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ギャレーとメスデッキと「ネイビー・クックブック」〜US 「LST393」

2023-09-19 | 軍艦

ミシガン州マスキーゴンに展示されている
第二次世界大戦時の戦車揚陸艦、US「LST-393」を紹介しています。



ベーシングデッキの下の階に降り、スターンルームを出ると、
そこに小さなギャレーが現れました。

説明がありませんでしたが、この小ささは、
士官用のギャレーではないかと思われます。

LST-393には士官は8名から10名が乗務していました。



棚の上にはヒルズブラザーズのコーヒー缶が見えます。
Hills Bro は日本でも「ヒルズコーヒー」と言う名前で展開しています。

ヒルズコーヒーの歴史


■ギャレーとメス・デッキ

スターンルームを抜けると、兵員用のバンクがあり、同じ階には
お待ちかねのギャレーとメスデッキが現れます。



「スターボード・メッシング・デッキ」Starboard Messing Deck
左舷食堂デッキ

です。
ここと、これに続くいくつかのコンパートメントは、
下士官が食事をとるエリアとなっていました。



デッキには(写真を撮りませんでしたが)この
細長いテーブルを保持するための溶接部分の跡がいくつも残っています。

下士官はこの上の階にあるギャレーで食事を受け取ったあと、
持ってきてここで食事をしました。
トレイを持って狭い階段を降りるというのは大変ですが、
彼らはきっと慣れていったのでしょう。

このエリアには乗組員のシャワー、洗面台、ヘッド(トイレ)もありました。



このスペースには寄付された元軍人の遺品などが飾られています。
例えばこのウォルター・スプロウルズ氏の軍服。

かれはマスキーゴン出身の戦闘機パイロットで、
大変優秀だったため、昇進も早く、将来を嘱望されていましたが、
訓練機との接触事故によってわずか32歳の生涯を終えたとあります。



床に置いてあるのはニール・スポーリマンというモーターマシニストの荷物で、

「米国海軍軍務からの分離に関する通知」

という書類が添えられています。



海軍任務先から出す写真入り挨拶カード。
書類は離職許可書類のようなものでしょうか。



ギャレーは、すべての兵員の食べ物が調理され、提供される場所です。

ここはかつて最も汚れたコンパートメントでした。

兵員は、縦揺れ横揺れする艦内でサーブを待つ長い行列に並び、
食事をゲットし、さらにそれを
一階下のメス・テーブルに持っていって食べなければなりませんでしたから、
トレイをひっくり返す事故もあったでしょうし、
食べ物の飛沫がその辺にこぼれまくるのも避けられませんでした。

「海軍は清潔をモットーとし」

というのは平時の建前であって、戦時中は特に
掃除もそれどころではないという雰囲気だったかもしれません。

もちろん展示にあたっては汚れた部分はできるだけ剥がして復元しています。


第二次世界大戦に参加した、本艦勤務給養の

エバー・ヤング 三等兵曹 Petty Officer Third Class (PO3)

の写真と制服です。

隣にはやはりここで勤務していたジャック・マイルズ氏寄贈の
「海軍クックブック」が飾ってあります。

後ろに見えるのは、アメリカの軍艦必須の、粉などを混ぜるミキサーです。




USネイビークックブックですが、創刊は1920年。
主に軍艦乗組員のための質の高い食事、バランスの取れた食事、
そして効率性を説く海軍厨房のバイブルで、基本的な食品の種類、
ビタミンとその効用、食品の保存について書かれています。

各レシピは100人前を想定していて、ミールプランナーが
自分の持ち場の必要数に応じて増減しやすくなっています。

前書きとしてこんなことが書かれています。

The Cook Book of the United States Navyには、
料理の原則、献立の計画、栄養学の新しい知識に基づいた
レシピの包括的なコレクションが含まれています。

