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戦車揚陸艦 USS LST-393〜「ハイウェイ16」と呼ばれたフェリー

2023-09-12 | 軍艦

今日から新シリーズに突入します。

シカゴのミシガン湖沿いにあるマスキーゴンで、
潜水艦「シルバーサイズ」を見学したその後、
わたしは前もって立てておいた計画に従い、
同じマスキーゴンで展示艦となっているLST-393を訪れました。

LST-393は

1942年7月27日起工
1942年11月11日進水
1942年12月11日就役


戦時中ということで、起工から就役までわずか4ヶ月と
超スピードで建造された戦車揚陸艦です。

■ マスキーゴン



このときのわたしの移動経路について説明しておきます。

先日までお話ししてきたMSI、科学産業博物艦のあるシカゴ周辺から、
ミシガン湖に沿ってまずシルバーサイズ博物館に到達。(赤いポイント)



「シルバーサイズ」見学を終えて、午後には移動。
ミシガン湖から流れ込むマスキーゴン湖沿いに、
内陸に向かうと、LST-393の展示があるというわけです。



マスキーゴンという地名はあまりにも日本人に馴染みがなさすぎて、
(ちなみにピッツバーグ在住の知人も知らなかった)
地図の表記ですら「マスケゴン」と「マスキゴン」「マスキーゴン」が
混在するくらいですが、発音は「マスキーゴン」が一番近いです。

先住民族オタワ族の言葉で、「湿地の川あるいは沼地」を意味する
”Masquigon”が地名となっています。

湖沿いののんびりした街で、人口の60%くらいが白人、
航空部品やタービンエンジン、装甲車製造会社が目立つ産業です。

面積46.93㎡に対し人口は3万8千人。
ちなみに渋谷区の面積は15.11㎡に対し総人口は24万3293人です。
面積3分の1で人口8倍って・・・。



博物館の正面はAmazonでした。
ビルはおそらく築100年くらいだと思います。


艦体全部をフレームに収めようと思ったら、かなり遠くからでないと不可能。



展示艦の前には、各種アメリカ軍旗などをはためかせた、
陸軍のトラックがでーんと鎮座しています。



こちらの記念碑は、マスキーゴン郡(ここはマスキーゴン市)出身の
戦功メダル受賞者2名の名前が刻まれています。

一人はアレクサンダー・マクヘイル陸軍軍曹という人で、

南北戦争において突撃中に南軍旗を奪取し、
その旗を投げ捨てて敵への突撃を続けた」


二人目のデュアン・エドガー・デューイ海兵隊予備伍長は、

朝鮮戦争における板門店付近の戦いで、負傷しながらも
向かってくる共産主義者の手榴弾から自らの体で仲間を救い死亡」

南北戦争と朝鮮戦争・・・。



外から見る限り全く人の気配がありません。
オープンという表示がなければ、入るのをためらってしまいそう。

入り口は艦首から、と矢印がありました。



矢印の示すままに、艦首に向かって歩いていきます。



マスキーゴン湖は、ミシガン湖から流れ込む「内湖」なので、
全く波のない湖面は鏡のように静まりかえり、まるで池のようです。



戦車を内部に積載するために、艦首は大きな扉が開かれています。
こんな造りの軍艦はアメリカでも初めて見たような気がします。



もともと港でもなんでもないので、護岸工事はまったくされていません。



いよいよエントランスにやってきました。

何年か前、ニューヨークのロングアイランドからニューロンドン間を
フェリーで移動した際、ノルマンディ上陸作戦に参加した揚陸艦で
改装していまだに現役で稼働している船に乗ったことがあります。

揚陸艦はその構造から戦後フェリーに転用されることが多く、
LST-393もフェリーとしてデトロイトで生産される新車を運搬していました。

ここからが特殊な事情なのですが、LST-393は、
戦争が終わると海軍名簿から抹消されて水路運行を行なっていました。
その時につけられた船名は「ハイウェイ16」

その理由は、高速道路16号線の陸路が終わるところから、
湖の上を「延長」した水路を16号線として運行していたからです。


「・・・・」はLSTのハイウェイ16「水路」

その際、この艦首のドアは溶接されて閉じられ、
戦車用だったデッキは車用に改造され、
デトロイトからマスキーゴンまで陸路16号線で運ばれてきた車を乗せて、
ミシガン湖をわたり、ほぼ正面のミルウォーキーで降ろしていました。

水路の16号線は、ミルウォーキーからまた陸路の16号線に替わります。

■ 博物艦



そんなこんなで使われなくなってから放置され、
経年劣化の一途をたどっていた393ですが、
2005年にマスキーゴンの住民二人が率いるグループが交渉し、
所有者がこの船を係留していた場所ごと、管理を引き継ぐことになります。

数年にわたる修復と清掃の結果、見学が可能なまでになり、
2007年には1940年代後半以来溶接で閉ざされていた扉が開かれました。

管理者のUSS LST 393 Veterans MuseumのHPには次のようにあります。

LST-393は、第二次世界大戦中に製造された
1,051隻のLST(上陸用舟艇戦車)のうち、現存する2隻のうちの1隻です。

USS LST-393を修復し、後世に残すこと、あらゆる兵科、
あらゆる時代のすべてのアメリカの退役軍人を称えること、
そしてアメリカの若者と一般の人々に、
軍隊に従事した人々の役割について教育するのが我々の使命です。

博物艦としてスタートしてからも、ほとんどの軍事博物艦と同じく、
LST-393もまた、現地のボランティアによる運営により、
修復や改装、イベントの企画などが現在進行形で行われています。



