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コニングタワーは立ち入り禁止〜潜水艦「シルバーサイズ」

2023-01-24 | 軍艦

さて、潜水艦「シルバーサイズ」を前部から順に見学し、
3番目のコンパートメントであるコントロールルームまできました。
今日はそのコントロールルームの上に当たる部分です。

冒頭のメーターは、バラストタンクの状態を表すもので、
「メインバラストタンク」「燃料バラストタンク」
などと書かれており、単位はタンクの圧力を表します。


■コニングタワー(司令塔)



コニングタワーはコントロールルームの真上、セイルの下です。
全体図を見ればお分かりのように、司令塔の床は、
外甲板とほぼ同じ高さとなっています。


コニングタワーには天井と床二つのハッチがあります。



その中って、確かこんなだった気がするんですが。
もうすっかり物置と化しています。
まあいいや。よくないけど。

司令塔のコンパートメントは幅およそ8フィート(2.4m)、
長さ15フィート(4.57m)の円筒形とそこそこの広さですが、
6〜8人が任務を行うのには窮屈なくらい、機材で埋め尽くされています。



そこは、コルクで裏打ちされた湾曲した白い壁(衝撃防止かな)
を除く、ほとんどの全てが灰色にペイントされていて、
各種ケーブル、チューブ、ゲージ、スイッチ、ライト、
何にするのかいちいちわからなくらい難解なガジェットがあります。



前方魚雷発射室に一番近い部分、つまり前方エンドには、

「プライマリー・ヘルム・ウィール」(主舵輪)

があります。

潜水艦の操舵室には窓はなく当然外は全く見えません。
その代わりその前には彼らが必要な全ての機器が備えられています。

方向、速度、水深を測るためのジャイロコンパスレピータ、
艦内インターフォン、およびアラームなどなど。

そして操舵手の右肩の上にはブリッジに続くハッチがあります。
映画で急速潜航の指令が下ると乗員がだーっと降りて行きますが、
それこそがこのハッチなのです。

しかし、残念ながらわたしが見学した時、
コニングタワーの内部に入ることはできませんでした。



制御室にあったパネルが確認するための唯一の写真です。

潜望鏡の向こうに地図のためのテーブルがあり、
右側の赤いものが魚雷の「トリガー」です。


こここそ、潜水艦の頭脳みたいなところなので是非見たかったのですが。
潜望鏡を見ることができないなんて、あんまりですよね。

■ TDC(トルピード・データ・コンピュータ)

さて、コニングタワーにはレーダーがあり、
当時全てのアメリカ軍の戦闘艦が搭載していたコンピュータもありました。

魚雷データコンピュータ(TDC)は、
潜水艦と目標の位置を追跡する冷蔵庫サイズの機器で、
潜水艦のとターゲットのポジションを追跡することができます。



これは「シルバーサイズ」と同型艦の、サンフランシスコの
USS「パンパニート」のコニングタワーです。
TDCは写真の一番左にある機器です。


こちら「シルバーサイズ」。
左端がTDCです。

TDCは、潜水艦、ターゲット、魚雷の同時運動の問題を解決し、
発射のための情報を下方の魚雷室に連続的に送り込みます。



魚雷のジャイロスコープには適切な方位が設定されるので、
魚雷を発射すると、搭載したジャイロが魚雷を所定の方位に向け、
ターゲットへの直線コースを保持します。

TDCは当時の最先端技術であり、誰でも操作できるわけではなく、
三角法の言語に堪能な、熟練のオペレーターが必要とされました。
(それで大学専門卒の予備士官が必ず乗っていたんですかね)

潜水艦の動きからのデータは、オペレータが
ターゲットの動きに関するデータをプログラムしている間、
自動的にコンピュータに送られます。

その際、レーダーやターゲットが艦橋に搭載しているトランスミッターなど、
オペレータはさまざまなソースからその対象を選択できます。

レーダースコープ(パネル写真TDCとハンドルの間)
の上には魚雷表示パネル(トルピード・インジケーター・パネル)があり、
これらの点滅式パネルは、前後方の魚雷発射管の状態を示します。

