ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「ハウイッツァー」の謎

2012-07-12 | アメリカ

先日、独立記念日のときに、タウンホールの前に鎮座している大砲状の武器の写真を挙げました。
独立記念日に備えて周りを国旗でデコレーションしてあったので、何も考えずに
「独立戦争のときのキャノン」と書いたのですが、そこで
「ちょっと待った~!」
の物言いが付きました。
非公開コメントを下さる方のお一人です。

「あれはどう見ても独立戦争のものに見えません」

そういや車の中からしか見たことは無いけど、独立戦争のときにしては砲身が細いような。
でも、ホイールは木でできてるし、大した違いはないんじゃないの~?と、
比較的武器そのものについては鷹揚というか、無関心(いい加減?)であるところのエリス中尉、
「細けえことはいいんだよ!」
とばかりにバックレようとしたのですが、いかにこのような細々と公開されているブログとはいえ、
世間に対してそれなりに、発言者の責任というものもございます。

考えてみれば、独立記念日に旗を飾り立てていたからといって、独立戦争に使われたとは限りません。
これは、タウンホール横の柵に囲まれた芝生の中に置かれていて、説明を見ようと思えば、
柵を乗り越えて接近しなくてはいけないのですが、このご意見を受け、本日意を決し、
勇気を振り絞って柵を乗り越え芝生内に侵入し、写真を撮ってきました。
それが冒頭の写真でございます。

「どこが独立戦争のキャノンだ?おら」

という声が、この画像を見ただけで、瞬時に、兵器オタク軍事・武器に詳しい方々の口から
モニターに向かって投げられた様が、はっきり浮かびます。ああ浮かびますとも。

この手前には、さらにこのようなプレートがございまして・・・・



第一次世界大戦のときにドイツ軍から分捕ったもの、って書いてあるやないかい!

いやはや、ちゃんと見ている人は世の中にいるもんですね。
柵を乗り越えているところをメキシコ人のガーデナーにガン見され怪しまれてたみたいだけど、
思いきって写真を撮ってよかった。
こんな機会でもなければ、わたしは一生この、息子の学校の横にあるこれを
「独立戦争時代の大砲」
と呼んで終わっていたに違いありません。
まあ、たとえそうであったところで大勢に問題があるでなし、という考え方もありますが。

部屋に帰って写真を見ながら、

「第一次大戦にキャプチャーしたドイツの・・・・ハウイッツァー・・・・・?」

何気なく呟くと、机の向かいで公文の連立方程式の問題をでれでれとやっていた息子が、
やおら自分のipod touchを黙って取り上げ、触ること数秒、「はいこれ」

画面にはHowizerの画像があるではありませんか。

「ちょ・・・どうして知ってるの?」
「知ってるよー、それくらい」
「だいたい、何なの?はういっつぁーって」
「だから、こういうウェポンのこと」
「それ、一般常識?それとももしかして息子って武器オタク?」
「俺は結構モノを知ってるんだよ。こう見えても」

まあ、息子も12歳で男子だから、こういうことに詳しくても不思議ではないかもしれない。
女子が一生知らずに終わることを、すでに知っているのかもしれん、と軽く驚きつつ、
さらに、グーグル先生にお聞きしてみたところ、howizerとはcannonと同じ一般名称で、
わたしが予想したように、それはドイツの武器会社の名称ではない、ということが判明しました。

これ、常識?

キャノン=大砲、に対し、howizerは、榴弾砲。
大砲の一種ですが、榴弾砲の定義は

砲口直径に対する砲身長(口径長)が短い
低初速、短射程である
軽量でコンパクト
高仰角の射撃が可能である

ということである、ということも、実は息子が教えてくれました。

もっとも息子もこのhowizerをわたしと同じく「ハウイッツァー」と読んでいたので、だからこそ
わたしの呟きを耳に留めたのですが、これは英語では「ハウザー」と読むようです。
そういえば聞いたことあるなあ。ハウザー砲って言う言葉。

息子にいうと「なんでハウザーだよ!『i』が入っているのに」と納得いかない様子でしたが。

プレートを見ればこれも書いてありますが、この榴弾砲は1919年、つまり第一次世界大戦が
終わってすぐに、アメリカ・レジオン(在郷軍人会)が地元に寄付をしました。
そして、おそらく永年どこかに(ここに?)展示されていたのですが、1991年、
有志何社かがこれを修復し、あらためてここにこの姿を遺すことになったようです。

「第一次世界大戦のベテランを偲んで」

中央部分にこのような文章がありますが、このベテランとは、アメリカにとって特別の存在。
老後の保障、福利厚生なども手厚く、いわば特別待遇です。


この榴弾砲が置かれているその横は、
このような市役所があり、さらにその隣には


  

このような立派な教会があります。
この教会の裏手に、見るからに古い墓石の並ぶ墓地がありますが、それはもしかしたら
プレートのいちばん最後にある「ベテランズ・グレイブ」つまりベテラン専用の墓所かもしれません。

さて、せっかく一つモノ知りになったので、ついでに調べてみましたが、
この冒頭の榴弾砲と同じタイプのドイツ製のものの写真をウィキで見つけました。

 これですよね?

15 cm sFH 1315 cm schwere Feldhaubitze 13)とは、
1913年にドイツ帝国が制式採用した重野戦榴弾砲である。(wikipedia)


第一次世界大戦後、この榴弾砲は戦後賠償の一環(現物賠償?)として、
ベルギーに接収され、オランダが購入しているということです。
冒頭のハウザーは、アメリカに分捕られたおかげで、残ることになったとも言えます。

それにしても、ふと思ったのだけど、ドイツって、結構このあたりから散々だったのに、
今や日本と並んで「世界にいい影響を与えている国」「技術力のある国」「経済安定している国」
で、すっかり世界の安定した勝ち組ですよね。
戦争に負けるって、意外と国にとって焼き畑農業みたいな効果があるのかな?
それとも、戦勝国には無い謙虚さと、「0からのやり直し」みたいな復興パワーが、
かえって国を安定させるのかしら。



これも、そうかな?少しこちらの方が大きいようにも見えますが。

ボストンは、この前もお話したように街の至る所、街そのものが歴史的遺産です。
息子の通う学校も、(といっても息子は単なるサマーキャンプですが)
実はアメリカでいちばん古いボーディングスクールだそうですし、いまだに



こんな道案内が現役で使われています。

写真の教会も市役所も、おそらく百年は経っている歴史の古いものですが、
彼らはこういう景観を大切にしますから、いつ帰ってきても街の風景は同じです。
(ボストンには地震はありません)
たとえ、ベテランたちの魂がこの街に帰ってきても、全てがかつてのままなのですから、
彼らはさぞ安らかに眠りにつくことができるのではないでしょうか。


・・・というわけで、実は、この指摘を下さった方は
「(アメリカという国は、年代を間違えることについて)そこまで大雑把な国柄なのですかね?」
とまで書いておられたわけですが、アメリカの名誉のためにいうと、
アメリカは、ベテランを遇する態度に現われるように、こういうことは几帳面に、きっちりと対応します。
なんたって、国のために戦った者の名誉をなにより重んじるのも、またアメリカ人であるからです。


つまり、大雑把だったのはアメリカ人ではなく、単にエリス中尉だったと・・・・・・(自爆)