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アメリカ海軍の巡洋艦と模型を見ることの意味〜模型展「世界の巡洋艦」

2018-02-20 | 軍艦

模型展「世界の巡洋艦」のご紹介もついに最終日になりました。

英、独、露、ソ連、スペイン、そしてアルゼンチン海軍の
歴史的な巡洋艦をご紹介してきましたが、この国がまだ残っていました。

オランダ海軍 軽巡「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」 

「 デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」
というのは「7つの州」を意味し、オランダの美称です。
日本のことを「秋津洲」とか「大八洲国」というようなものですね。

「敷島」「秋津洲」「大和」「扶桑」

これらの美称を軍艦の名前にする慣習のある日本国民としては
このオランダのネーミングに親しみを持つところです。
オランダ海軍は、1600年代から近代に至るまでに、
戦列艦、海防戦艦、巡洋艦、フリゲート艦と、合計8隻の
「 デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」を持っています。
 
軽巡の「デ・ゼーヴェン」は「デ・ロイテル」級の2番艦で、
当時の植民地保護のために建造される予定でした。
ところが建造中に世界大戦が始まってオランダはドイツに侵攻されてしまい、
ドックごと接収されて、2隻ともドイツ海軍の練習艦にされることになってしまいます。
 
オランダにとって幸い、占領下で建造のスペースが遅かったのもあって、
連合軍による解放と同時にまた元のオランダに所有が移り、
じっくりペースで結局1953年に完成に至ったという経緯があります。
 
その後「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」はヘリコプター巡洋艦に改装され、
ペルー海軍に譲渡されて、1999年まで現役で活動していました。
 
 
同じくオランダ海軍の、左から
 
軽巡洋艦「デ・ロイテル」
 
軽巡洋艦「ジャワ」
 
軽巡洋艦「トロンプ」
 
「デ・ロイテル」は1939年に就役し、植民地保護のために東南アジアに投入されましたが、
まず1942年2月4日、アメリカの重巡洋艦「ヒューストン」軽巡洋艦「マーブルヘッド」
ここにある軽巡洋艦「トロンプ」駆逐艦7隻と共にスラバヤから日本艦隊攻撃に向かう途中、
マカッサル海峡で日本軍機の攻撃を受け、至近弾により小破(ジャワ沖海戦)。

1942年2月27・28日、軽巡洋艦「ジャワ」アメリカの重巡洋艦「ヒューストン」
英国の重巡洋艦「エクセター」、オーストラリアの軽巡洋艦「パース」
駆逐艦9隻と共に日本軍と交戦(スラバヤ沖海戦)し、日本の重巡洋艦
「那智」「羽黒」の発射した酸素魚雷2本が命中し、撃沈されました。

「ジャワ」もスラバヤ沖海戦で「那智」の雷撃に撃沈され、翌日哨戒中の第五戦隊
「那智」「足柄」および駆逐艦「山風」「江風」は漂流するジャワの生存者を発見、
「江風」は37名の「ジャワ」乗組員を救助しています。

小破した「トロンプ」はその後も船団護衛などに従事し、何度か被弾もしましたが、
結局生き残って1968年に除籍処分となりました。


さて、いよいよアメリカ海軍の巡洋艦です。

アメリカ海軍のフリゲートといえば、何と言ってもこれ、
「ナショナル・シップ」であり、現在でも現役艦であるフリゲート、
「コンスティチューション」(USS Constitution)を置いてありません。
 
「コンスティチューション」については、当ブログで実際に見学し、
歴史についてもかなり掘り下げてここでお話ししてきたので、
もし興味がある方は「軍艦」カテゴリで検索してみてください。
 
 
まさに帆に風をはらんで帆走している「コンスティチューション」の姿。
模型の帆船は布をプラスチックに貼り付けて帆を制作するそうですが、
ちょっと調べたところ、わざわざ紅茶で布を染めて「汚す」そうですね。
 
「コンスティチューション」に限らず、帆船をいくつかアメリカで見ましたが、
帆はむしろ真っ白なものだという印象があるので、この模型を始め、
まるで羊皮紙のような色をしているのはちょっと不思議でなりません。
 
