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服務の宣誓〜平成30年度海上自衛隊 幹部候補生学校卒業式

2019-03-24 | 自衛隊

江田島での幹部候補生学校卒業式、あと一人を残して学校長は
全員に卒業証書の授与を行いました。

校長は最初の一人にのみ卒業証書の内容を読み上げ、あとは以下同文として
名前だけが係によって読み上げられていきます。

最後に、校長が証書全文を読み上げた卒業生が一人いました。
タイ王国からやってきて1年の江田島生活を経験した留学生です。

毎年必ず一人、タイ王国海軍から留学生がここを巣立ち、
そのほとんどがこれに続く遠洋練習航海を経て帰国します。

彼らの階級は最初から海軍少尉。
他の卒業生と違い、もう任官した立場での留学なので、
その軍服の袖にはすでに一本線の階級章が付いています。

留学生は日本での候補生と共にその過程をこなし、卒業式の頃には
ほとんどが日本語も完璧となっていると言います。

海軍でも特に優秀な士官が留学してくるので、その少なくない数が
のちに司令官となって自衛隊の司令官と旧交を温め合うこともあるとか。

今年の留学生は特に日本人にもたまにいそうな顔立ちです。
他の学生より肌の色が濃いですが、候補生生活ですっかり日焼けした
同級生の中にあっては、全く違和感なく溶け込んでしまうでしょう。

卒業証書の授与が終わった後には、成績優秀者の表彰となります。

上位から5名が表彰されるというこの慣習は、海軍兵学校から受け継いだもので、
昔は賞状の代わりに「恩賜の短剣」を受け取ったものです。
兵学校で成績トップの候補生を「クラスヘッド」と称しましたが、
海上自衛隊でもこの名称はまだ生きています。

今年のクラスヘッドに、わたしはこの3日後行われた神戸港での
「かしま」艦上レセプションでインタビューをする機会がありましたが、
彼は

「幹部候補生学校でたまたまそうであっただけで、このあとは
遠洋練習航海に出たら、そこでも成績が付けられる」

と謙虚に答えていました。

成績優秀者は、賞状を受けとると、そのまま後ろに下がり、
階段の手前で足元を振り返って確認します。

受賞者一人に対し、その都度音楽隊はヘンデルの「勝利を讃える歌」を
ワンフレーズ席に着くまで演奏し、彼らをたたえます。

昔恩賜の短剣を受け取った兵学校の候補生も、全く同じように
後ろを見ずに階段を降りてゆき、階段の下で15度の目礼を行いました。

今回の大阪ー神戸での歓迎行事では、このうちの二人と話す機会がありましたが、
卒業式の一週間前から、彼らはこの動作の練習を繰り返し行ったそうです。

 

わたしもこれまで、何万人もの自衛官の中から一握りのトップになった
陸海の将官経験者に、機会があれば、なぜ自分が将になれたのか、
自覚するところはあるかということについて伺ってきたのですが、
(サンプル数が非常に限られているとはいえ)その全員が、

「わたしはそれほど優秀だったわけではない」

と答えるわけです。
一番最近では、この度ご勇退が決まった統幕長もそのようにおっしゃっていました。

それに対し、そんなことはないだろう、きっとそれは謙遜というものだろう、
そんなことを言いつつ彼らも実は優等生であったに違いない、
と心のどこかで疑ってきたわけですが、最近聞いた中でもっとも衝撃的だったのは

「江田島での成績はその後のキャリア形成にあまり関係ない」

という一言でした。

説明の自衛官が言ったように、自衛官生活はこれから3〜40年続くのです。
何十年の間の毎日の積み重ねはまさにマラソンと同じ。

それこそ恩賜の短剣の海軍兵学校の頃であれば、クラスヘッドはそのほとんどが
(戦死しなければ)中将以上は約束されているも同然で、それほど昔は
「ハンモックナンバー」というのが一生ついて回ったわけですが(もちろん例外あり)
戦後の自衛隊はハンモックナンバー至上主義が組織の硬直を生み、ひいては
敗戦につながったという反省の元に、特に防大の卒業時の成績などは
兵学校の時ほどその後に影響をしなくなってきているようなのです。

マラソンでもトップ集団から必ずしも優勝者が出るとは限らないのと同じでしょうか。

今年のクラスヘッドくんが、江田島の結果を驕らず、すでに
次なる試練に向けて身を引き締めているのは、おそらく賢明な彼が
その長い行程がまだ始まったばかりであることをよく知っているからでしょう。

逆にいうと、上位5人に選ばれなかったから、トップになれなかったからと
ここでこれからの自衛官人生に悲観する必要など全くないということですから、
一喜一憂せず、地道に常日頃平常点?を積み重ねていっていただきたいものです。

飛行幹部候補生過程卒業のクラスヘッドは女子でした。

この日卒業式を行なったのは防大卒・一般大卒の1・2課程、
そして飛行幹部課程です。

飛行幹部課程は航空学生として入隊後、飛行教育を受け、
ウィングマークを取得した者に対する課程で、教育機関は6ヶ月です。

対象は高校、中学、専門学校卒業あるいは修了者で、
小月教育航空隊で4年間基礎教育を受けて操縦士或いは戦術航空士の資格を取り、
その後航空部隊実習で訓練を積んでからここにきています。

