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マット・ガース大佐の出撃と戦死〜映画「ミッドウェイ」

2020-06-10 | 映画

1976年版映画「ミッドウェイ」最終日です。

 

こちら帰還前の友永大尉機。
米機動部隊らしきものを発見しました。

艦影早見表と慎重に見比べて「ヨークタウン」級空母であると断定、
すぐさま「赤城」に連絡しようとしますが、無線機が故障していました。

「エンタープライズ」の艦爆隊は、そのころ
アメリカの潜水艦「ノーチラス」と交戦したのち、機動部隊に戻る途中の
駆逐艦「嵐」を発見しました。

しかし、これはアメリカ側の記録に基づく情報で、「嵐」の生存者は
「赤城」の傍を離れていなかった、と証言しているそうです。

ミッドウェイ海戦については今日も研究が続けられていますが、
わかっていないことや双方の証言が一致しないことが多々あります。

それはともかく、史実においてもこの後マクラスキー隊は、
駆逐艦の方向を索敵した結果、ついに機動部隊を発見したのです。

「敵空母4隻発見!」

マクラスキー隊の艦爆は先陣を切って「加賀」を襲いました。
日本側は急降下に気づかず、対空砲も間に合いません。

甲板後部への投弾、続いて3発が次々と命中。

見張り員が雷撃機の動向と発艦直前の直掩機に気を取られていたせいで
艦爆の急降下の発見が遅れたのでした。

換装中の爆弾が甲板に出ていたところをやられたのですから被害大です。

「1隻消したぞ!」

敵を仕留めたという搭乗員同士の通信を聞きながら
にこりともせず息を飲んでいる機動部隊司令部。

「Bull's eye!」(ダーツのターゲットの形状から、当たりという意味)

続いてヨークタウンの艦爆隊が「蒼龍」へ攻撃開始。
また、航空機発進中の「赤城」も続いて攻撃が行われ、
第二次攻撃隊準備機にや魚雷などに誘爆して大火災が発生しました。

ちなみに「赤城」には盲腸から復帰した淵田中佐が乗っていて、
零戦が爆風で吹き飛ばされた時両脚骨折の重傷を負っています。

わずか6分の間に、戦況も、歴史もが変わりました。

しかし「飛龍」は他の三隻の空母から離れていたため、
艦爆の攻撃を受けていません。

あっという間にやられてしまった空母三隻を、「飛龍」から
呆然と眺める友永大尉以下日本軍の搭乗員たち。

なんかわかりませんがものすごくかっこいい?シーンです。
ところで二枚目写真の一番右、もしかして佐藤允さんじゃないですか?

「太平洋の嵐」の流用がここにまで・・・orz

そしてその光景を海に浮かんだまま眺めるゲイ少尉。

もののあはれを感じている場合ではありません。
南雲長官は「長良」に移乗することになりました。

「赤城」は舵が効かなくなり火災が起きていたものの、
被弾は1〜2発で機関部は健在であったため曳航も検討されますが、
結局爆発が相次ぎ、最終的には駆逐艦の雷撃により処分されました。

「飛龍」の小林道雄大尉は真珠湾作戦にも参加しています。
映画では山口多聞に

「前回連絡のあったところを飛び、運を信じて探すんだ」

と命令され空母を求めて飛び立ちました。

「ヨークタウン」に飛行隊が帰還してきました。

ガース大佐は司令として、そして一人の父として
生き残って帰ってくる搭乗員たちを見守ります。

そして着艦した彼らの顔を一人一人確かめるのでした。

これは有名な実写映像です。
向こうに駆逐艦の姿が認められます。

甲板に降りたときジャンプし、着艦フックが掛からずに、そのため
構造物に激突してしまいます。

操縦席から後ろがぽっきり折れてしまうのですが、
なんと搭乗員は無事で助け出されるというこの映像、
これをトム・ガース大尉の帰還シーンに流用しました。

ガース大尉が乗っていたのは確かF4Fワイルドキャットでしたが、
帰ってきたときにはなぜかF6Fヘルキャットになっております。

それはともかく、とりあえず生還を果たした息子を見て
父親であるガース大佐は、艦橋をかけおります。

おろおろと担架についていくガース大佐。
本当にこの人いままで何の仕事をしていたの。

「父さん」

今まで顔を合わせると上官として敬語を使っていたトムが、
この時は息子となって発した言葉に、父は思わず微笑みます。

「トム、真珠湾で会おう」

「下艦するときには僕と春子の写真を持って降りてくれないか」

「もちろんだ、任せておけタイガー」

「ありがとう、父さん」

( ;∀;)

