ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成28年度 年忘れ映画ギャラリー

2016-12-29 | 映画

イベントなどへの参加が増えたため、一時ほど頻繁でなくなりましたが、
時間が出来たときには楽しみ半分で映画紹介をしています。

今年もわずかながらそんなエントリのために書いた絵を紹介して
恒例の年忘れといきたいと思います。

まず、年明け早々にご紹介した「亡国のイージス」

この映画はハマりましたねー。
どうしてもっと早く見なかったんだろうと悔しくなるレベルでした。

去年の年忘れギャラリーでは、

「本来より戦争映画は思想的色付けを避けることはできない」

とした上で、

「WGPを植え付けられた戦後レジームのおかげで持たされた
今日の日本の
いびつな国家観が、一人の自衛官の反乱によって露呈される、
という内容が、
いよいよ映画という娯楽作品上で語られる時代になった」

とこの映画を位置付けてみました。

日本の戦争映画というのはこれはもう贖罪と反省と、
「やりたくないけど戦争をやった」ということになっている軍人の
葛藤物語に成り果てているので(例:聯合艦隊司令長官山本五十六以下略)、
このようなテーマを語れるのは、もはや仮想戦記という方法しかないのかもしれません。

亡国のイージス後編 

この映画の魅力は絶妙なるキャスティングだと言い切ってしまいます。
主人公とも言える先任海曹の仙谷が真田広之というのは
「男前すぎる」という声もありますが、(原作では”鬼がわらのような顔”)
映画的イメージでは、もうこの人しかいないんじゃないかって気がしました。 

個人的にはヨンファ一味に殺されてしまう「いそかぜ」艦長の
衣笠一佐を演じた橋爪淳とか、反乱部隊に加わるも
途中でビビって弱気になる水雷士(谷原章介)なんかがよかったです。 

単なるキャラクターの好みですが。

原作を読んでいないと理解できないのが

『ヨンファの妹ジョンヒと如月行の海中での格闘シーンで、
なぜジョンヒは行にキスしたか』

だと思います。

原作映画共にどちらも熟読熟視?し、深ーくその事情を理解したわたしは、
おせっかいにも当ブログ上においてこの理由を蕩々と説明してみました。 

というわけで冒頭の絵はこのシーンを選んだわけですが、
この構図は最初の案でボツにしたバージョンです。

ヨンファの妹であり拷問で喉を潰されて聾唖となっている兵士
ジョンヒを演じたのは、韓国のチェ・ミンソという女優ですが、
この人、気の毒なことに日本の自衛隊映画などに出たというので、
帰国してからずいぶん韓国人から非難されたそうです。

本人は映画のスタッフは皆とてもよくしてくれたし、中井貴一に
ディズニーランドに連れて行ってもらったりしてすごく楽しかった、
などとと言ってたんですが・・・。

 

この後半のエントリの中で、わたしが

海上警備行動の趣旨は先制攻撃を受けた後も艦艇が生残することを
前提に成り立っていますが、現代戦では最初の一撃が全てを決してしまう、
つまり、「専守防衛」では勝てないという絶対的真理があります。

「その至極当然の理屈を野蛮だ、好戦的だと蔑み、
省みないで済ます甘えが許されたのが日本という国家」


であり、宮津が海幕長に

「なぜ無抵抗のうらかぜを沈めた!」

と罵られた時に返した、

「撃たれる前に撃つ、それが戦争の勝敗を決し、
軍人は戦いに勝つために国家に雇われている。

それができない自衛隊に武器を扱う資格はなく、
それを認められない日本に国家を名乗る資格はない」


という言葉は、日本の防衛の現場が縛られている絶対の矛盾を突いています。

と書いています。
今更自分で言うのもなんですが、本当、その通りなんですよね。

 

太平洋戦争 謎の戦艦「陸奥」

タイトルでいきなり「太平洋戦争」って喧嘩売ってんのかおい、
と「大東亜戦争派」の人たちが言いそうです。

太平洋戦争という言い方は、戦後GHQの統制下で生まれてきたもので、
アメリカにしてみると

ドイツ・イタリアと戦った大西洋戦争
日本と戦った太平洋戦争

であり、対日戦は「パシフィックウォー」だからですね。
しかし、この言い方だと中国はもちろんインド洋の戦闘は含まれなくなり、
セイロン沖の海戦はどうなる、という矛盾が生じてきます。