艦名が書かれているところを見ると、
軍艦時代からの浮き輪(っていうのかしら)だと思われます。
この浮き輪もノルマンディーに行ったのでしょうか。



現地でこのプレートと浮き輪を見た時には「?」だったのですが、
今この瞬間やっとこの意味がわかりました。

フェリー「ハイウェイ16」だった頃の彼女の装備です。



スロープを登っていくといきなり第二次大戦時のジープがお出迎え。
正確には

The Willys MB
フォードモデル名:GPW


という名称で、モデル名は

G=政府契約車両
P=ホイールベース80センチの偵察車
W=ウィリス設計のエンジンを搭載


という意味だそうです。


写真のゲイリー・ヤクボウスキーさんからの貸借で、
この人はこのジープを1975年までレストアして乗っていたようです。

ここにあるということは、ご本人が亡くなったのかな・・・。

さて、ジープの奥の売店も兼ねた窓口でフィーを払い、
いよいよ内部に入っていきます。



すぐに「ハイウェイ16」についての説明が見つかりました。

ハイウェイ16 カーフェリー

1946〜1973

第二次世界大戦中の輝かしい戦歴の後、
USS 「LST-393」 はデトロイトの Sand Products, Inc. に売却されました。
彼らは彼女をカーフェリーに改造し、製造したばかりの新車を積んで
ハイウェイ 16 号線を経由してマスキーゴンに到着し、
ミルウォーキーまで 1 日 2 往復する航行を 27 年間続けました。

当時、多くのマスキーゴンの若者が、フェリーに乗って働いていました。

2005 年 USS「LST 393 」保存協会がこの船を管理したとき、
この船の「カーフェリー時代」の一部であった船上の多くの機器が保存され、
このコンパートメントに展示されています。


第二次世界大戦中、このコンパートメントは
弾薬保管ロッカーであったことに注意してください。



それがこのコンパートメント(だと思う)。

棚には電子機器や電球、トランクやラジオ、斧などが見えます。
奥は鎖の収納されるスペースのようです。

ここは「掌帆長のロッカー」ボースンズロッカーではなかったかとのこと。
リザードライン、モンキーフィスト、ヒービングライン、
マーリンスパイク
などのアイテムもこここに保管されていたかもしれません。
(とはいえ、このうち一つもどんなものかはわかっていないわたしである)


この狭いコンパートメントは、マスキーゴン出身で
軍サービスを行った人々の写真室となっています。

マスキーゴン地域からは6000名の男女が軍に関わりました。

テーブルの上ににはスクリーンと連動するキーボードとマウスがあり、
そこで人名を検索して、資料を画面に映すことができます。

今映っている看護師は、ハリエット・アン・グリフィス・クローズさんで、
彼女はカデット・ナースプログラムに3年参加し、
シカゴのセントルークス病院にあった看護学校に学びました。


次の部屋に行ったところ、モニターで
おそらく393に関するビデオが放映されていて一人が見ていました。

こういうのに大変興味はありますが、何しろ時間がないのでパス。

ここからしばらく小さなコンパートメントには、
制服やペナント、写真、他の軍艦の記念展示などが続きます。

それらは全体の紹介が終わってから取り上げることにして先に進みます。



続く。






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2 Comments

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LST-1 (お節介船屋)
2023-09-12 20:27:09
郡名が艦名でありカウンティ級と呼ばれています。
記載されているように1942年12月から1945年6月まで1,052隻が建造されました。
基準排水量1,625t、満載排水量4,050t、全長100m、幅15.3m、デイーゼル機関2基、速力11kt、乗員211名、戦車、トラック、人員等搭載、兵装40㎜連装機銃2基、単装4基、20㎜単装機銃12基、搭載艇2~6隻
第2次世界大戦で揚陸部隊の主力として活躍しました。
戦後各国に譲渡や貸与されました。
海自も「ダゲット・カウンティLST-802」がLST-4001揚陸艦・輸送艦「おおすみ」、「ヒルズデール・カウンティLST-835」が「しもきた」LST-4002,「ナスモンド・カウンティLST-1064」が「しれとこ」LST-4003、「ハミルトン・カウンティLST-802」が掃海母艦「はやとも」MST-461が昭和47~51年ころまで使用されました。
多く取得したのはフィリピンが27隻、台湾が21隻等がありました。
LST-1型から発達した揚陸艦は戦後も各国で大変多く建造されました。
日本も昭和47年から平成17年まで在籍した「あつみ」型3隻、昭和50年から平成14年まで在籍した「みうら」型3隻を建造しました。
現代はヘリコプターやLCAC等の揚陸手段を使用する大型で速力の早い強襲揚陸艦が主流となっていますがウクライナ戦争で撃沈されたロシアの「ロプーチヤ」級や中国の「玉亭Ⅰ、Ⅱ」級、「運輸」級のようにまだまだ海岸に艦首を擱座させ揚陸させるLST型艦艇は数多く在籍しています。

参照海人社「世界の艦船」No269,701,869
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平底 (Unknown)
2023-09-14 16:44:09
この手の船はビーチングと言って、錨を落として、浜に乗り上げて、前の扉を開けて、車両を降ろすので、浜に乗り上げられるように平底になっています。今の空母型の「おおすみ」型輸送艦が出来る前の自衛隊の輸送艦はすべて、この船と同じタイプでした。

平底なので、波に持ち上げられ、落とされた時には地震のような揺れ方をします。初めて乗ると大丈夫かなと思います。

あとで出て来るのだろうと思いますが、船体中央が車両甲板でがらんどうになっていて、乗員の居住区は左右両端にあり、狭いので、居住性はよくありません。今の「おおすみ」型は船体が大きい分、居住性はかなり向上しましたが、乗員(海自)は二段ベッドですが、乗客(陸自)は三段ベッドで「ごめんなさい」という感じですが、それでも演習中の天幕に比べたら天国だと、陸自さんには好評です。
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