発射する魚雷がここで選択され、パネルに
「発射準備完了」
と表示されたら、トマト缶のサイズの赤い発射ボタンを押して、
電気の力で魚雷を発射することができます。

もし電子システムが故障したとしても、
魚雷は魚雷発射管からマニュアルで発射できる仕組みでした。

コニングタワー・コンパートメントの後端には、
地図作成ナビゲーションテーブルと推測航法アナライザーがあり、
ナビゲーターは、プロッターが速度と方位に基づいて
ボートの経路を自動的にトレースするのを見ることができました。


■ ソナーと潜望鏡

ソナーユニットはコニングタワーの後方左舷側にあります。

爆雷検出パネルは、ボートの外側に設置された水中聴音機によって
検出された爆音を拾い、爆弾を回避するための最適のコースを決定します。

コニングタワーの写真をもう一度ご覧ください。

ソナー前方には二つのDC電気モーターとケーブルアセンブリがありますが、
これはビールの樽ほどの大きさで、潜望鏡を上げ下げするためのものです。

また、中央には、直径10インチの光沢のあるステンレス鋼のパイプが
垂直に走っていますが、これが潜望鏡のチューブです。

潜望鏡の通された穴は艦体を縦にどこまでも深く続いており、
コニングタワーの二階下であるポンプ室のネガティブタンクまで達します。

「シルバーサイズ」の場合、前方の大きなペリスコープは探索用、
その後ろには近接作業用の小さなスコープもあります。

潜望鏡を上げ切った時、潜望鏡は65フィートの
「ペリスコープ デプス・トゥ・キール」に十分な高さとなるのです。



潜望鏡が貫く艦体を縦切りして見るとこんな感じ。
ペリスコープ・ウェル、潜望鏡井戸の高さは潜水艦とほぼ同じです。


■ コニングタワーの役割

コニングタワーとは、強いていえば攻撃の神経中枢といったところです。

ここに勤務する乗組員は、敵であるところの日本の艦船に忍び寄り、
それを時には何日にもわたって追跡するために、気の遠くなるほど長時間、
湿った、澱んだ空気と茹だるような暑さと、彼ら自身の体臭()と、
そして汗、その他の体液と汚れに塗れていました。

わたしは今回、結局コニングタワーを見学することはできませんでした。
それは、博物館側が見学を特別なグループだけに限っているからです。

しかし、博物館は、このように胸を張ります。

「ここを特別に訪問することができた人は、
きっとこの任務に志願した海軍乗組員の献身に
心から畏敬の念を抱くことでしょう」


なんでも、ここへの立ち入りを禁止しているのは
安全上の理由なのだそうですが、
ぜひ、一生に一度しか来ることのない日本人にも、中を見学して
乗員の献身に畏敬の念を抱くチャンスをいただきたかった。


■ アタックセンター・アラーム


ところで、これはそのペリスコープウェル、
コンパートメント中央にある潜望鏡井戸の天井部分です。

「シルバーサイズ」の警報は色によって意味が違います。

赤は衝突、
グリーンは潜航と浮上、
黄色が総員配置(ジェネラルクォーター)