我が日本の主張からいうと大東亜戦争ということになり、当ブログにおいても
日本対連合国の状況においてはこの名称を使い、アメリカ側から観た場合には
世界大戦という名称を採用しています。

日本政府が閣議でこの名称を決定したとき、その定義は

 昭和12年7月7日の中国大陸における戦闘以降の戦争

であり、その名称は

「大東亜新秩序を打ち立てる」(つまり五族協和、西洋支配の排除)
 
に由来していました。
そういった理念のために戦うことを目的とした戦争だったのだから、 
それがそのまま名称でいいじゃないか、とわたしなど思うんですけど、
案の定これが戦後のGHQの統制で

「軍国的・国粋主義的」

であるという理由による使用禁止の処置を受けてしまい、
代わりにアメリカ側からの視点による「太平洋戦争」が押し付けられ、
新聞などの媒体を通じていつのまにか浸透してきています。

こういう経緯があるため、わたしの周囲の防衛団体関係者の中には
放送で「太平洋戦争」と聞いただけで

「何が太平洋戦争だ!」

と青筋立てる人がいたりするわけです。

余談ですが、先月ある防衛団体の会議で、太平洋戦争という呼称、
あれはいかん、という話題がでたその直後の講演で、演者の海将補が

「太平洋戦争において・・・」

と講演中言った瞬間、会場の空気が一瞬凍りました(笑)
まあ、普通の自衛官はこういうことまで意識していないものです。
いかなる政治思想も持たず、というのを宣誓していますしね。 

 

さて、タイトルの一言で大幅に紙?幅を費やしてしまいましたが、
この映画の「太平洋戦争」も深い意味があってのことではなく、
さらに右左思想はおそらくまったく関係ありません。

なぜならこの映画で語られる史実というのは戦艦「陸奥」の爆破だけで、
あとはそのシチュエーションを利用しただけのスパイ映画もどきだからです。

このタイトル絵で採用した彼らのセリフ、どれひとつとっても、
心ある人には突っ込みどころ満載、というものであることからも
この映画のトンデモ度がお分かりいただけるかと思います。

特に宇津井健のセリフ、

「海軍は陸奥を国民の戦意高揚のために使っている」

って、現職の海軍軍人はこんなこと絶対言わないよね。

謎の戦艦陸奥 後半 

戦後のこういうB級スパイ映画には怪しい外人がつきもの。
というわけで、この映画にはドイツ人でありながら連合国の
スパイもやっちゃってるルードリッヒという駐在武官が登場します。

ウィリアム・ロスというアメリカ人と思しきこの俳優、
全くドイツ人に見えないし、一言もドイツ語を喋らないのですが、
アメリカ映画に出てくる日本人って、真田広之、渡辺謙、田村英里子以前は
大概中国系か韓国系に妙な日本語喋らせてたからまあお互い様か。
(例:ファイナル・ カウントダウン)

だから、むしろ下手にドイツ語なんて喋らせないほうが、
実際のドイツ人からは反発されないかもしれません。

ドイツ人がこの映画を観た、あるいは観る可能性はほぼゼロだと思いますが。 

 

桃太郎「海の神兵」シリーズ

 

 

伝説的な戦時の日本アニメ、「桃太郎 空の神兵」を取り上げました。
最初は全部キャプチャしたタイトルだったのですが、しばらく寝かせるうちに、

「これは登場人物を人間に描き直したら面白いかも」

と考えて、やってみました。
この桃太郎隊長は、降下部隊指揮官なので、実際の指揮官であった
堀内豊秋大佐の当時の年齢が41歳だったことを考えると若すぎますが。

海軍水兵たちの帰郷

アニメの背景に自分で描いた絵をはめ込んでみました。
本編ではこの部分、手前から猿、熊、犬、雉と並んでお辞儀しています。 

アイウエオの歌

猿野くんが南方の子供たちに子供を教えるために「アイウエオの歌」を歌うシーン。
手塚治虫の作品「ジャングル大帝」は、明らかにこの映画をベースにしており、
本人もこの映画へのオマージュとして同じ状況(動物に言葉を教える)で
「アイウエオマンボ」を主人公に歌わせています。

ということは、「ライオンキング」は元をたどればこの映画がネタってこと?