「ヨークタウン」には小林道雄大尉率いる艦爆隊が・・・・、
って、この変な日本軍機、どこかで見た覚えがありませんか?
そう、忘れもしない「パールハーバー」ですよ。
あのときもかなり突っ込みましたが、このアサヒビールの蓋みたいな
旭日模様の日本機の元々の出所は、アメリカ制作の映像のようです。

実際の飛龍第一攻撃隊は、99式艦爆と零戦から成っていました。

小林大尉は、米軍のレーダー網を突破するために低空で飛行し、
「ヨークタウン」に肉薄し、爆弾を抱いたまま戦闘機と交戦しました。
ミッドウェイ海戦を語るこの映画で小林大尉がフィーチャーされているのは
この時の果敢で正確無比な攻撃が米軍の戦史でも称賛されているからです。

mw17072701

敵戦闘機の防御を潜り抜け生き残ったたった8機の艦爆は、
爆弾3発を命中させ、「ヨークタウン」は動力を失い航行不能になります。

小林大尉は対空砲の攻撃で戦死しました。
「飛龍」に帰還したのは艦爆5機、そして零戦1機です。

フレッチャーは「アストリア」に移乗しますが、かる〜く
ガース大佐に

「君は間に止まってフライトオペレーションをしたまえ」

「飛龍」艦爆隊の報告を聞いた友永大尉は出撃を行います。

友永機の右側タンクの破口は応急処理しかできていませんでした。
「飛龍」もとパイロットは、整備員が

「友永大尉の艦攻は修理のいとまがなく、片道燃料で出撃した」

と言っていたことを証言しています。
しかし友永大尉自身は米艦隊までの距離が近いので十分帰れる、
と言って出撃して行きました。

「ヨークタウン」ではここでとんでもないことが起こります。

トムを見舞った後、艦橋から双眼鏡で外を見ていたガース大佐に、
いきなり同僚が、

「マット、飛行機が余ってるので一緒に飛んでくれるか」

と頼んできたのです。
いや、正確には「搭乗員より飛行機の数が多いから」
と言っていましたが、こんなことってあり?

あるわけないですよね?
大佐ったらもう現役パイロットを退いて久しいはずで、
そんな人にいきなり艦爆で爆弾落としてこいはないと思うの。

しかしガース大佐はかる〜く

「シュアー」

とか返事してさっさとフライトスーツに着替えて飛び乗ります。
うーん、なんてフットワークの軽い大佐なんだ。

海軍情報部にフレッチャーから戦闘経過が伝えられました。

「敵の空母三隻が燃えている」

ロシュフォール大佐は相変わらずのノリで

「ハーレルーヤ〜」

などとはしゃぎ、攻撃中止を提案しますが、ニミッツは

「わたしが四隻目の空母をやりたい!」

と渋〜く呟くのでした。

ここで有名な友永大尉の最後が描かれます。

実はアメリカ側の戦闘詳報では、ジョン・サッチのF4Fが友永機と思われる
隊長標識をつけた艦攻を撃墜し、艦攻は墜落する前に魚雷を投下したが
命中しなかった、となっているそうです。

日本側の戦闘詳報によると、黄色い尾翼の友永機は対空砲火で被弾炎上し
「ヨークタウン型艦橋付近に激突自爆せること判明す」とあり、
この映画では日本側の記録が元になっているのです。

友永大尉が機体を突入させたことを表すために
映画では特攻機の突入したフィルムを挿入しています。

その後「飛龍」の橋本俊雄大尉の第二中隊は魚雷二本を
「ヨークタウン」に命中させ、帰還した、というのが日本側の記録です。
映画もその情報に忠実に描かれています。

こちら突如現れる実写フィルム。
「エンタープライズ」甲板から出撃する24機の艦爆です。

「ホーネットは?」

「もうあまり残っていません」

「ホーネットに連絡を。すぐに出撃だ」

老骨に鞭打って飛ぶガース大佐。
眼下に燃え盛る敵空母三隻を認めました。

「飛龍」甲板で山口少将自ら攻撃から帰った橋本大尉の報告を聞いていると、

そこにガース大佐の艦爆が急降下してきました。
これは実写映像のようですが、本当だとすればこの角度で降下する
艦爆のパイロットは真っ逆さまに落ちていく感覚だったでしょう。