「潜航せよ!」
「戦闘準備せよ!」


などの攻撃センターからの命令は、艦内のスピーカーで放送されます。

そして、そのアクティビティに特化したアラームが鳴り響き、
命令が繰り返されるのでした。

その後、全ての乗組員が、ボートの現在の状態を
確実に把握した上で次の行動が行われたのです。


■レイディオ・ルーム



ところで、コニングタワーの下のコントロールルーム。
こちらはジェネレーターなどの機器が搭載。



壁にかかっているのは左が非常用のライトで、
右は各コンパートメントの電気スイッチだと思います。
家庭にもある配電盤みたいなものじゃないかな。


コニングタワー、魚雷室、艦橋などのオフ・オンスイッチ。
おそらく艦内放送の音声用だと思われます。

いずれにしても現在コードは切られていて、生きていない状態です。



レーダー電子機器のラックがこのコンパートメントの後端の中央にあり、
ここが無線室となっています。

巨大な黒い無線送信機と受信機が、小さな机の周りに配置されています。



このコンパートメントの最後にあったのが、
つい最近設置されたらしい、このプレート。

ウォーレン・スタインWarren Stein R.M.2の想い出に捧ぐ

第二次世界大戦中、
潜水艦U.S.S.「 プライス」
SS-390で乗務を行う

1923-1998

R.Mというのは、「レイディオ・マン」Radio Manのことです。

アメリカ海軍と沿岸警備隊の下士官で、
通信技術に特化した格付けですから、スタインさんは、
通信下士官だったということになります。

レイディオ・マンはメッセージの送受信の管理、
通信の信号の使用の責任者であり、潜水艦の場合、
一人でルーティングされたメッセージが艦のさまざまな部署に
適切に届いているかを確認する責任者となります。

また、暗号装置が正常に作動し、キーの変更が行われることを管理したり、
暗号や関連する電子機器の検査やチェックを主ないます。

ここにプラークでその名前を残されているウォーレン・スタインさんは、
「シルバーサイズ」での勤務をしたことはありませんが、
第二次世界大戦中「バラオ」級の「プライス」USS Plaice
レイディオ・マンを務めた経験がありました。


USS「プライス」
スタインさんはこの中にいたかも・・

この経験から、スタイン氏は、地元で展示される「シルバーサイズ」の
「レイディオシャック」(無線室)の復元に協力したのでしょう。

こういうかつてのベテランの無償の奉仕によって、
記念艦はかつてのままの姿を後世に遺していけるのです。



続く。




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3 Comments

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潜航指揮と操舵が別区画 (Unknown)
2023-01-25 05:50:25
先日のコントロールルームには、潜航指揮があったと思いますが、カニングタワーに水平舵があり、魚雷の弾道計算機(Torpedo Data Computer)や発射のための引き金があるということは、魚雷発射は、潜航中ではなく、水上航走中がほとんどだったのでしょうか。

弾道計算機へ入力される目標諸元にレーダーや眼鏡?からの方位距離情報が含まれているようですが、これらは潜航中には使えません。現代の潜水艦のように、左右だけでなく、上下と三次元の運動をしながら魚雷発射を行うとすると、潜航指揮と操舵室が上下で分かれていると、ややこしくなります。

潜航指揮と操舵が別区画というのは、戦闘だけでなく、通常航海でもやりにくい気がしますが、実際には、航海中、ほとんどの時間は水上航走だったので、それでもよかったのでしょうね。
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司令塔と発令所 (お節介船屋)
2023-01-26 09:50:04
この時代全般指揮は水上航行中は上部吹きっさらしの艦橋で実施され、潜航中はコニングタワー日本語で司令塔又はその下の発令所で実施されていました。
司令塔は戦闘指揮所で潜望鏡、縦舵操舵装置、魚雷発射装置、航海・通信関連装置が装備されていました。戦闘配置で司令塔内に詰めるのは艦長、航海長、砲術長、縦舵操作員等で一杯でした。

発令所に司令塔の機能を集約化したのは第2次大戦終了後しばらく経ってからでした。

その理由は技術向上で長い潜望鏡が製造可能となったこと、水中高速化のため司令塔を無くし、水中抵抗を少なくすること、また発令所と艦橋に中間に司令塔があれば急速潜航で艦橋勤務員が素早く飛び込み、司令塔ハッチを閉鎖し、急速潜航が数十秒で可能でしたが戦後は潜航航行が主流であり、急速潜航が不要となりました。

参照海人社「世界の艦船」No766
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ハワイに行きませう (ウェップス)
2023-01-26 11:21:33
司令塔(コニングタワー)に入りたいなら、ハワイのボウフィン博物館に行かれることをお勧めします。
ここでも実艦の司令塔には入れませんが、他艦の司令塔が陸揚げされており、これには入ることができます。
https://www.bowfin.org/outdoor-exhibits

二十年ほど前に案内人に「見せろ。俺は潜水艦乗りだ。」と言って無理やり案内させて、後で陸の施設に気付いた傍迷惑な日本人がいました。私ですけど(;^ω^)
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