レシピの多くは海軍のコミッサリーの職員によって提案され、

テストされたもので、すべてのレシピは

海軍における実用のために開発されました。

高水準の食品を調理する上で、コミッサリーの職員に役立つ補足情報は、

表やその他の形式で提示されています。

もう少し中を覗いてみましょうか。
海軍軍人の「生命線」であるコーヒーについては以下の通り。

【コーヒー】

焙煎コーヒーはデリケートで傷みやすい製品です。
挽いてあっても、豆であっても、缶に真空パックされている場合を除き、
コーヒーは慎重に取り扱う必要があります。
空気に触れると風味も強度も失われてしまいます。

  コーヒーはしっかりと蓋をし、涼しく乾燥した場所に保管してください。
臭いの強い食品の近くでの保管は避けてください。
焙煎したコーヒーは異臭を容易に吸収し、
それらは完成したコーヒーに顕著に表れます。

一般的な雑用として豆に入ったコーヒーを購入した場合は、
抽出するたびに使用する直前に必要な量だけを挽いてください。 
ネイビーコーヒーは専門的にブレンドされ、焙煎されています。

コーヒーを淹れるためのいくつかの簡単なルールに従えば、
豊かで楽しいコーヒーが期待できます。 

また、アメリカ人の魂であるアイスクリームはというと。

【アイスクリーム】

アイスクリームは海軍のメニューの「定番」であるべきです。
アメリカ人に人気のデザートの 1 つであることに加えて、
それは栄養価が高く経済的です。
以下の指示を注意深く守っていただければ、
高品質のアイスクリームを製造するのに役立ちます。

冷凍庫、材料を計量するときに使用する器具、アイスクリームの缶、
その他すべての器具を注意深く清潔に保ち、適切に滅菌してください。

最終製品の均一性、適切な食感、心地よい風味を確保するために、
すべての材料を正確に計量または測定します。
以下の指示に従ってください。

バッチを冷凍庫から取り出す前に、
正しい「オーバーラン」に達することが重要です。
「オーバーラン」とは、冷凍プロセス中に、
混合物に空気を吹き込むことによって得られる体積の増加を指し、
80% から 100% まで変化します。
市販品では 100% の「オーバーラン」が最も一般的に使用されます。

「オーバーラン」を判断する簡単な方法は次のとおりです。

カップ 1 杯の元の混合物の重量を量ります。
カップの重さを差し引きます。
適切な「オーバーラン」に達したと判断したら、
カップ 1 杯分のアイスクリームの重さを量り、再度正味重量を決定します。

アイスクリームの重量が元のミックスの重量のちょうど 50% であれば、
100% の適切な「オーバーラン」が得られます。

たとえば、ミックスの入ったカップの元々の重さが 8 オンスであった場合、
バッチを抽出する直前のサンプルの重さは 4 オンスになるはずです。
「オーバーラン」が多すぎるアイスクリームは急速に溶け、
溶けた製品に多くの気泡が現れます。

調整を誤ると、冷凍庫の内壁のクリームの薄い層が凍ってしまうので、
冷凍庫のブレードを鋭く、適切に調整してください。
これにより、バッチが冷媒から遮断され、凍結時間が長くなり、
「オーバーラン」が減少する傾向があります。

リース- 走る" から に アイスクリームを硬化キャビネット、
または0°F以下10°Fの部屋に保管します。

サーブするときは、キャビネットを 6°F に保ってください。
スクープを「転がす」動きですくってください。
スクープをアイスクリームに掘ったり押し込んだりすると、
アイスクリームが圧縮され、1 ガロンあたりの摂取量が減ります。


さすがアイスクリームが士気を高めるとトップが言明するだけあって、
作りかたはやたら科学的に厳密な感じです。

クックブック原文に興味を持った方のために。





ボードには、特別メニューが貼ってあります。

オリーブ
甘いピクルス
ローストターキー
セージドレッシング
グレーヴィー
マッシュポテト
バターコーン
バターエンドウ豆
野菜サラダ
フルーツケーキ
ミンスミートパイ
アイスクリーム
コーヒー
ミックスナッツ
キャンディ
葉巻 とタバコ