ガース大佐の艦爆が投下した爆弾は甲板のど真ん中にヒット。
実際には艦爆隊は飛龍の飛行甲板の日の丸を目標に突入し、炎上せしめ、
「航行不能となった「飛龍」は駆逐艦「巻雲」の雷撃によって処分されました。

実際は、

「赤城、被爆大、総員退去」

との報告を受けたとき山本長官は渡辺(右隣)と将棋を指していて、

「ほう、またやられたか」

「南雲は帰ってくるだろう」

とつぶやいただけでそのまま将棋を続けていたらしいのですが、
もちろん、これでは映画が台無しになってしまうので、その代わりに

「陛下にはなんとお詫びすればよろしいでしょうか」

と尋ねる細萱中将(黒島亀人?)に向かって

「任せて起きたまえ。
陛下に詫びなければならないのは私一人だ」

と重々しく答えております。

「エンタープライズ」では帰還してくる航空機を見守っていました。

満身創痍の(という設定の)機体を操り、アプローチするガース大佐。

昔取った杵柄操縦でこの局面を乗り切れるのか?

ガース大佐、後ろにも人が乗っていることをお忘れなく。

しかし残念無念、着艦失敗してこの瞬間2名が戦死されました。

実写映像では投げ出されたコクピット部分に人が駆け寄っていますが、
手の施しようもなく見守るだけです。

こちらカタリナPBYに救出されるゲイ少尉。

そして「エンタープライズ」がハワイに帰国しました。

全く顔に火傷していないトム・ガース大尉が運び出されるのを・・、

なぜか佐倉春子が近くで眺めています。

彼女はガース大佐の計らいで本土に送られずにすんだようですが、
だからといって日系人が帰還する軍艦の出迎えに来て
こういう場所に立ち入ることはまず不可能だったはずです。

気軽に二人で帰還してきた「エンタープライズ」を出迎える
ニミッツ提督とロシュフォール大佐。

「こんな大勝利だったとマットは知っていたでしょうか」

提督と情報大佐がこんな風に語るガース大佐って一体何者?
それはともかく、ニミッツはこう答えます。

「彼はこう言ったに違いない。
『何でもありませんよ、提督。
山本はすべてにおいて勝っていた。強さも、経験も、自信においても。
われわれは日本軍より優れていたのか、それともただ幸運だったのか』と」

英語の原文を見てもよく意味がわからないのですが、
とにかくこの映画では、決してアメリカ側は日本軍に対し、

ミッドウェイで楽勝だったわけではなく、苦しい戦いの末
得た勝利であるということを強調しているようです。


日本側におけるミッドウェイ海戦の記述は、ともすれば
南雲長官の指揮官の資質とか甘く観ていたとか情報の扱いの杜撰さとか、
敗因を追求するばかりで、圧倒的な戦力差があったように語られがちですが、
この映画に限らず、アメリカ側はどうやらそう思っていないらしい、
(あるいはそうではないことにしている)ということを最近ある筋から聞きました。

アメリカの国史教科書などで語られる日米戦争は、ミッドウェイ海戦に限らず、

「いかに日本が強かったか、そしていかにその強い敵に我々は勝ったか」

ということを強調しているものが多く、その強かった敵に対して、
東京裁判の頃から、特に軍人は素直に称賛を送っていたといいます。

方や、外でもないそのアメリカのGHQによって贖罪史観を植え付けられた
日本人は、自国軍の精強さを称えるどころか、彼らを顕彰することすら
大っぴらにはできないような空気に支配されて今日に至るわけですが。

おっといつもの愚痴になってしまいました。

 

とはいえ、時代とインターネットの発達によって、歴史認識も様変わりしつつあります。
たとえば、我々に忸怩たる思いを抱かせるところの、アメリカ人の


「原子爆弾投下の正当性=戦争を早く終わらせるために仕方なかった」

というあの主張もそうで、現代ではとくに若者の間では、

「いかなる理由であっても原子爆弾は人類に対し使うべきではなかった」

という意見が多数を占め始めているのだということです。
当事者(この場合原爆を落とすことを決定し賛成した国民)がこの世からいなくなると、
歴史がニュートラルに語られだすということの一例かもしれません。

