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練習艦隊壮行会@ シェラトン都ホテル大阪〜平成31年 海上自衛隊

2019-03-31 | 自衛隊

神戸で朝練習艦隊をお迎えし、その日の午前中に川崎重工で潜水艦の引き渡し式、
午後からは祝賀会と「しょうりゅう」出航のお見送りを着々と済ませたわたしは、
神戸空港のロッカーに預けてあったトランクとガーメントを回収し、
そこから夜の壮行会会場となっているホテルのある上本町まで一気に移動しました。

最近では各鉄道路線が乗り入れを行なっているので、
わたしが関西に住んでいた頃には考えられなかった、

「JR神戸三宮から一回も乗り換えなしで近鉄上本町に到着」

という魔法のような移動方法が可能になっていると知り、驚きました。
しかもそれらの行程に必要な運賃は、わたしが地元で使っている
Suica一枚をぴっとすればいいだけ。
空港のモノレールから何から、チケット売り場に並ぶ必要もありません。

長生きはするものだと感嘆しながら電車に揺られること1時間、
駅も全てがバリアフリーになっていて、一昔前の浜松町のようなこともなく
(モノレールの乗り換え駅なのに必ず階段を上り下りさせられる超不親切構造)
大きな荷物も何の苦にもなりません。

そしてその日の壮行会会場であり、宿泊予定のシェラトン都ホテル大阪に到着。
着替えてちょっとだけ部屋で休憩する時間がありました。

会場となっている宴会場の外側ロビーには、鉛筆画で自衛艦、そして
軍艦を描くのをライフワークにされている菅野泰紀氏の作品が、
全部で22点展示されていて、皆の関心を集めていました。

左から「かが」「ふゆづき」「こんごう」「あさぎり」「はるゆき」。

こちら一番左はもちろん!「かしま」です。
その右側は「三景艦」の一つ「松島」、一番向こうの帆船はわかりません。

近くに作者の菅野氏が立っておられたので、

「写真撮ってもいいでしょうか」

とお伺いしたところ、

「いいですよ。SNSとかにも載せていただいて構いません」

ということでした。
今回改めて作品の鉛筆画を間近で見ましたが、細部が凄かったです。
どう見ても鉛筆の跡が見えません。
ぼかしなどの手法を使っておられるとしても不思議でした。

会場ロビーに張り出されていた祝電の数々。
防衛副大臣の原田憲治先生の選挙区って池田市だったんですね。

馬場伸幸、足立康史氏ら維新議員の電報も見えます。

関西の練習艦隊行事には、わたしの肩書きの一つが関西地区の某部隊の
後援会の理事であるという関係で、関西水交会を通して呼んでいただいたのですが、
如何せんあまり知り合いがいないので、待ち時間にお話をして
盛り上がるような相手がいないのがちょっとアウェー感です。

しかもハコが大きいと、得てしてわずかな知人にも会わずじまいだったり。

だからこそ今回は抉りこむように新幹部たちにインタビュー、
しかるのち彼らを激励すべし、と固く心に誓いました(ちょっと嘘)

朝、神戸でお迎えした練習艦隊乗員が、「軍艦」とともに入場してきました。

後で聞いたところによると、彼らは神戸から阪神高速をバスで来たようですが、
ちょうど移動時間が帰宅ラッシュだったため、大阪市内、しかも上本町までは
渋滞に巻き込まれ、ここに来るまで結構時間がかかったということでした。