こちらは1943年護衛空母USS「ナッソー」のクリスマスメニュー。
「Chow」というのはチャウと発音し、ご飯のことです。

スイートピクルス
オリーブ
トマトジュースのカクテル
ローストターキー
焼きハム
クランベリーソース
マッシュポテト
セージドレッシング
モツグレービーソース
アスパラガスのチップス
スキャロップド・コーン
パーカーハウスロール
フルーツケーキ
アップルパイアラモード
バター
コーヒー
ミックスキャンディー
ナッツ盛り合わせ
葉巻とタバコ


別の艦なのに、まるでしめしあわせたかのように同じようなメニュー。
これがアメリカ人のクリスマスの定番なのでしょう。

LST393にはないスキャロップド・コーンという料理は、
典型的なアメリカの年末年始料理で、ニューイングランド発祥。

ローストビーフのサイドディッシュ的立ち位置の料理で、
スキャロップと言いながら魚介類は入っていません。

コーンにクリーム、卵、砕いたクラッカー、玉ねぎを混ぜて
キャセロールに入れてグラタンのようにオーブンで焼いたもので、
カロリーがたっぷり取れそうな、アメリカ人の好きなタイプの一品です。



これが「ナッソー」の給養くん(名前の表示なし)。
おそらくマスキーゴン出身なのでしょう。



護衛空母「ナッソー」Nassou(AVG-16 その後 ACV-16)

は、1942 年5 月に就役した37隻のC3 CVEのうちの1隻で、
「ボーグ」級護衛空母10隻のうちの1隻です。


1943年、アッツ沖を航行中の「ナッソー」


第二次世界大戦中は、アッツ島占領のための航空援護、

のちにタラワ島侵攻における輸送任務と航空支援に参加。

マーシャル諸島、クェゼリンでも作戦を展開し、
対潜哨戒と戦闘航空哨戒の両方を行っています。

最大の任務は、タスクグループ30.8としてハルゼー提督の第3艦隊に参加、
他の護衛空母とともにアドミラルティから出港し、
攻撃空母に航空機とパイロットの交代要員を提供しました。

パラオの攻撃、フォリピン作戦、ウルシー環礁において同じく
航空機とパイロットの補充と交代任務のほか、
1944年10月24日のレイテ湾海戦で沈没した

「プリンストン」の生存者382名を輸送する任務も行っています。

5つの戦功賞を受けた殊勲艦ですが、海軍から抹消されたあと、
1961年6月、日本に曳航されてそこで廃艦されました。

どうしてこのとき日本でスクラップになったかの理由はわかりませんでした。


続く。



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1 Comments

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スクラップ (Unknown)
2023-09-20 08:11:40
>下士官はこの上の階にあるギャレーで食事を受け取ったあと、持ってきてここで食事をしました。トレイを持って狭い階段を降りるというのは大変ですが、彼らはきっと慣れていったのでしょう。

設計上、調理室と食堂を別の甲板にせざるを得なかったのだと思いますが、プレートを持ったまま、下の甲板に降りるという動線は大変だったと思います。

かつてあった駆潜艇は船体中部が機関室で、今の護衛艦のように船体の前から後ろまでを貫く通路がなかったので、調理室や食堂は機関室より後部ですが、士官室は前部にあり、幹部の食事は士官室係が一旦、上甲板に出て、また下に入る動線で、荒天時は危険でした。

>どうしてこのとき日本でスクラップになったかの理由はわかりませんでした。

今は違う目的で、廃艦を買う人がいますが、この頃は単に屑鉄として売り払い、買ったのが日本の会社だったのだろうと思います。トン当たり相場は千五百円くらいじゃないですか。ただ、引取費用も買った人持ちなので、船を買うとなると、気合を入れて掛からないといけません。

そう言えば、屑鉄として払い下げられた陸上自衛隊の高機動車が、海外で再生され、逆輸入されている件で揉めています。戦車のように武装した車両はまずいと思いますが、高機動車は単なる車両なので、売り払いは問題ないと思うし、海外で再生した車両を大枚はたいて買うマニアがいてもいいんじゃないかと思います。高機動車の新車は一千万円くらい(防衛省しか買えません)ですが、再生した逆輸入車は三千五百万円だそうです。好きですね(笑)
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