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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

市谷・防衛省ツアー~三島切腹の場

2013-03-27 | 日本のこと

この防衛省ツアーは平成10年に記念館が移築して
二年後の平成12年から始まりました。

このことを防衛省に確認するついでに
「移築前もツアーはあったのか」と聞いてみると、

「今のような形ではなかったがあった」

ということです。

そこで気になったのが、その旧ツアー、
つまり市谷法廷や三島事件のあった部屋が
その当時のままであったとき、
見学者はそれを見ることができたのか?

そこまで詳しく聞くわけにはいきませんでしたが、
昔のツアーのこと、どなたかご存知ないですか?


さて。


1970年(昭和45年)11月25日、午前10時58分。

三島由紀夫と楯の会メンバー4人は、
市谷の自衛隊駐屯地、陸上自衛隊東部方面総監部の
二階に向かいました。



コッポラの映画「MISHIMA」では、市谷に向かう車中、
彼らが歌(たしか『唐獅子牡丹』)を歌い、
検問では中を覗き込んだ守衛が
「三島先生ですか」
と顔パスで中にいれた様子が描かれていました。

訪問の名目は「優秀隊員の紹介」。
この部屋で増田総監に日本刀を見せることをきっかけに
総監を拘束し、椅子などで扉にバリケードを張ります。



見学者全員その窓から外のバルコニーを一心に見ているの図。

おそらく、皆の心の中にはそのバルコニーに立つ
三島由紀夫の後ろ姿が彷彿としているに違いありません。


さて、現場にもう一度話を戻します。
お茶を出そうとしていた一佐が異変に気づき、通報。
12分後には警視庁から機動隊一個中隊が到着しました。

この総監室はドアが両側に二か所あり、
そのどちらもからバリケードを壊して幕僚たちが突入。
管理職とはいえさすがは自衛官です。
普通の会社組織ではこのようなことはありえないでしょう。

とにかくこの時乱入してきた幕僚を相手に、
三島は刀を振り回してこれを追い出します。





その時ついたと言われる刀傷。
本当は二か所ありますが、写真がボケていました。
orz

この時腕を斬りつけられて重傷を負った幕僚がいるのですが、
この人は

「もし私を殺すつもりなのだったらもっと思い切ってやっただろう。
腕をやられたときには手心を感じた」

と語り、自衛隊の理解者であった三島に対しては

「全くうらみはありません」

と語ったということです。
この時の三島の演説を見ても、三島を糾弾する者がいるとしたら
それは「左派勢力」だろうなと明確に思えます。

自衛隊内部のものの心境は、あとで触れますが複雑だったでしょう。



この後「人質の解放条件」として三島は、

「駐屯地の全自衛官を建物前に集合させること」

と幕僚に要求し、あの「三島演説」が行われるのです。



800名の自衛隊員が招集され、きっかり12時、
三島は「七生報国」の鉢巻を締め、バルコニーに立ちました。

このときの演説内容をわかりやすくまとめてみます。


日本は、経済的繁栄にうつつを抜かしている。
精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけだ。

こんな日本で、本当の日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。
日本の欺瞞を糺す存在であるべきだ。

去年(1969年)の反戦デーのデモが警察に制圧された。
自民党は警察権力をもっていかなるデモも鎮圧するつもりだ。
 治安出動はいらなくなったんだ。
すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が。

このことを以て自衛隊は「憲法を守るだけの軍隊」になったのに
諸君はなぜ気づかないのか。

自衛隊の健軍の本義とは国を護ること。
日本を守ること。
天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。

諸君が立ち上がらなければ憲法改正は無い。
自衛隊はアメリカの軍隊のままだ。

諸君は武士だろう。
武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。
どうして自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。

今の憲法は政治的謀略で自衛隊が合憲だかのごとく装っているが、
自衛隊は違憲なんだよ。
自衛隊は憲法を守る軍隊になったのだ!

俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。
諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。

一人もいないんだな。
 まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。
これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。
それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。

天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!


全然わかりやすくまとまってないぞ、って?
なんか、省略しにくくって・・(笑)

まあ、要は

「憲法改正のために立ち上がろう、
自衛隊諸君、俺についてこい」

というクーデター呼びかけですね。
今さらここで言われんでも知ってる、と言われそうですが。

この間、何度も三島は
「静聴せい!」「静かにせい!」「話を聴け!」
と繰り返し、ヤジる自衛隊員を怒鳴りつけており、
自衛隊員は三島に向かって

「なんで我々の総監を傷つけた」

「それでも武士か」

「バカヤロー」


などという言葉を投げかけています。

うーん。

今にして思いますが、これ、主張は全然間違ってなくない?
三島が30分の予定の演説をわずか7分で切り上げたのも
この自衛隊員の反発があまりに酷かったからですが、
黙ってこの内容に耳を傾けている隊員の中には
このように考えた人間もいました。
少し長いのですがウィキからの記述をそのまま掲載します。


バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えを
ちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、
三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。

野次がだんだん増して行った。
舌打ちをして振り返った。
(中略)無性にせつなくなってきた。

現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた
我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の存在について、
大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに。
まるで学生のデモの行進が機動隊と対決しているような状況であった。
少なくとも指揮命令をふんでここに集合してきた隊員達である。
(中略)部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、
たとえ、暴徒によるものであっても、
いったん命令で集合をかけた以上
正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとは
おこがましいと思った。


この日、三島は勘違いしていましたが、
いわゆる自衛隊の実戦部隊であるところの第32普通科連隊、
つまり精鋭部隊は朝から富士演習場に行ってしまっていたため、
ここで三島の演説を聴くために駆り出された800名はほとんどが、
資材調達、通信、補給などの部隊の隊員でした。

もし、ここに三島の言う「武士」である隊員が数百単位でいたら?

勿論戦後の平和を享受してきた隊員たちが、
たとえ実戦部隊の自衛隊員であっても、この三島の演説に
「武器をもって立ち上がったかもしれない」
と考えるのは今となっては妄想とでもいうべきでしょうが、
少なくとも上記回想をしたある陸曹が感じたように
「惻隠の情」からせめてちゃんと三島の話を聴いたかもしれない、
という気はします。

もっともその場にいた隊員の誰もが、
そのあと三島が割腹自殺を遂げるなどとは思っていなかったからこそ
声をからしてその演説をヤジっていたわけで、
その時の彼らはこれも陸曹の回想にあるように、
「気分は学長をヤジる学生運動家」だったのではないでしょうか。
そして後からそのショッキングなニュースを聞き

「自殺までするなら話を聴いてやればよかった」

と後悔したというのが本当のところかもしれません。


また、こんな話もあります。

三島の遺体が自宅の平岡家にに帰ってきたとき。
遺体の首は綺麗に縫合され、楯の会の制服が着せられて、
外からはその傷さえ見えず、さらに刀がきっちりと胸に置かれていたことが
息子の無残な姿を覚悟して恐る恐る棺を覗いた父親を驚愕させました。

遺族に対しこのとき処置をした警察病院の担当者は、

「自分たちが普段から蔭ながら尊敬している先生の御遺体だから、
特別の気持で丹念に化粧しました」

と語ったということです。






こうして旧一号館と再現された記念館を比べると、はっきりいって
「レプリカ」みたいな感じは否めません。
というか全く別の建物でしょこれは。

しかしながら、この保存に関しては案の定(笑)
「こんなもの残すのは負の遺産でしかないから潰せ」
という左なお方たちからの騒音が物凄かったとか。

どうせ「我々の税金で」なんてことを言ったんだろうなあ。

都合の悪い歴史は無かったことにしようなんて、
「日帝の負の遺産は皆消してしまえ!」
と全ての(現行で使用している施設については見ないふりして)
日本統治時代の名残りを潰したり、桜を切り倒したりする
どこかの国と同じメンタリティじゃないですかー。


あっ、もしかしたら同じ・・・・(察し)




しかし、こういった部分は本物そのまま。
三島が10分足らず立ち、檄を飛ばした
そのバルコニーそのものです。



演説を終えた三島はこの窓から部屋に戻ってきて
恩賜の煙草を吸った後、割腹しました。

同行の森田必勝に向かって三島は「君はやめろ」
と言ったのですが、三島の後森田も割腹し、
介錯で切断された二人の首を残された三人は並べ、涙しました。

拘束されていた総監は三島が腹に刀を突き立てたとき
「やめなさい」「介錯するな」と叫んでいたそうですが、
全てが終わり拘束を解かれて泣いている彼らに向かって
「もっと思い切り泣け」といい、さらに遺体に向かって
「私にも冥福を祈らせてくれ」と正座し瞑目したそうです。

総監の心の裡で三島の訴えはどのように響いたのでしょうか。



事件の次の日、ある隊員の手で総監室の前に菊が供えられたのですが
一時間も経たないうちにそれは幹部の手で片付けられました。

また、事件後、陸上自衛隊内で1000名によるアンケートが行われました。
大部分の隊員は「檄の考え方に共鳴する」という答をしたそうです。
一部に「大いに共鳴する」という答もあり、そのことが防衛庁を慌てさせました。

つまりは、そのような大事を行うのに三島のやり方は
いかに自衛隊員を納得させる道理があったにもかかわらず、
惜しむらくはあまりにも性急に過ぎたのです。

つまりサラリーマン的に飼いならされた自衛官に対してそのような訴えをしても、
三島の期待したようにはならなかったであろうことは自明の理だったと言えます。

アジテーションに失敗した三島は、その殉教的自己犠牲、
(彼が昔憧れを以て見つめた『矢に射られるセバスティアヌス』のような)
その犠牲があわよくば社会に変革を触発し、改革へのきっかけとなって
憲法が改正されることを期待して自決したのではないか、とも思います。




「ここであの事件が・・」


見学者全員がおそらく同じような思いを持って
この事件のあった部屋に佇んでいたと思われますが、
新しく移築されたときにそのような空気は払拭されたのか、
妙に明るい壁といい、気のせいか映画「MISHIMA」でロケに使われた
部屋の面影は全く感じられませんでした。

ただ。




当時からそのままである廊下側の窓の桟に、
水の湛えられた茶碗がひっそりと置かれていました。

死者の霊を慰めるための水でしょうか。




リーツェンの桜~ドクトル肥沼を知っていますか

2013-03-22 | 日本のこと

今年の桜の開花は観測史上最速だそうです。
我が家の裏にある立派な大木も今7分咲き。
桜の名所である近くの公園には、
きっと今週末お花見を楽しむ客がやって来るでしょう。

本日のエントリは、桜の咲くであろうと思っていた
4月1日にアップしようと思っていましたが、
予想を裏切る開花の速さに、予定を変更して
慌ててログ作成しました。

日本の桜がドイツのある町で花を咲かせている、という話です。




旧東ドイツのポーランド国境近くに、
リーツェン(Wriezen)という小さな町があります。

この700年の歴史のある市のある広場の墓地に、
この地に尽くして死んだ一人の医師が眠っています。

その墓石は高さ一メートルの大理石で、
表面には古代ギリシャの医神、アスクレピオスの持つ杖、
ヘビの巻き付いた杖の意匠が刻まれています。

またこの町では体育連盟の主催による少年柔道大会が行われ、
300名弱の参加者は全員大会前に、
この墓の前に詣でて花を捧げることを恒例としています。

この町の人々がこの医師の偉業を偲んで何かしよう、
ということになったときに思いついたのが柔道でした。

「彼は日本人だから、やっぱりするなら柔道だろう。
柔道をやろう」

その柔道大会はこう名付けられました。

「肥沼杯」

1946年、医師としてこの地にあって、瓦礫の町に蔓延する
チフスの治療に無私の情熱を注ぎ、ついには自らがその病に
斃れた日本人医師の名が冠されたのでした。


肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)は1908年(明治41年)
東京八王子に、開業医の長男として生まれました。

中学時代から数学にのめりこんだ肥沼は、
アインシュタインやキュリー夫人に憧れ、
ドイツに行って勉強したい、という夢を持っていました。

あまりにも数学ばかりを勉強しすぎて他の教科ができず、
旧制一高を不合格になった肥沼は、数学を東京理大で教える
アルバイトをしながら(笑)日本医大に入学します。
その後東京帝大からベルリン大医学部へを進みますが、
どこに行っても彼の評価は一つでした。

「数学の鬼」

医学部にいながら、数学ジャンキーの彼は、
「趣味は数学」と言い切るほど数学に熱中していたのです。

東京大学で放射線医学を学んだ肥沼は昭和12年、
29歳のときに憧れのドイツ、ベルリンに渡りました。
出発の日、横浜の港は冷たい雨が降っていました。
母や弟たちにとってこれが肥沼との今生の別れとなります。

ベルリン大学医学部で放射線研究所の研究員となった肥沼は、
留学6年目には論文が認められ、教授資格を得ます。

ベルリン大学の教授資格を東洋人が受理されたのは肥沼が初めてでした。


当時ドイツは一次大戦の敗戦による社会の疲弊が、
アドルフ・ヒットラー率いるナチス党に対する大衆の支持を生み、
その独裁体制を一層強化する国情となっていました。

ヒットラーの民族主義はユダヤ人迫害、そして「アーリア人種至上主義」
となって現れ、社会の中枢は次々と「ナチス化」されていっていました。

「白バラの祈り」という映画についてエントリを上げたとき、
ナチス式の挨拶を法廷がしてから審理が始まるシーン、
そして反ナチスの被告を罵倒するナチ裁判官について書きましたが、
法曹界、宗教界、公務員などの組織もナチ化が進められます。

医学界もその例外ではありませんでした。


「ナチス医師同盟」に医師は強制的に入会させられました。
ナチスに反対を唱える学者や医者は追放される運命だったので、
皆それに従うしかありませんでした。

44年の2月、肥沼はドイツ政府にある宣誓書を提出させられました。
その内容は次のようなものです。


「私はフリーメーソン結社に所属したことはないことをここに宣誓します」

「私は純潔な日本人であり、日本国籍を有することをここに宣誓します」

当時日本とドイツは同盟国でしたから、日本人は「名誉ドイツ人」
としていわば特別扱いになっていました。
しかし、当時のナチスの純血主義を鑑みると、この宣誓、
あえて純粋な日本人であることをあらためて宣言したこの宣誓は
肥沼の日本人としての矜持のさせたこととはいえ、
非常に勇気のいる発言でもあったと言えます。

ナチスに毫も媚びなかったこの態度が、今日に至って
彼を知る人たちに評価されている所以です。

また、肥沼は1944年、フンボルトハウスで行われた講演の中で
このように述べています。

アーリア人こそ優秀な民族である、というが、
我々はヨーロッパ自然科学を生み出したのと同じ能力を、
日本人も前々から持っていたと考える」

「その証拠として次のような例を挙げたい。
ライプニッツやニュートンとほぼ同じ時期に、
日本人の関孝和は書式こそ違うとはいえ、かの高等な
微積分学とほぼ同一の計算式を考案していた」

「日本人は疑いなく種類や程度の高さにおいて、
ヨーロッパのそれと等しい
自然科学の研究能力を持っている」


「今日は欧州の築いた基礎の上に
独自の研究を重ねてはいるが、

他人の畑の果実を収穫するだけでなく、
自らの種を撒くことのできる知力を
備えていると言っていいだろう」


「日本人が一から行ったと評価されている業績もたくさんある。
山極勝三郎、市川厚一による癌発生システムについての研究、
吉田富三の肝臓がんを発生させる研究、
そして湯川秀樹の作り出した中間子理論などである」

肥沼は湯川がノーベル賞を受ける5年も前に、
その中間子理論を高く評価していたのです。

アーリア人至上主義のナチス政権下で、「日本人優秀論」を
講演で唱えた肥沼が、はたしてどのように扱われたか。
このようなことは全く記録にありません。

彼がいつベルリンを去ったのかさえも、はっきりしていないのです。

ベルリンを脱出した肥沼は、終焉の地となるリーツェンに移りますが、
この町は当時酷い衛生状態であらゆる伝染病が蔓延していました。
ドイツ人の医師はすべて戦争に駆り出されていたので無医村状態。
あまりの発疹チフスの蔓延ぶりに、近隣の都市の医師は
伝染病に感染するのを恐れて診察に来ませんでした。

ここに一人、ふらりとやってきた、ドイツ人以上に正確なドイツ語を話す
日本人が、ベルリン大学の研究者で教授資格を持っていることなどを
ここの住民は何も知りませんでした。

彼は自分のことをほとんどしゃべらなかったからです。

ここで肥沼は、ベルリンからある夫人とその娘を伴ってきていました。
シュナイダーというこの女性は、肥沼に献身的に尽くしていましたが、
「夫婦という感じではなかった」そうです。
彼女は肥沼の最期を看取ると、どこへともなく去って行ったということです。




自分のことを話そうとしなかった肥沼が周囲に時折話していたのは

「日本の桜は大変綺麗です。
皆にぜひ見せてあげたい」

ということでした。





この地での肥沼の死闘が始まりました。
発疹チフスはペスト、マラリアとともに恐ろしい病気です。
シラミによって感染し、戦慄、高熱、頭痛、四肢痛、
めまい吐き気を伴い、発疹が次いで表れます。
重傷者は心臓の衰弱により死に至るのです。

この国境沿いには、ポーランドから退去させられた
大量のドイツ難民が400万人流れ込んできていました。
リーツェンの近郊には難民収容所が緊急に作られ、
大勢の病人が収容されていました。

そこは地獄と化していました。

人々はそこでただ虫のように横たわり、
苦痛ととシラミに苛まれて助けを求めていました。


「肥沼先生は、まるで勇敢な兵士のように入っていき、
身の危険も全く顧みず、もっとも酷い症状の患者に
持ってきた貴重な薬をせっせと与え、
また次々に患者を見て回るんです。
こんな無私無欲の行いを目の当たりにして、
気が遠くなるような感動に打たれました」


