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バーキン片手に靖國神社

特攻 最後の証言

2012-07-10 | 日本のこと

この本を手に入れたのは、先日訪れた知覧の特攻平和記念館の売店です。
特攻について書かれた本の中でも、特に選んだものばかりを揃えてあるように思われました。


今まで、色々な戦争ノンフィクションを読んできましたが、この
「特攻 最後の証言」ほど、証言ものとして価値があると感じた本はありません。

元特攻隊員、あるいは隊員として間近に特攻を見てきた人々へのインタビューが中心です。
その内容は

第721空桜花隊  鈴木英男海軍大尉 桜花特攻

第二回天隊     小灘利春海軍大尉 回天特攻

第122震洋隊   黒木豊海海軍第一等飛行兵曹 震洋特攻

第71嵐突撃隊   海老澤善佐雄海軍上等兵曹 伏龍特攻

八紘第六隊石腸隊 吉竹登志夫陸軍大尉 陸軍九九式襲撃機 陸軍特攻

海上挺進隊第三戦隊 皆本義博陸軍中尉 マルレ 陸軍水上特攻

神風特別攻撃隊第三正気隊 江名武彦海軍少尉 九九式艦上攻撃機 神風特攻

神風特別攻撃隊第九筑波隊 木名瀬信也海軍大尉 海軍特攻
第二〇三空戦闘三〇三飛行隊 土方敏夫海軍大尉 特攻直掩

以上の方々が、それぞれの立場でインタビューに答えています。

この本をわたしが非常に高く評価する理由はいくつかあります。

まず第一に、インタビュー内容は証言者によるチェックを受け、手を加えずに載せていること。

インタビュアーは、多くを語らず、証言者の話の流れを妨げず、かつ証言者の語ることを受け
その内容に即した質問をただ控えめに行うのみ。
その質問も記載されており、「仕立てた」内容になっていない。

テレビのノンフィクションものなどに顕著ですが、このような題材を扱うとき、そこには必ず
「作り手」(聞き手)の意見や考え、甚だしきは思想すら介入することがあります。

取材した元特攻隊員たちの真実を、できるだけ歪みなく、本人の語りたいことを
曲げることなく伝えるには、取材する側の思い入れや、感情移入による過剰な表現を避けた、
このような方法が最も適切であると、前書きで著者は語っています。

第二に、その「著者」に名前が無いこと。

ノンフィクションライター、どこそこの誰、ではなく、この本の製作者は
「特攻 最後の証言」制作委員会です。

編集の責任者は一人ですが、インタビューは三人で分担して行い、さらにインタビューの構成
(おそらく言い間違いや、話し言葉の不明瞭な点を読みやすくするだけの作業と思われる)
は二人、という「チーム」、それがこの本のライターなのです。

文学的表現や、ドラマチックな描写、そのような、真実をともすれば曲げかねない要素は
一切排除されているわけです。

戦争について書かれた「ノンフィクション」には、ときとして
「そこが己の統べる天地」とばかりにライターが歴史を語ったり、作戦参謀の気持ちを類推したり、
さらにはもう語りつくされている作戦を評価したりといった
「ノンフィクションと言いながら実はフィクションである部分を持つノンフィクション」があります。
こういうのはまさに気づかぬうちに「歴史の歪曲」の加担ともなりかねない危険すらあります。

(大空のサムライがノンフィクションだと思っている人はまさかここにはいませんね?)

ましてやライターが「自分がどう思った」という、史実にとって全く意味がない駄文を加えたり、
最初から結論ありきの思い入れで「ヒーロー賛美」仕立の記述をするなど、もってのほか。

制作チーム代表者が言うように、インタビュアーがインタビュー時にも、その発表においても
「黒子」に徹しているこの方法は、読み手にとって実にストレートに発言者の意図が伝わる、
合理的でかつ読みやすい手法であると思われます。

第三に、スタッフが戦争マニアでも特攻マニアでもない、「素人」であること。
当初半分以上のスタッフが、陸軍と海軍の区別もできなかったそうです。

これは、「特攻」の本を制作するうえで、絶対的なハンディでしょうか。

彼らは「戦争や軍について詳しいことは知らない、が、そこで何が起きたか知りたい」
この一心で取材を続けました。
参考文献をスタッフで読み、ディスカッション、インタビュー方法の予習、さらには復習と反省会。
このような視点からのインタビューは、「馴れ」のような著者の思いこみを排除しており、
少なくともこの本を読む限り、旧軍人たちはインタビュアーにマニアックな知識が無いことを
むしろ歓迎するようにも思える丁寧さで、体験を語っているように見えます。

