
毎日毎日蒸し暑い曇りがちな日が続いていたものの、
一雨ごとに気温が下がっていって、ついに
「今日から秋になった」
とはっきりと思った日、わたしは横須賀に赴きました。
コンサートがあることすら前の週まで知りませんでしたが、
チケットを手にいれた人から一枚譲っていただき、2月末の定演以来
半年ぶりで聴く横須賀音楽隊の演奏です。
前隊長樋口好雄二等海佐が8月29日付で東京音楽隊長になられ、
新隊長である植田哲生三等海佐を擁しての(多分)初めてのホールコンサート。
「ふれあいコンサート」という名前ははっきりいってイマイチですが、
ジャズやポップスという軽いナンバーで一般市民と音楽がふれあう、
そんな機会にしようという試みなんだと思います。(多分)
さて、コンサートの日、よこすか芸術劇場の下に車を入れるため、
異常に早く到着したわたし。
ホテルメルキュールの喫茶で早い食事を取ることにしました。
横須賀のホテルだけあって、カレーに力を入れていて、
「海軍カレー」「海自カレー」「ホテルオリジナルカレー」と、
なんと3種類のカレーがメニューにありました。
そこでためらいなく頼んだ海自カレー。
「ゆうぎりカレー」だそうです。
こだわりポイントは隠し味にコーヒーを使っていること。
海自カレーを注文したら、サラダと一緒に牛乳がきました(笑)
「牛乳もセットなんですか」
軽く驚いて確かめると、
「海軍カレーには牛乳が付き物でございます」
そ、そうだったのか。ってかこれ海自カレーなんだけど。
海軍カレーといえば、レストランでこんなものも売っておりました。
進ちゃんとはもちろん小泉進次郎議員のことですが、これ、もちろん
本人に許可とってるよね?
パッケージの隅にいるこの人は誰。
海軍カレーなのに進ちゃんもこの人も海自の制服なのはスルーで。
実はわたしが現地に着いたのは3時半。
念のためホテルの前にホールの様子を見に行ってみたのですが、
・・・・・いるよ。もう並んでる人が。
今にして思えばこの日は入った順番で席を選べたので、
こだわる人は2時間前から並んでいたんですね。(椅子とシート持参で)
わたしは東京音楽隊の時のように、席番号とチケットを引き換えるのだと
思っていたので、早くから並んでもねえ、とご飯を食べに行ったのですが、
5時に戻ってきてみたらもう人がてんこ盛りに並んでいるではないですか。
それでも1階席の後ろの方に席を確保することができたので、
パンフレットを椅子の上に置き、ロビーに出て時間をつぶしました。
ロビーには自衛隊の活動についてのパネルがちょっとだけあり、
入隊に関する資料が並べてありました。
そういえばこの日、呉に「しらせ」がいて行事があったという話を聞きましたっけ。
「しらせ」に女性隊員が乗り組んだのは今回が初めてだったそうです。
医官一人を含む10人が、第57次航海に参加していました。
さて、そんなパネルを見て席に帰ってきたら、なんと。
確保しておいたはずの席に見知らぬじじばば、いや老夫妻が座ってるのです。
「あの・・・この席、プログラムが置いてあったはずなんですが」
すると、二人ともこちらに目も合わせず、じじの方が即座に
「なかったよ!」
と吐いて捨てるように答えて、そっぽを向きました。
そのあまりのレスポンスの良さに、これは気づかなかったことにして
ちゃっかり席を獲ったんだ(つまり故意犯)と確信したわたしでした。
自衛隊のイベントでは、こういう不愉快なことがよくあるわけだけど、
その主原因が必ず団塊世代なのは何故なんだぜ。
しかし、そんな団塊に拘っている場合ではありません。
この時には多くの人たちがすでに席を取ってしまっていたので、
一目散に二階に上がって冒頭写真の席に座りました。
はっきりいってじじばばに取られた場所よりよっぽどいい席でした。
ざまーみろってんだ。
さて、いよいよコンサート開始です。
ヴィヴァ・ムジカ
Viva Musica!.Tokyo Kosei Wind Orchestra.