肥沼についていた看護婦の証言です。

それどころか、肥沼はたった一人の患者のために
雪の中を一人で往診に出かけ、診察料のことを口にしませんでした。
これもまた、

「金銭のことを口にするのは下品である」

という意識が浸透している日本人ならではです。
そして、

「また一つの小さな命が救われた、よかった」

治療の効果が出て患者が回復するたびに
肥沼はこのようにつぶやいたそうです。

このように肥沼に命を助けられたリーツェンの住民は多く、
その伝説は子から孫へと伝えられ、いまでは
リーツェンの小中学校では必ず先生がこの日本人医師の
偉業について伝える時間があるのだそうです。


精力的に患者の間を歩き回っていた肥沼自身が
発疹チフスに倒れたのは、死の二か月前のことでした。

「ベッドに横たわっている先生の頬はすっかり落ちくぼみ、
顔が大変小さくなっていました。
額からは汗がどんどん吹き出し、私はふき取ってあげました」

家政婦だった女性の証言です。

肥沼が死んだ前日の3月7日はこの家政婦の誕生日でした。
かねてから誕生日パーティをやりましょうと約束していた肥沼は

「誕生パーティをやれずにごめんね・・・・・。
誕生日おめでとう」

と言い、次の日の午後一時、37歳の生涯を終えました。

肥沼の遺体は粗末な棺に納められ、数人が付きそう中、
墓地に運ばれていきました。



戦争が終わったとき、研究者であった肥沼は日本に帰り、
専門の研究をしたかったことでしょう。
しかし、彼はリーツェンにとどまり病気に苦しむ人を診療しました。

その無私の精神、そして「自死の心」を以て、
肥沼は「アピクレウスの杖」に忠実たろうとしたのです。
肥沼がドイツ人に向かって

「日本人は科学的な劣等民族などではない」

と堂々と述べたことからも、彼がヨーロッパ人の中にあって
日本人を代表する誇りと気概を常に持っていたことは
間違いのないところでしょう。


肥沼の本質は「研究者」であったはずです。
しかし、彼は目の前で苦しむ人々を医者として
見捨ててそこを去ることができなかった。


それは彼が日本人であったからこそではなかったでしょうか。



リーツェンの人々は、かつて自分たちの生命を助けてくれた
この日本人医師に対して感謝をし続けてきました。
そしてこの小さな墓を守り続けてきました。

しかし、日本の関係者に彼の行方は全くわからないままでした。
東ドイツの社会主義体制の中では、たとえ住民が感謝していても
「資本主義国の日本人」
というだけで不審、異端を見る目の人々も数多くいたからです。

しかし、ベルリンの壁崩壊後、社会体制が変わったことで、
ドイツ国内でもそれまで公にされていなかったあらゆることが
表に出てくるようになります。

肥沼信次医師のこともその一つでした。

リーツェンの新市長が恩人である日本人医師の生前の偉業を掘り起し、
柔道大会や「肥沼通り」という
桜並木を造る計画を進めるうち、
リーツェン市は日本の肥沼の遺族と連絡が取れるに至りました。

そのときドクトルが生前現地で口癖のように言っていた

「日本の桜を見せてあげたい」

という言葉を市の関係者から聞かされて知った弟の栄治氏は
リーツェン宛てに100本の桜の苗木を贈りました。

そのうち枯れずに残った50本が、市庁舎の庭で育ちました。

それが1991年のことです。

1993年に訪独した舘沢貢次氏によると、

「大きく育ったらこれを何本か肥沼さんの墓に移し替え、
残りは『肥沼通り』に植えたい」

と市長は言っていたそうです。

それから22年。
市長のその計画は実を結んだのでしょうか。


今頃、日本から贈られた桜は花を咲かせ、
今日本で咲いているのと同じ色のその花びらを
ドクトル肥沼の墓に散らせているのでしょうか。





参考:大戦秘史 リーツェンの桜 舘澤貢次 ぱる出版


ブーメラン戦隊ジミンガー~玄葉「そんなの俺たちだって」

2013-03-18 | 日本のこと


というわけで、ジミンガーのブーメラン図完成です。
これについては若干の訂正がありまして、まず

「ジミンガー・ブラック」のグーグル原口については
傲慢な物言いで

「グーグルアースで見れば中国艦船の位置わかりますよ!
(なのになぜ自民党はそれをしないのか)」

と言い放ったのがあまりに強烈なクリティカルヒットとなり、
ブーメランというよりは自分で自分の脳天を強振即成仏、
みたいな図になってしまい、ネタ的にあまり面白みがないので、
「ジミンガーシリーズ」最終回はこの人をお送りします。


玄葉光一郎前外相


(福島復興)


「除染はなぜ遅れてるんですか!!!!」





終了





・・・・いや、ここで終了しちゃったら困るんですけど。


なんで遅れてるんですか?
わたしもぜひ聞きたい。
政権取って3か月足らずの自公にではなく前政権の民主党に。

自民の森まさこ議員が
「避難指示しなかったので外でおにぎりを食べたりしていて
たくさんの子供たちも被曝してしまったんです」
と泣きながら質疑したとき、雁首揃えて閣僚席に座っていたうちの
一人であるあなたにもね。


「体制の問題じゃありません。

タブーを破る時期に来ているということです。

除染がなぜ進まないかというと

中間貯蔵施設がないからで、

なので仮置き場もできない。

つまり復興の哲学を甦らせるべきです。

復興の哲学(元に戻す)のタブーは破るべきです。
除染が進んでも戻らない人がいるからです。

それをやらないから除染が遅れていると言われても仕方がない」



・・・・ちょっといいですかー?

もしもし、玄葉さん?

「頭の悪い人の話し方」の好例になってますよ?
わたし、この部分を三回聞きましたが、
何が言いたいのか全く分かりませんでした。

ええ、ホントーに分かりませんでした。

アベ「(何言ってるかさっぱりわからないけど)
おっしゃることは我々もやっております。
担当大臣を呼んでいただいていないので、
進捗状況をご説明することはできませんが」


「あのね?

実際進んでないんです。

わたしもね、泥をかぶるつもりで言ってるんですよ。

泥をかぶるつもりで言ってるんです。

おもてで議論するってことをしていないんです、
復興に与野党ありませんから、私も野党ですけれど、

泥をかぶります。

そしてぜひ様々な提言を福島の復興についていたしますから、
復興に付いて集中審議をし精力的に議論したいと思います」

まあ、要は「復興会議に民主を締め出すのはいけない!
見えないところで進めないで俺たちにも言わせろ!
俺たちが復興のために働いているところを国民に分からせろ!」

ってところでしょうかね。

復興に関しては条件抜きで国民からの支持が得られ、
「存在感」(ぷっ)を野党なりに示すことができると。
そのチャンスから自分たちをハブるな、と。


じゃあ聞きたいんだけど、
あんたがた政権与党のときに復興作業について
手柄を独り占めにするため自分たちだけでやろうとしたり、
その実勝手に中韓企業に工事を発注したりしてなかった?


「因みに安倍総理は3.11以来、総裁になられるまで
一年半、比較的時間があったと思いますが、
福島には何回くらい行かれましたか?」


アベ「急に言われましても・・・・三回くらいですかね。

玄葉さんは遅れてると言われますが、民主党政権下では
やはり基本的なやり方自体うまくいかなかったんですよ

やり方も、進め方も。
だから遅れてるんじゃないですか。

そのことはしっかりと認めたほうがいいですよ?

その上に立って我々は違うアプローチをします。

そのことについて説明をしてもらいたいんであれば、
最初から担当大臣を呼んでいただければよかったんですよ。

どういう進め方をしているかということについて
中身のある議論ができます。

しかも今はもう議論をしている時ではないんですよ。
実際に何をやるか、それをやっています。

それを説明して欲しいんであれば
担当大臣を呼んでいただきたいと思います!」


この答弁の間玄葉がしていたこと。


「民主はなにもできなかった」と言われると、
顔をひきつらせて何度も首を横に振る

「議論をしている時ではない」というところで
目を伏せたままニヤニヤ笑う。


お前は生徒会で論破される中学生か。



「これ、哲学と理念の話をしていて、今回の質疑を通じて
どうも安倍総理は、どうも福島に思い入れがどうも、

あまりないなあと思って、残念に思いましたけども、

やはり与野党なくこれを進めてね。

私は泥を被って今日申し上げてるんですよ?

それをですねえええ?

あのっ、そういう言い方をされるというのは
私は非常に残念だと思います。

総合的な国益論に立ってで大きな判断をしてほしいと思います」


「泥を被って」を計4回言いましたね。
こいつの言う「泥をかぶる」ってどういうこと?

どうも聞いていると「福島の復興」とその議論に加わり、
民主党に

(政権時代の言い訳を)させろ!

ぜひさせろ!

俺たちのいないところであれこれ決めるんじゃねえ!

ほれ、泥を被ってその政策に助言してやるから?

自分たちだけ「美味しいところ取り」するな!

俺たちも入らせろ!

って言ってるように聞こえるんですが。

政権与党にあったときさして何もしていなかった民主が、
野党になったとたん勢い込んで
「泥をかぶる覚悟」を決めたのはなぜだろう?(棒)

政権与党のときにいくらでもかぶれただろ?あ?


因みに、「何回足を運んだか」と玄葉氏は息巻いて、
安倍総理は「三回くらい」と控えめ過ぎる答えを返していますが、
実は安倍総理は震災直後の

3月26日には支援物資のトラックとともに

福島県南相馬市、相馬市、新地町、福島市

4月8日には

宮城県仙台市、亘理町、山元町の避難所計8か所。

5月30日には

岩手県盛岡市、宮古市の避難所、仮設住宅など

党総裁就任までに計10回被災地を訪問しています。


そういえば、このブログのコメント欄で

「震災の時に自民党が

どんな立派なことをしたのか知りませんが」

などと無知を装って悪意のあるコメントをしていた
反安倍親中護憲派の団塊左翼さんがいましたね。

その「立派なこと」は、あなたが中国政府にしょっちゅう受けている
ハニートラップ宴会で泥酔している時間をすこし割いていただいて、
パソコンをワンクリックして検索するだけで、山ほどでてきます。

民主党の党員ですら、「民主が何もしないので困り果て」
自民党に「がんばってください」と言ってきた話とかね。

あなたの好きな中国様の下僕である岡田が、
地元の自民推薦の議員が後援している企業が
放水のためのポンプ車を無償提供したのに、
「敵の手柄にさせたくない」と送り返した話とかね。


まあ、知らないのか知って言っているのか知らないけど、
どちらにしてもクリックすれば何でも知ることのできる現代の日本で
「知らなかった」という言い訳をネットですること自体が「ブーメラン」ですわよ。


(日米共同声明)


「これ、当たり前のことを確認する、

国内向けのパフォーマンスである上に、

非関税措置で必要以上に押し込まれていると思います。

1、センサティビティの存在

2、最終的な結果は交渉で決まっていく

3、一方的に関税撤廃を求められるものではない

これを勝ち取ったと(噴きだしながら)言う言い方をしているわけですが、
同時に

自動車部門や保険部門に対処

その他の非関税措置に対処

ということが明示された、というのが今回の共同声明です。


当たり前のこと、って言ったのは、実際はこの
1のセンサティビティの存在っていうのは
民主党政権下で下ごしらえの交渉は事実上終わってました!

2も、昨年四月、すでに私とUS・DRの通商代表の間で、

まさに明示的に、

文章にしたわけではありませんが、

そういうことは確認をされています。


3ですが、これ

当たり前のことですね?(笑いながら)

これ、他の国はどうなんですか岸田さん?」


つまり、俺たちのやっていた当たり前のことを
勝ち取ったなどと言って誇るな!

当たり前のことなんだから!

ってことみたいです。


岸田外務大臣「今回のことはその当たり前のことを
初めて文章にしたことに意義があると思っています」



(ニコニコしながら)
「こんなこと当たり前なんでどこの国もそんな約束させられてないんですね!
当たり前なんですよ当たり前なんですこんなことは当たり前」


アベ「当たり前っておっしゃいますけど、そうなんだったら

民主党政権で文書にすればよかったじゃないですか。

外交交渉においてですね。

『いくらでもできた!』と言っても、できなかったじゃあないですか

だったらなんで首脳会談のときに作らなかったんですか?

政治は、結果なんですよ。

出していない結果に対して、後で出した人に対して

『そんなのは俺たちだってできた』と言ったってですね。

それは世の中にはなかなか通らないのではないか、と。


私はそれを喧伝するつもりはありませんし、第二パラグラフについても
なかなか取れる話ではないと思っています。
最前線で頑張ってくれた皆さんにはありがたいと思います。

しかし、文章化するのも困難なことでありそれはなかなか決まらなかった。
そしてそれは首脳会談においていろいろ決まっていくわけですが、
今回第二パラグラフ、第三パラグラフを会わせて
文章化することができたわけでありまして、」


「まさにそういうことなんですよ!

我々からすれば当たり前のことを文章化するために
3パラで譲って押し込まれた、って結末だということなんですね。


いずれ参加表明するんだと思いますが、そのときには
アメリカの同意は得たうえで参加表明すると考えてよろしいですか?」


アベ「第3パラグラフが押し込まれたわけではありません。

我々の公約は

『聖域なき完全撤廃を前提とする以上交渉には参加できない』

というものですからこの国民との約束を違えるわけにいかない。
私はこれを向こうに口頭で申し上げ、文書化することを迫ったわけです。

米国には米国内の立場があり勿論日本にもある。
これらを踏まえてタイミング的にも調整をしていく」


「まあ事実上参加表明していると思いますがー、
これはアメリカとよく調整をした方がいいと思いますね!」

(話聞いてたのかな?)



「一方的に参加表明と言うことになってしまったときには、
ここに明示的に書かれちゃってるわけですから、
ベタ折れになっちゃう可能性がありますので。

ところで自民党の言う『聖域』ってなんですか?
関税撤廃乗れ以外のことですか?」


アベ「どこの国にもある『譲れない部分』です」

「おそらくオバマ大統領との間で『例外』って使ってないでしょう?
コメは場外を求めますね?」


「コメはどうするんだ」
って国会で聴かれて一言もそれについて答えなかった野田総理が
確かおたくの党にはいましたね。

アベ「まだ交渉参加するかどうかも決めてません」

「コメは除外を求めるべきです。
自民党議員にはTPP反対が多い。
これどうするつもりなんでしょうかね?(ニヤニヤ)」





(日米関係)


「日米首脳会談で気になることがあった。

『この三年間で著しく損なわれた日米の絆』と

安倍さんは

レッテル貼りで

レッテル貼りで

レッテル貼りで

いたします。

私も確かに外務大臣時代認めたんですけども、
鳩山さんのときに

一時揺らぎが出た

このことはそうだと思います。
でもその後の政権で建て直したと言う風に考えています。

本当にね、安倍総理が言うように著しく損なわれたって言うなら、
あのとき胸を張って完全復活した!みたいな(笑いながら)
宣言ができるのかと。

そもそもですね、著しく損なわれていたのなら一度会っただけでですねえ、
取り戻せるものなのかと(はあはあ笑いながら)。

だからそもそもですね。
一時揺らぎは出たけど、建て直していたってのが率直なトコだと、
思います。現にですね。

安倍さんのあのような宣言、胸を張った会見も含めてですね。
あの会見に対して米国から、ん~~~


何の反応もありません!その後!何のコメントも!ありません。

ですからですね、アメリカからすれば野田政権の延長線上、
っていうのが率直なところ、なんですね

実際オバマ大統領は総理を品定めした、
という側面があるのではないか、と思います。

私は勿論、国益に比することはしっかりと協力をいたしますし、
どうかな?と思ったら厳しくチェックをしようと思っています。

で、何が言いたかったかといいますと。
安倍総理の発言聴いてると、なんかねえ、

単純なレッテル貼り!

あるいはパフォーマンス!

そういうのがね、わたし、非常に気になります。


もしね、そういうことをこれからも続けるってことであれば、
私は今後は厳しく追及していきたいと言う風に思います。

そのことを申し上げてわたくしの質問を終わります」



玄葉が目を剥いて何を言いたかったかと言うと、


「民主党は悪くない」

「自民が成果といってるのは民主もやってた。
文書化なんて単なるパフォーマンスだ!」

「アメリカは自民を品定めしただけ。
認められたとかって威張るな。レッテル貼りすんな」


ってことだと思うんですがね。
「確かに鳩山時代に日米関係が損なわれた」
これは認めるのね。

じゃお聞きしたいんだけど、

菅首相は鳩山から総理を代わったとき、
鳩山がやった失策と失われた信頼に付いて、
何かそれを取り戻すようなことをしたのかしら?


最悪の状態だったところに大震災が起こり、
その後中国との関係が急に悪化したので
そう言った問題を棚上げしてアメリカが支援をしてくれたことで
関係が復活した、と勘違いしているだけなんじゃないかしら。


そしてなによりアメリカの機嫌を取り戻すために菅首相は
TPP交渉参加を「押し込まれて」検討を余儀なくされたのでは?



玄葉光一郎。

この男、ライバルの前原誠司に張り合って、外相時代、
初の中国訪問の時にわざわざ「お大臣」扱いで
政府専用機をチャーターしやがったんですよ。

中国航空のビジネスクラスで十分でしょ?
中国なんてあっという間に着くんだから。

で、そのときの費用が1200万円。
政府専用機は外相クラスでは使わないのが普通なんですがね。
さぞかし機内ではふんぞり返ってモト取ったんでしょうねえ?


