航空黎明期からの海軍航空についてお話ししてきましたが、
今日はスミソニアン博物館の海軍航空コーナーから
海軍の航空機についてご紹介していきます。
海軍航空コーナーはこのような一角にまとめられています。
それではフライング・ボート、水上機から参りましょう。
■ 水上機
カーチス Curtiss H-16 1918
グレン・カーチスのフライングボートの開発は、
第一次世界大戦中のアメリカ軍用航空史における
いくつかのハイライトの一つです。
H-16は最初の双発によるアメリカ製の飛行機を改良したもので、
1914年の大西洋横断計画に合わせて作られました。
カーチスのHボートと呼ばれる型では最後のもので、
海軍とカーチスのコラボによってプロデュースされ、
1928年まで哨戒爆撃機として任務を行いました。
ホール・アルミナム Hall Aluminum PH-2,1931
これなど実に我が海軍の二式大艇に似ていますね。
海軍航空機工廠PNで開発された双発複葉機です。
その血統を遡れば第一次世界大戦のイギリスの フェリクストウの飛行船に辿り着きます。
フェリクストウF.5は日本でもライセンス生産されています。
1919年(大正8年)海軍は本機を爆撃用飛行艇として採用することを決め、
完成機を計12機購入したうえでイギリスから技術者を招聘して
製作技術を取り入れ、F-5号飛行艇として横須賀航空工廠、
呉の広廠、愛知航空機で62機が生産されています。
F5号艇
これが日本海軍における最初の制式飛行艇であり、さらには
日本で本格的に製造された初めての飛行艇であったことは特筆すべきでしょう。
PHは米国海軍と沿岸警備隊によって少数購入されました。
1944年まで沿岸警備隊によって対潜水艦や捜索救難任務に使用されました。
コンソリデーテッド Consolidated P2Y-1 1932
長く細長い機体にユニークな翼。
卓越したアレンジのP2Yーフライングボートは1941年まで
部隊配置されて活躍しました。
エンジンが翼の上部に設置されるという形は以降のバージョンに継承されました。
この写真は、パトロール中隊10のP2Yのテイクオフの準備が整ったところで、
後ろに第一次世界大戦のビンテージである「フォースタッカー」
=fourstacker(4本煙突の)駆逐艦が映り込んでいます。
バーリナー・ジョイス Berliner Joyce OJ-2 1933
コーネル大学とMITで航空工学を学んだヘンリー・バーリナーが創設した
バーリナー・ジョイス社が作ったアメリカ海軍初期の偵察機です。
モデルは当時の水上機用カタパルトに設置されている状態です。
OJは、陸軍での運用にも容易に対応し、400馬力のエンジンと、
オープン、あるいは密閉型の2種類のコクピットを備えていました。
機体は全て金属で構成され、それをファブリックでカバーしていましたが、
翼のパネルだけは木製でできていました。
OJの総生産量は39機で、2機が巡洋艦「オマハ」に装備される形で
1933年から1935年までの2年間だけ運用されていました。
タイプ「サンディエゴ」
タイプは全部で三作られ、事故で喪失したのは4機だけ、
さらに事故によって失われた人命はゼロという珍しい飛行機です。
コンソリデーテッド Consolidated XPB2Y-1
コロナド Coronad 1937
コロナドという名前はサンディエゴの海軍基地から取られたのだと
そこに行ったことがあるとすぐに気がついてしまいますね。(自慢気)
巨大な4基エンジンを積んだコロナドは、1930年台半ばにできた
小型のP2Yとその後継のPBYカタリナ飛行艇から大幅な設計変更をしています。
それは引き込み式になった翼端のフロート、深い船体(機体)、そして
双発エンジンの先行モデルの2倍の総重量を特徴としていました。