 
この辺りの船も「巡洋艦」にしてしまうの?という気もしますが。
いわゆる「黒船」のコーナーです。
 
蒸気フリゲート「サスケハナ」「ミシシッピ」
 
帆走スループ「プリマス」「サラトガ」
 
は、1853年7月8日、東京湾行口の浦賀沖に姿を現した
4隻のアメリカ軍艦で、そのうち2隻は日本人が初めて見る蒸気船でした。
 
「たつた四杯で夜も眠れず」
 
と当時の狂歌に詠まれた「上喜撰(じょうきせん)」は
蒸気船と掛けた素晴らしく気の利いたシャレだったわけです。

そもそも幕府は、アメリカ軍艦が開国を求めて日本に来航するつもりである、
ということをオランダからの情報ですでに知っていました。
ただし、蒸気を動力とし、煙突から黒煙と火の粉を撒き散らし、
風の力を借りず自在に動くことのできる「黒船」はそれこそ
「夜も寝られない」ほどのカルチャーショックを与えたのです。

模型制作者によると、この展示を3m離れて見ると、

「浦賀沖約2キロに投錨した4隻の黒船を、海岸から
人々が眺めていたのと同じ光景を体験することができる」
 
ということです。


そしてアメリカの巡洋艦群。

手前、軽巡洋艦「マーブルヘッド」
 
冒頭にお話ししたオランダ巡洋艦の「デ・ロイテル」と共に、
ジャワ沖海戦に参加した巡洋艦です。
 
マーブルヘッドというのは、ボストンから海岸沿いに上がっていった
突き出した半島を持つ街で、住んでいた時に遊びに行ったことがありますが、
一軒一軒がとんでもない豪邸ばかりで、しかもその数の多さに思わず
日本人としては落ち込むくらいのショックを受けたものです。
 
ローガン空港から飛び立ってすぐ、マーブルヘッドの沿岸に
ヨットが数え切れないほど係留されているのを写真に撮って、
ここでお見せしたこともありますが、歴史あるヨットクラブを擁し、
とにかくアメリカでも大金持ちが住んでいることで有名な街です。
 
ジャワ海戦で「マーブルヘッド」は一式陸攻の攻撃によって
艦首と艦橋、艦尾を損傷しましたが、応急処置でなんとか離脱しました。
その間「高雄」と「愛宕」が駆逐艦「ピルスバリー」を撃沈しましたが、
日本側は自分たちが撃沈したのは「マーブルヘッド」だと思っていたということです。

同じ4本煙突だったというのが間違えた理由だそうですが、
「マーブルヘッド」は「ピルスバリー」の1.5倍は艦体が大きいですし、
いくらなんでも駆逐艦と巡洋艦を間違えるだろうか、という気もします。
きっとわたしみたいな人が勘違いしたんだろうな。
 

画面左上は軽巡「サバンナ」(Savannah)
 
練習艦隊とは少し違う、士官候補生訓練艦隊の旗艦として、
アナポリスから候補生を400人乗せて出航し訓練を行っていました。
 
当時のアメリカ海軍の士官教育はこのように行なっていたんですね。
 
画面右、重巡洋艦「ルイヴィル」(Louisville)
 
「ノーザンプトン」級重巡の3番艦で、最初は軽巡でしたが、
ロンドン軍縮会議の結果重巡に艦首変更した船でした。
 
真珠湾に向かう途中で真珠湾攻撃を知り、そのまま西海岸に向かっています。
「キスカ」「アッツ」への砲撃に参加し、クェゼリンの戦いでは僚艦である
「インディアナポリス」にフレンドリーファイアーを受け損傷するも、
トラック、マリアナ、パラオ、テニアン、グアム、パラオ(ペリリュー)
そしてレイテ沖海戦、ルソン島の戦いと、激戦コース一択でした。
 
ルソンでも沖縄でも次から次へと日本軍の特攻機に突入され、
大きな損害を受けたという点でも、当時のアメリカ海軍の船として
フルコースの洗礼を受けたといってもいいでしょう。
 
彼女は第二次世界大戦の間だけで13個の従軍星章を受けています。
 
画面右上、重巡洋艦「ポートランド」
 
「ルイヴィル」と同じく激戦コース組で、レイテ沖海戦、スリガオ沖海戦に参加、
スリガオ沖では日本艦隊に丁字戦法を用いて打撃を与える側でした。
 
沖縄戦の支援も行い、24回特攻の攻撃を受けていますが損傷はなかったようです。
 
 
大型巡洋艦「アラスカ」
 
模型も立派ですが、重巡でも軽巡でもなく「大型巡洋艦」とは?
巡洋戦艦と呼んでも差し支えなさそうな巡洋艦です。
 
アメリカがこの大きな巡洋艦を作った背景には、まずドイツが
「砲力重巡以上、速力は戦艦以上」(逆じゃないのこれ)と宣伝していた
ドイッチュラント級装甲艦の存在と、同じ頃、アメリカ情報部が
どこで仕入れてきたのか、日本海軍が

