
模型展「世界の巡洋艦」、続きです。
今日はその他の国々の海軍と巡洋艦についてお話ししたいと思います。
今まで考えてもみなかった海軍とその巡洋艦について多くを知るところになりました。
この模型展を開催してくれた「ミンダナオ会」の皆様には本当に感謝に堪えません。
その前に、イギリスの巡洋艦で主にドイツと海戦を行なったもの以外に
一つ載せ忘れた「大物」艦がありました。
イギリス海軍 軽巡洋艦「ベルファスト」
ロンドンのテムズ川には、今でもこの軽巡が
の一つとして係留されています。
「ベルファスト」は「タウン」級軽巡洋艦で、ロンドン軍縮条約の結果
「名ばかりの軽」になったというのは日米仏伊いずれの国とも同じです。
コメントでも出ていましたが、軽巡洋艦とはロンドン条約で規定された
「排水量節約型」の巡洋艦のことです。
もう一度おさらいしておくと、ロンドンより先に行われた
ワシントン軍縮条約の目的は、「戦艦」と「巡洋戦艦」の保持制限で、
巡洋艦についてはこれを規定するものではなく、つまり
巡洋艦なら制限なしに持つことができる
という解釈が成り立ちました。
というわけで当然ですが、各国が競って巡洋艦を造りはじめました。
結果として、制限ギリギリの巡洋艦の「建艦競争」となってしまったので、
全然軍縮になってないじゃん、ということになり、改めて
巡洋艦の制限を定める目的で行われたのがロンドン会議です。
この条約では巡洋艦を砲の口径だけで「カテゴリA」(重巡)、
「カテゴリB」(軽巡)に分け、各国で所有できる艦船の上限を
合計排水量で
決定しました。
するとどうなるかというと、制限排水量をギリギリまで大きくし、
砲だけ小口のものを積んだ「重巡より大きな軽巡」が生まれてくるわけです。
特に日米英では、排水量の上限である1万トン級の軽巡が生まれました。
「ベルファスト」の「タウン級」(町の名前だからタウン)も
サウサンプトン級 11,540 トン
グロスター級 11,930 トン
エディンバラ級 13,175 トン
と、例えば日本の重巡「青葉型」9,000トンよりはるかに大きく、
重巡「利根型」11,213トンと同等の艦体を持ちます。
ちなみに「利根」型は、軍縮条約に批准しつつ大型の艦体を備え、
晴れて?日本が国連を脱退してからは砲を大口に換装し、
重巡として生まれ変わっています。
「ベルファスト」は1939年に就役し、第二次世界大戦では
「北岬沖海戦」という
ドイツ戦艦「シャルンホルスト」
対
戦艦「デューク・オブ・ヨーク」軽巡洋艦「ジャマイカ」
重巡洋艦「ノーフォーク」
駆逐艦4隻
という、とっても不公平な海戦に(当然とは思いますが)勝利しています。
しかし、9対1で戦って負けたとはいえ、「シャルンホルスト」は相手に
重巡1・駆逐艦1中破
戦艦1・軽巡1小破
戦死11
負傷11
という打撃を与えたわけで・・・・これってすごくないですか?
wikiによるとイギリス海軍の勝因は「レーダーを保持していたこと」らしいですが、
レーダーを持っていてこれってことは、もしなかったら
一隻の戦艦相手にもっと被害が大きかったってことなんでは・・・。
そう思ったのはわたしだけではなく、海戦後、イギリス艦隊の指揮を執った
ブルース・フレーザー司令は、将校たちに次のように訓示しています。
「紳士諸君、シャルンホルストとの戦いは我々の勝利に終わった。
私は君たちの誰かが、戦力が倍以上違う相手と戦うことを要求された時、
艦をシャルンホルストと同じぐらい立派に指揮することを望む。」
手前、スペイン海軍の重巡洋艦「カナリアス」。
同級の1番艦で、2番艦は「バレアレス」。
軍縮条約とは全く関係なく生きてきたスペイン海軍にとって、
これが最初で最後の重巡洋艦となりました。
批准していないわりに、同級は軍縮条約の基準に沿って造られているそうです。
(基準排水量10,670トン、砲口203センチ)
それはいいのですが、スペイン人らしいというのか、でれでれと建造しているうちに
スペイン内戦が起こってしまい、彼女らは反乱海軍に乗っ取られて、
スペイン政府軍と戦うという数奇な運命を辿り、妹艦の「バレアレス」は
政府軍にされてその命を閉じています。
「カナリアス」は数々の武功を立て、傷一つ負わずに戦乱を生き抜いて、
1975年まで悠々自適の老後を過ごしたようです。
上 アルゼンチン海軍軽巡「へネラル・ベルグラノ」
スペイン語なのでGをハ行で発音するのはわかりますが、
「ジェネラル」でも「ゲネラル」でもなく「ヘネラル」。
やっぱり軍事用語にラテン系言語はあんまり、と思ってしまいました。
元々は真珠湾攻撃の時に生き残った軽巡「フェニックス」を
ファン・ペロン(奥さんがあのエビータ)大統領が貰い受け、
戦功のある軍人の名前をつけたものです。
「フェニックス」として就役したのは1939年、その後は
アルゼンチン海軍の象徴のような存在として長生きしてきた「ヘネラル」、
なんと、
1982年の5月2日、フォークランド戦争で戦没
していたことがわかりました。
イギリス海軍のチャーチル級原子力潜水艦「コンカラー」に、
魚雷を2発撃ち込まれて轟沈したというのですが、いやー・・・
これ、すごく不思議じゃありません?