最後はウィンストンチャーチルのミッドウェイ海戦への賛辞、

「海戦史上、今回の闘いほど激しく心震わせるような衝撃的なものはなかった。
合衆国海軍、その航空部隊、兵士たちの能力が輝かしく発揮された。
その勇気、そして指揮官たちの能力の高さがその根底にある」

が流れて映画は終わります。

 

大変通好みの、というか戦史ファン向けのマニアックな映画で、
ミッドウェイについて多少のことを知っていなければ、
あまり面白いと感じないという嫌いはありますが、日米両国が
死力を尽くして戦ったというそのことを称えるというスタンスは
観終わったあとに、なにかスポーツの試合の後のような
互いに健闘を讃えあいたいような清々しい?気持ちにさせられます。

 

わたし個人としては、これで「ミッドウェイ入門」レベルくらい、
特に時系列に沿って理解することができましたので、
これもまた
次の機会につなげてさらに知識を深めていく所存です。

 

終わり。

 

 


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7 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
時系列その2 (お節介船屋)
2020-06-10 14:18:29
0723 米急降下爆撃隊奇襲 「加賀」9機4発、「赤城」3機2発、「蒼龍」12機3発被弾、大火災。
     ヨークタウンTBD12機、F4F6機と共に「飛龍」攻撃、被害なし。米雷撃機41機命中魚雷なし、帰還6機。
0730 空襲終了。
0740 接触交代筑摩5号機 ミッドウェー島北130哩に米空母1発見報告、利根4号機の報告より南約100哩。
0745 南雲長官以下司令部「野分」移乗。
0758 「飛龍」第1次攻撃隊発艦 九九艦爆18機、零戦6機、山口司令官敵空母2隻程度と判断、2次攻撃隊準備下令。
0810 2式艦偵ミッドウェー島北150哩に米空母発見、報告未達。
0840 2式艦偵 空母3隊確認報告、未達。
0852 南雲長官 昼間水上戦闘下令、敵まで60哩と判断。
0910 飛龍攻撃隊 敵空母ヨークタウン攻撃火災、わが被害大。090050哩先で発見されF4F28機迎撃、8機のみ攻撃、3発命中。中破20ktで航行可能。
0915 南雲長官水上部隊での攻撃行動。
0920 筑摩5号機さきの空母の東40哩に空母1発見報告。
1000 第4駆逐隊司令捕虜情報で空母3隻報告、司令部確認は1時間後。南雲長官飛龍第2時攻撃の成果を見て水上部隊の突入とする。
1031 飛龍第2次攻撃隊 雷撃機10機、零戦6機発進、第1次攻撃隊及び2式艦偵収容、空母3隻確認報告。
1040 筑摩5号機0920報告の空母の位置を報告。
1130 ヨークタウンのレーダーで40哩先の日攻撃隊捕捉、戦闘機と対空射撃で阻止したが2発の魚雷が命中。
1137 筑摩5号機 味方の攻撃開始報告、敵空母3隻も報告。
1200 ヨークタウン総員離艦。
1220 山口司令官第3次攻撃を薄暮に延期、南雲長官一時避退。
1230 接触機から敵味方距離120哩報告。
1231 山口司令官第3次攻撃計画報告、艦爆5、艦攻5、艦戦10機。
1245 第2次攻撃隊収容 1250北西に変針、対空警戒しつつ薄暮を待つ。
1300スプルーアンス飛龍の位置確認、攻撃隊発進、エンタープライズ24機(ヨークタウン機14機を含む)、ホーネット16機。戦闘機味方空母防衛のため同行せず。
1312 筑摩、榛名敵飛行艇発見、山口司令官敵機の来襲があると判断し上空警戒機発進。
1401 SBD13機「飛龍」奇襲。1403 被弾4発、B-17攻撃。
1530 米艦上機、陸上機攻撃終了、飛龍以外被害軽微。
1620前後「加賀」「蒼龍」沈没、1900頃までに索敵機、上空警戒機搭乗員収容。
2115山本長官全軍集結下命。2350山本長官「赤城」処分下命。2355作戦中止下命。翌0200「赤城」雷撃、0220「飛龍」雷撃、日の出後「飛龍」沈没。
「赤城」戦死者263名、「加賀」800名、「蒼龍」718名、「飛龍」416名
参照光人社外山三郎「図説太平洋海戦史2」

