
メア・アイランド海軍工廠博物館の展示から、潜水艦関係を紹介します。
わたしが2年ほど前に見学したコネチカット州のグロトンが
「潜水艦のふるさと」
ということになっているのですが、ここメア・アイランドでもかなりの数の
潜水艦を建造しています。
というか、第二次世界大戦が始まってからは、潜水艦と潜水母艦しか
作っていなかった、といった方が正しいかもしれません。
それでなく、現役だった潜水艦の機能停止する作業もここで行われ、
例えばこれもわたしが見学したことがある史上初の原子力潜水艦
「ノーチラス」は、1980年ここでディコミッション(廃止)後、
コネチカットまで曳航され、グロトンで展示されているのです。
それにしてもサンフランシスコからコネチカットまでどこを通って・・・?
どう考えても西海岸を南下してパナマ運河しかないのですが・・・。
とにかく、メア・アイランドで建造されたディーゼル式潜水艦は27隻、
潜水母艦は4隻。
原子力潜水艦は1957年就役の「サーゴ」SSN583を最初に、
18隻を建造しています。(そのうち一隻は潜水艇『トリエステII』)
ここになぜか?メア・アイランドで廃止された「ノーチラス」(奥)と、
ここで最初に建造された原潜「サーゴ」の模型が一緒に並んでいます。
1950年代というのは、ディーゼルエンジンの潜水艦と、
原子力潜水艦の過渡期で、どちらもが同じ海軍で運用されていた時代です。
この時代からしばらくは、原潜とディーゼルボートの乗組員たちの間で
不毛な(しかし過渡期にはありがちな)対立が起こり、
「ディーゼルボート・フォーエバー」
なんてバッジが生まれたりしたということを書いたことがあります。
ですから、同じ新式のミサイルを、ディーゼルと原子力エンジン、
どちらの潜水艦もが搭載する、というようなことも起こったのです。
ニューヨークの「イントレピッド」博物館で、「グラウラー」という
ディーゼルエンジンの潜水艦を見学し、お話ししたことがあるのを
覚えておられる方もおられるかもしれません。
あの「グラウラー」が背中に積んでいた面妖なミサイル、あれを
レギュラス・ミサイル(Regulus )
といいましたね。
この写真の、潜水艦「グレイバック」 SSG574の甲板に見えているのがそうです。
そもそも「グレイバック」のSSGとは何を意味するかというと、
SSは「Submarine Ship」、Gは「Guided」
巡航ミサイル潜水艦(Cruise Missile Submarine)
で、つまりレギュラスミサイルという艦対地ミサイルを積み、
攻撃することを任務とする、ということでした。
このレギュラスミサイルについては「グラウラー」で述べましたが、
もう一度説明しておくと、あの!クルセイダーを生んだヴォート社が手掛けたもので、
レギュラスとは獅子座のα星の名前から取られました。
核弾頭を搭載し、二基の固体燃料ロケットブースターで発射され、
アリソンJ33ターボジェットエンジンによって飛行するミサイルです。
「グレイバック」は、史上初めて艦対地ミサイルを搭載した
歴史的なディーゼルエンジン潜水艦となりました。
ここには「グレイバック」の巨大な模型と、華々しい引き渡し式、
建造を手掛けた工廠ならではの工事中の写真などが飾ってあります。
この二つの円筒がどうなったかというと・・・、
この、艦首側の球二つですよ。
愛嬌があるというかなんというか。
「グレイバック」級2番艦だった「グラウラー」は、展示に際して
この部分から球をなくし出入り口にしてしまっていました。
うーん、こんなところから出入りしていたのかわたしは。
もっと変な写真をどうぞ。なぜ赤い。
それと、なんだかセイルが高くなってね?
と思ったのですが、ベトナム戦争に投入し、捕虜を救出するための
水陸両用潜水艦なるものにジョブチェンジしようとしたようです。
この変な二つの球は、レギュラスミサイル発射に必要だった、
というのはこれを見るとなんとなく分かりますが・・・。
どうもよくわからないのよね。この球の役割が。
レギュラスミサイルが海面に浮上しないと撃てない、ということと
関係ある、つまりミサイル誘導のためのものだと思うのですが。
どなたかこの球二つの役目をご存知だったら教えてください。
「グレイバック」の盾やハガキが飾られています。
ところで「グレイバック」ってコクチマスという魚のことらしいのですが、
なんか乗組員は勝手にクジラっぽいものを想像していたようですね?