ブラバンの人だけが知っていて、また知らぬ人のないアルフレッド・リード作品。
「エル・カミーノ・レアル」という曲が特に有名です。
ちなみにロスアルトスには全く同じ名前の幹線道路があります。
「ブラスの愉しみ」ということで、ブラスらしい曲をオープニングに選んだのでしょう。
稲穂の波
ある意味最もブラスらしい曲として、コンクールの課題曲から一曲。
日本のブラスバンドはレベルが高く、こういう曲を中学からやってしまいます。
隊員の中には学生時代練習したことのある人もいたことでしょう。
バスクラリネットにスポットライトを
Spotlights on Bass Clarinet - Jan Hadermann
入隊して41年を横須賀音楽隊で過ごし、このコンサートを最後に
退官するバスクラリネット奏者(曹長)がソロを取りました。
ということは19歳から60歳までをここで過ごしたということなのですね。
どなたか存じあげませぬが、本当に長い間お疲れ様でございました。
バスクラというのは主役になることがなく、その楽器の特性上
ベースの音で音楽を支えるというのが身上ですが、 この曲では
題名の通り、バスクラにスポットライトが当てられます。
作者のヤン・ハーデルマンはベルギーの作曲家です。
てっきりバスクラ奏者だと思っていましたが、違いました。
依頼されたか友達がこの楽器を吹いていたのでしょう。
この曲を聴いて思いますが、やっぱりバスクラって
全編主役を張るのは無理がある楽器だなあ・・・なんて言っちゃいけないか。
タイム・トゥ・セイ・グッドバイ
Time to Say Goodbye 海上自衛隊 横須賀音楽隊『サマーフェスタ演奏会』
わたしが最初に三宅 由佳莉3曹の歌を生で聞いたのもこの曲でした。
サマーフェスタでの中川麻里子士長の映像がありましたので貼っておきます。
この映像でもドラマチックな高音を効かせてくれるまりちゃんですが、
この当日の演奏はホールの響きも効果的に作用し、もう圧倒的でした。
一つだけいうなら、レシタティーボ風の出だしの部分、
「くぁんど その そろ そにょ〜れぱろーれ〜」のところ、
もう少しゆっくりと、歌詞を聞かせてくれてもいいように思います。
ピアノ伴奏とかならともかく、ブラスなのでちょっと煩雑に聞こえるんですね。
余談ですが、サラ・ブライトマンのレコーディングでは
「け・あい・あっちぇーぞ」
の「け」の音が低くて、いつも「いらっ」とするわたしです(笑)
ドラゴンクエストによるコンサートセレクション
曲は初めて聞きましたが、悲しいことに全てのパートに聞き覚えがありました。
ええ、一時寝食を忘れてはまったことがありまして・・。
もちろん独身の時です。念のため。
さて、ここまでが第1部で、第2部はブラスジャズ・ポップとタイトルがありました。
A列車で行こう(ビリー・ストレイホーン)
でまずビッグバンドの雰囲気にぐいぐいと引き込み・・・・、
黒いオルフェ(ルイス・ボンファ)
でサンバを聞かせてくれます。
この曲、大好きで、ブラジル語ではなく仏語で歌えたりします(〃'∇'〃)ゝ
原題の「マーニャ・ジ・カルナバル」(カーニバルの朝)というニュアンスと
その内容から、オリジナルのボサノバで演奏されることが多い曲です。
それを、サンバ!