砲塔その他の改良を加えられたPB2Yシリーズは、第二次世界大戦中
輸送用航空機として使用されました。
「ミッドウェイ」始め海軍を描いた戦争映画では必ずと言っていいほど
その姿を見ることができる水上機の代表選手です。
今でも現役で飛んでいる機体もあるくらいなので、映画の撮影に
楽勝で借りることができたいうのがその原因でしょう。
コンソリデーテッド Consolidated PBY-5A
カタリナ Catalina 1940
カタリナは第二次世界大戦中運用された軍用水上機のうち、
最も成功した機体であったといっても過言ではありません。
設計はアイザック・ラドン
ユニークな引き込み式、上に折り畳まれて飛行中翼端となるフロートという
超画期的な卓越したデザイン。
最大対気速度、高度は圧倒的というほどではありませんが、その射程、
耐久爆弾負荷、頑丈さ、そして第二次世界大戦中米国海軍及び
その他の連合国の主要な哨戒爆撃任務を広範囲に実行する能力がありました。
3000機以上のカタリナがアメリカ、カナダ、そしてソ連で生産されています。
ちなみに、日本海軍の水上艇、二式大艇航空隊の司令官だった日辻常雄少佐は、
PBYに乗艇した経験を持ち、
「二式大艇と比べ飛行性能は圧倒的に劣るものの、ポーポイズ現象が無く
離水も簡単で機内はガソリン漏れの心配が無い」
と評価したそうです。
これって二式は機内でガソリンが漏れることがあったってことですかい。
それにしても「圧倒的に二式の性能が上」ってすごいですね。
戦後二式(コードネーム『 エミリー』)を接収して飛行実験した米軍も
その性能には驚愕したという話がありました。
米搭乗員の中では「フォーミダブル・エミリー」と呼ばれていたとか・・。
■ 偵察機
ヴォート Vought 02U コルセア Corsair 1926
複葉機のコルセアが存在するとは知りませんでした。
この名前を最初に使用したのは02Uで、地上から、あるいは
水上艦からオペレーションするために車輪がついているか、
あるいは水上艦搭載専門でこの写真のようにフロートを付けていました。
このコルセアはちょうどターンテーブル式カタパルトから発進したばかりで、
USS「ウェストバージニア」から哨戒任務に出かけるところです。
カーティス Curtiss 0C-2 ファルコン Falcon 1927
「ファルコン」という名前の複葉機もあったとは・・・。
偵察機ファルコンシリーズは偵察任務の他に戦闘機、爆撃機としても
1920年代に海兵隊で使用されていました。
F8Cとして知られている海軍と海兵隊のファルコンは、
空冷式ラジアルエンジンを換装したものです。
ファルコン
グラマン Grumman J2F-2 Duck 1937
ダックってもしかしたらあひるちゃんですか。
しかし変わった名前をつけるもんだ。
と思いつつ機体を見ると・・・これはアヒルとしか言いようなし。
というか前も同じことを書いた記憶があります。
フロートの形がなんともアヒルのくちばしチックな趣き。
ダックはグローバー・ローニング(Grover Loening)社の
水陸両用機とルロイ・グラマンのFFー1戦闘機の「幸せなマリアージュ」
の結果生まれた水上艇でした
ローニング
ローニングはドイツ生まれのアメリカ人で、コロンビア大学を卒業し
オーヴィル・ライトの会社で設計技師を務めた後、
独立して航空製造会社を興しました。
ルロイ・グラマンにとっても最初の水陸両用機JF-1は1934年に
ローニング OL シリーズに置き換えられています。
グラマン(結構悪人顔)
古典的な手法で作られたダックは実用性に優れ、ロジスティクス、
(物流)空海救助の役割を大いに果たしました。
胴体下部とフロートが繋がっている構造だったため、フロート内の空間に
燃料や貨物の他、並列のシートに2名まで人員を乗せて輸送が可能でした。