この質疑が行われたのが2月28日。

3月7日、安倍総理は岡田克也の質疑にこたえる形で

「鳩山のあと持ち直したって言うが、
じゃこの3年間日米関係は良好だったと
胸を張って言えますか?」

って聞き返し、岡田は答えられませんでした。


これ、この日に玄葉に『言い逃げ』された最後の部分に対する
反論を兼ねて言ったのではないかととエリス中尉思っております。
オカラがブルブルしている横で、玄葉もこれを聞いて
「きいいい」ってなっていたんじゃないかと。

本人たちがいかに言い募ろうとも
日米関係は最後までむちゃくちゃだったでしょ?

その動かしがたい証左が、あの時期急に中国、
ついでに韓国の動きがアグレッシブになったこと。
ロシアも一時激化しましたよね。

つまり日米同盟に揺らぎが出ていることを中国が見越して
ゆさぶりをかけてきた、ってことだったんじゃないのかしら。



それから、「レッテル貼り」っていうのはね。

何回しか足を運んでいないから被災地に対する思い入れが感じられない、
と言う風に、
「自分の目に見えていることだけ取り上げてそれを誠意に換算し勝手に比較して非難する」
これをレッテル貼りと言うんですよ。

おたくの歴代党首とか、特にあの小沢元代表とかが、
どれだけ被災地に足を運んで実際国民のために何をしたか。


こういうの一覧表にでもされたら一番困るのは民主党でしょうに。






 


ブーメラン戦隊ジミンガー~細野「原発事故は自民のせい」

2013-03-15 | 日本のこと

     


さて、ジミンガーシリーズ、(いつのまにシリーズに・・)
三日目は真打ち、細野豪士。

細野豪士。

名前だけはいっちょまえにかっこいいですね。
実はわたしが乗馬に行っている御殿場市はこいつの選挙区。
インターチェンジを降りてクラブに行くまでのあいだに
このうっとおしい顔のポスターを見るわけですが、
失礼ながらこのわたくし、この辺の住民の民度というか、
平均知能まで疑ってしまうのでございます。

こんな人間のクズを当選させるなんてね。

まさかご存知ない方がおられるとは思いませんが、一応ここは
「政治ブログ」ではないのでもしかしたらこの細野のとんでもない
スキャンダルを知らない人もいるかもしれませんから、
一応説明しておきます。

(乗馬の先生も知らなかったしなあ)

細野豪士は、2006年、路上で某タレントとキスしている写真を、
写真週刊誌に撮られ、そのスキャンダルが有名になる。
また、娘の幼稚園の運動会の日に、公務だと嘘をついて
このタレントと京都に旅行をしていたことも明らかになった。
この京都までの新幹線代は公費を流用したという。


なんて野郎ですか貴様は。


不倫もお互いが納得していれば勝手にすればよろしい。
やるなら誰にも一生ばれない覚悟のある奴だけがやればいい。

しかし、妻は勿論不倫のために純真な娘の心を騙すな。
おまけに新幹線代をちゃっかり議員歳費でってせこい。せこすぎる。

何を浮かれて公道で路チューしてるんだ。中学生か。


というわけで、エリス中尉、この手の男が世の中で一番嫌いなわけですが。


それでは参りましょう。


細野豪士

(震災対応)

「自民は野党時代特例公債法を合意するのが遅い!
11月になって政権を追い込めるようになって
初めて合意した!

わたしたちだってやりたいこといっぱいあったんだ!!

当初予算ですら財源無いんだから、
新たな政策できるわけはないじゃないか!」


(財源はあるといって政権を取った党があったような・・)


「安倍総理!
建設的な議論をやりましょう!
しかし三年三か月の間自民は建設的でなかったから反省しろ!」


アベ「ずいぶん大きな声で居丈高におっしゃっていただいたんですが、
・・・・・あまり過去のことを言いあうのは生産的ではないかと・・。(皮肉)
こちらにだって言いたいことはたくさんありますよ。

だいたい民主は8月に解散を言い出したけどしませんでしたしね?
『近いうち』って、世の中の一般常識って一か月でしょ?
約束守ってくださいよってことで党首会談して、
合意もそれ以降の話ですから。

民主党の態度は合意するとか以前だったってことです」


「野党だから何でも反対するのはわかるけど、
特例公債法は大事だから暗黙のやり取りで通すべき!

だいたい我々の法案成立率が57.5パーセント。
第一次安倍内閣は90パーセントだ!

こんなに野党が協力していたのに、自民はひどい。
邪魔するばかりで全然協力してくれない。

わたしも居丈高に申し上げるつもりはありません!
率直に申し上げます!

野党時代の非協力的な態度を反省しろ!」


アベ「反省するつもりですしこれからもご協力いただきたい」



安倍総理、大人です。
噛ませ犬のような細野の挑発に乗らず、協力を「お願いする、
協力してくださったことには感謝する」、と・・・・・・・(ノД`。)ホロリ

気をよくして、細野続けます。


(原発問題)


「口では責任あるといいながら自民には

原発事故についての責任の自覚が足りない。

原発事故についての責任の自覚が足りない。

原発事故についての責任の自覚が足りない。」


ツイッターがもっとも盛り上がっていたのがこのとき。

「すごいや民主党の不手際は
全部自民のせいにする気なのか、細野君は」


自民時代にやっていれば原発事故は防げたって言ってるわけです。
ことに、閣僚席の甘利大臣が経産相の責任は重大で、
2006年に安倍内閣が成立してから

「2年の間に転換点はあったんですよ?!!」

と言い出すんですから皆「はあ?」ですよ。
転換点ってなんですか。
もしかしたらたられば言ってますか。

自民のせい、ですか。


「3月12日の一号機の水素爆発のあと、
10キロしか住民避難できなかったのは、2006年に
経産大臣になって4か月目のときにIAEAの基準を変えなかった
甘利に責任がある!!!」

「耐震指針ができたときにすぐに保安院に指示を出さなかったのは
甘利が経産相のときだ。
甘利に責任がある!!!」

「IAEAの総合規制サービスが保安院と保安委員会の役割が
不明瞭であると言ってきたのに何もしなかった。
甘利が経産相のときだ。
甘利に責任がある!!!」


甘利大臣「私にも至らない点はあったと思いますが、
三番目の点は『将来こうしてもいいんじゃないか』
という提案であると思います。
日本は「ダブルチェック」が売りでもありましたので・・」


いや凄いねこれ。

甘利大臣が在任中これこれをやらなかったからって、
居丈高にいろいろとそれを批難して反省を迫っているわけですが。

じゃ自分たちが政権取って半年の間にそれらのことを
ひとつでもなにかとりあげるようなことがあったのかと。

まるで自分たちが一度もそういうシステムをチェックする立場に
あったことが無いような言い方ですな。


しかも、けんか腰で食ってかかるように言い募る。
どんな正しいことを言っていたとしても、この態度じゃだれも聴かない。
質疑が終わるのもまたず事務所にクレームがくるわけだ(笑)

そしてこのあと、爆弾発言をぶちかますモナ男(笑)


「安倍総理にお伺いします。

自民党は

東京電力福島第一原発について

本当に反省してますか?」


これを聞いてリアルで「えっ?」と画面を見直した人は
おそらく何千万人いたと推定します。

あの事故の不手際、隠ぺい、事故拡大、
全てにおいて、そして原因すらも国民の多くは

「民主党が悪い」

と今でも思ってると思うんですね。
特にベントを遅らせて爆発の原因を作った
史上最悪の宰相、菅直人のせいだと。

でも国会ではそれは誰も言わない。
野党だって与党時代の民主に対してもこんなストレートに
「あの事故は民主のせいだが反省しているのか」
なんて、誰も言ってないと思うんですよね。


それを言うか。


事故のときの責任者で、スピーディの結果を隠蔽し、
被爆しなくていい人たちに被爆させた細野が。

この傲岸。
この浅ましさ。

我に山口二矢の勇気と実行力を与えよ、と
この一瞬だけ思った人間はわたしだけではないでしょう。
被災地の人々の中には特に。

さらにかさにかかって細野君こう続けます。


「真摯に考えて、何が悪かったか検証して、
そのうえでエネルギー政策を決めてますか?

政権の外にいて、わたしは(見たところ)その反省は
不十分だと思ってます!


アベ「安全神話に寄りかかり過ぎたという反省の上に、
エネルギー政策を進めています。

そういうことも含めて国民は

先般の選挙で民主党に退場をさせ、

我々にそれを担え、と選挙でそう決めたわけですから」


(キー!)
「実際に担当した者に言わせれば総理の言葉は軽すぎる!


本当にあれだけの事故があって

その責任が自由民主党にあって

その反省に立ってエネルギー政策をやるという重みが

わたくしには感じられません!!

これ以上この話をしても仕方ないでしょうから


・・・・これ。ケンカ売ってますよね?

わたしは震災対策でどうしても民主を許せない「タラれば」があります。
現防衛大臣の小野寺五典氏(被災地出身)が中心になって、震災前
津波対策法案を出しました。

この法案には大規模災害訓練の実地が含まれており、もし
民主党が廃案にしなければ東北の学校ではこれを受けて
避難計画を立てることになり、訓練が実地されていたはずなのです。

津波が来たとき、大人たちが間違った指示をした結果、
学校一つが壊滅した例がありましたが、もし民主が野党案を
野党憎しで廃案にしなければ、彼らは死なずに済んだかもしれません。


閣僚席の小野寺大臣がどんな気持ちでこの馬鹿男の絶叫を聞いていたか。



(定数削減)


「一票の重みは違法という判決が出た。
総理に聴きます。


逃げないでください。

逃げないでください。

逃げないでください。

自民はゼロ増5減だけ通せばいいと思っているんだろう?!
これは話にならない!」


アベ「逃げないでくださいって失礼だと思います。(珍しく語気を強めて)
自民は早くから法案を出していましたよ?
もっと早くやっていれば終わっているんですよ。

やらなかったのは

当時多数を持っていた

民主党じゃないですか。

いまゼロ増5減はもう通し、他もやっているので、
国会に提出したら法案通すのさっさと賛成してね。

特に細野さん、そこまで言うんならすぐ賛成するんですね?

協力してくれますか?」


「わたしたちはもう討論の用意して待ってます!!!
そっちこそ三月中旬までに石破幹事長にまとめろと
言ったらしいが持ってこれるのか?」


アベ「またまた居丈高におっしゃいますねえ・・・。
わたしは行政府の長ですから、石破幹事長に支持をだし、
自公両党で今その作成をしています。

細野さんもここまでおっしゃったんですから、
我々が出して来たら賛成を願いたいと思います。

我々自由民主党は、長い歴史に裏打ちされた
責任感を持っています。
先ほど法案の成立した率をおっしゃった。

これが結果なんですよ。

皆さん。

どうやって結果を出すことができるか。

それを私たちは知っているんですよ。

皆さんは、申し訳ないんですけど、

それを知らなかったんですよ。

それが成案率になって表れているということは

皆さんも選挙の結果を

謙虚に

受け入れたほうがいいですよ。


そういうことも含めて我々も(三年前)謙虚に受け止めたんですよ。
だから今回選挙で勝つことができなんだろうと思います。


(きいいいいー!)

「あの、わたしのことを何度も若造とおっしゃってるんでしょうが
居丈高とおっしゃいますが、
そおーーーおりの今の表現は、やや、わたしは若輩ですから
この表現は控えますが、やや傲慢だと思います。(控えてない)

だってそおでしょお?

与党案が出てきたらおまえたち飲めって?

選挙制度なんだからそれぞれ考え方あるわけなんですよ!


1、ゼロ増5減セットでだせ。

2、三月中旬に出すのか約束しろ。

さあ答えろ!」


アベ「1、ゼロ増5減もうできてます。セットも何も出します。
2、石破幹事長が3月中旬ということでやっていて
わたしが約束したわけではありません」


これ、モナ男は「三月中旬」の言質を取っておいて、
遅れたらそれを楯に攻めるつもりだったんですかね。


「いや!今の答弁は
聴いている国民の皆さんもびっくりされたと思いますよ?」
(おめーにびっくりだよ、モナ男)

このあと、しつこく「テレビで石破幹事長が三月中旬と言った」
と繰り返し、首相が「私はそこにいたわけではありませんから」
というと、野党の馬鹿どもが一斉に

「ええええ~」

っていうわけですよ。実にいやらしい声で。
夏にまとめてみんな消えろ。


(消えた年金問題)


「消えた年金問題とか、年金問題がむちゃくちゃだったので、
2009年の政権交代が起きた!
なのに今回施政方針演説に年金がなかった!
怪しからん!」

アベ「消えた年金問題はわたしのときに”発覚”したんですが」

「自民政権は長かったから消えた年金問題に
対応しなければいけなかったのは安倍政権だった!
でもそれをやらずに降りたんでしょ?
今回もする気ないんだろう?

我々が

40回も

40回も

40回も

回数を重ねていた、
長妻元大臣が作った年金問題対策会議を
安倍政権はやめさせてしまった!
なぜですか!」


田村厚労相
「長妻大臣が私的に作った『伺い定め』のための、

法的根拠のない会議だったからです。

わたしたち、法的根拠のある会を作り直し、
バージョンアップしましたのでww」


「厚労大臣をしてこの認識とは驚きます!
安倍政権はこの問題を交代させる気だ!
怪しからん!!」


いや・・・・それ、40回もやってどんな成果が出ていたか、
そっちを知りたいと思うのはわたしだけ?
しかもモナ男くん、「法的根拠がないからちゃんと作り変えた」
ってとこ、全くスルーなのね。

負けず嫌いなのね。気付かないふりしてんのかしら?



一度タヒんでこいや。



(教育問題)

「35人学級の案は、個性を大事にする教育のため、
我々が決めたのに、

それを皆さん止めたんだあっ!(ホントーにこう言った)

総理、もう一回よく考えてください!

子供は国の宝です。

子供は国の宝です。

子供は国の宝です。(以下略)



・・・・・・なら娘の運動会も行ってやれよ。
ついでにこれ、大川小学校の父兄の前でも言えますか?








2013年3月8日、NHKが削除した中山斉彬氏の質疑抜粋

2013-03-14 | 日本のこと

緊急ネタです。


この日、2013年3月8日の午前中、
衆議院予算委員会において、あの辻本清美が
「ニューヨークで慰安婦決議が議決された」という質疑をしました。

つまりはこの売国議員は、

「こういう議案が議決されるからにはいわゆる
従軍慰安婦問題は実際にあったことなのだから、
それを認める河野談話を撤回しようとしている安倍総理、
そんなことしたって無駄ですよ」

という趣旨のもとに主張していたわけです。
ところが。

午後になってその「従軍慰安婦」の真偽性が、
写真などによって明快に否定されてしまうということになります。


それが中山斉彬議員の質疑でした。

今日はその質疑からそれに相当する部分をすべて聞き書きし、
できるだけ編集しないでお送りします。

なぜこれをする気になったかというと、
3月12日現在、youtubeに上がっていたこの映像を、
NHKがNHKの名で削除依頼をだし消したという事実が判明したからです。

今までyoutubeの国会中継が異議申し立てによって削除されたことはなく、
これが「史上初めて」NHKによって削除された動画となりました。

NHKの削除理由は「著作権侵害」ではなく(そりゃそーだ)
著作隣接権によるものらしいです。

これが本当に合法かどうかはもう少し知人に聴いてみますが、
どちらにしてもNHKも馬鹿なことをしたものです。

こんなことをすれば

この内容がNHKにとってよっぽど都合が悪いらしい

と皆が改めて認識することになるのにね。
しかも、NHKの人はわかっていない。
インターネッツの世界には不思議な法則があって、

「消そうとすると動画は増える」

のだということを。

というわけで、エリス中尉もまたその「都合の悪い内容」を
こうやってあえて文章にする気になってしまったわけなんですねー。

こわいこわい(笑)


あ、そうそう、みなさん、これ興味がおありでしたらいつでも

「衆議院インターネット中継」
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42475&media_type=wn

の3月8日のところにアーカイブとして残っていて見られますんで。


・・・・・全くNHKの馬鹿さ加減には開いた口が塞がりませんわ。
あ、このログも当然バックアップしてますからね!