しかし、ただ何も知らないものが誰もがする質問を繰り返すのではなく、インタビュアーは、
当時の隊員の心境は勿論、彼らの語る現在の日本への苦言から若者に対するメッセージまでを、
流れを邪魔すること無くインタビュイーに答えさせることに終始しています。

第四に、彼らが「勉強をしながら、取材を続けた」という体験からの発案であると思われますが、
インタビュー記事の下段に、用語解説を設け、自分たちが理解を深めたプロセスをそのまま
資料として掲載していること。

特攻に興味があるからと言って、戦争や軍隊に詳しい人間であるとも限りません。
この当たり前の事実に対応するために、当時の日本の状況をあまり知らない読者に向けて
理解するためのコーナーを、同時掲載しているのです。

これは、「初心者」には実に有効な「参考書」となるわけで、このあたりも、彼ら製作者たちが
「マニア」でないからこその発想ではないかと思われます。

この本の最後のインタビューは、二人の予備学生飛行士官の特攻証言です。
二人に対談のように会話してもらうことで、時にはこんな会話も・・・・。

木名瀬「特攻のマニュアルを飛行長が作ったんですが、
   突入角度を60度と書いてあった。

   これは艦爆の角度です。零戦でそれをやるのは大変です。
   零戦でやると浮いちゃって加速がつくから操縦かんが利かなくなる。
   敵艦の側までいった特攻機がボチャンボチャンて海に落ちる場面みたことあるでしょ。
   あれは操縦桿が利かなくなるからです」
土方「その飛行長、戦闘機乗り?」
木名瀬「そうだよ」
土方「そいつはバカだよ。
   60度というのは、体感で言えばほぼ垂直に落っこちるようなものだね」

木名瀬「そ、そ、本当にそう」

(因みにこの飛行長は「横山たもっつあん」とのことです)

このような、本当に乗っていたものにしか分からない証言あり、
そうかと思えば、予備学生ならではの「娑婆っ気」談話もあり。



ここで語っている旧軍人たちの述懐には、なべて共通点があります。
後年、映画や出版物などで描かれるように「自分が死ぬかも知れない」ということを、
皆あまり深刻に考えていなかったらしい、ということです。

あの、非人道的作戦の極致とも思われる「伏龍特攻」の隊員ですら、
「死ぬことにしても今と感覚が違った。
ちょっと旅行でもしようかな、という程度の受け取り方です。
ひょっとしたら神様になるのかな、と言った軽い気持ちだったんじゃないですか。
靖国神社で会おうと、半分冗談のような会話になっちゃうんです。
深刻さは無かったし、私たちも特攻隊と言われても、ピンときませんでした」
などと語っているのです。

戦後の世代を見つめてきた彼らが、今の日本を見てこの現状に、
「今向こうに行ったら、先に往ったやつらに『何やってたんだお前は』と言われそうだ」
という感慨を持つのは当然のことに思われます。
何人かの証言者はそのように語っています。

しかしだからといって、全員が全員口をそろえて
「若い人に向けて何かメッセージはありますか」というような質問に対して、
「死んでいった者のためにも国を愛してほしい」などと言っているわけでもありません。
「(日本は)別に今のままでいいんじゃないですか。
ニートだって歳とれば人生損したなと振り返るわけですし」
などと、のんきなことをいうような人もいる、というのが妙に現実的です。



「結論ありきの誘導」はない、ときっぱりこの本の制作者は言いますが、あえて言うとこの書は
「事実を、誰の意見の介入も無く知り、判断を自分自身でしてほしい」
という目的があって作られたものだと思われます。

わたしがときおりこのブログで嘆くところの「思考停止しかもたらさない結論ありきの平和教育」
に疑問を呈するところから、この考えは発生してきているともいえるでしょう。

特攻についての証言だからと言って、ただその非人道を伝えたり、ついでに
「こんなことが二度と起きてはいけない」というような説教を読まされるのが嫌で、
この手の本を避けてきた方、ぜひ、一読をお勧めします。

ヘンな言い方ですが、特攻に往ったのもまた当時における「いまどきの若いもん」―
世が世ならニートになっていたような―普通の若者の一人だった、ということが
不思議に納得できる証言集です。