基準排水量15000t、12インチ砲6門搭載を搭載した「秩父型大型巡洋艦」
もしくは「カデクル型大型巡洋艦」

なる艦を秘かに建造しているという誤情報を掴んだことにありました。
 
そこでアメリカ海軍はこれらの艦に対抗するため、
ドイツの装甲艦や日本の大型巡洋艦を火力・防御・速度で上回り、
通商保護が行える長大な航続力を持った艦を検討し始めたのです。
 
これがアラスカ級大型巡洋艦でした。(以下略)
 
しかし「かでくる」って・・・。
日本人ならこの時点ででもう大嘘だってわかるんですが(笑)
 
 
 
重巡洋艦「ミネアポリス」
 
真珠湾攻撃の時、たまたま砲撃訓練に出ていたという「ミネアポリス」。
日本側が「鼠輸送」と呼ぶ「トーキョーエクスプレス」を阻止するため、
ガダルカナルに進出してすぐ、ルンガ沖海戦を経験します。
 
ルンガ沖では「ミネアポリス」は「高波」を攻撃し、爆発炎上させますが、
その間に向かってきた二水戦の酸素魚雷が命中、艦橋から先がもぎ取られました。
 
 
あかん、これは酷すぎる。
 
「ミネアポリス」が凄かったのはここからで、応急措置で沈没を防ぎ、
さらにこの船を操艦してツラギ島に後退したということでしょう。
 
ただこの時のアメリカの巡洋艦隊はこの他にも「ノーザンプトン」沈没、
「ニューオーリンズ」大破という大敗を、駆逐艦隊相手に喫しました。

 
重巡洋艦「タスカルーサ」(Tuscaloosa)
 
アラバマ州にはこういう街があるそうです。(駄洒落禁止)
「ニューオーリンズ」級の4番艦で、主にヨーロッパ戦線で戦いました。
 
 
あまりにもたくさんありすぎて、全部ご紹介できないアメリカの巡洋艦ですが、
これだけはしっかり上げておきます。
 
重巡洋艦「ニューポートニューズ」(左)
 
重巡洋艦「セーラム」(中央)
 
その理由は、このブログの読者の皆様ならご存知かと思いますが、わたしが
フォールリバーに展示されている「セーラム」を実際に見学し、
ここで詳しくお話ししたからです。
 
もしご興味がありましたら、「軍艦」カテゴリで検索してみてください。
 
右は重巡洋艦「キャンベラ」
 
「ボルチモア」級の3番艦です。
アメリカの船なのにどうしてこの名前?と思った方、あなたは鋭い。
当初3番艦は「ピッツバーグ」になる予定だったのですが、
1942年8月8日、9日の第一次ソロモン海戦で日本軍の攻撃により喪われた
オーストラリアの重巡洋艦「キャンベラ 」(HMAS Canberra, D33) 
に因んでこのような命名を受けました。
 
「キャンベラ」も「セーラム」と同じフォールリバーで建造されています。
 
 
「セーラム」と「フォールリバー」部分。
 
「セーラム」はここで紹介されていた「ラ・プラタ沖海戦」を描いた
「戦艦シュペーの最後」で、「アドミラル・グラーフ・シュペー」を演じました。
一切改装なしで、しかも艦番号すら「セーラム」のままドイツ軍艦を演じるのは
かなり無理があったと思うのですが、それについては劇中、
 
「アメリカ軍の艦に偽装するため塗装を変更した」

と登場人物に説明させているそうです。

そんなわけあるかーい(笑)
 
 
 
 
重巡洋艦「メイコン」
 
重巡洋艦「フォールリバー」
 
「フォールリバー」はその名のフォールリバーにあるバトルシップコーブで
艦首の先だけ実際に見たことがあります。
これについても説明しておりますのでご興味があれば(以下略)
 