フルートがメインのメロディを担当しました。
リカード・ボサノバ
Manhattan Jazz Quintet-Recado Bossa Nova
「ザ・ギフト」という英題があり、英語の歌詞もあります。
大御所マンハッタンジャズクインテットの演奏でどうぞ。
おお!と思ったのは、皆さんソロがお上手なこと。
自衛隊音楽隊も世代交代してこういう耳を持った人が主流になったのか、
と感無量でした。
ジョージア・オン・マイ・マインド
特にすげー!と唸ったのはこのソロをとったアルトサックスのカオルくん。
(上の名前を忘れ、下の名前だけを覚えているので)
自衛隊のジャズチューン、特にレコーディングされたものを聞くと、
これ絶対アドリブじゃないよね?書いてるよね?という風味のソロが多いのですが、
カオルのソロは(なぜ呼び捨てw)そういうのとは全く違いました。
音色はとってもセクシー、アドリブフレーズ縦横無尽かつテンションパリパリ。
目を閉じて聴いていると自衛隊の制服を着ている人が演奏していることが
不思議に感じられるくらいイケてました。
マイ・フェイバリット・シングス
「サウンド・オブ・ミュージック」から「わたしのお気に入り」。
三拍子の曲をイントロではバラード風に、それからスピード感のある
ジャズワルツでぐいぐいとドライブしていくアレンジで、
ここでの主役はなんといってもまりちゃんの歌です。
イントロを声楽科出身独特の本格的な発声の英語で歌い上げたとき
正直この後どうなるのかドキドキしましたが、その後は
「薔薇の雫子猫のヒゲ」
「ドアベルとソリの鈴とシュニッツェルとヌードル」
てな感じの直訳の歌詞と英語を速いテンポに乗せてくりかえし、
それにカオルを始めイケイケのソロ軍団が絡むという趣向。
このアレンジはおそらく彼女の声を念頭にされたものだと思うのですが、
ラストをナチュラル9thのハイトーンで、まるでホーンのように終わらせたのには、
思わずあっぱれ!と感嘆しました。
なんかこういう終わり方が聴きたかった、という感じ。
スペイン チック・コリア
東京音楽隊の「スペイン」アレンジに関しては変拍子で数える
「1、2、3、1、2、3、4、5」の部分を
「1、2、3、4、1、2、3、4」
と普通にしてしまってつまらなくしてしまっていることと、
リフのメロディがオリジナルと違うことを
このブログで批評したという過去がございます。
海上自衛隊東京音楽隊/スペイン
リズムの件は「ドリルを行うから」という理由を聞いたのですが、
それではメロディが違うことには意味があるのか?と
しつこく突っ込んで嫌われた(にちがいない)わたしです。
この日もなんとなく覚悟(笑)していたのですが、なんと、
横須賀音楽隊、全く別のスコアを使っておりました。
考えたら別の組織なのだから当たり前かもしれませんが。
「スペイン」Spain 海上自衛隊 横須賀音楽隊『サマーフェスタ演奏会』
オリジナルにもある「アランフェス協奏曲」の部分をトランペットの
「たけちよ」というファーストネームの奏者が(こちらも苗字を忘れた)
原曲通りに吹き、リズムももちろんメロディもオリジナル通り。
リフ部分にはなぞの対旋律を独自にぶち込むという意欲的なアレンジです。
このユーチューブでは野外録音なので音質はイマイチですが、
カオルくんとタケチヨくんのソロが聴けます。
指揮しているのは転勤間近の前隊長樋口2佐ですが、樋口隊長は
この20日後に東京音楽隊の隊長になられたので、
東京音楽隊で「スペイン」をするときに例の部分をどうするのか、
わたしとしては(というかわたしだけが)大変気になるところです。
そして最後にまりちゃんがアンコールとしてJポップの曲
(わたしの知らない曲)を歌ってくれました。
わたしの隣にいた人が直接お話ししたことがあるらしく、
彼女が自分自身で、
「こういう曲(ポップス系?)が苦手なんです」
と言っていたと話をしていたのですが、この日聴く限り悪くなく、
いやそれどころか大変よろしかったと存じます。
何より場数を踏んで、随分歌手としてバランスが取れてきたと思えました。
立ち居振る舞いなどのステージングも含め、短期間に洗練されてきた、
というか、単純に言うとさらにうまくなったなあ、という印象です。
さて、そんなわけで存分に楽しんだあっという間の2時間。
自衛隊音楽隊のコンサートに行くと、「ふれあい」という名前の通り敷居が低く
親しみやすい構成で一般の人にも文句なく楽しめる内容でありながら、
ブラスバンドの魅力を遺憾なく発揮しているといつも思います。
内外に大変実力を評価されている横須賀音楽隊のブラスの音色に酔い、
これからもその演奏に注目し、応援していきたいと思ったひとときでした。
中川麻里子1等海士の歌声は、昨年4月のグランドヒル市ヶ谷での(プライベート?)ミニコンサートで、初めて聞かせていただきました。
ご出身の愛知県立芸術大学には無いようですが、最近の音楽大学には、ポピュラー・コースやジャズ・コースから、ミュージックコミュニケーション(?)なんてのもあります。若いうちから、クラブ活動などで違う専攻の学生と一緒に演奏したり、講義を受けたりされているようです。音大も変わってきていますので、「自衛隊音楽隊も世代交代してこういう耳を持った人が主流」になってきているのかもしれません。
コルトレーンのマイ・フェイバリット・シングスは最初に買ったレコードです。輸入盤が買えず、日本盤を待って買ったのですが、今初版の輸入盤を持っていたらと悔やんでいます。
大好きな歌の一つですので、凄腕のバックを従えた、中川1士の歌をぜひ聞いてみたいと、願っております。
ナチュラル9thのハイトーンって、どの音までお歌いになられたのでしょうか?hihiF、三点へ、f3、F6が、私が生で聞いた事のある一番高い歌声です。
ところで、不肖宮島の写真集や映画「ポセイドンの涙」:
http://www.is-field.com/poseidon/
で、本物の女優と間違われた、目黒(旧姓村上)渚2曹の黒いオルフェでのフルート・ソロはいかがでしたか?