それでは、以下中山議員の質疑です。



(植民地支配)

安倍総理と同じ憂国の情を以て質問したいと思います。

安倍政権が誕生して三か月ですけど、
なんか日本が急に明るくなったように思います。
しかし、発足当時は日本経済は落ち込んでおりました。
日米関係も、信頼が遅れ、普天間問題も行き詰っておりました。
尖閣問題も中国に押し込まれてきているという・・。

いわば安倍内閣はマイナスからのスタートだったのです。

しかし、発足早々日銀との間でインフレターゲットを結び、
渡米してオバマ大統領との間に「日米関係復活」を宣言し、
世論調査の(内閣支持率も)いいわけでございますが。


西からはTPPの圧力、東からは中国北朝鮮、
経済的、軍事的圧力が加わってくる仲、経済だけでなく
エネルギー問題など先行き不透明な中で政権運営なさって、
今のご心境はどうですか。


アベ「妻からは『浮かれないで』と言われている。
地に足を付けて着実にやっていきたいと思う」


わたしは家内(中山恭子議員)から「言葉遣いに気をつけろ」
と言われております・・・・。(会場笑)

国際的に日本の子供が苛められてるという話をしたいんです。
今、日本の留学生が、アメリカやカナダで、中国韓国からの留学生に
「お前たちの祖先は俺たちの祖先にひどいことをした」
と言われたりして肩身の狭い思いをして過ごしています。

先日韓国の新大統領が「歴史を直視して緊密な関係を」と言ってきた。
今日は「歴史を直視する」とはどういうことかお話ししたいと思います。
4月28日を「主権回復の日」として歴史を学びなおす日にしようと
考えていらっしゃるようですけど。

私は、日本の戦前の台湾朝鮮に対する植民地統治というのは、
いわゆる大国の略奪する形の統治とは違ったと考えています。
学校や病院、道路や鉄道を作り・・・・・。

例えば台湾では「華南大しゅう」といって、八田技師が
大変な灌漑事業をやりました。
ちょうど私は出くわしたんですが、5月8日には地域住民が
八田技師の遺徳をしのぶというようなことをやっているんです。

日本は朝鮮に対しても同じようなことをしたんです。

パネルを見ていただきたいんですが、右側の記事は
「京城に地下鉄」という新聞記事です。
東京で一番古い地下鉄銀座線が浅草―渋谷間に開通したのは
1939年。
しかし、翌年の1940年にはもう京城に地下鉄ができてるんですね。

この一例だけでも日本が朝鮮の近代化にいかに熱心だったかわかります。


昭和12年の段階で朝鮮半島には5000キロにわたる鉄道ができていた。
昭和20年にはそれがさらに1000キロ延長したんです。
明治39年には仁川に鉄橋を作っていますが、
日本がこうやって作るまで鉄道はここに無かったんですね。
凄い鉄道網を短期間に作っているんです。

大阪帝国大学よりも7年早く、名古屋帝国大学より15年も早く、
日本は京城帝国大学を作りました。
日韓併合の段階では公立校は多々100校しかなかった。
しかし、昭和5年の段階では公立学校は1500校、
昭和12年には4711校の公立校が造られたのです。

しかも、鉄筋、レンガ造りです。
私は昭和25年に学校に入りましたが、木造のおんぼろ校舎でした。
日本は内地と同じような投資をしたんだと思っています。

この(写真の)女学校など、もしいま日本にあったら
文化財指定ものではないかと思いますね・・・。

(創氏改名)

(これは)「麻生大臣が昔、創氏改名は朝鮮人が望んだと東大で講演したら、
朝日新聞で叩かれた、という記事ですけど。
今現在高校で使われている教科書を見ますと、創氏改名は
「強制された」という風に書いてあるんです

ところがこの新聞記事を見ますと

「氏の創設は自由」
「強制と誤解するな」
「総督から注意を促す」

と書いているんですね。

「内地式に変更」つまり締め切り後も変更できるんで、
決して強制じゃないですよ、と書いてある。

真ん中の写真を見ますと、

「創氏改名に殺到しているソウル市民」とあります。


下村大臣、教科書の検定は事実に基づいてされるべきと思うんですが、
ここにある三つの教科書、明らかに間違ってますよね?

この教科書で学んだ学生が大学の入試で創氏改名は
強制だったという問題に○、×、どちらを付けるか。
これ、本当に大きな問題なんですよ。

本来であればこういう教科書は回収すべきだと思うんですよね。
せめてこれを使っている学校に正誤表を配布する、
それくらいしてもいいんじゃないかと思うんですが
どう思われますか。

下村大臣「これは現在日本史大辞典、国史大辞典において
強制であると書かれているので教科書として間違っている
というわけにいかない」

そこを政治主導で「間違っている」と訂正すべきです。




(従軍慰安婦問題)


午前中辻元議員がいろいろ言ってました従軍慰安婦問題です。

軍が関与していると最初に誤解させた記事は平成4年のこの記事です。




この資料っていうのは、悪徳業者が慰安婦の募集に
関与しているようなので、注意するようにという通達なんですね。

全く逆なんですよ。逆。



当時の朝鮮を見ていますと、例えばこの真ん中の「郡長」とか、
8割が朝鮮の人なんですね。
道の長も代々朝鮮人です。
大田警察所にもご覧のように要職に朝鮮人が務めていた

こんな体制で官憲が「強制連行」するなんてありえないんですね。


ソウルの日本大使館の前に今「従軍慰安婦の像」と称する少女の像がある。
アメリカでも朝鮮人の多いニュージャージー州には同じような像が建てられ、
高速道路には大きな看板が出て、
「日本人が朝鮮女性を20万人性奴隷にした」と書かれている。

これは日本人にとって屈辱だと思うんですよね。
こういうことをさせちゃいけないと。
こう思うんです。

だいたいですね。

20万もの女性をさらっていく。
親たちは黙ってそれを見ていたんでしょうかね?
やっぱりそんなことはないと思うんですよ。

日本の兵隊さんは軍律厳しくて世界中から称賛されてたんですね。
日本が遅れて列強の仲間入りをしたからよく見られたい、
とこういうことでもあったんでしょうけど。

根底にあるものはやっぱり武士道だったと思うんですよね。

武士道があったからこそ日本の兵隊さんて言うのは
立派な戦いをしたんです。

それなのにこんな風に侮辱されているというのは、
我々の先祖がこうやって侮辱されているのは看過しがたい。

ここで安倍総理に何かお聞きすることはやめますが、
こういうことを皆でわからなきゃいかんと思ってるんです。



この記事、「朝鮮人が良家の子女を誘拐して満州に売りとばした」
それは17歳と19歳の日本人だったと書いてあります。

後は見ればわかりますが「農村の娘に毒牙」とか、
「桃色の巣を暴く」とか、警察がしっかりと仕事してた、
ということが良くわかる。

日本人がなんかやったとは調べても調べても出てこないです。

戦前、日本も貧しかったから腐海に身を投じなければいけない、
悲しい身の上の女性がいたってことも私は知っています。
しかし、「朝鮮女性だけが従軍慰安婦にされた」なんて、
こんなことは、誤解を解いてもらいたい、と思うのです。

午前中に出された辻元議員の出した資料ですが
このように各国で従軍慰安婦に対する動議が出されている。

ほんとにね。

朝鮮の方っていうのは粘り強いというのかしつこいって言うのか、
ほんとにすごいなと思うんですけど、
こういうことが蔓延するのは自民党にも責任があるんですよね。

自民党歴代の外交、その場しのぎで謝ればそれ以上追及しませんから、
そういう言葉に乗せられていろんな談話等が出されました。
そのツケがきているんですね。

日本人は惻隠の情というか、この辺でとか謝ったからいいじゃないかとか、
あるいは人をだましてはいけないって教えられますけど、
しかし「騙される方が悪い」あるいは「嘘も百回言えば本当になる」と、
そういってプロパガンダに励んでいる国民もいるってことを忘れてはならない。

国際社会でダブルスタンダードで生きていかなくてはいけない、
決意を固めなくてはいけないと思っています。

総理の御答えはいらないということにしておきます。


(贖罪史観)


先の戦争は侵略戦争だったと思い込まされていますが、
GHQ司令官であり東京裁判を主催したD・マッカーサーは、
米国議会上院の軍事委員会において、

「第二次世界大戦は日本は米国によって閉じ込められ、
資源供給の道を絶たれた。
日本が戦争を始めた目的は主として安全保障の必要に迫られて
のことだった」

こう言う風に明確に侵略戦争を否定しているんですよ。

今東京は石原元都知事の指令で、このマッカーサーの発言を
(学校で)副読本として使っているんですね。

(これは『地域から東京へ』という東京都作成の副読本)

下村文科大臣「良い副読本は全国でも使われるよう、
働きかけをしてまいりたいと思います)

いま私たちは子供たちがどんな教科書で習っているのか、
調べることは大変困難です。

平成9年に総理と、亡き中川昭一氏などと一緒になって、
教科書を考える議員連盟というのを作ったんですが、
そのきっかけというのは、ある日中川さんが、
自分の娘の教科書を見たらとんでもないことが書いてあると。
こりゃいけない、ということで教科書議連を作って活動して、
今や中学校の教科書に従軍慰安婦という言葉は無くなった。

これは本当によかったと思ってますけど、
今使われている教科書が文科省のHPで見られるように
出してもらいたいと思います。
できれば中国、韓国の愛国反日に関する部分も。

下村大臣「しっかり対応するつもりだが、
他国の教科書についてはほかで考えていただきたい」




私達日本維新の党は教育問題に一生懸命取り組んでいます。
是非集中審議をお願いしたい。

その時には

朝日新聞の関係者にもぜひ来ていただきたい。

朝日新聞の関係者にもぜひ来ていただきたい。

朝日新聞の関係者にもぜひ来ていただきたい。

このことを委員長にお願い申し上げます。


実現するといいですねっ!

それが実現のあかつきにはNHKの関係者もお呼びして、
どうしてこの動画を消そうとしたのか、
何がそんなに都合の悪いことだったのか、
誰の指示が出たのか、

そんなこともぜひお聞きしたいわ。


追加:





NHKにとって特に都合の悪いのがこの二枚の写真だった模様。
つまり、「抑圧されていた」はずの朝鮮統治で、
警察やら軍上層部の8割が朝鮮人だったことを表す資料。

皆さんもよろしければどんどん拡散しましょう。
コピーフリーです。

 


ブーメラン戦隊ジミンガー2~岡田・過度の配慮編

2013-03-13 | 日本のこと

          

実はこの絵を描いていたのは少しというかほとんど本調子でない時期で、
「座っているだけだから大丈夫」
と自分と読者の皆様の注意を促すご助言に対し言い訳しつつ、
いつもの6割くらいの手抜きで仕上げたのですが、
さすがにまだ外に出ることができない(ふらつき感あり)状態では、
あれこれと続編を描くわけにいかないので(描きたかったけど)
昨日の絵をちーとばかり加工してお茶を濁します。

誰を何色にするかなど全く考えずに描いてしまったので(辻元清美以外)、
体型などほとんど反映させておりません。

今国会、民主党の原口一博元総務相は
とんでもなく太ましくなってバージョンアップして登場。
もしかしたら「次世代原口」バージョンでは、グーグルアースはリアルタイム映像が
見られることになっているのかもしれませんが、それはさておき、
この体型と、「背が高いことが俺の唯一無二のアイデンティティ」らしき、
細野豪士政調会長の体型が反映できなかったのが心残りです。

ってか、こんなもんにいちいち作品心を込めんでよろしい、って話ですが。

さて、それでは「総理になりそびれた男」。
実家はイオン。
弟は中日新聞。
売国奴丹羽大使の任命権者。
「中国様の許可を取ったんですか?!!!!」
がトレードマークの、


岡田克也

(尖閣領海警備についての報道)



「午前中の自民党の質疑が酷い!
産経新聞の嘘記事に基づいてる!
安倍総理も根拠もないのにこんなところで取り上げるな!」


註*産経新聞は複数の政府関係者の話として、野田政権が海自艦艇に対し、
中国軍艦と15カイリ(約28キロ)の距離を置き中国側が近づくと後退することや、
領海侵犯の恐れがあっても先回りして警戒するのを禁じること、
中国軍艦に搭載のヘリが領空侵犯しても
海上保安庁に任せることを指示していた-と報道した。


「本当にこんなことが民主政権下であったと思ってるのか?」

アベ「我が国の防衛にかかわることなので、前政権下のこととはいえ
今ここで明らかにすることは控えます。

しかし、政権交代後この点をみなおしたところ、

中国に対して

過度な

配慮をした結果

十分な対応ができていないと判断したのは事実です」

「15カイリ空けるなんてありませんでした!
防衛相の事務方に確認してください!
そんなことなかったんですから!

・・・・・なんかありますか?」



アベ「総理になって防衛省の事務方
そして防衛庁と保安庁から聞いた結果そうだったので
「明らかに過度な配慮」と判断し見直しをしました」

「具体的なことを聞いてるんです!
総理は具体的なことを確認してません!

それと午前の質疑で
『過度に軋轢を恐れるあまり』って言ったけど、
いったい何を根拠に言ってるんだ!」

アベ「個々の情報は(中国に)情報を与えることになるので言いませんが

確信しているからです


「個々情報は言えないと言いながら前政権批判をする。

こういうのわたしはフェアじゃないと思います。(ホントーにこう言った)
中国と日本の艦船が対峙してもしなんかあったら大変だから
その都度いろんな対応をしてきただけなのに!
そっちだっていろいろするでしょ?そうでしょ?!


なのにそんな感情的な表現を使わないでください!」


アベ「感情的なのではなく、申し訳ないのですが事実を、
ファクトを述べているわけであります。
だいたいここで御党を(今さら)非難する意味もないわけでw」


「過度に軋轢を配慮して、って感情的じゃないですか!
だいたい、総理には『パターン』があるんです。

民主党のことを根拠なく批判して

私がそれを変えましたと言って誇る。

そういったことをときどきやられるんですね。

それは内閣総理大臣として取るべきことじゃないと思います!



うーん、いきなり出だしからフルスロットルです。
しかしまあ、このキレ具合は、やってましたね。
「事務方に」を自信満々に言いだしたところを見ると、
産経の記事に抗議文を出すついでに事務方にあれやこれやで
口止めの指示を出したんでしょうな。

もう今さら何の意味もないですけどね。

こんな中国様の下僕が副総理をやってたわけだから、
あんな売国奴大使丹羽みたいなのがでてきてもそりゃ当然でしょう。
ってかこのBKDを任命したのはこいつなんですねー。

「中国との商売を日本政府が重視したからこそ、
伊藤忠の人間である丹羽氏が任命されたのではないですか?
なんで丹羽氏が売国奴なんですか?」

なんて脳内にお花が咲き乱れたことをコメント欄で言ってる
団塊の読者もここにはいたようですけど、
売国奴に送り込まれた人間がなぜ売国奴ではないと言えるのか、
その理由が説明できるならぜひ今からでもしていただきたいものです。



(日米関係について)


「私は言わないでおこうかと思ったが!
じゃあ、(安倍首相の『パターン』についてのことと思われる)
日米首脳会見後の記者会見で
『この三年間で著しく損なわれた日米の信頼と絆を取り戻し、
緊密な日米同盟が完全に復活したと強調した』
これどういう意味だ?」


アベ「民主党が『普天間は最低でも県外』とか『トラストミー』とかいって、
信頼を失ったってことです」


「ふ、普天間は悪かったと思ってるけど!
そのほかの問題で信頼関係を育んできたんですけど!
それを一方的に否定するなんて理解できません!
クリントン長官だって離任会見で日米同盟は緊密だった、って、
御礼を申し上げたい、言ってるんですけど?」


アベ「アメリカの国務長官が辞任会見においてもし
日米関係は大変なことになったなんて言ったら
大変なことになることくらいわかりません?
誰が考えてもわかるでしょ?
国務長官の発言って責任あるんですから」


「国務長官の発言が責任があるなら、総理の発言は
全く責任が感じられないじゃないですか!(意味不明)

あんたは前の政権はでたらめやってたけど俺が(ホントーにこう言った)
全部ちゃんとやってる、そう言ってるんじゃないですか!
ちゃんとやってきた人間に対しても侮辱だ!

総理大臣であれば!

もう少し国益を考えて!

日米同盟をいかに育てるべきか!

という観点でお話になるべきだと思いますが?」



すごいですねー。
ここでおからの頭に超特大の「鳩山・菅」という二本のブーメランが
ざっくりと突き立ったのが誰の目にもはっきりと見えたのですが。
相手を誹謗するのに夢中で、全く投げたのがブーメランだと
気付かない、それがミンスクォリティ。


アベ「皆さんはよくやってこられたけど、政治がちゃんとやってなかった。
存続の下支えとなったのはこれまでの蓄積と国民の気持ちだ。

でも、民主党政権で岡田さんが胸を張って言えるような
状況だったんですか?

そうではなかった。

そうではなかったからこそこの間の選挙において国民は
政権を任せるわけにいかないという結果になったんです」


「・・・・・・・まああなたにこれ以上何か言っても無駄かもしれないが、
わたしは

総理大臣というものは

常に

国益を考えて行動しなければならない

と思います。
あなたのこのモノの言い方といいうものは、
日米同盟にとって決してプラスではないと思う!
アメリカもきっと戸惑ってるに違いない!


次の話題行きます!」


まだ言うか。


(公共事業)


「我々は消費税をアップして国民に文句を言われたが、
それを社会保障に使うつもりだった!
自民は公共事業に使おうとしている!」


アベ「消費税アップはうちも社会保障に使いますよ。
公共事業については大型補正予算を組んだんです。
国民の生命と財産を守るためです。
同時にデフレ脱却をして経済再生をします。
それができれば税収も増えますから」


「それは総理の楽観的な見通しですねwww
金に色はついていないので、消費税で公共事業をしようと
思われたって仕方ないじゃないか!

私が勝手に言ってるんじゃないです!
国民のみんながこう言ってます!」


アベ「まだ消費税引き上げてないんですけど・・・・。
それに楽観的っていうけど、おたくから自民に変わったとき、
それだけで株価が急上昇したでしょ?


「・・・・・・・・。
それはともかく、施政方針演説に『財政健全化』という言葉がなかった。
やる気が感じられない。

あと、「立法化」って言ったけど
立法にかかる気もないのに『立法化』とは言うべきではない。
無責任だ」


アベ「立法化わたしが言ったんじゃなくて質問者が上げたんですが」

「・・・・・」



いや、こいつもひどいもんですよ。

このあと2パーセントの物価目標インフレターゲットについて

「一義的には日銀に責任がある」

「が、日銀だけに責任を負わすわけにはいかないので、
政府も共同責任を負うつもりで頑張る」

という麻生大臣の発言をまず

「党内不一致」と言わんばかりに非難し、麻生大臣に

「あのお・・・・ふぉっふぉっふぉっ(あほか!)
日銀に責任があるのは法律で決まってるんですから」

と馬鹿にされると

「日銀に一元的な責任があるというのは、
政府の責任逃れだ!」

とキれ、

「指示をしたからと言ってこちらにも責任があるというのは
責任の所在を混乱させる」

と言い返されると今度は

「総理はデフレは貨幣現象だと思っているフシがある。
でも三本の矢と言っているところを見るとそうでもないらしい」
(つまりそうじゃないってことなんじゃない?)