この日卒業する1・2家庭の幹部から航空に進む幹部もいるわけですが、
彼らがその適性を判断されて要因になるのは遠洋航海が終わる時です。

割合は、海自パイロットの75パーセントが航空学生出身、
残りが1・2課程卒業者ということになります。

クラスヘッドはチリ共和国大使から勲章を授与されます。
大使はこの前日に行われた海幕長主催のパーティにも来ておられ、
席上では大使に敬意を評してチリワインが振舞われました。

写真はそのワインを披露する当ホテルソムリエ。

大使はそのあと、スペイン語で祝辞を述べました。

ちなみに艦上レセプションでわたしは彼が胸につけていた
チリ共和国からの勲章を間近に見る機会がありましたが、0.75×2cmくらい、
大変コンパクトで、バッジのような可愛らしい勲章でした。

続いて水交会の会長より賞状と記念品(ペンかな)の授与。
授与者は元海幕長です。
前日のパーティでお会いした時に

「明日は何か壇上でスピーチをされるんですか」

と聞くとそんな話はまだ聞いていない、と仰っていましたが・・・。

そして幹部自衛官任命のときがやってきました。
席の一番右側に座っている候補生が先に任命を受けます。

やはり前日のパーティ席上で幹部校長がこんなことを仰いました。

「明日の卒業式の『見所』を説明しておきたいと思います。
卒業生がそれまで号令を受けて一斉に行動していたのが、ある一瞬を境に
号令なしで起立や着席、行進の始まりを行うようになります。

これは、それまで号令で動いていた幹部候補生の立場から、
幹部となったということなのです」

これもまた海軍兵学校以来の伝統だということでした。

今度は2列目より向こうの全員が海幕長より任命を受けています。
任命を受ける間、彼らはご覧のように頭を少し傾けて目を落としています。

続いて「服務の宣誓」が行われました。
全員が唱えるのではなく、代表が海幕長の前で宣誓を行います。

しかるのち、宣誓が書かれた紙(プラスチックケース入り)を
海幕長に渡します。

何度か卒業式に出席していますが、このような宣誓を見た記憶がありません。
(もしかしたら忘れているだけかもしれません)

幹部候補生学校長南海将補が訓示を行いました。

村川海幕長が、ご自身にとって最後となる新任幹部への訓示を行いました。

「わたしが諸君と同じ幹部候補生学校卒業生としてここ江田島を巣立ってから
今年で35年が経つ」

と、前に聞いた訓示と数字だけが違う同じ出だしで訓示は始まりました。
そして、任官後、諸君は様々な配置に就くことになるが、
どこにあっても海上自衛官である限り、遠洋練習航海で体得したように
基本は海の上にあることを忘れないで頂きたい、というようなことを述べられました。

続いては在日米海軍司令官であるグレゴリー 「フェンス」フェントン少将の挨拶。

ウィングマークをつけているのでパイロット出身。
「フェンス」はおそらくかつてのタックネームだと思われます。

テストパイロットとしてのフェントン少将は、ロッキードマーチンX-35C戦闘機の
飛行試験を行なったということもあります。
胸につけているメダルの多さからもお分かりのように、パイロットとしても
大変実績を上げてきた軍人です。

行事でお見かけするフェントン少将はどんな時にも同時通訳を同行しており、
(5、6枚目の写真に写っている女性)必ず後ろの席から挨拶を全て
通訳して理解するといういそうであまりいないタイプの司令官です。

この前日に行われたパーティでも、少将はパーティの挨拶を全て
自分と同行の夫人に通訳させていたのですが、こんなことがありました。

パーティで杉本呉地方総監が、こんな挨拶をしました。

「今夜は低気圧が通過するので雨になる模様ですが、わたしは
特別なてるてる坊主で明日はいい天気になることをお願いする予定です」

杉本海将は、わたしはこんな風ですので怖いと思われがちですが、
実はそうではなく、こんなことにも大変気を遣っている、
というようなことを仰って一座を笑わせました。

この日のフェントン少将の英語での挨拶を聞いていた人のほとんどは、
この前日の杉本海将の「てるてる坊主」のことを知らなかったので、
少将が挨拶の中で、杉本海将を振り返り、

「杉本海将のおまじないのおかげで今日は素晴らしい天気になった」

といい、海将が照れ笑いしたことの意味をわからなかったでしょう。
数少ないパーティ出席者の一人として、遅まきながら解説しておきます(笑)

少将は自衛隊のことをほとんどのアメリカ人がいうようにJMSDFではなく
「カイジョウジエイタイ」とそこだけ日本語で称しました。
常に日本語の通訳を帯同していることといい、このことといい、
少将が自衛隊を通じて日本を深く理解しようとしてくれているようだと
拝察していたわたしですが、挨拶の最後に少将が、山本五十六の言葉、

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」

を引用し、最後のフレーズを日本語で唱えた時、それは確信に変わりました。

そして、号令なしで全てを始めることになったなりたてほやほやの新三尉たちは
皆の拍手に送られながら大講堂を出て行きます。

つい先ほどまで彼らを指導していた幹事付(アルファあるいはブラボー)は、
巣立つ雛を見る親鳥のような色をその眼に湛え、拍手で新幹部を見送っていました。

彼らはこれから学生舎に帰り、前もって用意してあった新しい、
袖に三等海尉の階級章をつけた制服に着替え、家族とともに囲む
午餐会に出席する予定です。

 

続く。