中川1士が入隊されてからは、あまり歌われなくなったようですが、私は基礎がしっかりした渚様の歌声も大好きです。
阪神大震災の時には、家内は第二師団設営の入浴設備で番台をやっていました。誰もタオルなどを持っていなかったので、私が「お年賀」と書かれたタオルを、リュックに入れて運んでいました。愚息は、兵站機能の破綻だと怒っていました。
渚様がおおすみで入浴介助をされた時には、タオルが不足していなかったのか、いまだに気になっております。
しかし、熊本に行ってきた愚息は、以前とは全く違っていたと感心していました。同行した事務吏員は、何の役にも立たなかったらしいですが。
渚様のフルートやピッコロをお聞きになられたのなら、とてもうらやましいです。もし宜しければ、ピッコロのご感想もお聞かせください。
知らずに7月の豊橋「海フェスタ」護衛艦こんごう寄港時のコンサートの写真を送ったら、一足遅かったらしく、横須賀音楽隊の新隊長さんから礼状を頂きました。しかし東京音楽隊になら、樋口隊長さんとは以降も度々ご縁がありそうですね。
ジャズ・ポピュラーのコースがあるのは私大ですね。
愛知県芸は東京芸大、京都芸大と並ぶ日本の国公立芸大なので、
今後もそっちにはいかないかと思います。
わたしも最初に買ったCDはクラシックではなくコルトレーンでしたね。
「Say it over and over again」が聴きたくて「バラード」を買い、
何度もなんどもリピートして聴いたものです。
さて、黒いオルフェのフルートソロですが、渚様ではなくこの方でした。
https://www.youtube.com/watch?v=NC9dMhOINs8
この日はかっこよくフラッターなど使っておられましたね。
ピッコロお好きなんですか。
残念ながらこの日はピッコロの音にあまり意識がいきませんでした。
もちろん最後に必ず行われる行進曲軍艦にはピッコロ入っていますが・・・。
村上渚2曹は検索すると歌も歌っておられますね。
やっぱり管楽器奏者って歌の上手い人が多いんだなあ・・。
鉄火お嬢さん
はい。やられました。
防衛部隊を持たぬどさくさにやりたい放題の隣国に国有の目印を引っこ抜かれ、
以来不法占拠されたようなものです。
わたしも目印にプログラムでは弱い?と思ったのですが、席取りするのに適当な
「万が一なくなってもいいもの」がなかったんですよ・・・。
今までの自衛隊コンサートもたまたま今までご招待だったり席引き換え式で、
皆が目の色変えて席をとりあうなど生まれて初めてでしたし、
目印をどけてまで人の席を盗る(しかも一見まともそうな)人がいるということに
正直どんびきしてしまいました。
「無料」というのには何かと地雷がつきものということを改めて思った次第です。
それにしてもプロから写真を送ってもらったら自衛隊の方々もさぞ嬉しいでしょうね。
ジュリアードには、何回か訪れたことがありますが、京芸にも愛知県芸にも東京芸大にも、行ったことはありません。私学と国公立の芸術大学とは、雰囲気もかなり違うのでしょうか?もし、公開レッスンでも開催されれば、行ってみます。
本当は、私は、六本木ミスティの世代です。ドリス・デイが、本当に歌っていたのですよ。
黒いオルフェをご紹介いただき、誠に有難うございました。野外であの音をだされておられらのですから、会場では、かなりな迫力だったと思います。お名前は存じませんが、昨年4月の市ヶ谷など、何度かお聞きしたと思います。
目黒渚2曹は、まだ三宅由佳莉が入隊される前から、勝手にファンになっておりました。最近はピッコロもよく演奏されておられます。たぶん黒いオルフェのときは、ピッコロを担当されていたのかもしれません。歌はうたっておられましたでしょうか?