などとわけのわからん推論を自分で否定して、またもや

「日銀に責任を押し付けるな!」

と話はループを・・・。


なにしろこいつが現政権を深く恨んでいるのだけはよくわかった。

昔からユーモアのかけらもないし、すぐキレるし、
またそのキレ方に可愛げがないのでエリス中尉はこの男が嫌いです。

人間の資質は勿論、頭脳の明晰さもどうやら出身大学には
何の関係もないらしい(岡田は東大卒)ということが、
こいつとかルーピーとかによって世間が認識しだしたので、
まあ、そのためだけには存在価値はあったかなって気はしますが。

弁証法とかなんとかって議論の基礎以前に、
こんなこと言えばこうなるくらいの単純な計算もできずに、
あっという間に論破されて墓穴掘っちゃってますからね。

きっとエリス中尉と議論しても3分でカタがつきそう。



というわけで岡田克也元副総理でした。
本日の一言。


イオンの食料用大型冷凍庫に一晩入って一度頭冷やせ。


明日、いよいよ真打、細野豪士政調会長の巻。







ブーメラン戦隊ジミンガー~民主党の懲りない面々

2013-03-12 | 日本のこと

復帰早々嬉々としてこんな絵アップしてんじゃねーよ、
と思われたかもしれません。

特に、ipadで入力しただけで優しく叱ってくださったmizukiさんなどが
「ぶりかえしても知りませんよ」
と呆れる様子が、お会いしたことは無いけど目に浮かぶようです。

ともあれ、全壊しました!


じゃなくて全快ですね。まだ完璧じゃないかもしれないな、うん。

お見舞いのメールくださった方々、本当にありがとうございます。
お見舞いに添えて、「自衛隊派遣部隊の帰還」で語られた話にインスパイアされた
サブストーリー「彩雲」を送ってくださった方、ありがとうございます。

鼻の通りが万全でない状態で読んだので涙とのコンボでえらいことになった、
ということだけ少し気に留めていただければ幸いです。

ついでに、このストーリーはもし読者に読みたいという方が一人でもいたら
こっそりアップしますのでそのつもりで。

御礼を言ってんだか脅迫しているんだかこれじゃわかりませんね。
それはともかく。



病に伏していた期間、むろん寝ているのがやっとで生けるしかばね状態の時は
しおらしく横になっておりましたが、熱が引き、これまで「家族モード」だった家族が、
家事をしたりわたしが寝たまま食事できるようにしてくれるなど、
「マニュアルモード」に切り替わってくるころには、ipadで今まで気になっていた
政治経済ブログなどを読んだり、(これ普段なかなかできません)映像を観たり、
少し勉強したり、そんなことをしていたんですが、
本日の絵を描かずにはいられないビッグネタが飛び込んできました。


いやこれね。

3月7日の衆院国会質疑がなんかすごいことになってたらしくって、
民主党が存亡をかけてこの日

「海江田万里」

「岡田克也」

「細野もなお」(本名度忘れしたけどこれでいいよね)

最強の布陣()で質疑に当ったものの、それがことごとくオウンゴール、
本人気付いてないけどでっかいブーメラン刺さって全員額から血がだらだら、
みたいな状態で完全崩壊したということを知りました。

で、この国会中継、最初から最後まで、観ました。


野党になってどうやらこのまま座して死を待つことなく、
積極的なヒールとしてマスゴミというレフェリーを抱き込み、
あの政権交代よもう一度、という作戦なのか(今さらあほな作戦である)
見たところ彼らの基本姿勢は、ただ一つ。

「自民の反対をする」

ジミンガ右なら左。ジミンガ白なら黒。ジミンガ悪いジミンガ責任を。

もう自分たちのやってたことでもなんでも、
とにかく自民の出した案に反対し、成功を阻止し、
景気をどん底に突き落として自分たちが政権を取り戻す、という・・


おいふざけんなよ日本の復活の足引っ張んな、
とまともな日本人なら言うでしょうし、もう現に言ってます(笑)

しかし驚くべきことに、彼らは全くそれを意に介する様子が無いらしい。
全員が他の野党にすら憐れまれているような失笑を浴びているのに
あまり気づいていない。のかもしれない。


「参院選では政権交代しますから!!!!!!!」


と声を裏返して捨て台詞(本人決め台詞のつもり)を叫んだ海江田総裁
いいからおまえは裁判行って来い。

最初から最後までキーキーと声を張り上げてくだらん言いがかり質疑を
わめき散らした細野幹事長は、案の定、質疑中事務所に

ジャンジャンクレームの電話がかかってきたらしく(笑)

「確かに声は大きかったかもしれないけど私には主張する使命がある」

皆声がでかくてクレームしてるんじゃないっての。
わからんかなこの総身に知恵の回りかねてるウドの大木は。
しかもこの事務所悪質で、「細野の質問が酷過ぎる」とクレームしたら、

「じゃなんで安倍総理は前回腹痛でやめたんですか!!!!」

ってキレるらしい。

頼むから日本語の通じるスタッフ雇ってください。お願いします。
日本人の成り手がいなさそうなのはよくわかるけどね。


病の床にありながらこの三人に加え、辻本清美、玄葉光一郎、原口一博、
とこれらの「エース級」(ぷっ)の質疑も聴いてみたのですが、はっきりいって
そのあまりのスカムっぷりに熱が少し上がったかもしれません。

いや、回復期に観るべきものではありませんでしたね。
はっきりいって。



閣僚のときにまだなんぼかまともに見えた気がしたのは、
それは閣僚席にいてあおったり乱暴な口を聞いたり、ましてや切れたり、
それらがご法度であったからにすぎず、いやそのときですら閣僚席から叫んで

「閣僚が野次らないように」

って注意すらされていたような連中ですからね。
その縛りが解けた今となってはもはや言いたい放題。
思うがままに、心のままに質疑もヤジも生き生きと。

・・・もう滅んでいいから。明日にでも。


で、今日、この三人の質疑の聴き所をまとめてみました。
それではどうぞ。

海江田万里

(補正予算について)

「補正予算、本当に必要なところに使わず建設国債を使って
無駄な公共事業をしようとしている!」

アベ「地方まで恩恵を被るような成長のために公共事業必要です。
雇用の場も増やさないといけないし」

「そりゃわしらが子供の頃の話やw
どうせあまり人が通らないところの道とか作って金をどぶに捨てるだけw
俺らが『コンクリートから人へ』やったのにまた先祖がえりか?」

アベ「公共事業って・・・。防災、減災予算だろjk」

「そんなこと言ってどうせやりやすいことだけやって金をどぶに捨てるだけw
無駄だ!次世代へのつけ回しだ!」

太田「あんたなんか誤解してない?
1.8兆円のうち1.2兆円が防災・減災対策費用、あと調査なんだけど」

「たぶんそういうと思ってたから総理に聴いたんだ!」

アベ「ですからこれらはデフレ脱却のために・・・あのすみません、
静かに聞いていただけます?せっかくしゃべってるんだから。
金融政策をしていく中で地方まで隅々・・・・

すみません、すみません長妻さんね、そうやって何回も話の腰を
折られるとね、またもとに戻らないと説明できなくなるんですよ。
これね、本当にね答弁しにくいのでちょっと、目の前で、
いろいろいうのやめてくれませんか。
後ろから注意されてますよ?

大切なことは税収を増やしてデフレから脱却していくということです」

「総理は質問に答えていません!
造りやすい道路とか作って金をどぶに捨てることになる!
もういいです!総理おんなじことしか言わないからいいです!」



「公共事業は悪」言いたいだけでは?



(復興予算)

「コンクリート、人手資材、何もかも足りない。なぜですか」

アベ「我々自公政権には専門家がたくさんいますから、原因をすべて
明らかにしてきました。詳細は太田さんからどうぞ」

太田「政権発足2か月で生コンプラント1基建設済です」

「・・・・生コンの工場一つ作るってことでは全く足りないんですよ!
国交大臣だけでもだめなんですよ!
もし現地から復興遅れたって声がでたら潔く謝れ!」



(福島原発)

「われわれは第2ステップ終息宣言をした!
でも担当大臣は残したぞ。今の自民の担当はいるのか!」

茂木経産相「(ずいっ)俺がそうだ。
アンタは掌に忍の字を書いたり泣いたり大変だったなw
おれは言っとくが4号基の中にも実際入ってるんでそこんとこよろしく」

(びくっ)「汚染水の処理ひとつとっても政府が前に出なくてはいけない!
汚染水どうするのかもう話し合ったのか?」

茂木「そういうことを担当する部署を総括するのがわたしです」

「ということは話し合ってないってことだな?
東電は井戸を掘るっていってるけどそれはやってはいけない!
危ないんだ!
これはどうしたらいいかというと、
地下水と海水の間に遮蔽壁を作って・・・・(以下延々と工法説明)
東電と話し合ってやらなきゃいけないのになにもしてない!
どうなってんですか!なにやってんですか!」

茂木「いろんな問題があるから終息したとは言えないつったんだけどな。
あんたらだらだらやってたけど俺らまだ政権ついて2か月やど?

そこんとこはちょっと言葉の使い方が違うんちゃうか?

あんたら長いことやってきて何をしたんかさっぱりわからんが、
政府はすでにここに850億円予算を付けた。

ここに初めて予算を付けたのはわしらやねんけどわかっとるか?」

「次の質問行きます」



(原発廃炉)

「廃炉の説明を聞くと完全撤廃に10年かかるんですね。
わたしどもは30年代でゼロを目指すと決めました。
10年でゼロって遅すぎるんですよ!
代替エネルギーだってすぐにできるわけじゃないんだから。
もっと早くならんのか!これじゃ誰も納得しない!
さあ、いつまでにやるのかその時期を答えろ!」

茂木「オマエラ廃炉の年度目標だけ決めたかて、
その方法も方向性も決まってないのにどうするつもりやったん?
俺らは具体的に、政策も決めて実行していくつもりだからよろしく。

例えば現段階では7月に詳細な調査結果が上がってくる。
高性能の火力発電も造る。
シェールガスを効果的に活用することも検討中だ
全体を貫く電力システム改革を進めていく」

(このあたりでさえぎるヤジを飛ばしだし議長に叱られる)

「わたしは総理にお尋ねをしているわけど、
まあ、経産大臣が手を上げてこの答弁席に来たんですから、
まあ、経産大臣の答弁を聞いてもいいなっと思っておりましたけど、
あーんまり長く、やって時間を、費やされますと、こらわたくしも、
ガマンにも限度があります!!!(ホントーにこう言った)

わたしたちは原発事故収束の大臣を置いていましたけど、
やっぱりこれ、置いたほうがいんですよ。
申し訳ないけど経産大臣じゃダメなんですよ。(なんで?)
大臣、置くのか置かないのかお答えください。

それからいつ終わるのか年度をはっきり言うべきだ!言え!」

アベ「経産相で何が悪いの?簡単でいいじゃん。
それからこの3年集中的にやって短くなればいいとは思うし、
できるだけのことをやるけどじゃいつまでなんていえません」

「まあ、10年でやるというのは難しいと思いますから、
わたしどもはの参院選総選挙で当然のことながら
政権奪取を目指すわけでございますから
そりゃやらないということと同じでございます。(意味不明)
わたくしはそのように理解します」

…10年後どころか参院選後民主党があるのか?



(経済対策)

「強い日本を作るっていうけど、あなたの演説にはオバマの演説にあった
『分厚い中間層を作る』という言葉が無かった!なんでなかった!」

アベ「日本はアメリカではありません。わたしはオバマ大統領でもありません。
アメリカではそれを大統領が改めて言わなくてはいけない状況だけど、
日本はそんなこと言わなくたって常識だから」

「日本でもそれは大事だ!じゃ聞くけど、
『頑張る人は報われる』という所信表明演説のこの意味は?」

アベ「朝早く起きて一生懸命汗を流して働いて知恵も出して頑張って行けば
それに対応する対価が得られる社会を作っていくという意味です。
そういう経済状況をデフレから脱却して作っていくといことです。

自由民主党というのはまさにそういう層に軸足を置いている政党なんですよ。
真面目に汗して、そして家族を愛してさらには地域をよくしたいと願う、
日本の未来を信じている人によって支えられているのが
自由民主党ですから。

(明らかに民主党の支持母体が日本人ではないことへの含みが感じられた)


(揶揄して我々政治家がするのはそういうスローガンを叫ぶことじゃなくって、
具体的な制度や仕組みを作って、なぜ報われない人がいるかということを
議論する場じゃないですか!

わたしはデフレの原因は『分厚い中間層』が失われたことだと思う。
そう思ってないんだったら経済政策なんてできない!
なんでそれが失われていないって言いきれるのかオイ?」

アベ「そんなことないでしょ。
アメリカみたいなとんでもない金持ちもとんでもない貧困層もいないし。
デフレの原因は行き過ぎた円高です。今変わりつつあります。
政治は結果ですから。

民主党政権、残念ながら3年間やって

できなかったじゃないですか。


われわれは今2か月半だけど、これ、変わりつつありますよ?
その中において賃金を上げようという会社も出てきましたね。
これ、もうちょっとやらせていただけばどんどん変わってきますよ。

まさに、

日本の経済は

変わろうとしています。

国民の多くもそう思っています。
海江田さんも経産大臣として頑張ってこられたのは知っていますよ。
困難な内閣だったと思いますよ。

そのなかで、わたしは海江田さんは頑張ったと思いますよ。


わたしは民主党がやっていたことを総て
否定するわけでも肯定するわけでもありませんが、要はですね、

わたしたちは次々と結果を出していきたい。
このように思っております」

「・・・・・・・確かに今日も株が最高値を更新した。
為替も円安に向かっている。

ただ、これが結果だと勘違いすんな。
まさに市場で、実体経済じゃないんだから!
実体経済に影響を及ぼすにはまだまだ時間かかるから!

自分でも言ってただろ?
為替や株の動きで政治家は一喜一憂するなって?

(総理を指さしながら後ろに向かって)

い、今の話を聞いてると自分の手柄だみたいなこと言って、
そら、おかしいですよおおお!

そうでしょ?(しつこい)
一喜一憂してないんでしょ?
今一喜してたじゃないですかあ?

どおですかあええおい?(ホントーにこう言った)」

アベ「私は株価の水準に対しても為替の水準に対しても、
一回もお話をしたことは

あ り ま せ ん 。

要は、要はですね。
(外野で『今結果が出たって、結果が出たって』。言ってねーから)
どういう変化が出てくるかについてはあらゆる金融政策を進めて
まずは株価と為替に変化が出てきますよ、すると
インフレ期待が進んでくる。
企業が強調して賃金を上げると従業員が享受できるような社会ができる。

まさにそのいま第1段階に入ったじゃありませんか。

皆がだんだん実感をされているんですよ。
(この間ずっと『委員長』『委員長』と繰り返す)

(にやにやしながら)
「だからまだ結果が出ていないんですよ。(後ろに向かって)
結果が出たかに話をしているから、そこは違いますよと。
結果出てないんですよこれは。ね。結果これからですから」


以上


・・・ふう。


いや、安倍さん、ひとことも「結果出した」なんて言ってなくない?

