ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

シック・ベイ〜空母「ホーネット」

2016-05-13 | 軍艦

空母「ホーネット」を見学するのはこれが3回目だったと思いますが、
このとき初めて見た区画がありましたので、お話ししておきます。

まずは、アラメダに繋留展示してある「ホーネット」外観。
今まであまり気をつけて見ていなかったので、この写真で初めて
博物館となっている「ホーネット」に入っていく入り口は、
ハンガーデッキの階に固定された艦載機エレベーターからだったと気付きました。

ニューヨークの「イントレピッド」は専用の通路が外側に付けられ、
艦載機エレベーターは甲板レベルに固定されていたのですが。
現在艦上に大型の荷物などを乗せるときには、奥のクレーンを使うようです。




このとき気づいた、「ホーネット」の時鐘。
キャットウォークの途中にあって、艦内に出入りする入り口が近くにあります。
鐘の内側が赤に塗られているのは当時からでしょうか。



前回までの報告で発表しそびれていたパイアセッキのレトリバー。
正確には

Piasecki H-25 Army Mule/HUP Retriever。

今の感覚で言うと変な形ですが、当時は理にかなっていたようです。
1949年から空母で海に落ちた航空機のレスキューのために導入されました。



お仕事中。

さて、今日ご紹介するのはこうやってレトリバーが救助したパイロットが
このあと運び込まれるであろう、「シック・ベイ」です。




廊下にはメディカルを意味する「MED」が刻まれています。
この一角を「シック・ベイ」と呼びます。
軍艦だけの名称ではなく、一般に船の医務室のことをこう呼びます。


ここではメディカル・オフィサー、つまり軍医が受け持つ区画のことで、
ここで実際に治療を行う軍医は4人、看護師の仕事を行う下士官兵が15人です。

この通路を進んでいくと、両側に医療施設が並んでいます。



メインの手術室。
その広さは、一般の総合病院のそれとほとんど変わることはありません。



手術台の上には今では使われることのない各種医療器具が無造作に乗せられています。
紙のコーヒーカップはわりと最近のものではないかと思われますが。



リンゲル液が開封されないまま吊られています。
中身は本物でしょうか。
昔はこんな大きなガラス瓶から点滴をしていたんですね。

向こうの壁には小さいながらシャウカステンが備えられています。
デジタル化が進んで、医療現場では現在フィルムレスが進んでおり、
空母などでももはやこのような設備は使われていません。

無影灯にはいくつもの予備があるみたいですね。



調剤室ではないかと思われます。
空母には専門の薬剤師も勤務して調剤を行いました。
もちろんこれは空母ならではで、エスコートの駆逐艦などに傷病者が出たら、
全て空母のメディカルルームに搬送され治療が行われました。



顕微鏡や試験管などが作業中のようにディスプレイされています。
黄色い薬のビンは現在スーパーで買えるサプリメントのものですけど(笑)



小さい部屋ですが、なんと眼科がありました〜!
軍艦になぜ眼科が?と不思議に思われるでしょうか。
実は、艦載機を搭載する空母には必ず眼科があり、
パイロットは定期的に眼の検査を行う決まりになっていたのです。

我が海軍の空母ではちょっと考えにくいくらいの待遇ですね。
もっとも、視力は圧倒的に日本人パイロットの方が良かったようです。

「訓練して昼間に星が見えるようになった」「飛んでいるハエを捕まえた」
という怪しげな伝説を持っていた有名な某零戦搭乗員もいましたし、
戦後、アメリカ人パイロットにコクピットで「見張り競争」を挑まれた
日航の元零戦搭乗員によると、いつも負けなしで


「随分と掛け金のドルを稼がせてもらった」

ということでした。
日本人の瞳は色素の関係でサングラス無しでも割と平気、とは言いますね。




どれどれ、アメリカ人ってどんな視力検査表を使っているのかな?
「C S V Z N R H 」・・・・・・・全部アルファベットではないですか。

これだと字の形でわかってしまうかもしれません。(I とか)
輪のどこが切れているか指で示させる日本式のほうが正確に測定できそうです。

眼球検査台の手前にある本は色盲検査の本のようです。



なんと、手術室がもう一室ありました。
万が一事故が起こった場合、緊急を要する手当を行うのは
たいていの場合複数人数だったりするのが軍艦だからですね。

大量の消毒されたタオルと、手術着が吊ってあります。



これはどうやらレントゲン写真を現像する暗室のようです。
それにしても船に暗室が・・。
「宗谷」も暗室になる部屋がありましたが、あれはあくまでも
窓がないので暗室に使うこともできる、というものだったし。



奥のケースはおそらくフィルムケース、手前はレントゲン写真を貼るフォルダーでしょう。



最初の診察はここで行われたのかもしれません。
タイプライターにダイヤル式の電話、時代を感じさせます。
電話の後ろには使われないまま束で残ったタイプライター用紙。



当時からここに備えられていたらしい 「ルイス・プラクティス・オブサージェリー」、
検索すると、今でも古書で購入できることがわかりました。

1943年の発行ですが、空母」「ホーネット」は1943年11月に、帝国海軍の攻撃によって

南太平洋海戦で沈没した先代「ホーネット」に変わって就役した空母なので、
就役した時最新刊であったこのシリーズがいち早く搭載されていたものと思われます。

左の棚の赤い本は真菌性および細菌性感染症の医学書です。



こちらも診察室のようですね。
壁に貼られた大きな骨格の絵が、あまり実用的ではないですが、イケてます。

 

