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自分を思いやる  セルフ・コンパッション

2020年10月07日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

 「自分へのやさしさ、思いやり」などと聞くと、高血圧体質の私としては、「何を甘い事を!」と思ってしまいます。 私のような古い世代では、常に目標を掲げ、それに邁進するスタイルでした。 自己犠牲に苦痛を感じたとしても、それは己の未熟さの故であると自分を責める。 真面目、勤勉、我慢が美徳の世界でした。 問題が発生しても、その原因を自分の内に求める内省型が多く、原因を他人に求め自己批判の少ないアメリカ人の対極にあるのが日本社会の特長でした。 しかし、時代は変わり、私が中学生の頃までは取っ組み合いの喧嘩をしても学校では問題にならない時代でした。 今の時代は、表面的には争わない陰で陰湿なイジメに形を変えたようですが、人が集団を形成する限り、争いなど無くならず、表面は平和/協調に見えても底流での争いがあれば、そこで傷ついた自分に易しく、思いやるという流れになるのかもしれません。

 本来であれば、自分を思いやると共に他人を思いやるという事ができれば完璧なのですが、競争社会の中では仏門に入り世俗の利益とは縁を切らない限り無理でしょうし、仏門とて、本来は自己の修練であっても複数で修業すれば、相互に他との競争も芽生える事でしょう。 これは、個人だけの問題ではなく、文化の問題なのです。

 この自分を思いやる気持ちの程度を、アメリカ、タイ、台湾で調査すると、仏教国タイが最も高く、自己批判はしないアメリカが2番目、儒教文化の残る台湾が3番目であったそうです。 タイでは、仏教の「四無量心」と呼ばれる「慈」「悲」「喜」「捨」を実践することは、自分と共に他人の幸せを願い、苦しみを理解し、一緒に喜び、ありのままにと言う教えだそうです。 2番目のアメリカは自己中ですから当然で、最下位の台湾では儒教の影響が強く残り、これは儀礼を重んじ「仁・儀・礼・智・信」の五条を大切にせよという教えで、これを守らなければ恥であり、社会的に排除される。そうした社会では、規律や目標を守れなかった自分への反省が強まり「自分へのやさしさ」どころではなくなると言うのです。

自分の恩人や親しい人を思い浮かべそ人の「安全・幸せ・健康・やすらかな暮らし」を願い、自分の「安全・幸せ・健康・安らかな暮らし」を願う、というのはそれほど大きなことを貪欲に願う訳でもなく、人そしての必須レベルの幸せを願うだけですから、そういう人が世の中に増えてくれば、生き易い社会になることでしょう。 しかし、世界の潮流として、今後の生存競争は厳しさを増すばかりですから、「優しさ」で内に籠っているよりはよりは、外に出ての「したたかさ」を身に着けるべきでしょう。 書いているうちにタイトルとは、別の結論になってしまいました。

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