「今我々の政策によって今景気が少しずつ変わりつつある」

「政治は結果である」

「しかし民主党は何もできなかった」

この三つを言っただけですよね?
おそらく三つ目を聞いて何かがはじけたんでしょうね。
この男の脳みその中で。
なんか途轍もなく高いだけのつまらんプライドみたいなもんが。

そのまま自分も一緒にはじけ飛んでどっかに行ってしまえ。

エリス中尉、今回の病気以降民主に対しては
思ったことをそのまま書くことにしております。
アグレッシブです。


本当はこの後、「企業に賃上げをお願いした」という部分を
「自分のブレーンみたいなとこにやらせた」だの
「税制で後押しって言っても個人にやらなくては意味もない」
だの、税制や経済対策以前に、円高を注視することしかしなかった
昼行燈経産相がいたけど、あれ自分なんじゃなかったけ?と思わず
胸ぐらをつかんで(汚そうだからやだけど)聴き質したくなるような
特大ブーメランが最後にはざっくりとささっていた、
元経産相の海江田万里民主党代表質疑でした。

さて。
今日はこの辺にします。
抱腹絶倒で聴いていたのでエントリ作成も簡単に行くかと思ったら、
意外と時間がかかってしまい、疲れました。

本当に、疲れました(怒)


というわけで、いよいよ面白くなる岡田、細野編、次回に続きます。


書きかけの防衛省編、旅行もまだまだエントリに上げたいのですが、
このネタが少しでも新しいうちにと思いまして。

エリス中尉一人で面白がっていては罰が当たる。


本当に民主党って馬鹿ばっかりだったんだ・・・・。
こんなんに二度と政権取らしちゃいけませんね。

・・ってか二度と取れない。(断言)
彼らの頼りにしているマスゴミも絶賛崩壊中だし、
なんか今じわじわと日本が変わっていっている気がします。





 


市谷・防衛省ツアー~スディルマン将軍像

2013-03-08 | 日本のこと

「外に駐機してあるヘリを観るだけ」と教えていただいたので、
ヘリ見学を含む午前コースを最初は選択していなかったのですが、
時間の都合でこちらに参加することになりました。

しかしこの選択によって、わたしはある需要な事実を再確認することができました。

「日本のおかげでわれわれは独立した」と東南アジアの国が思ってくれているらしい、
その一つのあらわれをそこに見ることになったからです。



このヘリが駐機している部分は、昔の歩兵第一連隊の門の部分を
再現した塀に囲まれています。
この、まるで漫画に出てくる「お城」みたいな作りの門柱ですね。

・・・しかし、その写真を撮り忘れました。 ○| ̄|_

とにかく、そんなものを見ながら駐機していあるゾーンに向かいます。



展示ヘリは「ひよどり」。
OH-1H、多用途ヘリで、今ではUH-1Jに置き換えられ引退が進んでいます。



ヘリの片側にはプラットホームが備えられているので、見学者は簡単に
内部に乗り込んで写真を撮ったり操縦席に座ったりすることができます。



操縦席には座りませんでしたが、後ろから写真を撮ってみました。
操縦桿は動きます。



年代を感じさせるシートベルトとドリンクホルダー。
これが金属でできているのがまた時代を感じさせます。

 

一般シートの部分はまわりが緩衝材で覆われています。



当たり前ですが、ヘリは垂直に着地するので、
操縦者が自分の足元を見ることができる作りになっています。
この写真はパイロットのフットレバー部分を横から写したもの。

「こんな飛行機はいやだ」というシリーズに
「床がガラス張りの飛行機」というのがありましたが、
ヘリの操縦部分は「床がガラス張り」が標準です。

ちなみに余談ですがわたしがいやだと思う飛行機は、

「タービュランスのときコクピットから小さな叫び声が聞こえる」
「FAがジャンプシートでさりげなく数珠をまさぐっている」
「『お客様の中で操縦資格のある方はおられませんか』とアナウンスがある」
「周りの客がみんなコーランを一心に読んでいる」
「ビューティフル・ランディングをキメた操縦士がコクピットから出てきて
降機する乗客を満面の笑みとともに一人一人握手してお見送りする」





相変わらず自衛隊機のボディにはわかりやすい日本語が書かれています。
「手かけ」「足かけ」。
手かけはともかく、足かけは展示の際に外してしまったようですね。



わかりやすい表示その2。
「消火器はこの内側にある」「回す」「ひく」



はい。



珍しく英語ですが、パイロットなら一目瞭然なのでしょう。



おすな。

おすなと書いてあるのに明らかに手形があるように見えるのは気のせいか。



にもかかわらず機体を押す人。

まあ、この「おすな」はこの機が現役のときに
「ここを押したら飛行に悪影響がある」ということで書かれたもので、
今となっては押そうが引こうが構わないのかもしれませんが。



ところで、このヘリの駐機ゾーンに、銅像がありました。
皆このように「なんだろう」と眺めながら歩いていくのですが、
ツアーガイドは何もこれについてコメントしないので、
皆もほとんど無関心で通り過ぎてしまいます。



このブロンズ像、非常に新しいように見えますが、それもそのはず、
これはまだこの場所に建てられて2年くらいしか経っていません。

これはインドネシアの初代国軍最高司令官、スディルマン将軍像。

1945年に独立宣言後、オランダと独立戦争を戦った英雄です。
2011年1月、国防相のプルノモ氏が、防衛相会談のため来日した際、
インドネシアは、両国友好の象徴として、この銅像を日本に寄贈しました。

・・・・え?そんな話今初めて聴いたぞ?
そもそもインドネシアの英雄の像がなぜ日本の防衛省にあるの?

そう思われた方、ごもっともです。
かく言うわたくしも、このツアーに参加しなければおそらく一生知らなかったでしょう。

今回、このニュースを検索しても、出てくるのは

1、防衛ホーム新聞の記事
2、当時の副総理(笑)安住淳のHPの「活動報告」でこれに出席したという記事
3、産経新聞のコラム(現在閲覧不可)

の三件だけ。
大手新聞やマスコミは当時全くこの寄贈に付いて記事にしなかったようです。

その理由はといいますと、インドネシアがこの像を日本に贈った意図というのが、

「我々の国の独立の英雄は、日本軍の軍事指導を受けていた」

という、特に当時の政権与党であった民主党にとってははなはだどうでもいい、
というかむしろ黙殺したい史実に基づき、即ち

「我が国の独立は日本のおかげで(も)ある」

というインドネシアからの感謝を表すものだったからにほかなりません。

インドネシアであろうがフィリピンであろうが、日本軍がそこでしたのは
侵略であり、虐殺、略奪だけであった、と断罪し続ける人たちがいます。
彼らは、たとえば以前当ブログでアップした映画「ムルデカ17805」に対しても
「アジア侵略を美化する映画」などと史実を何も知ることなく決めつける人々です。

そういう「反日本」的な勢力やマスコミを味方に付けて政権を取った民主党にすれば
このインドネシアが何に感謝しているかはむしろ「不都合な真実」に属し、さらには
「独立への感謝と友好の印」など、全くはた迷惑としか思わなかったに違いありません。

それが証拠に、防衛相は当時この除幕式についてほとんど広報しませんでしたし、
この像がここにある経緯、なぜインドネシアがこの像を日本に贈ったのか、
こういうことに関しても、このおざなりな展示からは何も読み取ることができません。


1945年、日本が敗戦でインドネシアを去って2日後、スカルノは独立宣言を読み上げました。
日本はその年の10月にインドネシアに独立を約束しており、
そのために「ムルデカ」でも描かれた日本軍の将校などが軍事訓練を施していましたが、
敗戦により撤退を余儀なくされ、独立は自然発生的に早まったのです。

しかし、彼らにはその後、独立を勝ち取るための戦争が待ち受けていました。

300年続く支配中、たった3日で日本軍にインドネシアから駆逐されたオランダが
日本の敗戦後、再びインドネシアを植民地にするために帰ってきたのです。
連合軍の尻馬に乗り、戦勝国気取りで。

オランダの論理によれば、この独立宣言は日本のお膳立てによるものであり、
日本が敗戦したからには全く無効で、この地は再び我々が占有すべきだというのです。
通常、ある国の独立宣言は、世界に認められてはじめて成立しますが、
この時のスカルノによる宣言は世界には全く無視されました。

日本軍は敗戦とともに連合国側の支配下に入ったので、その命令に従い、
インドネシアの要請にもかかわらずに武器を渡すことを拒否しました。
これを奪おうとするインドネシア人が武装解除した日本軍を襲い、
終戦後に2000人の日本人が殺害されたと言われています。
ちなみに、この人数は1942年に日本がインドネシア攻略をしたときの
インドネシア人の死者を数倍上回っているそうです。

日本軍は、そういう事件があってもインドネシアを支援しようとしました。
「古くて使えない」という名目で、武器をそのままわかりやすい場所に捨て、
インドネシア人にわざと拾わせたりもしたのだそうです。
「ムルデカ」にも描かれたように独立軍を指揮した日本軍人もいました。

(ただし、映画「ムルデカ」はジョグジャカルタの戦いにいなかった日本人が
戦ったという創作をしたため、インドネシア人には不評だったとか)

このスディルマン将軍は、日本が組織したPETA(郷土防衛軍)の大団長となり、
(日本側と対立することもあったそうですが)武器の調達の交渉などを始め、
国軍を率いてこれを勝利に導きます。
そしてインドネシアの独立宣言が正式に発効した一か月後にわずか38歳、
病気のため亡くなりました。

そういえば独立のために戦い、38歳で病に倒れた、というのは、
やはりオランダと戦って勝った台湾の中興の祖といわれる鄭成功と全く同じです。
この偶然の一致にたった今わたしは気づいて驚いてしまったのですが・・・・
この話はともかく。


それにしても、現代の日本においてインドネシアと日本の、
このような因縁を知る者は、日本の近代史にかなり興味を持ってでもいなければ
ほとんどいないと言っていいのではないでしょうか。 

戦後の自虐史観にこの部分はかなり「都合が悪かった」ため、
塗りつぶされてしまい、日本人が知る機会に無かったということもあるでしょう。

インドネシアの防衛省がスディルマンの銅像を贈ります、と言ってきたとき、
反日売国政党の民主党の面々は勿論のこと、防衛相の担当者も、
両国のこのようなかかわりの歴史を知らず、スディルマンというのが誰だか
わかっていない人間ばかりだったかもというのは想像に難くありません。

ですからそれがためにインドネシアの関係者に対し、日本が礼を失した対応、たとえば

「なんでこの人の銅像をくれるのかさっぱりわからない」

といった「有難迷惑」な態度を露骨に取って気を悪くさせたのでなければいいが、と
わたしはこの除幕式の時の寒々とした写真を見ながら願わずにいられませんでした。







市谷・防衛省ツアー~日本を蝕む組織

2013-03-07 | 日本のこと

厚生棟でしばしの休憩(15分)をしたツアー御一行様は、
厚生棟を出るときも点呼をいたします。
それもこれもこっそり厚生棟に残って職員専用食堂でご飯を食べたり、
機密を求めて変なところに入り込む輩がいないとも限らないからですね。

ところで先日、横須賀の在日米軍基地に中国人が忍び込んだ事件がありました。
この中国人がとっ捕まって言うには
「米軍に入隊してアメリカに行きかった」

どう見てもスパイですがスパイにしては言い訳が酷過ぎます。
だいたいこの中国人、来日して10日。
アメリカに行きたいなら最初からそっちに行けつーの。
それとも、ジョージ・ワシントンに積み込まれる樽にでも隠れるつもりだったのか?


それはともかく、この市谷見学ツアー。
参加するには何人たりとも身分証明を提示せねばなりません。
なので、身元のアヤシイ外国人はその時点でカットされるのです。

というか、外国人の見学って、受け付けではねられるんでしょうね?



これを少し見てください。
掲示板で見つけた入間基地の体験搭乗会の参加者募集のお知らせです。
入間基地でのイベントの参加者を神奈川の地本が集めています。
本部からマイクロバスをチャーターするので地域限定なのはわかりますが、
この募集資格のところに「日本国籍を有する方」となっているでしょう?

このイベントの目的が「将来の自衛官リクルート」につながるらしいことを考えると
この資格限定は当然のことにも思われますが、保護者一名同伴可、となっており、
子供をダシにして某国人が見学、ということを未然に防ぐためでもあると思います。



ところで割と最近、帰化した中国人が防衛大学に入学し、
すごい勢いで幹部になりそうになっていた、という話がありました。

防大に帰化中国人の学生がいて成績優秀だそうです。
その母親が先に来日し中国にいる夫と別れ日本人と結婚し、
この学生が中学生の頃祖父母と暮していた彼を呼び寄せて
日本に住むようになったそうです。
母親は中国のエリート層で、高学歴で
通訳業などで中国と繋がっているそうです。自衛隊が心配です。

これは何を隠そう、田母神俊雄氏のツィート。

あるいは、

防衛大学校海上防衛学教室には准教授(2等海佐)のある教官は、

(1)櫻井よしこの悪口
(2)アメリカと産経新聞の悪口
(3)中国が日中中間線よりもギリギリ中国側でガス田を掘っているのは
  中国側の日本側に対する配慮があるからだ。
(4)私は中国のVIPと親しい。
(5)台湾は親日国家ではない。

このようなことを講義で公言していた人物だったそうですが、驚くことに
日本人の奥さんと離婚して中国人女性と結婚していたというのです。
防大生の間では、「ハニートラップに引っかかった教官」として有名だったのですが、
騒がれたせいなのか、転勤(事実上更迭)になったそうです。
 

また、TOの所属している社会貢献型クラブでは
やたら中国からの女子留学生に気前よく奨学金を出す傾向があるのですが、
そういう風にやってきた留学生はなぜか皆結構美人で、
日本で猛烈に政府関係者や自衛官に接近し、露骨に結婚を迫るのだそうです。

金美齢さんの講演を聞きに行ったとき、まさにそれそのものどんぴしゃりの、
医学を勉強に来ているという美人留学生が会員に連れられて紹介されていました。

金さんが彼女が紹介されるところを見ていたのかどうかはわかりませんが、
その講演の中で、気前よく中国人を留学させて痛い目に遭う企業の話や、
そんなことに大金を費やしてハニトラ要員をやすやすと招き入れる日本を批判し、
わたしは「あーあ」と思いながらそれを聞いていました
その女子学生が金さんの日本語をどのくらい理解したかはわかりませんが、
鼻の下を伸ばして彼女を連れ歩いていたおじさん会員にはさぞ耳が痛いだろうな、
と思ったものです。

現在、中国人妻を持つ自衛官は非常に多く、問題になりつつあるようですが、
ことほどさように帰化する人間が政治や軍(自衛隊)に入り込むことに対し、
あまりにも日本は無防備すぎるという現状がこのようにあるわけです。

政治もしかり。
もう、絶滅寸前で夏には命運が尽きると思われている民主党ですが、
今回選挙で大敗した一番の原因は、表舞台に出たこの政党が実は
「日本人のための政党ではなかったことが国民に知れたから」
だとわたしは思っています。
マスコミは隠蔽していましたが、ここの党員になるのに日本国籍は必要なく、
したがって党首の選挙に多数の在日外国人が参加することができ、
さらに帰化した外国人の議員が非常に多いらしいことがインターネットによって
国民に知られてしまったというのもその原因でしょう。

「祖国からの指令を受けて帰化し、敵国の中枢部に入り込む」人間が
現実に暗躍していると言われる現在の日本にとって、
帰化人が多数である政党が政権を担っていたことは
まさに国体の危機一髪だったとわたしは正直なところ思っています。


先日雛祭りの「雛人形倒し」事件で、テレビ局には相当数非日本人が入り込んでいる、
なぜなら「雛を的にして倒し点数を競う」などと日本人が思いつくはずはないからだ、
ということを述べました。
テレビ局の「外国人占有率」は非常に高く、それに触れるのはタブーとされていて、
それを公言した野坂昭如氏はそのためテレビから姿を消したと言われています。

多民族国家のアメリカと違い、
「日本人のふりをして組織に入り込む」という行為の最終目的とは
「自分の祖国への利益供与、あるいは一握りの自国民組織による日本支配である」
と考えれば、われわれはもっと危機感を感じなくてはいけないのかもしれません。


この日本で「差別」や「人権」を声高に叫ぶ組織には常に胡散臭さが付きまといます。
これらを楯に組織に入り込んでも決してそれは「日本国のため」ではないと断言します。
つまりなにかというと「人権差別」「人種差別」と騒ぐ団体は、つまり「そういう出自」
であると考えるのが妥当でしょう。


アメリカでも「レイシスト」であるという烙印を押されることを人々は怖れます。
それは社会人として失格であると同義だからで、多民族国家のアメリカでは
「いかなる民族もユナイテッド(団結)して旗の下に平等である」
という建前を持つ以上、それが致命的な烙印となってしまうからです。

日本は単一民族であるから「民族的な締め出し」が是であると言う気はありませんが、
この国とアメリカの国情をいっしょくたにして、差別を叫ぶのは間違っています。
そして、たとえば在日外国人による犯罪報道の際、
素性を明らかにせず本名を報じないというような配慮をする必要があるのか、
などという基本的な疑問から、上記のような「中枢に入り込むスパイ、あるいは反日組織」
の侵蝕に対し、今までのように「差別」を楯にしてこられても毅然と跳ね返すような姿勢が
少なくとも問われているとわたしは考えます。



冒頭の「アメリカに行きたくて横須賀基地に忍び込んだ中国人」ですが、
この人物が実はイーサンハントも真っ青の腕利きのスパイで、
捕まったときにはすでに米海軍の機密を手に入れており、
うつけ者を騙って強制送還となったあと、中国共産党あるいは軍に
情報を渡している可能性が全くないとは誰にも断言できないですよね?

スパイ映画の観過ぎだ、と思ったあなた、
かつてゾルゲ事件が起こったときも、世間は「驚天動地」と称したのです。

現に2005年、中国人と結婚した海自の自衛官がイージス艦のデータを漏えいし
中国妻がそれを持ち出そうとした事件がありましたでしょ?
信じられないことですが、中国にはそういう女性を送り込む組織が存在するのです。

ゾルゲ事件では主犯のゾルゲ博士や尾崎秀美は処刑されましたが、
現代の「平和(ボケ)日本」では、このような売国行為に対しても
せいぜい執行猶予つきの有罪どまりです。
スパイくらいで死刑になるなんて、と思ってしまうのは
わたしもまた平和ボケの日本人であるからでしょうか。



この市谷ツアーは、確かにそんな機密の類にかかわるところを見ることはできません。
アナウンスも日本語だけですし、当日身分も照合します。
ツアーの要所要所で点呼をとりますし、とりあえず対策はされています。

しかし、こういった「日本に蔓延るスパイ」について色々と知ると、
「皆さまの自衛隊」というアピールはともかく、情報を公開しすぎることは
ほどほどにしておいた方がいいのではないかという気がしないでもありません。
「帰化」というスパイのいい隠れ蓑が現実として脅威となっている昨今では特に。








日本文化を冒涜する人々

2013-03-04 | 日本のこと

何を隠そう、先週末は霧島にいたエリス中尉です。
霧島屋久国立公園の中の温泉に浸かって少し癒されてきました。

宿泊したのは霧島温泉旅館。
昔与謝野鉄幹と晶子が来たというのが売りの一つである老舗です。
その旅館のロビーにこのお雛様が飾ってありました。
老舗の旅館の雛らしく、非常に立派な、格式のあるものです。

しかし、ちょうどこのお雛様を見ていたころ、読者のmizukiさんが
このようなコメントをしてこられました。

タイトル ;;

この記事についてのコメントとしては不適切なのですが、
今のわたしは、悲しくて、悔しくて涙が止まりません。

これは一体なんなのでしょうか。
お雛様なのに、とても悲しいです。

http://www.youtube.com/watch?v=FV-JOZE6HeU

動画は削除されてしまうかもしれませんが、「笑っていいとも」で
お雛様を的にして倒すゲームをやっておりました。
あまりにも悲しすぎます。


戴いたコメントを受けて検索してみたところ、とんでもないことを知ってしまいました。

ご存知ない方のために一応説明しておくと、

フジテレビの昼のバラエティ番組「笑っていいとも!」内で、
2月25日(月)から3月1日(金)まで行われたミニゲームは、
「もうすぐひな祭り!ひな人形を倒センス~!」と題され、
ひな人形を倒す内容のものが用意された。

25~27日は、ひな人形を倒すゲームが競われ、
そのことへの批判が高まってきた28日と1日には、
ひな人形ではなくパネルに差し替えられた。1日には、
番組終了間際に謝罪が行われる事態へと発展した。

ひな人形は、皇族を人形(ひとがた)として模したものであり、
娘の成長を願う意味で飾られる。
ネットでは、天皇御一家への冒涜に当たるのではと、批難が起きている。


みなさん、あなたは、普段ご飯にお箸を突き立てることができますか?
たとえ降ろす前の靴でも、履いて畳の上を歩けますか?
お箸からお箸に食べ物を移す「合わせ箸」は?
敷居や畳の縁を踏んで歩くことは?