 
というわけで、やっとの事で「世界の巡洋艦」をテーマにした模型展、
ご紹介し終わりました。
 

テーマに沿ってこの模型製作会の皆さんが精魂込めて作った作品を
一堂に見る機会を得て思うことは、

「模型から見えてくるものはあまりにも多い」

ということです。

サイズを小さくして視覚化することで「神の視線」を得ることすら
場合によっては可能なのですから、特にわたしのように一つの船を
そのもののみならず、その歴史的意味や時にはまつわる物語まで、
多角的に知りたいと思う者にとっては、模型展の行われている小さな部屋は
まるで宇宙のごとき無限の広がりを持っているとも言えるのです。

「制作には全く興味はない模型ファン」として、これからも
機会があればまた模型展に訪れてみたいと思っております。

 

終わり

 


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9 Comments

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ロングビーチとトラクストン (Unknown)
2018-02-20 06:43:01
本文には紹介ないですが、最初の写真の後ろにヘリコプターが後部に着艦している船がいます。手前がロングビーチ。左がトラクストン。共に原子力艦です。

ロングビーチ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%81_(%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)

トラクストン

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3_(%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)

アメリカで初めて建造された原子力水上艦(空母エンタープライズ、巡洋艦ロングビーチ、トラクストン)で、この三隻でデモンストレーション航海を行っていたようです。1960年代。みんなが原子力の明るい未来を信じていた時代です。

レーダーは後のイージスシステムへの先駆けとなりましたが、その後、原子力艦は潜水艦だけしか建造していません。お金持ちのアメリカでも持て余すくらいなんでしょうね。

エンタープライズの寄港時に強烈な反対運動があったので、ロングビーチもトラクストンもほとんど日本には入っていません。派米に行くと、見掛けることがありました。板を張り合わせたようなノッペリしたレーダーが印象的でした。

今はVLSに入っているミサイルをボタン操作で撃ち出すだけですが、タロスやテリアミサイルは発射の前、人が一々、フィンを取り付けていました。結構なスピードで弾は動きますが、オロオロしていると行ってしまいそうです。自衛隊でも当時の砲は人力装てんなので、オロオロしているとどなられていましたが、米軍でも罵声が飛び交ってました(笑)

アメリカの候補生は、今はまとまっての練習航海はなく、数人から数十人のグループで世界中の同盟国の船に受け入れてもらい、某大と同じ、夏休み期間に一ヶ月程、乗って来ます。海上自衛隊でも受け入れています。
オランダ海軍 軽巡「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」 (お節介船屋)
2018-02-20 09:18:30
スラバヤ沖海戦で戦没した先代の名前を継いだ「デ・ロイテル」級2番艦ですが両艦とも当初艦名を変更されました。
エリス中尉の記述のとおり建造が遅延、中断されたので、戦後設計を大幅に改め、艦名も変更しました。
模型の状態は1964年後部兵装を全て撤去し、テリアSAM装置搭載のミサイル巡洋艦の状態を表しています。第2煙突もマックに改めて対空レーダーを装備しています。
要目 
基準排水量9,859トン、全長188.7m、幅17.3m、吃水6.7m、テリアSAM連装発射機1基、15.2cm50口径連装両用砲2基、5.7cm60口径連装高角砲3基、40mm70口径単装機銃4基、舷側装甲76~100mm、甲板20~25mm、乗員940名
ペルーでは「アギーレ」と改名。

「デ・ロイテル」は改造されずに、同じくペルーに1973年譲渡されました。
同じくペルーでは「アルミランテ・グラウ」と改名。
参照海人社「世界の艦船」No718
Unknown (ベアベア)
2018-02-20 16:12:04
「かでくる」というのは、(1)日本が実際に建造していた空母「翔鶴」の情報を掴んだ。(2)「しょうかく」と音読みせずに「かけづる」と訓読みした。(3)いつの間にか発音が微妙に変化し、さらに空母ではなく戦艦だという情報に変化したようです。

大和型戦艦の情報秘匿の苦労は色々伝わっていますが、翔鶴型空母の情報秘匿もそれなりに効果を挙げ、アメリカをして、ほとんど役に立たないアラスカ級の建造に走らせ、少しは国力を浪費させたわけです。
米巡洋艦 (お節介船屋)
2018-02-20 18:11:20
軽巡洋艦「マーブルヘッド」
1916年から3年計画高速軽巡洋艦「オマハ」級10隻の1艦、水雷戦隊旗艦任務、戦没艦なし。
常備排水量7,050トン、新型53口径152mm砲12門、533mm3連装魚雷発射管、連装魚雷発射管各2基、水上偵察機2機、
1924年竣工、1945年11月退役、除籍。