マスとくじらじゃ全く別の生き物なんだが。
「?????」
この「グレイバック」のハッチカバーの前に立った時、
MALE DIE (男性死亡)
の文字に首をひねりました。
現地にはなんの説明もないので、家に帰ってからしらべてみると、
「グレイバック」は、1982年1月、フィリピンのスービック湾で
潜水訓練をしていた士官一人、兵4人の「フロッグメン」が、
「グレイバック」に戻るためにチェンバーの中で待っていたところ、
酸素が供給されずに意識を失い、排水仕切っていないチャンバー内で
昏倒し、溺れて死亡した、という新聞記事が出てきました。
一人のダイバーは、たまたまバルブに腕をかけていて、
水の中に倒れずに済んだため、彼だけが生き残りました。
死亡事故といえば、これだけのようですが、ハッチカバーがなぜ
ここにあり、このような文字が書かれているのかは分かりませんでした。
さて、
「レギュラスミサイルはディーゼル潜水艦と原潜、
どちらにも搭載されることになった」
と書いたわけですが、その最初でかつ史上唯一のレギュラスミサイル搭載原潜が
USS「ハリバット」 SSGN/SSN-587
でした。
左から2番目の写真は、
「キャプテンブルースは110本ほどのハリバットを釣りました」
というなんじゃそりゃあ、なお手紙だったりします。
そして、一番左には、
「ハリバット、シーウルフ、パーチェ、リチャード・C・ウルフは
海軍から特別な任務を与えられたスパイ・サブマリンだった」
と書かれています。
これは後で説明しましょう。
「オヒョウ」を意味する「ハリバット」が就役したのは1960年。
レギュラスミサイルを搭載するためにデザインされた初めての原潜でした。
レギュラスミサイルは、艦体を浮上させなければ発射できません。
結局これが弱点となって、ポラリスミサイルに置き換わるのですが、
「ハリバット」はレギュラスミサイルを搭載するため、
喫水線が大変高いのが特徴です。
これを見ればよく分かりますね。
この写真は、「ハリバット」が行なった7回のミサイル実験のものでしょう。
左がレギュラス1、右が速度などを改善したレギュラス2の模型です。
浮上しなければ発射できず、スピードが遅いので撃墜されやすい、
という弱点を補うために2をせっかく作ったのに、
ポラリスミサイルと比べると陳腐化は明らかだったため、
レギュラスミサイルは「ハリバット」に搭載されたのを最後に姿を消しました。
「ハリバット」記念グッズの数々。
「グレイバック」が強面なのに比べて、口からレギュラスを吐き出す
ハリバットくん(ヒラメみたいな魚?)が可愛いっす。
左、「ハリバット」の「キール・レイイング」が行われている写真。
倉庫の屋根の上から見ている工事関係者、リラックスしてますねー。
右側は初代艦長の経歴など。
そしてこれが「ハリバット」の潜望鏡。
左のケースには気圧計や進水式で使われた槌などがあります。
「ハリバット」は、1965年にSNGから「Guided」のGを無くした
SSN(原子力潜水艦)に変更されました。
そして、メア・アイランド海軍工廠でオーバーホールと改修を受け、
改修によって特殊任務艦として電子情報収集及び分析装置を多数搭載されました。
「スパイ・サブマリンになった」と書かれていたのはこのことです。
そしてその後真珠湾に戻り、太平洋艦隊及び第1潜水艦開発部隊に所属し、
1976年に退役するまで情報収集活動を続けていました。
アメリカが情報収集のための潜水艦を投入したのは、冷戦のためです。
「ハリバット」は、
オペレーション「アイヴィー・ベル」
(カムチャツカ半島からオホーツク海を経てソ連本国へつながる通信回線の盗聴)
CIAのプロジェクト・ジェニファー
(沈没したソ連潜水艦の引き上げの補助)
などを行いました。
ところで、レギュラス2は最初「ハリバット」に搭載するつもりでしたが、
ポラリスの方が優れているということになって1958年には廃止されています。
ということは、「ハリバット」は絶賛陳腐化決定のレギュラス1を
ずっと積んだまま哨戒を行なっていたということになるのですが、
それは「ハリバット」的には全く問題なかったんでしょうか。
最後に、この海軍工廠に残されていた、「ハリバット」の機関長だった人物の
感傷的なポエムをご紹介しましょう。
ハリバット 最後の航海