>こちら突如現れる実写フィルム。
TBFアベンジャー
>そして「エンタープライズ」がハワイに帰国しました。
エセックス級空母の1艦 改造後のハリケーンバウ

返信する
堪能しました (Unknown)
2020-06-10 16:37:53
>「マット、飛行機が余ってるので一緒に飛んでくれるか」と頼んできたのです。いや、正確には「搭乗員より飛行機の数が多いから」と言っていましたが、こんなことってあり?

今だと航空機1機あたり1.5~2 Crew Setくらいの搭乗員がいるので「搭乗員より飛行機の数が多い」ことはないのですが、第二次世界大戦中だったら、搭乗員の養成より、飛行機を作るのに必要な時間の方が短かった(飛行機が簡単だったので、短い時間で作れた)ので、そういうこともあったのかもしれません。

>アメリカの国史教科書などで語られる日米戦争は、ミッドウェイ海戦に限らず「いかに日本が強かったか、そしていかにその強い敵に我々は勝ったか」ということを強調しているものが多く、その強かった敵に対して、東京裁判の頃から、特に軍人は素直に称賛を送っていたといいます。

私がお世話になった米軍人もそう言っていました。アメリカ人の平均的な見解なんじゃないかと思います。

堪能しました。ありがとうございました。確かに情報統制や敵兵力の見積で日本軍には甘いところがあったし、敵機動部隊が出て来る公算は低いと根拠のない自信(油断)もあったようですが、結局は先に米軍に見付かってしまい、空襲を受けたというのが直接的な敗因ですよね。悔しいですが、日本海海戦のロシアと同じくらい、気持ちいいくらいの負けっぷりです。

今、米軍の空母機動部隊と互角に戦える空母機動部隊を持つ国はないので、もしかしたら、歴史上、空母機動部隊同士の決戦というのは、太平洋戦争における日米しかないということになるかもしれません。そう思うと帝国海軍はやっぱりすごいなぁと思います。

戦争の大きな流れとしては、ミッドウェイ作戦の後には「第二段作戦」として、終戦(日本に有利な形でアメリカに譲歩を要求する講和)に向けて、海軍はハワイ攻略を考えていたようですが、中国と南方(東南アジア)で手一杯の陸軍の合意は得られていなかったので、仮にミッドウェイ海戦で勝てても、ハワイ攻略は無理な訳で、結局のところ、アメリカに勝つのは難しかっただろうなと改めて思いました。
返信する
ありがとうございます (ウェップス)
2020-06-10 20:21:52
「もちろんだ、任せておけタイガー」
「ありがとう、父さん」
父(俺、この海戦が終わったら春子の両親を説得するんだ)(あっ…)
…というのはさておいて、不遇な(少なくとも我が国において)本作品を肯定的に受け止めた発信をしていただき嬉しく思います。(おそらく本邦初)

>日系人が帰還する軍艦の出迎えに来て
こういう場所に立ち入ることはまず不可能だったはずです。
 西海岸と異なり、ハワイではすでに日系人が社会に浸透しており(人口の35%以上が日系人、白人よりも多い)かつ米国人意識も高かったため、逮捕抑留は一部に留まりました。艦の傍まで近づけたかどうかはともかく、嫌疑が晴れた春子は少なくとも一般市民と変わらない立場にあったと思います。負傷兵のガールフレンドなら尚更でしょう。

