの「ね?」だか分けるのが難しくなったり融けあっちゃったりするんじゃね?




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お食べになるってのもちょっとヘンだけど。召し上がるをいただくって言っちゃうんだしなあ。

2016-09-26 05:50:30 | ・ことばの尻尾踏み。


すこしまえ、ら抜きことば使用のパーセンテージが報道された。アレを指標にすることが、かなりふるめかしい。


きのう、つけっぱなしになっていたテレビから「(話題を)先取ります」という声が聞こえた。これは近年よく聞く言い方だが、もしかすると昔からあるのかもしれない。  コトバや語法の言い間違えにすぐ気付いてその場で言い直せるという点で以前ミ(キキ)トメていたジョン・カビラ氏がホストか、隣にはそれなりにベテランなのだろう私が顔を知るアナウンサー。

上のコトバがどうというより、それで想起されること → 先取りするを先取るというのと逆の気になるサ変の言い方がフツーになっていることへの個人的残念感からなかなか解放されないのが困る。

おはなしする というのは謙譲用法だと思う。今や敬語だ。おもどりになる、おあるきになる という言い方が 戻られ 歩かれ の「られことば」におきかえられ → ではないね、尊敬られ はもともとある → 切っているのだから、せめて はなされる と言えばいいのに。

(自動詞のら抜きは可能、ら付きは尊敬 ってとこはわかりやすい。△△さまは考えられる、と聞いて、△△さまがなにかを考える能力があるという意味かと迷う必要がなくなる。これが さわられる など他動詞になると多重困惑が出てくる。蛇足の蛇足だが、 
他動詞の自動詞化はもはや意識もされない。)



で、
 召し上がってください を いただいてください と言っている
のをきく個人的残念感からすればギリマシ w な
 お食べしてください とか 食べられてください とはもちろんだれも言わないんだ。






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無許可でさせていただきます。

2016-07-27 07:44:33 | ・ことばの尻尾踏み。

今朝テレビをつけたらそれはNHKで、30前後と見える男女がアニメの感想を述べていた。ちゃんと試聴していなかったのだが、
精緻な絵と細やかな心理描写
を映画のタイトルにプリントさせるような話題転換のなされかただった。
歌や小説に通ずるもの──。 時代と言って流す。
なんなのだろう感覚の視野。  



きのうひどく驚いたことは、久しぶりに見たブログで、ヨニウムさんが、
さる人の出馬で勝てると思っていたらしいことだ。 まだ抜ける力が私にあったのかと思った。


あと、きのうなぜか今さら苛立ったのが、テレビ、ラジオからの「させていただく」発言の当たり前さだ。
させてもらうといっていい動詞だの語法だのというラインは超えているのは当然にせよ、


「する」だろうが! 

「させていただく」ってんなら許可を取れよ! 




させていただきます的に直訴を許可とした。精神障害or碍者が知的障害or碍者を殺す。などと「W」を伴ってどこぞにごまんと書き込みされているのではないか。

相模原の事件に、きのうもきょうもあまり動じない自分は、最近なのかここ数年なのか、そんな傾向の延長で、大々的な報道をうすらぼんやり眺めるという、さとしくんに安楽○させてもらうべきモノだが、私も人なのである。人は死にたくない。死にたくないのに死にたくなるから困ったことを起こす。




私が認知症に心を寄せ、いまだに離れないのは、心理描写を拒み、その向ける先の覚束ない戸惑いである。
知的障害者のガイドヘルプを始めようとするとき、オオニシさんは、心が洗われるよと言い、スズキ氏は、楽しいっ と言った。
困っている人を扶けたいのではない。    もしくは、 シゴト。


それでも、ときに、生きる意味を問う。  自分を棚に上げて。
認知症を認知ショウガイと言わず、知的や精神と分けるのはシステムの問題だけではない。


ショウガナイ
しょうもない
だらだら書き

させていただきました。




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文法の問題じゃないんだ、難しくなんかないだろうさ。

2016-05-24 19:33:10 | ・ことばの尻尾踏み。


まあ、α国語圏の人だってα国語は難しいと言うかもしれない。
言葉は難しい。の言い間違いで
あるときもありないときもある。



日本語は難しい。と、日本語の揺らぎを常日頃気に掛けているであろう人が、ある日書く。
日本語の用法はめんどくさいと言っているのだろう。
α国語やβ国語やあれやこれやご存じの上なのだろう。


たとえばその日、同じことを日本の政治家が言う。

日本語は難しい。

カナ10文字は一つの単語。
隠すごまかす気持ちを斟酌してくれるのが我が同胞だよの
語意で用言なしの身を翻す。










ケン・リュウの『もののあはれ』を まだ読み始めたばかりだ。




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運転延長の文字を見て。

2016-05-09 07:51:18 | ・ことばの尻尾踏み。


言えばことばがたりない
思えばあたまが(たり)ない
とつねづね自分をおもう。

────



例外中の例外とされていた。
という。
想定されるべき炉心溶融が想定外だった時点で。
例外というだけで、そりゃ例外だろう。
例外を赦さない想定外中の想定外があってさらに例外中の例外を赦すという。
想定外の例外のまた想定外の例外の

ことば足るを知らず
知るをあそぶあたま
もとより足るを知るほかなきことばの
めるとあうと人知れず



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平和

2016-03-11 23:28:30 | ・ことばの尻尾踏み。



天国というものを悉に描いた人はいるだろうか
けんせつてきに思う人はいるだろうか平和とか幸せとはどんなものかと

戦争と対比されるに限らない
風が吹かねば桶屋は仕舞いだ
酷いことは絶え間無い
酷いことこそ世の原動力か

世は人

カネとかカオとか高尚な趣味だか独占欲だか


人は人を信じて鎬を削る
いかに人に自分を示すか
いかばかり人に自分を見せたいか

人は人と生きるにせよ

人より自分を信じる人は
平和である



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ひとでなし

2015-12-25 07:58:16 | ・ことばの尻尾踏み。



踏むひとでなし
踏まれるひと人で亡し
踏んでも
踏んでも
踏んでも
痛いと叫ばれる
まだ叫ぶのかと
また踏んで
なぜ痛がるのだもう叫ぶなと嗤い踏む
くらしゆく

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