我々は家族も友人も置いてきた
太陽はゴールデンゲートに沈みつつある
自由と そして興奮の時間だ
今 ハリバットを最後の航海に出そう
その艦体は老いぼれ 装備はイカれ
彼女が最後にミサイルを放ったの遥か昔だ
六ヶ月をかけて我々は最後の準備をした
ハリバットは今最後の航海にでる用意が整った
海の上にいた九十二日間 なにが要求されたか
それらを全てやり遂げ 彼女は賞賛を受けた
今鐘が鳴る 歌が歌われる
ハリバットが最後の航海を行うこの時に
十六年の間 彼女は時として虐待された
出動に次ぐ出動に奔走させられた
彼女の乗組員がカリフォルニアの太陽を見ることは稀だった
そして今 彼らはハリバットに乗って最後の航海に出る
全てが終われば 我々は偉業を讃えてやろう
それをするのはただ 彼女の乗員だった栄誉ある者だけだ
長く 長く 航海を終える彼女のための鐘が鳴らされる
我々は忘れないだろう 彼女の最後の航海を
ワシントンはいう 彼女はもう歳だと
とても良い艦(ふね)だったのに 彼女の日はついに来なかった
装備はまだまだ現役で その外殻はまだまだ堅牢なのに
我々は彼女の最後の航海を この後もずっと覚えているだろう
ブレマートン(基地)で彼女は最後の年を過ごす
もし潜水艦が泣くことができるなら 彼女はきっと涙を流すだろう
だから最後に 精一杯楽しもうじゃないか
ハリバットと彼女の乗員たちの 最後の航海を
(´;ω;`)ブワッ
続く。
レギュラスミサイルはまんま日本海軍の潜水空母「伊400」のアイディアをコピー(伊400では航空機のところを無人のミサイルに置き換え)したものですが、伊400も航空機格納筒のハッチは丸くなっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%9B%9B%E7%99%BE%E5%9E%8B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6
ミサイル発射のためには浮上して、格納筒からミサイルを出さねばならない。これは致命的な欠点です。どんなに頑張っても15分くらいは浮上を強いられますが、その間に攻撃を受けても、潜航は出来ず、やられっぱなしです。
ポラリスのように弾道ミサイルではなく、まんま飛行機の巡航ミサイルなので射程も短い。ソ連を攻撃するにはかなり近付かねばなりません。そんな状況で15分間浮上を強いられる。これは危ない!
潜航しながら発射出来るポラリスミサイルは、存在を暴露することもありません。レギュラス廃止は当然でしょう。
この成功でダーター級攻撃潜水艦として1953年計画の「グレイバック」SSG-574を建造途中レギュラス。ミサイル搭載艦に変更、1958年竣工しました。前部上部構造物内に水密格納筒2基を並列の装備し、射程800㎞のレギュラスⅡミサイル装備予定でしたが開発中止でレギュラスⅠミサイルを搭載、ポラリス潜水艦出現まで戦略配備となっていました。1967年格納筒の収容能力を生かし、揚陸作戦用輸送潜水艦LASSに改造されました。
1955年計画のレギュラス・ミサイル搭載艦は「グラウラー」SSG-577で「グレイバック」とほぼ同様の準同型艦でした。ただレギュラスⅡが大型のため船台建造中の船体を切断、7m延長して格納筒を設置し、1958年竣工しました。1964年ポラリス潜水艦登場までレギュラスⅠを搭載戦略配備されていました。
1956年計画「ハリバット」は通常型潜水艦予定でしたが設計途中で核動力艦に変更、唯一のレギュラス・ミサイル原潜として1960年竣工しました。レギュラスⅡ2基の格納筒のためレギュラスⅠ5基搭載可能でした。水中抵抗を減らすため内殻とは別の容積850㎥の水密格納筒を艦首艦内に埋没させ、前甲板には小さな瘤状の盛り上がりになっておりその後ろに発射台となっていました。
レギュラス・ミサイルはジェット・エンジンをウォーミングアップ後2基のロケット・ブースターで発射、マッハ0.9で飛翔させるため浮上しなければなりません。
しかし全没状態から浮上してミサイルを発射し、再び全没するまでの所要時間は7分であり、その間に敵に発見される危険は大きいものの注目に値する戦略艦でした。
要目
「バーベロ」SSG-317 1944年竣工、1964年標的処分