なんだって1982年の戦争に、真珠湾の生き残りを投入するのか。
アルゼンチン海軍にとっていくら象徴的な存在だったとしても、これって
湾岸戦争にアメリカが「ミズーリ」を出してくるようなもんじゃないですか。
別にアルゼンチン海軍、船に困っていたというわけでもなく、
イギリス海軍との間で行われた海戦で喪失した艦船の数だけでいうと、
イギリス海軍の方がはるかに上回っていたというのにですよ?
しかも、この「海軍の象徴」であった「ヘネラル」を失ってから、
アルゼンチン軍の士気はガクッと落ち、1ヶ月後には戦闘停止を決めているのです。
アルゼンチン海軍軍人にとって、彼女は永遠に海軍そのものであり、
神聖化された最後の砦のようなものだったのでしょうか。
我が戦艦「大和」、「シャルンホルスト」、そして「ヘネラル・ベルグラノ」。
これらの軍艦たちの戦没を敢えて言葉で表すなら、それは
「誇り高き勇者の最後」。
永遠に彼女らの名と孤高の戦いは名誉と共に語り継がれるべきでしょう。
下・アルゼンチン海軍「ヴェンティシンコ・デ・マヨ」
「ヴェンティシンコ」とはスペイン語で25。「マヨ」は5月。
5月25日はアルゼンチンの革命記念日に当たり、
「ジュライフォース」のように、それ自体が革命記念日の意味を持ちます。
本艦は、イタリアに発注された重巡で、1931年から就役しました。
南米においても「近隣国との間の諍い」というのは普通にあって、
アルゼンチンの場合、第一次世界大戦後の仮想敵は、隣国チリとブラジルでした。
アルゼンチンが海軍力で優位に立つために持つことにしたのが
本艦をはじめとする重巡と軽巡です。
軽巡は一隻でイギリス製、その名も「ラ・アルヘンティーナ」と言いました。
スウェーデン海軍 巡洋艦「トレ・クロノール」
「トレ・クロノール」とは「三つの王冠」を意味し、国産です。
高角砲を持たず、対空対策としてはボフォース砲を搭載していました。
スウェーデンという国はそれこそ戦争してなかったのに、なぜ巡洋艦を?