 かねてから疑問のガース大佐のおしごとですが、ズバリ「太平洋艦隊司令部作戦部次長(or次席作戦参謀)N31」でしょう。(適当)
 太平洋艦隊レベルの部隊の各セクションの長は少将か古手の大佐で、これはオフィスにデンと構えているイメージです。対してナンバーツーは組織の中核として実務を取り仕切らなければならない中々の激職です。結果フットワーク軽くあちこちに顔を出すことになります。
 ヨークタウンに乗ったのも「増強幕僚」としてフレッチャーを補佐するため派遣された、と考えれば不自然ではありません。(今まで様々な情報に接してきたことと&航空屋としてフレッチャーにアドバイス)ある意味「お客様」で固有の配置がないので、あちこち自由に歩き回ることができます。
 自ら飛んだのも、飛行士が足らなければ誰でもいいから乗せろ!というのは当然の流れですし、陸にあがったガースも(おそらく)年次飛行によって最低限のスキルは維持していたと考えられます。さすがに攻撃隊の指揮をいきなりとれるか、と言われれば?ですが、そこはドラマということで('ω')
 前職における航空関係の先輩同僚後輩たちも例外なく「一朝有事の際はスティック握るで!」という心意気(だけ)は定年まで維持しておりました。船乗りも同様です(^▽^;)
返信する
みなさま (エリス中尉)
2020-06-12 20:44:46
渾身のアップだったので皆様のコメントを感涙に咽びながら読んでいたわたしです。
しかし何しろコロナ自粛の流れを受けて自宅で死ぬほど忙しくなってしまい、
貯めてあったものをアップするのがやっとの状態に陥っておりまして、
コメントに返事もろくにできず本当に皆様には失礼をしております。

今帰国して成田のホテルで2週間自主隔離状態のMKが帰ってくれば、
今より自分の時間がなくなるのは必定なので、とりあえずお断りしておくとして。

お節介船屋さん
時系列で書き出していただきありがとうございます。
どの文献を見ても説明が多くて全体像を把握するのに時間がかかるのですが、
これほど端的に書かれているとわかりやすいです。
今後ミッドウェイものを扱うときには参考にさせていただきます。

unknownさん
あー、なるほどハワイだからありかもしれないと。
実はわたしと同じことをこれを見たアメリカ人も言っていたのですが、
その可能性もないわけではなかったかもしれません。

>気持ちの良い負けっぷり
しかも序盤は「ホーネット」の雷撃隊の全滅とかミッドウェイの攻撃とか、
優勢な部分が無きにもあらずでしたからね。
繰り返しになりますが、アメリカとしても艦隊同士でこれほどがっぷりと
四つに組んで戦った相手はも日本(と独立戦争の時のイギリス)だけでしょう。
お互いにとって死力を尽くして戦った者同士に通じる共感と畏敬を持つ
唯一の相手と言えるのだろうなと思います。
おっしゃるようにあのような形の戦争は今後決して起こらないでしょうから。

ウェップスさん
当ブログが今回この映画を選んだのもウェップスさんのご指南によるものです。
当方の思い込みを払拭していただきありがとうございました。

おお、ガース大佐は次席参謀か作戦部次長ですか。なるほど。
そうだとしたらあっちこっちにフラフラいきまくっていた理由も納得ですね。

しかし年次飛行くらいで艦爆で攻撃などという個人的なスキルが要求されそうな
個人技?が維持できるものでしょうか。

ガース大佐は年齢的に海軍パイロット何号、と名付けられていたころの
黎明期の海軍航空士、つまり現役の頃は水上機とかに乗っていたはず。
さすがに実戦で艦爆から爆弾を落とす練習までしていなかったと思いますが、
まあ、おっしゃるように映画ですからね。
返信する
ミッドウェーもう一つの敗戦 (お節介船屋)
2020-06-14 11:13:22
連合艦隊司令部は敵空母発見で撃滅報告を期待していたが3空母被爆、大火災の報は意外であったが飛龍1艦でも押し切れると判断していました。
昭和17年6月5日0920 主隊、攻略部隊、アリューシャン戦場方面の第2機動部隊を第1機動部隊戦場に急行下命。
1010 敵艦隊との決戦、ミッドウェー島砲撃、ミッドウエー、アリューシャン作戦の一時延期を下命。(連合艦隊司令部敵勢力誤認)
1224 第7戦隊(栗田司令官、熊野、鈴谷、三隈、最上)ミッドウェー島砲撃に最大船速で向かう。
1403 飛龍被爆、大火災で1010の連合艦隊電令作156号根底から覆されたが連合艦隊司令部は1615夜戦決行を下命。
1915 第1機動部隊を近藤攻略部隊指揮下に命ずる。(機動部隊が艦隊決戦を諦めていると判断)