また、尾部には着艦フックを装備しており、空母への着艦も可能だったとか。
カーティス Curtiss 02C-1 ヘルダイバー
Helldiver 1929
第二次大戦時の軍用機の名前の多くは、その初代が
すでに複葉機として存在していたってことみたいですね。
カーティスのヘルダイバーはその名の通りダイビング・ボマー、爆撃機です。
(ただしヘルダイバーは地獄の降下者ではなくカイツブリという意味だったりする)
ファルコンでの成功はこの最初の有名なヘルダイバーにつながりました。
ファルコンを進化させたものがこの02Cであり、海兵隊の偵察機に採用されます。
冒頭写真はヘルダイバーのSBC-3で、1935年製作されたものです。
後半では初期のアメリカ海軍の攻撃機と戦闘機をご紹介します。
続く。
この写真はサンディエゴですね。向こう側の丘はポイントロマ(ロマ岬)で、左の巡洋艦がいる場所の更に左が今は空母が付いているいるコロナドのノースアイランド基地になります。
>コロナドという名前はサンディエゴの海軍基地から取られたのだとそこに行ったことがあるとすぐに気がついてしまいますね。(自慢気)
サンディエゴ空港の東側にInterstate 5(高速道路)が走っていますが、空港とI-5の間にConsolidatedの工場がありました。試験飛行(水上離発着)をするには、空港内を通って、空港と沿岸の道路を渡って、沿岸警備隊のすべり経由でサンディエゴ湾に出て、離発着していました。
空港の西側の沿岸の道路には、鉄道の踏切と同じような遮断機があって、昔は水上機が通る時は下がって、クルマは足止めされ、飛行機が渡って行く光景が見られました。「サンディエゴですね」と書いた写真には、そのすべりが写っています。Consolidatedの工場は今はGeneral Dynamicsになり、トマホークミサイルを作っています。
コロナドはサンディエゴ沖だし、カタリナもロングビーチ沖の島なので、南カリフォルニアシリーズですね。次回、サンディエゴ訪問の機会があれば、ぜひBalboa Parkの航空宇宙博物館に行って見て下さい。アメリカが作った(恐らく)最後の水上機(F-106戦闘機にスキッドを付けて水上機化した機体)があります。
>「二式大艇と比べ飛行性能は圧倒的に劣るものの、ポーポイズ現象が無く、離水も簡単で機内はガソリン漏れの心配が無い」
二式大艇は、当時の戦闘機よりも早く、爆撃機よりも遠くまで飛ぶという要求性能に従って開発されたようですが、ゼロ戦と言い、海軍の無茶ぶりに応じてしまえる日本人はすごいと思います。
ガソリン漏れというのは、燃料タンクのガソリンが気化してしまうということです。よくそれでも長距離飛行が出来たもんだなとちょっと不思議です(笑)
今のUS-2と形がほとんど同じなので、完成された形なんでしょうね。
え~っここに押し込められるんですか(´・ω・`) お客様じゃないんだから、と言われてもゾッとしませんね(特に着水着艦時)
>F-5号飛行艇として横須賀航空工廠、呉の広廠、愛知航空機で62機が生産
この間ようやく大和ミュージアムが再開しました。企画展が広工廠なので関連展示もありそうです。
カタリナと九九中艇はほぼ同じ大きさであり最高速は九九のほうが速く304キロで、カタリナは278キロでしたが実用性と耐弾性能が高く、離着水性能が良く傑作機として3,300機製造され、大活躍しました。九九は20機製造であり、大戦中期まで使用されました。
4発は反対に二式大艇の方がスピードは463キロ、コロナド361キロ、航続力7,400キロ対5,000キロ、防弾装置も良好、重武装、離着水性能も良好であり断然凌駕していました。二式大艇は輸送用の「晴空」を含め製造は131機でした。活躍しましたが戦闘機には叶わず、損害も多く、数機が残り、1機が鹿屋に保存されています。
参照 光人社佐貫亦男監修「日本軍用機写真総集」