実は、ルール違反ですが、こそっとCDにNagisaとサインをもらって、宝物にしております。プライベートな演奏会だからか、上官(?)も許して下さいました。
お名前から、海自の官品女子だとの噂も聞きましたが、わざわざ音大まで行ってから、入隊するかね、との意見もあります。ご本人に聞けないのが残念です。社内結婚ですか、なども。私は幸いにも、辛うじてストーカーまでにはならずに済んでおります。
阪神大震災の際には、送別会もお礼のセレモニーもないままに、第2師団の精鋭は、誰にも気づかれずに、霧のように撤退して消えてしまい、ミャーミャー第10師団と交代されました。
申し訳なく思った家内は、個人的に第2師団宛てにお礼状を送ったところ、師団長から毛筆での立派なお返事に、師団の機関誌に転載する許可を求めてこられました。たぶん昔の「北の護り」のどこかに、家内の礼状が載っていると思います。
最近の、災害派遣の任務を終了した部隊に対しての、自治体や地元が主催して、ちゃんとお礼と送別のセレモニーをやっている報道を見るたびに、変わってきたものだな~と、感心しております。
たぶん、このブログも、そんな自衛隊の活動に対する社会の変化に寄与されているものだと、感謝いたしております。
わたしもあの宣伝写真をみて彼女を女優さんだと思っていたクチです(笑)
歌は中川士長の入隊以来歌っていらっしゃらないのではないですかね。
富士学校の音楽隊でも女性隊員が歌っていましたが、
やはり専属歌手がいればその人が歌うしかないでしょう。
結構お上手なのでもったいない気がしますけど仕方がないのかな。
それにしても佐久間さんがサインをもらうほどの熱心なファンだったとは。
知り合いの元海将のお嬢さんは音楽家です。
自衛官の子女であっても音大にいくという人は普通にいるわけですが、
彼女なり彼なりが卒業の時期になったとき、就職先として
両親の職場であった自衛隊を選ぶということは全く不思議ではないと思います。
ただし、最初から自衛隊音楽隊に入ろうと思って音大にいく人はあまりいないかもしれません。
阪神大震災で自衛隊が現地を引き上げるとき、ちょっとしたセレモニーが
被災者によって催され、代表の男性と隊長らしき方が抱き合って泣いているのを
映像で見たことがあります。
被災者がそのようなことを自主的に行ったところはあったようですね。
自衛隊の方とお付き合いしていて感心するのは、必ずお礼状を手書きされることです。
将官であっても現場で忙しい佐官であってもそれは変わりなく、
どうも自衛隊では民間人へのお礼の際には手書きで感謝を述べること、
と不文律で決まっているのではないかと最近思うようになりました。
そういう個々の自衛官の真摯な姿勢に触れるたびに、彼らに感謝し応援したいと思います。
私の方は、ワープロで打ったのを、仕事場の封筒に入れて、裏に自宅住所を記載して送ってしまっていたのに、エリス中尉にご指摘いただくまで、気付きませんでした。お返事のお返事を送っておきますが、私の自筆だと、自分でも読めません。
私が聞いた昨年春のコンサートでは、渚様も、何曲かうたっておられました。もちろん、プログラムの表紙は中川麻梨子1士でした。
よこすかカレーフェスティバル2015でも、中川麻梨子1士と目黒渚2曹のデュオがアップされています。
海上自衛隊 横須賀音楽隊 中川麻梨子1士&目黒渚2曹/アナと雪の女王 :
https://www.youtube.com/watch?v=M8iwMWOHibA
たぶん、その後は、歌っておられないようですね。機会があれば、フルートとピッコロを楽しみにするようにいたします。
阪神大震災の際には、旭川第2師団の精鋭達は、全く我々に気づかれないように、撤退されたのです。もちろん自治体は知っていたのでしょうが、いつ第10師団と交代するかなど、全く知らされませんでした。サッカーの相手をしてくれていた隊員達が、突然いなくなったので、子供たちも当惑していました。