しかし、さすが海軍5分前の精神、渋滞を見越して早めに出て、
開始時間には余裕で間に合わせていた海上自衛隊です。

例年大阪での壮行会には全く同じ大宴会場が使われます。
入場してきた幹部たちが金屏風の前に並んで立つのも全く去年と同じ。

こういうのもちゃんと資料が残っていて、それを参考にするのでしょうか。

練習艦隊司令官梶元大介海将補のご挨拶で印象に残ったのは、

「今年の実習幹部は大変元気が宜しい」

という一言でした。

「皆様も彼らの”行き脚”を見守ってやっていただきたい」

というようなことも言われ、「行き脚」とはさすが海軍だなと微笑ましく思いました。

海軍の昔から「行き脚がいい」というのは元気がある若い者に対する褒め言葉で、
海上自衛隊でもこの言葉が生きているのだなと知った瞬間です。

ついでにいうと、この日インタビューした新任幹部の一人が、
例の「かしま」の出航の際の事故について、

「錨を正錨(まさいかり)にするのが大変だったようです」

という言葉をさらっと使ったのですが、わたしはこの「マサイカリ」と聞いて
すぐに意味がわかる人はあまりいないだろうなあ、と思ったものです。

わたしはコメント欄で教えていただいた元ウェーブの時武ぼたんさんの著書、
「就職先は海上自衛隊」を読んでいたので辛うじて知ってましたが。

ちなみに、この本によると、幹部学校の容儀点検でチェックされるのが
制服のボタンの錨の角度で、これがまっすぐになっていることを「正錨」、
寝ていたり斜めになっているのを「寝錨」「起き錨」と言うそうです。

このことを知ってから、わたしは制服姿の自衛官を近くで見ることがあると
さりげなく錨をチェックしていますが、さすがに皆さん、
特に艦上レセプションなどでは間違いなく皆が「正錨」を揃えておられます。

練習艦隊「かしま」「やまゆき」「いなづま」の各艦長たち。

旗艦「かしま」艦長、高梨康行一等海佐

護衛艦「いなづま」艦長、國分一郎二等海佐

練習艦「やまゆき」艦長、鳥羽弘太郎二等海佐
鳥羽二佐の向こうは練習艦隊幕僚です。

それにしても、今艦隊司令はじめ艦長らのお名前がどの方もかっこいい。

そういえば先日「空母いぶき」の試写会を観てきたのですが、(感想は近々アップします)
その時思ったのが、原作者のかわぐちかいじ氏は登場人物に
明らかにその頃の自衛隊名簿を見て思いついたような名前をつけていることです。

今回の練習艦隊首脳陣の名前も、そのままの階級で自衛隊を扱った創作物に出てきそう。

続いて、大阪では必ず行われる、関西地方出身幹部の紹介です。

大阪、兵庫、三重、京都、滋賀、和歌山、奈良・・・。
30名ほどの京阪神出身の幹部が、名前を呼ばれると「はい!」と
元気よく返事をして拍手を受けました。

どんな県にも必ず何人か出身者がいるのになぜか安心しました。

その後、ホテルに花を納入している会社から、関西出身幹部に
一人ずつ花束のプレゼントがありました。

「ご家族が来られていたら持って帰ってもらってください」

ご家族が来られていない幹部は、お花を艦に持って帰ったのでしょうか。

続いて新任幹部の謝辞が述べられました。
スピーカーは今年のクラスヘッドです。
彼の左胸に付けられているのがチリ共和国からの勲章です。

チリ共和国の国旗は🇨🇱←このようなものなのですが、
勲章にはその三色があしらわれています。
トリコロールの配置から見てもフランス国旗と同じですね。

この後ステージで歌をプレゼントする宝塚歌劇団の団員の一人より、
幹部代表に花束が贈呈されました。
この花束が、この後どこに飾られたのか気になったのはわたしだけ?

 

この後、娘役二人、男役一人、3人のタカラジェンヌによって、
恒例の練習艦隊応援ミニコンサートが行われました。

まず3人でタカラヅカのテーマソング(なんだっけ)を歌い、
その後、一人一曲ずつ歌を披露します。

3人のうち一人がディズニーの「モアナと伝説の海」からモアナの歌、
「どこまでも」を歌いました。

「モアナと伝説の海 MovieNEX」 ♪“どこまでも ~How Far I’ll Go~”

海上自衛隊の練習艦隊のためのステージ、ということで、
海に関係のあるこの曲を選んだのだと思われます。

もう一人の娘役のタカラジェンヌの歌は残念ながら知らない曲でしたが、
男役のお嬢さんが、

「中島みゆきさんの『糸』を歌います」

というと、幹部たちの中から「おおお〜」と歓声が上がりました。

糸 - 中島みゆき


タカラジェンヌの歌の間、実習幹部たちは毎年そうするように、
ステージの方を向いて、後ろの人たちの邪魔にならないように全員が
片膝をついたままずっと座っていたのですが、いくら鍛えているとはいえ
(まさか体育座りするわけにもいかないし)なかなか大変な姿勢です。