もしこれらを全く平気ですることができる人を見たら、
おそらくみなさんはそれは「日本人ではないのだろう」と思うでしょう。
なぜそれが悪いのか、理由を深く考えるよりなにより、
「常識が、それ以前にDNAレベルの感覚がそれをすることをとても許さない」
というのが一番正確ではないかと思います。


わたしの家にも、両親が心を込めて買い調えた雛人形がありました。
女の子が生まれて最初の三月三日の雛の節句を迎えるときに、
成長と幸せを祈って親や祖父母が贈る雛人形。

姉のためには細面の臈たけたお公家顔の七段飾り。
わたしのためにはガラスケースに収まる、小ぶりの、
しかしうっとりするほど可愛らしい「横に面長」の真多呂人形。

雛の季節が近づいたころ、みんなで雛飾りの箱をあけ、
一年ぶりに対面する「自分の雛」に、歓声をあげます。
そして桐の小箱から出した雪洞や小さなお道具の薄紙を外しながら
その精巧な作りにあらためて子供心にも感心するのでした。

そして雛を飾った最初の夜、その部屋に休むときの気持ち。

電気を消した暗がりの中にぼうっとひな壇が見えます。
大好きなお雛様のはずなのに、その人影が闇に乗じて今にも動き出しそうで、
薄目を開けて見ていると怖くて仕方がありません。
しかし朝になって目を覚ました時にはすっかりそのような気持ちはなくなります。
日中の雛はただただにっこりと優しい笑みを浮かべており、これが
「わたしのおひなさま」である誇りと喜びが体の中からわいてくるのです。

そんな憧れと、一種の畏れを「人形(ひとがた)」である雛に持って、
女の子は雛の季節を過ごすのです。

そして少女時代にこのような雛祭りを過ごさせてくれた両親を持ったことは、
わたしの、やはり誇りであり喜びでもありました。


mizukiさんのコメントにこうありました。

「悲しくて悔しくて涙が止まりません」

これを読んだ男性の中には、何を大げさなと思う方もいるでしょうか。
しかし、わたしにはよくわかります。
わたしもまた、雛人形を両親の愛情のしるしとして授けられ、
そして毎年の季節ごとにそれを出し入れする行為を通じて
大人になる前の少女としての「心構え」のようなものを
同じ女である母親から同時に授けられたと思っているからです。

その象徴である雛を、おそらくは故意に侮辱するようなことを
公共の放送局が悪ふざけでする。
これが悔しくないはずがありましょうか。

今回のフジテレビの行為に対しては、まず
「雛はお内裏様とお雛様、つまり天皇皇后両陛下を意味するものを倒す」
という意味ではないか、とまず抗議の声が上がりました。

「不快である」「子供が真似をしたらどうする」
こんな声もテレビ局には殺到し、番組は謝罪に追い込まれましたが、
謝罪に「天皇皇后両陛下を意味する雛人形」という文言はなかったようです。

mizukiさんにコメントをいただいて調べたところ、「チャンネル桜」の水島代表が、
フジテレビに対して抗議の電話をかけている様子がyoutubeで上がっていました。
わたしがこれで驚いたのは、彼らがのらりくらりと逃げ回り電話に出ないことではなく、
(それはある意味当然というか、予想されうる対応なので)
担当が「コナカモモコ」という女性であったということです。

日本に生まれて、雛祭りを両親から祝ってもらったことのある女性が、
テレビの番組を制作するときに雛人形に扇子をぶつけて倒す、
という企画に不快感を示すどころか、それを良しとしたというこの気持ち悪さ。

「皇室に対する侮辱であり世が世なら不敬罪だ」

と、youtubeでは水島氏がこう言っていましたが、
わたしはそれ以前に「現場の女性はこれに対し誰も何とも思わなかったのか」
ということを考えました。

たとえわたしやmizukiさんが過ごしたような、雛祭りを心を込めて
家族から祝ってもらうような環境とは縁がなかった女性であっても、
「ご飯に箸突き刺し」や「合わせ箸」のように「雛にモノをぶつける」など
「それはどうしてもできない」
というDNAレベルの忌避感が生まれるはずなのです。

もし日本人ならば。



先日、NHKの韓国新大統領就任式の生放送に関して
「あなたたちは本当に日本のテレビ局なのか」と書きましたが、
このフジテレビという局に関しても、特にここ数年、
彼らのほとんどが日本人ではないのではないかと疑ってしまう
状況証拠が多すぎると言わざるを得ません。

(わたしが見聞きしただけでも、そうと知れる事柄がいくつか・・・)

例えば、youtubeのインタビューで水島氏が
「お雛様は皇室とその周りの方々を表しているんですよ」というと、
驚いたことに電話の対応をした広報の女性は

「なるほど。わたくしその辺は不勉強で」

と言ったのです。
小中学生ならともかく、テレビ局という報道機関に属する人間が
こういうことを「勉強していないので知らない」というとは・・・。
やはり、異常な状態なのではないでしょうか。

ただ、彼女がもし日本人ではなく、日本の風習を全く知らないまま
育ってきた人間なのだとしたら、これは辻褄が合います。
そして、スタッフは「不勉強で知らなかった」のではなく、
「知った上で、陰でこっそり舌を出して嗤いながら企画した」
ということなら、これも合点がいきます。

つまり、何度か問題にされてきたこの局にまつわるいくつかの事件のように
「日本人を愚弄する」
ということを挑戦的に、わざとやっているのかもしれない、と、
これまでの前科からも疑わざるを得ないのです。
(ご存知ない方はいろいろとありますから検索してみてください)

日本の精神的なもの、思い入れのあるものを蔑み馬鹿にする、
こうやって、たとえば「お雛様」をまるで射的の的のように、
軽くあしらうことで、その価値をより落としてほくそ笑む。

こんなことが白昼堂々と行われるに至っては
「たかがテレビのすること」
と看過できない状態にきているという気がします。

「たとえ夜店のテキヤでも、射的の的にお雛様なんか使わない」

水島氏はフジテレビ広報との電話の中でこのように言っていましたが、
わたしはこれを聞きながら「日本人ならね」と苦々しく心の中で付け加えました。


われわれの怒りはもう限界にきています。






中国海軍の挑発行為~レーダー照射事件を海自関係者が語る

2013-02-24 | 日本のこと

ここぞと観艦式のときに撮った「ゆうだち」の写真を出してきました(笑)。

今日は先般の中国船レーダー照射事件について。

この事件を日本政府が明らかにした後の中国報道官の態度は
明らかに挙動不審、というか「目が泳ぐ」感じで、いかにも
「こう言えと言われたから言っている」
のが手に取るようにわかりましたね。

中国さんともあろう国がこんなポーカーフェイスのできない報道官を
使っちゃダメでしょうが。

彼女がきょどるのも無理はない話で、中国側は最初
「日本の捏造だ」
などと言わせていたんですね。
これを受けて日本政府が「データを証拠のために開示する用意がある」
というと、笑ってしまうことに
「今まで何度もやってきたのに何をいまさら」
なんてことを言い出しました。
発言が数日でコロコロ変わるのですが、彼女もさぞ気まずかったでしょう。

しかし、

「今まで何度も同じことをしている」

この爆弾発言にビビったのはなんといっても前政府与党だった民主党の連中でしょう。
だって、政権発足以来(どの段階でかはわかりませんが)中国の明らかな攻撃意志を
国民に秘匿し続けていたことがばれてしまったのですからね。

なるほど、尖閣の船長逮捕案件にあんな対応をするからには、
明らかにされていない「中国の横暴案件」はあっただろうと思うのが自然です。

その後、テレビで元海幕長(赤☆さんに非ず)がペロッと
『民主党政権のときにも何度かこんなことがあった』
なんて言って「やっぱり」という話になったわけです。

しかし不思議なのはそれらの発言をマスコミは一切突っ込んで報じないこと。
まあマスコミの最近の姿勢を見る限り、中国に都合の悪い事実は
決して表に出さないようですから、不思議と言うほどでもありませんが。

それでは、どれほどのこういった「挑発行為」があったのか。
週刊ポスト2013年3月1日号によると、三年間に8件それがあったということです。


【2010年】

4月 8日:中国艦艇の艦載ヘリが護衛艦「すずなみ」に接近飛行
4月13日:P-3C哨戒機が中国艦艇から速射砲の照準を向けられる
4月21日:中国艦艇の艦載ヘリが護衛艦「あさゆき」の周囲を2度旋回

【2012年】

4月 :P-3C哨戒機が中国艦艇からFCレーダー照射を受ける
8月下旬:海自護衛艦が中国艦艇からFCレーダー照射を受ける
9月 :海自護衛艦がFCレーダー照射を受けた可能性あり

【2013年】

1月19日:海自ヘリ「SH‐60」が中国フリゲート艦からFCレーダー照射を受ける
1月30日:海自護衛艦「ゆうだち」が中国フリゲート艦からFCレーダー照射を受ける


ちなみに中国船の衝突事件は2010年の9月でした。

赤字の2012年9月のレーダー照射案件をご覧ください。
当時の首相であった野田元総理はじめ与党であった民主党が沈黙していますが、
この直前の2012年8月、自民党の山谷えり子議員らが尖閣諸島付近に眠る
戦没者のための「尖閣慰霊祭」に出席するため、政府に上陸許可を求めました。
当時の野田内閣は当然のようにこれを拒否。
「もう日本は中国の属国になっている」と言い切ったのは民主党の仙谷議員でしたが、
終始異常なくらいの配慮を中韓に対してしていた政府ですから当然の対処です。

ちなみに、この「土下座外交」「売国外交」のシンボルともいえるのが、
伊藤忠の経済人丹羽宇一郎を中国大使に据えるという人事でした。

この赤字の護衛艦に対するレーダー照射案件は、
山谷委員らの上陸許可を求める動きに対する制裁、というかこれを受けて過敏に
反応したものと考えられます。

それにしても、これだけ思いっきり卑屈に配慮しても、安倍政権になって
きちんと抗議主張することをしても向こうが同じような反応しかしないのなら、
世界に中国の非道さを訴え相手にやんわりと牽制をし続けたほうが、
国民の支持も得られるんじゃないでしょうかね。

この時の照射に対して防衛省の幹部がこのように言っています。

「レーダー照射を受けた護衛艦は、ECM(Electronic Counter Measures)
と呼ばれるレーダー妨害装置を発動させたと報告を受けている。
これはレーダー照射を受けたP-3Cが行なったチャフ
(Chaff:レーダー攪乱用の金属片)
の放出とは比較にならないほど緊急的な措置だ。
いかに危険が迫っていたかを物語っている」


ちなみに、このレーダーに付いて少し調べてみました。

FCレーダーの射程は水上であれば約20キロメートル、
上空なら約60キロメートル。
ターゲットとの距離にもよりますが、発射されたミサイルや砲弾照射の
命中率は非常に高くなります。
照射されたまま発射ボタンを押されるというのは、
いわば眉間に銃口を突きつけられて引き金を引かれるようなものである、
というのは皆さんもニュース解説でご存知かもしれません。

つまりこのことはもし照射されたのが米軍だったら、ロシア軍だったら、いや、
自衛隊以外のどこの軍であっても現在の世界基準では、
いつ戦闘状態になってもおかしくない事態だったということなのです。

さらに別の防衛省幹部によると、詳細までは把握できていないものの、
「2012年9月に中国漁船が大挙して尖閣に押し寄せようとした際にも、
警戒にあたっていた護衛艦がレーダー照射を受けた」ということです。

それではこの危険なレーダー照射をなぜ人民解放軍は繰り返すのでしょうか。
参謀本部は一月にも「全軍戦闘準備をせよ」と布告するなど、
実に挑発的な動きをさらに推し進めているようにも見えます。

中国の最高意思決定機関である中国共産党の新指導者、
習金平は、人民解放軍の党中央委員会の最高権威者でもあります。
では、これらの軍事挑発が新リーダーの命令で行われているのかというと、

「そうともいえない」

というのが消息筋の見方であるようです。
翻って、赤☆元海幕長が中国軍との交流のため面会したこともある
呉勝利海軍上将ですが、この人物はかつて米海軍高官との会談において

「太平洋を二分割して米中で管理しよう」

と発言してアメリカ側を驚かせたほど、いわば野心的な人物です。
どういうことかと言うと、最近の一連の照射事件始め挑発行為は、人民軍が
この新指導者を試すために起こしているのではないか、と言うことです。

なんとなれば、レーダーのスペック、データは各国軍隊の極秘情報です。
この、データ解析のチャンスを敵国に与えるも同然の照射を行うというのは
「よっぽどの場合」というのが現場の常識です。

つまり挑発そのものを目的として繰り返される行為は、
日本に対してと言うより中国国内での示威行為であり、
これを習金平がどの程度黙認するのか、あるいは抑えにかかるか、
その度量や意向、意思決定の様を推し測っているというのです。

しかも相手が自衛隊なら応戦されることもないという読みもあるでしょう。

中国軍は総体的に国際感覚に乏しく、しかも軍の力で国民を守る、
という使命感や任務に対する忠誠がが非常に希薄であると言われます。
少し前にコメント欄である護憲派の読者と討論したことがありますが、この方が

「シナは日本の10倍の人口で、人命が安い。
日本人一人に対し10人の命がある、と言われている。
だからシナとの有事の際は覚悟が必要だ」

と書いてこられましたが、わたしはこれは
「中国人が日本人と同じメンタリティを持っていた場合」に限ると思います。

もし日中の間に有事が起こった場合、
果たしてそんなにたくさんの中国人が国を護るために立ち上がるでしょうか。
現在の「超自己功利主義の帝国」であるこの国を見る限り、
その可能性は限りなく低いように思われるのです。
軍人ですら、その任務の目的は「私」の功利であり、
それがために国民解放軍の規律は非常に緩いと言う現状、
ましてや国民解放軍には国防のための士気などは無いに等しい
とまで言われているからです。
つまり軍幹部が気にしているのは自分のポジションだけらしいのです。

つまりこの一連の示威行為は内部の権力闘争の一端であり、
すでに習金平は軍を掌握することができなくなってきているのではないか、
というのが中国専門家の見方なのです。

つまりそういった一連の行為が国際的にどう見られているかを
国際感覚に乏しい中国海軍は考慮せず、
「尖閣のためにしたことなのに何が問題なのか」
と開き直っている可能性もある(ジャーナリスト、福島香織氏)
ということです。

「日本は20年後には無くなっているだろう」

これは中国の李鵬首相がオーストラリアの高官に語ったという言葉です。
これを「日本は中国の省になる」と解釈して、
中国の覇権主義への脅威を煽るが如くに喧伝されましたが、
実はこれは1995年のバブル崩壊後に、

「あんたたちオーストラリアは日本を当てにしているが、
この(バブル崩壊の)調子では日本に先は無いんじゃないか」

と言ったということらしいんですね。
発言の前後の状況を確かめずにこういう情報をうのみにし、
中国への敵意を滾らせてしまうなどという挙動は慎むべきだとは思いますが、
問題は上から目線で「日本は無くなる」と言っていた中国自身のことです。

この発言の20年後、つまり2015年には中国がどうなっていることやら。

軍の暴走、世界中から疎まれる民度の低い国民、
国際社会の一員として全く信頼のおけない傲岸さ、
そしてなにより、何の対策もせず今や死活問題にまでなった環境汚染。
数年内には、首都を北京から新京に移すことを共産党は考えているようです。
根本的な解決よりなにより、自分たちだけは安全なところに、と言うわけです。


小さい脳みそで体ばかり巨大に進化した恐竜が、
自分の身を自然から守ることができず斃れていく姿を、
まさに今の中国に見るような気がします。





台湾を行く~「日本」を守ってくれた台湾人

2013-02-17 | 日本のこと

いま一度、台湾で訪れた飛虎将軍廟での話をします。
ここを訪ねると、廟守の方が迎えてくれます。
わたしたちが訪れたとき、おじさんはお昼ご飯をお堂の机に広げていました。



ここでお湯を沸かし、お茶も入れるのでしょう。
中国式のお茶がいれられる台があります。
どうもこれは折り畳み式で、こちらの将棋盤と、向こうのダイヤモンドゲームの部分が
コンロとお茶台の蓋となって収納できる仕組みのようです。
・・・・・アイデア商品?

