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マッカーサーと日本占領   半藤一利  PHP研究所

2016年05月09日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは、落雷抑制システムズの松本です。

かろうじてマッカーサーなる名前が出てくるのは、東京の新橋駅の近辺から虎ノ門に至る環状二号の一部分が開通しましたが、これは70年前の占領下に計画された道路がヤット開通したとのことで、マッカーサー道路という俗称があります。 本書は、日本の敗戦にから7年間、日本を統治した占領軍最高司令官のマッカーサーが東京を離れる話から始まるのですが、戦争に疲れた日本人が新しい時代をもたらしたマッカーサーに好感を持っていた事が伺い知れます。 離日する日は、羽田までの沿道に20万人以上の人が見送りに集まり、羽田には、吉田内閣の閣僚全員、天皇陛下の名代、東大総長、日銀総裁まで見送りに参集し、万歳三唱でお見送りしたそうです。 20万人もの人に別れを惜しまれるという機会を持てる人は今後、現れることはないのではないでしょうか? 当時はマッカーサー記念館を作る話まであったそうですが、それは実現せず、今や、厚木基地に目立たない銅像が残っているだけとなりました。 今は英雄の出にくい社会になりました。

軍隊の役割は戦うことと、占領下においては治安を維持することでしょうが、それよりも大きな日本の国を憲法からして作り変えるという軍隊の役割を大きく超えることを成し遂げるには、軍人の枠を飛び出た歴史観、国家観を持ち合わさねばできない、並みの人間ではできることではありません。 今でこそ日常的になった自爆テロですが、その元祖、神風攻撃をするような日本兵が敗戦時には、陸軍を主体として57個師団257万人、1万6千機の兵力が日本国内に残っていたそうで、この武装解除と共に、天皇制という欧米人には分かりにくい日本の伝統を残しつつ、産業力が壊滅した日本で餓死者も出さず国内を安定させた功績は当時の日本人が働き者であったこともありますが、マッカーサーの功績もそれなりのものがあります。 軍部がクーデターを起こして軍政を引く国もありますが、日本の戦後復興のように成功したものはありません。 日本での占領政策があまりに成功したために、米国はその後、世界の民主化を甘く見過ぎたようです。 リーダーの資質よりは国民の資質の方が大事なのです。

マッカーサーは、陸軍士官学校を開校以来、最も優秀な成績で卒業したばかりでなく、父親も太平洋軍管区司令官という育った環境も社会のリーダーとなるべくしてなったような超エリートであったこともあり、軍人の枠を超えた行政官としても立派な業績を残し、古い日本を残しつつと新しい日本をもたらしましたが、行政官としてのやりすぎ、朝鮮戦争でもたついた責任、大統領選への出馬表明などで本国政府と摩擦をおこし解任されたのですが、日本人にとっては占領軍の最高司令官といえば、当時の天皇よりも力のあったマッカーサーでさえ、本国政府から解任され1週間もしないうちに米国に戻されるそのスピード感にビックリしたそうです。

当時は、憲法も「マッカーサ―憲法」と呼ばれたそうですし、この頃は、古い日本の法律がすべて根底から変えられてしまったのは「戦勝国」といえどもやり過ぎの行為でした。 憲法のみならず、学校教育の基本も米国の様式が持ち込まれ、その「生きた化石」が今も残っています。 それはPTAです。 Parents Teachers Association、悪い組織ではありませんが、この英語名称をそのまま残した無神経さはいかにもアメリカで、それをそのまま受け入れてしまう日本もいかにも日本。 今や、PTAという名称は全国の学校に残り、その名称の由来も気が付かないほど社会に溶け込んでしまっています。 息子が学校に通っていた頃、PTA役員というのはなり手のない不評の役でしたが、私は、占領軍の置き土産のような「PTA]という名前自体が気に食わず、役員をするならこの名称の改定から始めると言ったところ、波風を嫌う校長先生からPTA役員に適格ではないとされ、PTA役員の役は回ってきませんでした。


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