軽巡「サバンナ」
ロンドン条約型「ブルックリン」級9隻の1艦、「最上」型対応、「ヘレナ」のみ戦没、アルゼンチンの「ヘネラル・ベルグラーノ」等アルゼンチン、チリ、ブラジルに各2隻計6隻売却。
1938年竣工、1947年退役、1959年除籍。

重巡洋艦「ルイヴィル」
条約型重巡洋艦の第2陣「ノーザンプトン」級6隻の1艦、「ノーザンプトン」ルンガ沖海戦戦没、「シカゴ」レンネル島沖海戦戦没、「ヒューストン」バタビア沖海戦戦没。
基準排水量9,000トン、55口径203mm3連装砲3基、水偵4機。
1931年竣工、1946年退役、1959年除籍。
この模型右舷中部のカタパルトがありませんがこのような改造は実施していませんので、経年で取れたのかな?

重巡洋艦「ポートランド」
条約型重巡洋艦の第3陣、「ノーザンプトン」の拡大改良型、2隻、「インディアナポリス」終戦直前わが潜水艦攻撃で戦没。
主砲は同じ、魚雷全廃、対空兵装強化、基準排水量10.000トン
1933年竣工、1946年退役、1959年除籍。

大型巡洋艦「アラスカ」
1942年6隻建造計画し、2隻完成の超大型巡洋艦。
30.5cm3連装砲3基、速力33kt、基準排水量27,500トン。
排水量、主砲口径、米新型戦艦に類似した外形から巡洋戦艦と呼ばれるが大型巡洋艦CBです。水雷防御は縦隔壁のみで弱体でした。
1944年6月竣工、1960年除籍。

重巡洋艦「ミネアポリス」
条約型巡洋艦、1929~33年建造「ニュー・オーリンズ」級7隻の1艦、「アストリア」「クインシー」「ヴィンセンズ」3艦第1次ソロモン海戦戦没。
「ノーザンプトン」「ポートランド」級はほぼ同一艦型であったが、本型は大幅に変更して上部構造物の配置を変え、航空施設を2本煙突後部へ、主砲は同一、同配置、高角砲の配置が艦橋、煙突両舷としました。基準排水量10,136トン。
1934年竣工、1947年退役、1959年除籍。

重巡洋艦「タスカルーサ」
「ニュー・オーリンズ」級7隻の1艦
1934年竣工、1946年退役、1959年除籍。

重巡洋艦「ニューポートニューズ」
「ニュー・オーリンズ」級7隻の1艦
1934年竣工、1947年退役、1959年除籍。

重巡洋艦「キャンベラ」
1940年計画8隻、1942年計画16隻の「ボルチモア」級の1艦、14隻完成、10隻は設計変更「オレゴン・シティ」級へ。
条約明け後で基準排水量14,400トン、主砲は同じ、副兵装127mm連装両用砲6基、機関配置缶室分離、抗堪性向上、戦没なし、4隻ミサイル巡洋艦へ。
1943年竣工、ミサイル巡洋艦CAG-2、1970年退役、1978年除籍。

重巡洋艦「メイコン」
「ボルチモア」級の1艦
1945年竣工、1961年退役、1969年除籍。

重巡洋艦「フォールリバー」
「ボルチモア」級の1艦
1945年竣工、1947年退役、1971年除籍。

重巡洋艦「セーラム」は前にコメントさせて頂きました。
参照海人社「世界の艦船」No464,No718
皆様 (エリス中尉)
2018-02-20 18:38:09
unknownさん
しまったー!テーブルの向こう側に原子力巡洋艦があったんですね。
見学したことがある「セーラム」と「ニューポートニューズ」さえ撮ればいいや、
と思っていたので注意が向きませんでした。
原子力巡洋艦が普及しなかった理由は建造費と何と言ってもイージスシステムの
登場ということなんでしょうか。
原子力万能が信じられていた時代、これに続いて
「原子力打撃巡洋艦」なんてのも検討されたといいますね。