この猿野くんは「普通のちょっと猿っぽい男の子」で描いてみました。

搭乗員の小鳥 

小鳥を飼っている搭乗員が出撃し、戦死するというシークェンスは、今の映画なら
使い古されていてもはや「パターン」ですが、このころにはそんなものありません。
手塚治虫はこのシーンに涙し、製作者の平和への希求を読み取り、その感動は
そのまま「こんなアニメを作りたい」という願望につながっていくのです。

原作の通り、うさぎっぽい(ってどんなだ)優しい顔のキャラを創ってみました。 

降下降下降下!

いよいよメナド降下作戦が遂行されることになりました。
一式陸攻に乗り込む隊員たちですが、重量級の熊が、猿と犬の間に
肩身狭そうに座り込むシーンを描いてみました。

この機内シーンとこれに続く降下シーンはこの映画の白眉です。

突撃と残酷表現 

アニメのキャラが敵にズブズブとナイフを突き刺す、というのが、
この映画が戦時の戦意高揚映画であるということに改めて気付かされます。

残されたこれだけでも十分過激なのに、海軍の検閲では残酷する部分が
カットされたというショックな事実を受けて、この項では
当時のアメリカにおけるポパイ、ディズニー、バックスバニーなどのアニメが
嫌日、侮日表現にまみれた作品を作っていたことを紹介しました。

どのアニメも、戦後の日本人はテレビで観ていた人気番組だったんですよね・・。

本シリーズでは最終章に

イエスかノーか!

というタイトルで、桃太郎というキャラが負わされた降伏調印のときの
山下奉文大将のイメージについて書いてみました。

「桃太郎 海の神兵」、わたしにとっても大変意味深い映画でした。

 

来年もこういった映画をご紹介していきたいと思います。

 

 

 



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2 Comments

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我らは無数であるが故に (mikaku501)
2016-12-30 00:47:07
シン・ゴジラの自衛隊描写は特技監督がシン・ゴジラと同じ樋口真嗣氏が担当した
「平成ガメラ3部作」と呼ばれる1995年〜99年の作品がルーツになっています。
例え怪獣といえど「向こうが攻撃してこない限り武力行使出来ない」この専守防衛体制が日本の致命的弱点となり、自衛隊が主人公であるガメラの足を引っ張り捲る
優柔不断の集団として描写されています。「亡国のイージス」より10年も早く問題提起
していたのです。平成ガメラがヒットしなかった為、さほど話題にならなかったのは、
在る意味不幸でした。
『ガメラ2 レギオン襲来』など完全に「自衛隊が準主役の戦争映画」でした、わざわざ演習場に街路や家屋のセットを建てて家屋の窓の向こうを90式が走っていくシーン等、実写ロケを敢行したこだわりが戦争映画の緊迫感を持って迫って来ます。満身創痍で辛くも勝利したガメラが飛び発って行くシーンでは、自衛隊員達が思わずガメラに敬礼してしまう感動的シーンもあります。20年前の自衛隊戦闘車両群の記録としても貴重です。
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mikaku501さん (エリス中尉)
2017-01-02 00:10:12
mikakuさんは特撮映画に造詣が深くていらっしゃいますね。
そのスペックについてだけでなく、自衛隊との繋がりについて深く考察されていますし。

専守防衛体制が、ゴジラとの戦いでネックとなったのが前作だとしたら、
今回のシンゴジラはそれをなんとか乗り越えるために・・・・
あの政府機関関係閣僚のハリウッド映画からは考えられない悠長な会議シーンとなったわけだ(笑)

それにしても、ガメラ2についてそんな風に伺うとぜひ観たくなりますね。
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