しかし、彼らは見ていると時々立てる膝を交代しながら、
身じろぎもせずに歌に聴き入っていました。

実は会の最初に行われた梶元練習艦隊指令の挨拶の中に、

「わたしが練習艦隊に実習幹部として参加した時のことは
大阪で見たタカラヅカのステージしか覚えていない」

というセリフがあって、海上自衛官にとって、幹部となって江田島を卒業し、
近海練習航海が始まって最初の寄港地となる関西で、最初に行われる
関西水交会主催の壮行会伝統のタカラジェンヌの歌のプレゼントは
よほど彼らにとって印象的な思い出なのだろうなと思ったばかりです。

今時「清く正しく美しく」を旗印に、掃除一つとっても完璧、
もちろん躾も厳しい宝塚音楽学校は防大や幹部候補生学校と親和性が高く、
それだけに海上自衛官にとっては親近感を覚えるのかもしれません。

しかもその中の一人が、彼らの琴線に触れるこの名曲を歌ったのですから、
今年任官した自衛官にもまた、「タカラヅカの思い出」が
生涯心に残る思い出として強く刻まれたことでしょう。

後、面白かった?のが、3人のタカラジェンヌが
「OH!タカラヅカ」(だっけ)を披露した後、一番最後に

「海上自衛隊練習艦隊の皆様のために『海をゆく』を歌います」

というと、またもや幹部の中から

「おおお〜!」

というさっきより大きなどよめきが上がったことでした。

最後の「海をゆく」は練習艦隊行事でのタカラヅカの定番となっていて、
去年のステージでも歌われましたが、それが紹介されたとき、
今年のように幹部がどよめくということはなかったと記憶します。

これが、練習艦隊司令の言うところの

「行き足のいい・元気な」

新幹部ならではか、と微笑ましく思いました。

 

ちなみに、宝塚歌劇団の演奏は当然ですが全て撮影禁止です。
今回も会場が開場になった時から、なんども

「宝塚歌劇団のステージの撮影と録音はご遠慮ください」

というアナウンスが行われていたため、
写メを撮る人は一人もいませんでした。(去年はいたのよ)

 

そして乾杯に続き、歓談となりました。

わたしは最初から最後まで会場を回遊しながら、幹部を捕まえては
インタビューを試みておりましたが、今年はどういうわけか、
話をした幹部全員が水上艦艇(護衛艦)志望でした。
何人か目の水上艦志望新幹部に、

「いつもは航空とか掃海艇とか必ずいるんですけどね」

というと、彼は

「いや、でもやっぱり航空が一番人気だと思いますよ」 

そういえば、今年の飛行幹部の練習艦艦長は、
トップガン世代で飛行機乗りになりたくて防大にはいったものの、
適性が合わずに水上艦に行った、とおっしゃってましたっけ。

 

航空と潜水艦は色々と身体的条件の許容範囲が狭いので、
ほとんどが希望に添えないということになるのかもしれません。
視力は現在ではほとんど排除要素ではなくなっているようですが、
そのほかにも色々あって、潜水艦なども鼻腔が歪んでいたらダメとか、
狭き門らしいですね。

ステージの真正面にずっとおられたこのお二人。
なんと海軍兵学校76期(右)と77期に在籍された方々でした。
76期は2号つまり2年生、77期は3号1年生の夏に
兵学校を卒業しないまま終戦を迎えた最後の兵学校生徒です。

わたしはご縁があって兵学校期会の末席を汚しているので、
改めてご挨拶させていただきました。

お二人とももしかしたら戦後は海上自衛隊に入隊されたのでしょうか。

76期在籍で戦後海上自衛隊で幕僚長となった長田博氏のことをいうと、

「ああー、長田ね」

ともちろんご存知でした。

長田氏が海幕長だったのは1985年ー87年のことですので、
まだここにいる幹部たちが生まれてもいない頃のことです。

中締めとして、関西水交会の会長が音頭をとって再び乾杯が行われました。

最後に紹介されたのが四人の海曹長たち。
練習艦隊先任伍長、「かしま」「いなづま」「やまゆき」先任伍長の皆さん。
さすがベテランの迫力です。

2030、お開きの時間となり、幹部たちは手拍子に送られて退場していきました。

彼らはこれからバスで神戸港に帰還し、明日は「かしま」艦上でレセプションです。

続く。