ですから、被災者が自主的にセレモニーをすることすら、物理的に不可能だったのです。できるだけ丁寧なお礼状を差し上げるぐらいしか、できませんでした。もちろん、自治体からは、今災害派遣に来てくれているのは、どこの師団で、師団長はどなたで、師団司令部の住所がどこかなども、一切公表してくれませんでした。
怒り狂った家内は、師団司令部の住所を調べて、自分で勝手に、お礼状を送ったようです。実は、20年以上も経っていますが、家内は、自分が書いた礼状の内容など、私には絶対に教えてくれません。いつか旭川を訪れることがあれば、「北の護り」のバックナンバーを見せてもらいたいと願っております。
今まで懇意にして頂いた幹部さんに写真やお菓子などをお届けすると、ほんと律儀に手書きの礼状、中には艦のノベルティーを送って下さる方もいて、恐縮至極でした。海上さんは特に伝統的に「挨拶」は欠かすなと口酸っぱく躾られるようです。航空自衛隊の音楽隊隊長さんも、毎回丁寧な御手紙下さいました。総じて「皆さん、ご多忙なのに、よくぞ」と思うマメっぷりなのですが、まあ例外もあって、とあるお空の幕僚監部にいた方は、ずいぶん貰い物しても礼状一枚なく素っ気なくメール。友達が腹立ててましたが、お礼が欲しい訳じゃないけど、それ何か違うでしょと。まあ何となく幕で色々ありそうだったのも、要は上とか環境や過重労働のせいじゃなく、本人さんの資質というか人付き合いのセンスの問題かなあと。そのせいかその後に不本意な異動に遭ったようですが。こういう方はむしろレアケースでしたが。
海上さんで手書きで恐れ入るばかりの達筆の、さすがに毛筆は年賀状ぐらいですが、万年筆や、PCプリントに署名だけ手書きも多いですが、これが昔なら海軍大佐中佐に頂いたお手紙。海上自衛隊の銀の桜に錨の箔押し、家宝にするしかありません。子供がいて将来孫でもできれば、ばーちゃんが頂いたのよと孫に自慢する楽しみがあったのに(笑)
最近はメールを下さる方もいますが、某艦長様は外見に似合わず絵文字ちりばめてかわいい(笑)
そういわれれば、旭川第2師団長から、家内が頂いたお返事は、ご丁寧な毛筆でしたためられていたと、聞かされましたが、実は、まだ私は、実物を読むことも、拝見することも、許されていません。
もう、20年以上も経っているのに、本当は、師団長からなのか、連隊長からなのかも、教えてくれません。
たぶん家内は、自分の礼状に対して、指揮官から身に余るお返事を頂いたのだと感じて、恐縮しているのだと思います。一旦誰にも見せないと決めると、家内はとても頑固なのです。
幸い我が家では、番台を手伝ったり、タオルを配ったりする余裕がありましたが、被災者によっては、お礼状を書く余裕すらない方も、少なくなかったと思います。
最近の報道で、災害派遣を行った部隊に対するお礼状の多さを目にすると、やはり、変わってきているのだな~と実感しております。
救助した隊員と、された被災者とを、いくら映画でも、再会させるのは、やりすぎだとは思いますが。
まだでしたらどうぞご笑覧ください。
「やりすぎ」について思うところを書いております。
ただ、白状致しますと、村上2曹(当時)主演の映画だとのことで、無理に無理をおねがいして、下にまだタイムコードが付いているDVDを、こそっと[勝手に横から、見るだけならばとのことで、見せて]貰った物です。実は、映画館で、全編を通して、真面目に拝観するなどしていません。渚様がご出演されておられたシーンばかり、何度も繰り返して観ていた(いる)アホにすぎません。
ですから、私には、映画館で見てもいないこの映画を、論評する資格などは、無いと思います。