2115 攻撃は黎明時になり夜戦は見込みなしと判断して各部隊主隊に集合下命。
2145 第7戦隊ミッドウェー島からの約70哩の位置で反転、進路300度速力27ktで避退。
2255 ミッドウェー作戦中止。
2318 第7戦隊旗艦熊野右45度5KMに敵潜水艦発見、緊急左45度一斉回頭命令。さらに敵潜水艦発見、電話で左45度一斉回頭命令。90度回避したつもりであったが殿艦最上が1番艦熊野を3番艦三隈と誤り、三隈左舷艦橋部直下に衝突。最上艦首折損、第1砲塔中甲板まで浸水、前進不能、応急修理で微速可能となった。三隈は左舷幅2m長さ20m破孔。ミッドウェー島から100哩地点。なお回頭命令が信号灯と電話でチャンポンとなり各艦の転舵がまちまちとなり熊野と鈴谷が入れ替わったりで錯誤があった。
    栗田司令官三隈に最上護衛しトラック島方面に避退を命じて熊野、鈴谷2艦で避退。
2330 主隊大和あて栗田司令官事故電、「三隈最上衝突、三隈支障なし、最上前進見込みたたず。」その後所在不明、主隊、攻略部隊からの連絡にも応答せず。
6日0325 近藤司令長官栗田司令官に第8駆逐隊朝潮、荒潮を派遣、三隈、最上を護衛するよう下命。
0625 敵飛行艇に発見される。
0745 ホーネットSBD6機攻撃、0755 B-17 8機攻撃、被害なし。敵水上機接触から三隈崎山艦長敵水上部隊の追跡を受けていると判断しウエーキ島に向かうと報告。
1000 敵攻撃約20機、「最上」1発被弾。その後多数機の攻撃で「三隈」第2砲塔に1発被弾、崎山艦長瀕死の重傷、艦橋多数の死者
1200 命中弾多数、機械室破壊、高角砲破壊、酸素魚雷誘爆、各部火災、艦尾から沈み始める。高嶋副長総員離艦を命じる。短艇に重傷者。艦上に残置された者、約150名漂流中をホーネット戦闘機等米機機銃掃射。
1300 救助中の荒潮後部砲塔1発被弾。 荒潮240名救助するもまだ多くの漂流者残置して避退。沈没時間不明。

7日最上、駆逐艦朝潮、荒潮、1300頃まで敵襲あり、最上5発被弾第5砲塔員全滅、駆逐艦被害あり等
山本連合艦隊司令長官から近藤司令長官に攻略部隊で救援する事を下命され最上、駆逐艦収容。
三隈戦死者700名以上、最上百数十名、荒潮数十名戦死。
参照光人社亀井宏著「ミッドウェー戦記」、新人物往来社「日本海軍艦隊総覧」「太平洋戦争海戦全史」、光人社外山三郎著「図説太平洋海戦史」
 
返信する
三隈被害沈没日時誤り訂正 (お節介船屋)
2020-06-15 10:58:07
昭和17年6月6日
0745 ミッドウェー島からSBD6機、SB2U6機の攻撃、B-17 8機攻撃で被害なし。ホーネットの艦載機は誤り。
6日は被害なく経緯しました。

昭和17年6月7日
0500 第8駆逐隊朝潮、荒潮合同。最上ほぼ14ktで航行。
0625 敵機接触、艦載機と判断。
     
先のコメントの1000以降の被害等は7日の誤りです。
エンタープライズ、ホーネットのSBD、F4Fの攻撃が約10時間の渡って継続、約90浬近傍からの攻撃。通算120機攻撃。