基準排水量水上1,526トン、水中2,424トン、全長95m、幅8.3m、吃水4.6m、デイーゼル・エレクトリック推進2軸、水上5,400馬力、水中2,740馬力、水上20.25kt、水中8.75kt、53.3㎝魚雷発射管10門、レギュラスⅠミサイル1基、安全潜航深度91m、乗員80~85名
「グレイバック」SSGー574 1958年竣工 1967年LPSS 1984年除籍
排水量水上2,670トン、水中3,650トン、全長98.2m、幅9.1m、吃水5.3m、デイーゼル・エレクトリック推進デイーゼル3基、電動機2基、2軸、水上4,200馬力、水中3,060馬力、水上15kt、水中12kt、53.3㎝魚雷発射管8門、レギュラスⅠミサイル4基、安全潜航深度213m、乗員84名
「グラウラー」SSG-577 1958年竣工 1980年除籍
排水量水上2,540トン、水中3,515トン、全長98.8m、幅8.2m、吃水5.8m、デイーゼル・エレクトリック推進デイーゼル3基、電動機2基、2軸、水上4,500馬力、水中5,600馬力、水上15kt、水中12kt、53.3㎝魚雷発射管8門、レギュラスⅠミサイル4基、安全潜航深度213m、乗員84名
「ハリバット」SSGNー587 1960年竣工 1964年以降攻撃型とされ晩年はDSRV実験艦 1986年除籍
排水量水上3,846トン、水中4,895トン、全長106.7m、幅9.0m、吃水6.3m、WH型S3W原子炉1基、蒸気タービン2基、2軸、6,600馬力、水上15kt、水中14kt、53.3㎝魚雷発射管6門、レギュラスⅠミサイル5基、安全潜航深度213m、乗員111名
参照文献海人社「世界の艦船」No567
格納筒の蓋ですが油圧で上部ヒンジで上に持ち上がる形式となっており、おのおのに整流覆いが付けられており、レギュラスⅠミサイルを取り出した写真では90度上に開いた蓋とともに整流覆いも持ち上げれています。また就役の時の写真には整流耐圧覆いが写っていますがその後後側の覆いを取り外したようで蓋がそのまま露出しているようです。耐圧殻となっており、蓋と格納筒は潜水艦の潜航深度と同様の耐圧が必要です。また油圧での上部跳ね上げでは蓋の重量は軽量が機構状要求されます。
扁平の板でその深度圧で変形しないためには相当の厚さとなり、また骨を入れて荷重に耐える構造としてもしても複雑となります。
凸型とすることにより力学的にも蓋と本体のあたり面の圧着が確実となり変形し難くなっています。たが加工が難しく、圧力の高さでどのような形とするか計算や検討が必要となります。重量削減ともなります。ポラリスミサイルの発射筒の蓋や潜水艦のハッチ等も凸型となっています。一斉開鎖のハンドルを付ける事や内部容積の増加からも都合がよいです。
「グレイバック」の蓋がおいてダイバーの事が書いてあるのはダイバーの出入口となっていたためではないでしょうか?
ポラリス潜水艦は「ジョージ・ワシントン」級が5隻1959年から1961年に竣工し、1961年7月には水中発射に成功しており戦略パトロールにはその後しばらくしてついたと思われるので、レギュラスⅠミサイルは数年で必要なくなったのではないでしょうか?
SS-1「ホランド」はクレセント社、1900年、その後クレセント社、ユニオン社、フオァ・リバー造船所、ニューポート・ニューズ造船所、モラン社、クランプ造船所、レイク社、エレクトリック・ボート(のちゼネラル、ダイナミックス)、インガソル造船所等が建造所です。
海軍工廠としてはポーツマスが多く、メアイランドがその次でボストンも2次大戦末期「テンチ」級を数隻建造しています。
原潜となって「ノーチラス」「シーウルフ」はEB社、実用原潜となった「スケート」級4隻はGD社1隻、P工廠1隻、MI工廠2隻建造でした。涙滴型となり水中高速化の「スキップジャック」6隻はGD社2隻、MI工廠1隻、NN社1隻、IG社2隻となりました。「ハリバット」はMI工廠、「スレッシャー」級も2隻、「ジョージワシントン」級1隻、「ラファイエット」級7隻、「スタージョン」級5隻で1972年竣工の「ドラム」が最終艦のようです。海軍工廠の縮小があったのでしょう。
「ロスアンゼルス」級はNN社とGD社でほぼ半々建造、「オハイオ」級、「シーウルフ」級は全てGD社、「ヴャージニア」級はGD社、NN社となっています。