検査室並び処置室と見た。
縦型のベッドは例えば脚のギプスを巻く時などに便利。
奥の体重計のところにはたくさんの松葉杖が用意されています。



「COMBAT DRESSINGS」とはなんぞや。

これで検索してみると、ドレッシングというのが包帯を巻くことらしいことがわかります。
(このときまるでトラウマになりそうな”War wound"の写真まで出てきてしまいました)

この缶には止血や固定のために巻く包帯のロールが入っていたようですね。
古物を扱うサイトでこの缶が159ドルで売られているのを発見(笑)

黄色い缶は血圧測定器でしょうか。





心電図計とその測定された記録紙。



まだ部屋があります。
ここはレントゲン室だったようですね。
今のレントゲンは画像が写る板(何て言うのか知りません)の上に
直接患部を乗せ、上から撮影するという仕組みですが、
このころのフィルムはどこかに装填してあったと思われます。

 

撮影台の上に防護エプロンが置いてありますが、これは現在のと同じ。
「ホーネット」が参戦してからはアメリカはほとんど優勢な状態であり、
「マリアナ海の七面鳥撃ち」といわれたマリアナ沖海戦のあとは
マーシャル諸島に錨を打って、沖縄や台湾の攻撃、「大和」への艦載機での攻撃と、
ほとんどこのシック・ベイを医官が走り回るような状態はなかったはずです。

唯一の重大な被害といえば沖縄で台風に遭い、飛行甲板前方を
約25フィート破損したというくらいのものでしょうか。

日本が優勢だったころに沈められてしまった先代「ホーネット」の遺恨を

マリアナ沖や「大和」への攻撃で晴らしてやった、と乗員たちは自負していたでしょう。

「ホーネット」は第二次世界大戦中、日本との戦いにおける戦功で
7つの従軍星章を受章、殊勲部隊章を与えられる9隻の空母のうちの一隻でした。




見学を終わって車に戻る時に見かけた団体のバス。
何だろうと思って調べてみたら、オークランドにある男子専門コーラス隊で、
いわば「アメリカのウィーン少年合唱団」であることがわかりました。

超関係ないですが、せっかくのご縁なので彼らがあの
「アメリカズ・ガット・タレント」に出た時の映像を貼っておきます。

 Pacific Boychoir on America's Got Talent


この日はみんなで「ホーネット」見学に来ていたみたいですね。 

 

昔アラメダに海軍基地があった時、このLTV A-7 Corsair IIがあるのが
ちょうど基地の入り口にあたるところだったようです。

実はここには海軍博物館というのがあるにはあるのですが、土日しかやっておらず、
行きたいと思いながら今まで果たせませんでした。
この夏には思い切って訪ねて、ここでまたお話できればいいなと思っています。






 



最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
確かに彼ら眼が…… (鉄火お嬢)
2016-05-13 10:06:10
視力の話、確かに頷けます。ヨーロッパ系の友達かなりいますが、特に瞳の淡い色の北国系は、色々な場面で日常、彼らの目の弱さを目撃します。今ちょうどベルリンフィルが来てて友達を昼御飯に案内しましたが「サングラス忘れた、4月5月の日本は、晴れるともう目を開けてるのが辛い、目が痛い」ともうショボショボ。日光が少ない国から来たからかなあ。我々日本人は瞳に天然サングラス兼PLフィルター常備、便利(笑)
パイロットの視力維持の努力は大変なもののようですが、日航かANAか忘れましたが、近くと遠くを交互に見て、ピントの精度を上げる「目の体操」を紹介してました。しかし動体視力とか、物理的な視力というより探知力というか、カメラマンも一緒で、広い空間で同時進行で色々起こっているとき、瞬時に優先する被写体や事象を、まるで高々度からワシが獲物を見つけるように、発見するのです。目の使い方、筋力とか神経の反応も、鍛えられるんだなあと思います。
返信する
揺れない! (雷蔵)
2016-05-13 12:09:25
この船は揺れないんですね。キャスター付の丸椅子がありますが、海上自衛隊の船の椅子にはキャスターはありません。代わりに、床に固定するための金具が付けられるようになっています。
返信する
暗室 (佳太郎)
2016-05-15 00:18:13
空母だと偵察写真の現像もするでしょうから暗室はありそうですね。
大鯨はのちのち空母に改装することを見込んで空母用の設備が先行して設置されてたみたいですが、暗室もその一つだったみたいですね。技官の人がそこを利用して大鯨の写真を撮って現像していたようです。
返信する
皆様 (エリス中尉)
2016-05-15 09:40:24
鉄火お嬢さん
>日光が少ない国
それはあるかもしれませんね。南方系の人って瞳が大抵黒くて日差しに強いですから。
アメリカ人といってもヒスパニック系はやはり日差しに強いです。
サンフランシスコは夏でも曇っていて寒いことがよくありますが、曇っていても
紫外線は降り注ぐので、日本人でもサングラスをしないと辛くて仕方ありません。

ベルリンフィル来てたんですね。
彼らが日本に来ると「お小遣い稼ぎ」に出演するドイツ人経営のレストランが
この間まであったのですが、閉店してしまったようです。
こんなことなら閉める前に行っておけばよかった・・。

雷蔵さん
「いずも」でもキャスターありませんか・・・。
ロナルド・レーガンに乗って思ったのですが、台風でもない限りまず揺れませんね。
あの大きさの空母の安定性は驚くべきです。
キャスター付きの椅子があっても不思議ではありません。

佳太郎さん
まあ艦は光の入らない部屋がほとんどですので暗室の設置に困ることは
まずないと思われますが、それだけのスペースの余裕があったってことですね。
大鯨も空母になるくらいですから暗室の場所には困らなかったのでしょう。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。