参照光人社亀井宏著「ミッドウェー戦記」
返信する
友永大尉の最後 (お節介船屋)
2021-02-23 16:26:53
新潮社刊森史朗著「ミッドウェー海戦」から
友永隊5機は米空母左舷側から攻撃、橋本隊5機は米空母前方から回り込んで右舷側から挟撃態勢をとる予定でした。
ヨークタウン上空直衛機18機、攻撃九七艦攻10機、直衛ゼロ戦6機でした。
高度3,000mから緩降下して突撃態勢に入るところを米戦闘機に背後から接近され
3番機杉本1飛曹機が被弾墜落しました。
攻撃したウーレン中尉機が再攻撃しようとした時、援護ゼロ戦が攻撃,洋上不時着でした。
攻撃隊が輪形陣に接近、対空砲火が集中、ヨークタウンが右急回頭したので艦尾側が向いた。
そのため橋本隊は艦首側から右舷の雷撃位置に達することができないため、そのまま右舷に回り込む。
同時に挟撃するため通常は友永隊が少し速度を緩め待つのであるが友永大尉は雷撃初であり、全速で突撃しました。橋本第2中隊を見失い、友永大尉機と2番小林機が右舷から、第2小隊大林機と斎藤機が左舷から挟撃することとしました。
高度50mで突撃、背後にサッチ少佐機が迫っていました。友永機はサッチ機の攻撃で佐翼が破壊され火焔発生、しかしヨークタウンに肉薄、再度攻撃で両翼炎上、墜落寸前、魚雷投下、火だるまとなり、海面激突。友永大尉は31歳で、妻帯者でした。搭乗機は左翼主タンクに小指大の破孔、応急修理しました。左補助燃料タンクからも燃料が漏れるので、左主、補助タンクとも燃料入れずとなっていました。橋本大尉におれも年貢の納めどきと言い覚悟を決めていました。
2番小林機も魚雷投下、ヨークタウンは左回頭、2本の魚雷に並行となるよう操作。魚雷は艦側を直進、命中しませんでした。
小林機はヨークタウンと並行に避航、艦首側を飛びぬけたところで輪形陣の巡洋艦、駆逐艦の対空砲火を浴び、被弾、海面に激突しました。
左舷に回った大林隊はレオナルド中尉機から射撃され、雷撃をやり直すため左前方に避退したが駆逐艦の対空砲火かレオナルド機からの射撃か不明ですが被弾、魚雷落下、墜落、斎藤機は魚雷投下、命中せず、避退中アダムス少尉機から被弾、燃料タンク爆発、バラバラとなりました。
橋本中隊5機は50m低空に降下中ゼロ戦2機に援護されていましたが4機のゲラマンに迎撃されましたがゼロ戦援護、ゲラマン3機増援でゼロ戦2機被弾、ゼロ戦2機がこのグラマン攻撃、その間に橋本中隊は500m付近の雲に入りグラマンをかわすため急旋回、3番機中村1飛曹機は加賀所属機で追従できず、ヨークタウンの左舷に向かい魚雷投下しました。
雲から出た橋本中隊4機はバラバラになりましたがヨークタウンは友永隊の突入で橋本隊に左舷腹をされしていました。
1列となり突撃しましたが最後尾丸山1飛曹機はグラマン戦闘機に左翼燃料タンクを射抜かれました。ガソリンを吹き出しながら最後尾で追従しました。
距離500m、高度5mで橋本機、衛藤機、魚雷投下、丸山機も遅れて200mまで接近投下しました。橋本機、高橋機はそのまま飛行甲板上も右舷側に飛び越しました。
4本の魚雷が突進、大林機は輪形陣内側で被弾墜落しました。避退中の高橋機の小山3曹の射撃は確実で迎撃してきた新米のトートル少尉機を7.7㎜旋回銃で撃墜しました。
ヨークタウンは左大回頭で避けようとしましたが1発が左舷燃料タンクを爆発させ第2、第6ボイラー室隔壁を破壊、2発目は、同じボイラー室に命中破壊拡大、前部発電室に浸水全電源停止、左17度傾斜しました。10分後26度に増大しました。
橋本中隊避退中グラマンに攻撃されましたが山本旭1飛曹のゼロ戦が追い払いました。サッチ機も山本が追い払いました。
帰投集合点に橋本機に到達、2本命中電信、赤城西森飛曹長機は魚雷を抱いたままで集合していたので再度攻撃命令をだしたが魚雷を捨てて再集合してきました。
艦攻5機、ゼロ戦4機が帰投しました4名負傷でした。艦攻5機、ゼロ戦2機墜落。
友永大尉機は海面激突でしたが反対舷からみていた橋本隊はヨークタウンに激突したように見えたとの報告でした。
米迎撃機も勇敢に対空砲火の中にも入り攻撃してきました。
以上は米側戦闘資料とも照らし合わせてあり、友永雷撃隊の詳細が知ることが出来るものです。また第1次の小林艦爆隊の詳細も記述されています。また防研元戦史室長の野村実氏から資料、論文、ヒアリングも参考とされています。

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