と思ったのですが、これは19世紀以後、スウェーデンが国策として
武装中立を決めたため、海軍もそれに伴い重武装化していたのです。
冷戦時代にもスェーデン海軍はソ連海軍との戦いに備えて対潜能力の強化を行なっていますが、
ご存知のように実際にスウェーデンが、近代以降、他国と交戦した事は一度ありません。
スイスもそうですが、中立であるということは武装を固めるということでもあり、
武器を持てば戦争が起こるという理論で非武装都市などとたわけた寝言をいう人に、
この武装中立の国々の姿勢をどう思うかちょっと聞いてみたい気がしますね。
というわけで今日で終わるつもりが、アメリカ海軍まで行き着きませんでした。
今度こそ最終回に続く。
その後、アルゼンチンは数百人の部隊と重火器を搬入し、守りを固めました。一方、島の奪還を期すイギリスはスキージャンプ式で航続距離の短い垂直離着陸機ハリヤーしか搭載出来ない空母インビンシブルを基幹とする艦隊と海兵隊を出動させました。
フォークランド諸島はイギリス本土から一万キロ。これに対して、アルゼンチンからは千キロ。アルゼンチンはイギリスが取り返しに来るとは思っていなかったと思います。
艦隊で侵攻して来る敵を撃破するには、戦闘爆撃機による航空攻撃か大口径砲あるいは対艦ミサイルによる水上砲戦です。アルゼンチンは本文に出て来る巡洋艦と同名の「ベインテシンコ・デ・マヨ」という空母(元イギリス海軍の中古。エクゾセ対艦ミサイルを搭載出来るシュペルエタンダール戦闘機を搭載)を保有していたので、この三種類すべてを行おうとし、ヘネラル・ベルグラノを基幹とする艦隊を出動させています。
当時、イギリスには水上砲戦を想定した水上艦はもうなかったので、仮にヘネラル・ベルグラノと撃ち合ったら、ひとたまりもなかったはずです。
ここでアルゼンチンに誤算があったのは、イギリスの原子力潜水艦の存在です。長躯一万キロ進出して戦線に加わるとは想定していなかったので、旧式の巡洋艦を出す判断をしたと思われます。
イギリスは教科書通りの対応をしていると思います。原子力潜水艦で主力艦を撃沈した後、アルゼンチン海軍は潜水艦が入って来ない大陸棚海域より先には進出して来なくなり、島の奪還の邪魔になるのは、本土から飛んで来る戦闘爆撃機だけになりました。
アルゼンチンは島まで船で近付くことは出来なくなったので、守備隊への補給は断たれました。こうなれば、日干しになるのを待って、奪還の逆上陸を掛けるだけです。
アルゼンチン側は数百人の部隊に重火器を持っているので、イギリス海兵隊にも被害が出るのはほぼ確実ですが、政治(サッチャー首相)が不退転の決意で臨み、これを奪還。同時にアルゼンチンの政権は失脚し、停戦となりました。
逆上陸の際、イギリス海軍にはハリヤーを搭載した空母があったおかげで上陸部隊の火力支援(敵部隊の空爆)が出来ました。これがないとさすがのサッチャーさんでも海兵隊に「死んで来い」とは言えない、あまりにもハイリスクな作戦(敵には重砲があるのに、味方には小銃や機関銃等の携行火器しかない)になります。
海上自衛隊はいい時期に空母型DDHを作っていたなと思います。陸上自衛隊も水陸機動団を編成して備えています。
エリス中尉の記述のとおり3タイプに分かれます。
サウサンプトン級 ロンドン条約規定の上限に近い日本海軍の大型強兵装軽巡「最上」型に対抗して5隻建造した。新型15.2cm3連装砲を前後にそれぞれ2基は配置、同種砲搭載艦との遠距離砲戦に耐える装甲、特長ある航空機施設、缶機相互配置が特徴。通商保護、遣外、艦隊任務を想定した多目的巡洋艦。1隻戦没。
グロスター級3隻 サウサンプトン級 の改正型 機関区画上方と砲塔の装甲増厚、復原力改善、機関出力1割増、新型射撃装置装備、外見は射撃指揮装置が変わった形のみ。2隻戦没
エディンバラ級 2隻 グロスター級の拡大改良型 甲板防御強化、舷側装甲拡大、10.2cm高角砲2基増備、後部2砲塔を1甲板上方移設、艦橋への排煙逆流回避のため機関配置変更、缶室を後方へ、煙突が後方へ移動、射出機、マストも移動のため外観が大きく異なる。バルジ新設。イギリス軽巡最大艦。1隻戦没。
「ベルファスト」大戦末期航空施設、高角砲2基撤去し、近接対空火器増備、1956~59年近代化改装、1971年記念艦。
参照海人社「世界の艦船」No718
ただ艦種は戦艦ですが、装甲重量を犠牲にして高速力を図っていますので、事実上は巡洋戦艦の部類になります。
ベルサイユ条約でのポケット戦艦4番艦で計画されましたが、基準排水量が制限を超え19,000トンとなりましたが、仏戦艦「ダンケルク」に対応するには不十分なため、設計を進めて26、000トンとなりました。英独海軍協定が成立して公認されましたが、設計変更で6,000トン増えて32,000トンですが公表しませんでした。
