goo blog サービス終了のお知らせ 

雷ブログ

落雷抑制システムが運営するブログ

悲劇の発動機「誉」  前門孝則  草思社文庫

2024年01月15日 09時00分00秒 | 雷日記

こんにちは。落雷抑制の松本です。

 ゼロ戦は、デビュー当時には善戦していたが、後半になるとエンジン出力でゼロ戦の「栄型」(1000馬力級)を凌駕する2000馬力級のエンジンを備えた米軍戦闘機に不利な状況になったそうですが、その「栄」エンジンの後継機として開発された「誉」ですが、その開発の過程を米国、英国と比較しながらモノ作りの文化の違いで、負けるべくして負け、敵ながらアッパレのモノ作りの思想の違いを解説しています。 そのいくつかを紹介しますと、ここで比較されているのは

日本:中島飛行機(現スバル)の栄、誉。ゼロ戦の機体は三菱製ですが、エンジンは中島飛行機の「栄」がメインでした。

英国:ロールスロイスのマーリン。 英国のピットファイアー戦闘機から、米国のP51マスタングにまで搭載された水冷エンジンの傑作

米国:ライト兄弟のライトが始めたエンジン・メーカとライト社から独立したエンジニアが作ったP&W社。 終戦時までにレシプロエンジンで3000馬力級まで開発を完了していました。しかし、その後、時代はジェットエンジンに移りました。

この中で現在は、ジェット・エンジンのメーカとして残っているのは、ロールスロイスとP&W。 新興のメーカとしてGEの3社が民間機用のジェットエンジンを独占しています。

1.日本は最初から、限界の性能に挑戦し、そのエンジンが設計のため機体に装着され、実用化されると、性能の改善が必ず要求される。 英米のメーカーでは、余裕をもって設計されているので、少しの改良で大幅な出力増強が可能で、馬力の増強が計られたが、日本では、最初から限度がギリギリな設計のため、新たなエンジンを最初から開発せねばならなかった。英国では、機種を絞って大量生産し。終戦までのマリーエンジンの生産数は15万台を超えたが、日本では「栄」と「誉」を合わせても約3万台と機種の数ばかりが多く、大量生産の効果が出なかった

2.生産技術、量産技術、品質管理でも大量生産に歴史と実績のある英国では、ロールアスロイスの場合、全従業員の10%の5000人が品質検査に携わり、各工程ごとの品質をキッチリ管理していた。

3.日本では試作品の出力を如何に向上させるかに心血を注いだが、米国の様に、エンジンを大量生産する時に熟練工ばかりではない未熟な労働者が組立に自動機を使って均一な作業を可能にするような考えは全くなかった。 一方、日本では、熟練工の腕に頼っていたが、その熟練工まで徴兵され現場の力は低下する一方であった。試作機は素晴らしい性能を出しても、量産機になるとトラブルが続発したそうです。

4.海軍用、陸軍用と同じようなエンジンを多数開発し、戦後、米国型の調査団が呆れかえったのは、海軍で53種類の基本形式と112の変種、陸軍は37種類の基本形式と51の変種、合計90種類の基本形式と164もの変種を作っていたそうです。

戦いというのは戦場でのみの事ではなく、そこで用いる兵器の作り方、いかに性能、品質の良いものを時間をかけずに大量に作るか大事で、「モノ作り」の技量が戦場でモノを言うのです。その辺りは、戦後、日本が確実に学んだ点と言えます。墜落した米国の爆撃機 B29のエンジンを回収し、分解/検証すると大きな彼我の差があり、エンジニアとしては、このようなエンジンを作れる相手に勝ってこないとの思いを抱くのはさぞかし無念な事であったでしょう。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日銀総裁と言えども将来を見... | トップ | 他山の石 »
最新の画像もっと見る

雷日記」カテゴリの最新記事