>アメリカの候補生は、今はまとまっての練習航海はなく、数人から数十人のグループで世界中の同盟国の船に受け入れてもらい、

そうだったんですか!
どうしてアメリカ海軍ともあろうものが練習航海をしないんでしょうね。
現場主義なのかな。

お節介船屋さん
軍艦を譲渡するのは常に先進国から中、後進国海軍と相場が決まっていますが、
ペルーがアルゼンチンにとってそういう位置付けだったってことですよね。
湾岸戦争の時、南米でメスティソの国であることを鼻にかけて(かどうか知りませんが)
孤立気味だったアルゼンチンにとって、
ペルーは何がしかの派兵をしたという話を思い出しました。

ベアベアさん
そうだったんですか!確かに「翔鶴」は「かけづる」ですね。
かけづる→かでくるって最初と最後しか一致してないわけですが(笑)
アメリカ人ならやりそうな聞き間違い&言い間違いだなと思います。

「アラスカ」については説明を省きましたが、色々と設計が失敗で、
舵が効かずに艦隊行動が取れないわ、カタパルトを二つもつけたせいで
砲が撃ちにくいわ、機関出力不足、旋回性能不足、艦橋部の配置不具合、
CICの容量不足等の問題が多発し、更に砲の追従性能も悪いという有様。
おまけに防御性能まで低いとあっては、無用の長物扱いも致し方なかったかもしれません。
3番艦に予定されてた「ハワイ」は計画中止になりましたが、2番艦「グアム」は
普通に沖縄戦などにも参加していますし、戦後は主に
「威容を見せつける」という目的で結構重宝されたようですね。
現場主義なのかな? (鉄火お嬢)
2018-02-20 20:44:04
昨年11月の水交会での真鍋司令の報告講話で、こんな半年間ものグランドツアーを実施する他国の海軍はありますか?と質問したら、司令は「私も興味があって色々聞いたら、せいぜい数週間~2ヶ月」と答えておられましたよね。考えてみたら随分贅沢な教育をしているのですね。現場主義とは「泳ぎはプールで覚えるもんじゃない、でぇいっ!!」といきなり海に放り込んでさあ泳げっっ!的な方針ですかね。しかも他国の海軍の船、他所メシ食わせてしごくという……ハードですのう(--;)
フランス (Unknown)
2018-02-21 01:57:27
かつて、ヘリコプター母艦ジャンヌダルクを練習艦にして遠洋航海をやっていて、ほぼ毎年、日本に立ち寄っていましたが、最近は聞きません。

前の幹部学校長、今の情報本部長の大塚海将はフランス語が堪能なので、若い頃に乗られていました。

米軍のやり方を現場主義と言ってしまえば、確かにそうなんですが、ご存知の通り、去年から結構ぶつけてます。

現場は忙しく、実際にはなかなかOJTという訳に行かないので、個人的には海上自衛隊のやり方が回り道しているようでも、結局は理にかなっていると思います。
候補生交換行事 (Unknown)
2018-02-21 02:09:01
何度も済みません。夏にアメリカの候補生が自衛隊の船に乗って来る時ですが、日米候補生交換行事と言って、隊司令が率いる自衛隊の正式な任務行動になります。

基本的な訓練をちょうど練習艦隊で乗員と実習幹部がペアでやるように、日米の候補生がペアになってやります。

江田島の体験(総員起し、総短艇や隊歌(軍歌)演習)の後、呉を出て横須賀までだったと思います。号令やら状況を英語で説明するのは結構大変でした。
模型事情 (お節介船屋)
2018-02-23 16:35:38
模型展終了に当たりホットな記事がありましたので紹介です。
本日の産経新聞ポトマック通信にアメリカの模型についても記事がありました。
模型店はほぼ閉店でインターネットでの購入となっているとの事です。
アメリカの模型製造も中国での生産になり、新しい物も開発していないので、中国の振興企業に席巻されており、艦船模型は2次大戦以降のアメリカ軍艦はほぼ中国製が網羅しており、品質は日本企業の物に近くなっているそうです。
国内物づくりを大統領がいくら提唱してもアメリカ企業、中国企業の考え、積極性等模型一つとってもなかなか難しい現状ではと思います。

海人社「世界の艦船」No876に巡洋戦艦「金剛」の新造時の模型の写真が掲載されていますがこれが中国メーカー「カジカ」の製品で700分の1スケール3900円ですが、搭載艇などはイギリス製もあるとの事ですが、見事な出来栄えです。
日本のメーカーの作っていないものも含め、中国メーカーの目の付け所、仕上がりなど日本でも中国製が相当な地位を築くのではと思われます。
紹介まで。

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