協定成立後主砲を38cmとする事を検討しましたが製造が完成しないので28cm54.5口径砲としました。長大な航続力を得るためデイーゼル機関を検討しましたが開発が予測できないため、燃料節約のため高圧蒸気タービンとしましたが開発中で時間を要して、建造遅延となりました。建造中にも設計変更があり、重量が増大して水線装甲帯の上縁が満載で水線上1.2mしかなくなってしまいました。
「シャルンホルスト」1939年竣工、1943年12月戦没。
「グナイゼナウ」1938年竣工、1945年3月損傷復旧と38cm砲搭載艦改造を中止し、28cm砲は陸上砲台へ、船体はゴーデンハーフェン港入口に曳航爆破処分、1951年解体。
要目
基準排水量31,850トン、全長229.8m、幅30m、吃水9.91m、蒸気タービン3基、3軸、160,000馬力、31kt、28cm3連装砲3基、15cm連装砲6基、10.5cm連装高角砲7基、37mm連装高角機銃8基、20mm単装高角機銃10基、水上機4機、射出機2基。
水線装甲350mm、甲板105mm。
乗員1,669名
バルバス・バウを採用していたが垂直艦首で飛沫が艦橋付近までかかり、特に1番主砲塔に波浪衝撃が強いので、アトランチック・バウに改造して長さが234.9mとなりました」。それでも前部砲塔に波を被ることは避けられなかったとの事です。
「シャルンホルスト」
1943年12月ノール・カップ北方で援ソ連船団攻撃に出動、英護衛部隊と交戦、レーダー使用不能、英艦の有効なレーダー射撃を受け、被害続出しましたが強靭な耐久力で耐え、全弾打ち尽くすまで戦い、魚雷攻撃を受け戦没。
参照海人社「世界の艦船」No405
エリス中尉の記述のとおり米軽巡「フェニックス」、ロンドン条約下日本海軍軽巡「最上」級を意識して建造された「ブルックリン」級9隻の1艦です。同級「ボイシ」と共に1951年購入して使用、名前を「17 de Octubre」から「へネラル・ベルグラノ」に1956年変更。
ヘイコプター2機搭載、シーキャット短SAM発射機2基装備。
基準排水量10,000トン、全長185.4m、100,000馬力、32.5kt、15.2cm47口径3連装砲5基、12.7cm単装高角砲8基、舷側装甲76mm、甲板装甲51mm、乗員975名。
沈没に際して300名以上戦死し、フォークランド紛争でのアルゼンチン戦死者の約半数であったと言われています。1938年竣工、1982年5月戦没。
同型艦「ヌエベ・デ・フーリオ」は1978年退役後ベネグラーノへの部品取りに使用されました。
同じ「ブルックリン」級はブラジルに2隻、チリに2隻引き渡されました。
アルゼンチン海軍重巡「ヴェンティシンコ・デ・マヨ」
イタリア条約型重巡洋艦「トレント」級の縮小改正型、排水量に比較して装備過大との批判がありましたがアルゼンチンでは好評で3隻承認されましたが建造は2隻でした。
1931年竣工、1960年除籍
要目
基準排水量6,800トン、全長170.8m、幅17.8m、吃水4.7m、缶6基、タービン2基、2軸、85,000馬力、32kt、19cm52口径連装砲3基、10cm45口径連装高角砲6基、40mm単装機銃6基、53.3cm3連装魚雷発射管2基、舷側装甲70mm、甲板装甲25mm、乗員600名
参照海人社「世界の艦船」No718
煙突は2本で計画、建造中結合し1本の巨大煙突に改められました。航空兵装は未装備、高角砲と魚雷兵装は増加。
要目
基準排水量10,113トン、全長193.6m、幅19.5m、吃水5.3m、缶8基、タービン4基、4軸、90,000馬力、33kt、20.3cm50口径連装砲4基、12cm50口径単装高角砲8基、40mm連装機銃4基、12.5mm連装機銃2基、53.3cm3連装魚雷発射管4基、舷側装甲50mm、甲板装甲25~38mm、乗員780名
「カナリアス」は魚雷兵装全廃、対空火器改装、煙突直立2本に改めたり、レーダー搭載等兵装改正が実施され1975年除籍、1979年解体。
参照海人社「世界の艦船」No718
前部に3連装1基、後部に連装2基計7門、艦橋構造物5層の高い檣楼型、1953年低い箱型に改造、模型はこの時代を表しています。
「トレ・クロール」は1964年除籍、「イェータ・レヨン」はレーダーの充実、対空火器の強化などの近代化工事実施、1971年チリに売却、「ラトーレ」と命名、露天艦橋を窓付閉囲したほか特段の変更はなかった。1984年除籍。
要目
基準排水量8,200トン、全長182.0m、幅16.7m、吃水6.5m、缶4基、タービン2基、2軸、90,000馬力、33kt、15.2cm53口径3連装両用砲1基、同連装両用砲2基、40mm連装機銃10基、25mm単装機銃7基、53.3cm3連装魚雷発射管2基、機雷160個搭載可能、舷側装甲76~100mm、甲板装甲20~25mm、乗員610名。
レーダー、電子機器の近代化等実施。
参照海人社「世界の艦船」No718