コンロにやかんがかかっている状態でダイヤモンドゲームをした場合、
とくに赤の人などはやかんに手が当たって火傷するおそれはないのかといった
うっすらとした不安を感じさせずにはいられない、
なんというか、いまひとつよくわからないコンセプトのコンロなのですが、
それはともかく、毎日使っているのに手入れが行き届いてピカピカです。
このせまい廟は、どこもきちんと掃除がされていて整頓も行き届いていました。



このおじさんが廟守りさん。
この方が毎日お掃除もされるのでしょう。
毎日日本人が尋ねてくる場所で働いているのですが、日本語がわかりません。
日本人が来たら身振り手振りでお線香の上げ方を教えてくれます。

叔父さんの執務デスクも、きちんと整理されていることに注意。
そしておじさんの背後のカレンダーを見てください。



おおお、天皇皇后両陛下の「皇室カレンダー」。
このようなものをいったいどうやって。

天皇陛下御製の句が書かれた靖国神社カレンダーまで。
もしかしたらこれらのカレンダーは、ゼロ戦の模型や士官帽のように、
日本からしょっちゅう送られてくるのかもしれません。





元日本軍人がまだみな壮年であったころには、このように軍帽を被って、
ここに慰霊に訪れたのでしょう。
戦争従事者が皆80代以上になっている昨今では、このような慰霊訪問も
激減しつつあるのであろうと思われますが・・。



ちなみに、蔡焜燦さんは日本に来るたびに靖国参拝を欠かさないそうです。
日本語で説明してくれた同じ名前の蔡さんに、蔡焜燦さんの話をすると、
「知っていますよ。この人は台湾で有名です」と言っていました。



お線香をあげると、廟守さんはお守りをくれました。



日本の旗と台湾の旗が、神像の両脇に掲げられています。
中華圏のお寺でお祈りをするときは、日本と違ってひざまづくため、
御神体正面にはそれ用のクッションが置いてあります。



実にきらびやかなのが台湾式。
よく見ると実に凝った彫刻がなされています。



中国のお寺でこのような太鼓が使われるのかどうかはわかりませんが、
どうやらこれは朝夕「君が代」と「海ゆかば」が鳴らされるとき、
お寺の鐘を突くように叩かれるのではないかと思いました。
どういう仕組みかわかりませんが、(おそらく電気ではない)
狭いので床ではなく天井に太鼓を吊って、下から叩けるようにしてあります。



飛虎将軍の前に置いてあるホンダの車は、廟守さんが呼んでくれた
日本語のわかる解説員の蔡さんの車。
奥に立っているのが蔡さんご本人です。

廟守さんは
「時間があるので日本語の説明が必要です」
「時間が無いので説明はいりません」
と書いてある紙を見せ、どちらか指を指すと、
必要なときには蔡さんを電話で呼ぶという仕組みなのです。
電話をして5分以内に蔡さんは到着しましたので、おそらくこの人は
この近所に住んでお店か何かをやっているのではないかと思われました。

この蔡さんから日本語で説明を聞き、杉浦少尉の好きな煙草に火を点け、
質問などさせていただいたのですが、その中でわたしが
「こういう説明はボランティアでなさっているのですか」
と聞くと、「いえ、ちゃんとお金をいただいています」
なんと、ここに来た人々の「お布施」が、その謝礼なのだそうです。



なるほど、それでこんな金庫があるんですね。
それを聞いて、わたしたちはお賽銭を思いっきり(笑)はずみました。
きっと、ここに来る日本人は、皆そうするのだと思います。

ところで、この金庫の横に、



こんな焼け焦げがありました。
これは非常に残念なことですが、おそらく「反日」であるところの外省人が・・、
蔡さんいわく「基地外が」、ある日放火したのだそうです。

先日お話ししたように、戦後国民党は徹底した反日教育を台湾人に施しました。

統治前の「抗日運動」の実態は、夜盗もどきの「シマを荒らされちゃおまんま食い上げだ」
という生活上の理由でなされた抵抗運動でもあったわけですが、戦後の反日教育では、
この蜂起で日本政府に制圧された犠牲者は「英雄」とされました。

彼ら暴徒が小学校の運動会を襲い、子供を中心に和服を着ている者だけを選んで殺し、
その時着物を着ていた台湾人も二人犠牲になった、などと言う話は秘匿されました。

今日、日本のガイドブックなどにも、この部分に触れてあるものは非常に少なく、
書かれている「台湾人が日本政府によって多数殺戮された」という部分だけを読んで、
「日本はやっぱり一方的に酷いことをしたのだ」と目を伏せる人を増やす結果になっています。
(何を隠そう、TOも当初そのクチでした)

そして、現在台湾では大陸中国から来た人間も元々の台湾人と同じ国に暮らしているのですから、
一口で「台湾人」といっても、この、日本人が神様になっている廟を
「面白くない」「消してしまいたい」と思う人間は中にはいるでしょう。
そもそも出自が違えば家族から聞いてきた話も人によりさまざまでしょうし。


台湾全土で、蒋介石像のある場所はピーク時で150か所近くであったそうです。
蒋介石がそんなに台湾人に慕われているはずはないんだけどなあ、と、
大小様々の蒋介石像(故宮博物院にもあった)を見るにつけ不思議だったのですが、
これで謎が解けました。
蒋介石はまるで犬のマーキングのように、とにかく自分の像を作らせたのです。
それもこれも自分の徹底した神格化が目的でした。

かつて台北に先日お話しした台湾総督の児玉源太郎の威風堂々とした
騎馬姿の銅像があったのだそうです。
蒋介石はその像がすっかり気に入ったので、なんと首から上だけを取って、
自分の首に付け替えさせました。
児玉源太郎の銅像が着ていたのは陸軍の制服だったので、
その変えようのない首から下は日本に留学して陸軍の予備校に行っていたころ
そのままの蒋介石だったのですが、本人は恥じる様子もなかったようです。


それはともかく、蔡さんは、台湾の民主化前は何度もこの廟が、
当局から文句を付けられて潰されそうになったということを淡々と語りました。
しかし、この地域の人たちはその圧力に負けなかった、とも。

日本軍人だろうがなんだろうが、われわれの住む地を守ってくれた神様だ。
国民党に潰せと言われる筋合いなどない。
そのように住民は団結して、この廟を守ってくれたのだそうです。



守ると言えば、この八田與一の銅像もそうです。
この銅像は、まだ八田が生存しているとき、ダムの完成記念に造られました。
本人は当初自分の像を建てることに抵抗したそうですが(笑)、
「フロックを着て立っているようなものではなく、作業着を着た像を造るなら」
という条件で承諾したのだそうです。

この像が何から守られたかと言うと、実は最初は日本政府でした。
戦争に突入し金属不足になったとき、国内はもとよりここ台湾でも金属は供出させられました。
お寺の鐘までがその対象になったのですから、銅像もまたそれを逃れられなかったのです。

しかし、その動きがでたとき、関係者はこの「華南の父」の像を隠しました。
隆田という、このダムの最寄駅の駅舎に隠されたのです。



戦後はそして蒋介石の「日本パージ」から隠され・・・、つまり、
ずっとこの像は隆田駅の駅舎の中にひっそりと守られていたのでした。

この銅像が前の場所とは少し違う、丘を見下ろす現在の場所に設置されたのは、
1981年、蒋介石が亡くなり、その息子の蒋経国が政治的求心力を失い、
陳水扁の台湾内での民主化運動(党外運動)が高まりを見せていたころのことです。

飛虎将軍、杉浦海軍少尉、そして八田與一。
どちらの日本人もその命を台湾に捧げ、台湾人から敬愛されました。
それだからこそ、台湾の人々は、その絆を守り続けてくれたのです。

台湾にはこのような「日本人との精神的絆」である場所がいまだに遺されており、
頭蓋骨となって漁網にかかった日本軍人を祀るため、軍艦の模型が飾られている神社や、
「教育をするものは寸鉄も帯びてはならぬ」と言う意思のもとに、何の守りもなく
原住民の襲撃の元に命を絶たれた日本人教育者を顕彰する神社もあります。

台湾総督府の明石元二郎は
「余は死して台湾の護国の鬼となり、台湾の鎮護たらざるべからず」と、
自分の体を台湾に埋葬させるように言い遺しました。
実際明石は郷里の福岡で亡くなったのですが、その遺志は重んじられ、
明石の遺体はわざわざ台湾に運ばれ、埋葬されたのです。

その後、大東亜戦争後の国共内戦に敗れて台湾に逃げてきた国民党の中国兵、
そして難民がこともあろうにこの日本人墓地にバラックを建てて住み始めました。
明石総督の墓も、付属していた鳥居はバラック家屋の柱として利用され、
さらに墓の近くにわざわざ公衆便所まで作るという念の入れようです。

しかし、1994年になって陳水扁台湾市長はそこに住んでいた人々を退去させ、
台北市役所の手によって明石総督の墓が掘り起こされました。

このときも、「日本人を弔うとはなにごとか」と外省人たちはいきりたち、
依然明石総督の偉業をたたえる本省人との間に激しい争いが起こりました。


大陸から来た外省人にとっては「憎い敵国人」である日本人も、
台湾人、つまり本省人にとっては尊敬してやまない恩人であり、
なんといっても同じ国民だったのです。

彼らが「日本人の痕跡」を守ってくれたのも、彼らの心情を思えば当然なのでしょうが、
我々日本人としてはただそのことに「ありがとう」と首を垂れずにはいられません。








台湾を行く~台湾総督府総監・後藤新平

2013-02-15 | 日本のこと

日本が統治時代、台湾でしたことについて、戦後の日本人がなぜか
「植民地化したことは許されるものではないが」
というような言い訳をする傾向について、先日、

「それはアメリカから戦後刷り込まれた自虐史観の賜物である」
そして
「歴史に許すも許さないもない。善も悪もない」

「しかも、蒋介石のしたことを冷静に見る限り、
われわれがこの人物のの対日政策に恩義を感じる必要はさらに無い」

ということを述べました。
しかしこの言だけでは、
「歴史にいい悪いもないと言うなら、戦後国民党が台湾でしたことも
蒋介石が日本から没収した財産で私腹を肥やしたことも善悪では語れない」
ということにもなってしまいますね。
うーん、困った困った(棒)

それでは、日本支配とそれに続く国民党支配を台湾人がどう捉えたか、
当の台湾人の総意とされている資料を見てみましょうか。

「犬去りて豚来る」

これが国民党を迎えた台湾人がため息とともに吐いた言葉です。
日本が台湾を統治し始めたとき、もちろんですが台湾人の間にも抵抗が起こりました。
清から送られていた政府は日本人が上陸するや住民に殺戮を加えながら逃走、
むしろ台北では日本軍に早く進駐するように要請する声もあったくらいですが、
島の南部の住民は激しい抵抗を示し、抗日ゲリラは1902年に収束するまでの間に、
2万4千人もの台湾人が死亡しました。

そして、この抵抗運動を「日台戦争」という造語で「日本悪玉」の根拠にして、
台湾人たちから訴えられたのが、NHKの「ジャパン・デビュー」スタッフです。
これを書いた稿は残念ながら消されてしまいましたが。

国民党の戦後敷いた「反日史観」では、この死者は「英雄」として、
先日お伝えした「忠烈祠」に祀られているわけですが、

ちょっと待った(笑)

台湾の実業家許文龍氏によると、

「そんな立派なことではない。
彼らは国家意識や民族意識から抵抗をしたのではないのだから」


どういうことかと言うと、日本軍上陸とともに逃げた清政府は、
もともと台北の都市部に限られ、南部地方は無政府状態でした。
「化外の地」という名前はだてではなかったのです。

そういった地方は地元のやくざが牛耳って庶民から搾取しており、
そこに日本人が来るとその権利が脅かされるため、
その既得権益のためだけにかれらは日本人と戦ったわけです。

普通の台湾人にしてみれば、ヤクザの搾取に貢ぐのであれば、
日本人に統治してもらった方が治安も衛生状態も良くなるし、
税金もそんなに高くないのならそちらの方を歓迎するのは当然です。

「日本人の悪行」として国民党政府に喧伝された「霧社事件」にしても、
もともとはセデック族の集団が小学校の運動会に乱入して、
子供をはじめとする日本人だけを140人を惨殺したことに端を欲しており、
今日虐殺とされている日本政府のセデック族制圧はそれに対する「討伐」であった、
という構図についてはあまり公にされていないのが現実です。

それにしても、当の台湾人自身ががこのように評価している「抗日」を、
よりによって我が日本の公共放送局が「戦争」と称するとは・・・・・・・。

何度も言いますが、いったい、彼らはどこの国の立場に立っているのでしょうか。

1902年に抗日運動が収束してから、台湾は急激に発展しました。
ことに台湾総督児玉源太郎と後藤新平の「黄金コンビ」の時代には
風土病も抑えられました。
住民の平均寿命を30歳にしていたあらゆる熱帯特有の風土病は、
中興の祖であった鄭成功の命も奪いましたが、日本人も
これらのペスト、コレラ、マラリアなどに罹患しかなりが死亡しています。

オランダ統治時代からアヘンの吸引も蔓延しており、清朝はこれらを

「匪賊」「風土病」「阿片」「生蕃(原住民)」

と呼びました。
後藤はこれらの難問を一気に解決するべく、実に巧妙な政策を打ちます。

阿片はいきなり廃止するのではなく、吸引を「免許制」にして、
国による専売を行い、「闇取引」を根絶させます。
阿片の収入も総督府の収入とし、それを社会整備の予算を確保します。
台湾人を阿片の仲買人、小売人にして利益を上げさせながら、その一方で
彼等にゲリラ対策に協力させ、国の利益を病院を建てたり、あるいは
総督府付きの医学校を創立することに回しました。

このときに造られた医学部が現在の台湾大学医学部です。

そして、徐々に官主導で阿片の取引を減らしていき、
50年近くかけて阿片の習慣は台湾から無くなりました。

そして、面白いのですが、統治政府は林火旺という匪賊の頭領に

「罪は咎めないので投降せよ」

と呼びかけ、出てきた彼らに土木工事の仕事を与えました。
建設土木関係と言うと、昔は日本でも「組」が請け負っていましたから、
まさにこれは日本とおなじの「適材適所」。

「彼らの改心」「ゲリラ撲滅」「国土整備」

が一石三鳥で期待できる素晴らしい施策です。

後藤新平は台湾近代化の父、と言われています。
道らしい道すらなかった「化外の地」に日本は次々と改革を行います。

今もそのまま残る南北縦貫鉄道、港湾、道路、ダムの建設。

苗木の無料配布と補助金を交付し造林事業を推進。

台湾銀行を設立して通貨金融制度を確立。

阿片を始め、纏足、辮髪、先住民の首狩りなどの悪習の追放。

学校を作り教育制度の整備。

新渡戸稲造主導の製糖業などの産業育成

台湾の気象に合ったコメ(蓬莱米)などの改良を始めとする農業指導


「日本は台湾に対して偉大なことをした」

これは、李登輝元総統の日本統治に対する評価です。

しかし、このような日本統治政府のしたことを列記すると必ず
「植民地としてそのような国の整備をするのは当たり前で、
実際は日本人は台湾人を動物のように扱ったではないか」

という反論があります。
台湾の先住民族の暮らしぶりを万国博覧会で紹介した時に、
それを「人間動物園」だと呼称した、という捏造をした
NHKの「ジャパン・デビュー」の製作スタッフのような人たちのことですね。

(しつこいと言われようが、何度も言わせていただきますよ。NHKさん)

これだけの成果を並べ、当の台湾人の感謝する言葉を聞いてもなお、
「日本が悪かった」「日本は謝罪すべき」だと言い募る人々、
それが冒頭にも述べた「謝罪マゾヒスト」「自虐アドレナリン中毒者」の皆さん、
あるいはそこまでいかずとも「なんとなく世間がそういうことになっているらしいから」
と周りの空気を読みつつ「いい人」と思われようとする人たち。

これらの人々は、台湾人の言った
「犬去りて豚来る」
の意味をもう少し史実に学んでいただきたい。

何年か前に後藤新平と新渡戸稲造の業績についてのシンポジウムが行われました。
そのときに、なんと我が日本代表のパネリストは(誰だか名前はわからなかった)

「日本は台湾にいいこともしたかもしれないが、悪いこともした。
台湾の人たちにお詫びをしたい」

と発言したというのです。
このパネリストも、どうやら「自虐善人」であった模様。
韓国のような国相手ならともかく、台湾人相手にこれでは

「何を言っているのこの人?」

とむしろ呆れられ「あんたは後藤新平から何を学んだのだ」
と逆に不快感を持たれたのではないかと思います。

統治した台湾総督府は台湾人の自治を認めませんでしたし、
社会的にも出世に制限があったのも事実です。
同胞とされていた朝鮮人には日韓併合前から陸軍士官学校への入学を認め、
日本人と一緒に学んだ彼らの中の優秀なものには中将にまでなった者もいました。

比べて台湾人は二等国民と扱われたのは事実です。
台湾人は政治運動を起こし、総督府はそれを「治安維持法違反」として逮捕したりしました。
しかし実態は、政治犯として捕えられても「食事つき無償宿」に壮行会をして入り、
出所しすれば一躍英雄扱い。

政府から呼び出されたが最後、それっきり行方も分からなくなった者が
何万人もいるような戦後の国民党とは違って、あくまでも日本は
法治国家として台湾人を扱ったのです。

冒頭の画像は、台湾総督府第五代総督の後藤新平晩年の像。
実に「大物」「怪物」といった風格のある人物です。

後藤新平はもともと医師でした。
しかし、その卓越した政治手腕と何よりも先を見通す卓見は、
医師という職業だけにとどまることはなく、多くの業績を残しています。

満鉄初代総裁。

拓殖大学の創立。(同大学はそのせいで今も台湾との縁が深い)

日本ボーイスカウトの初代総長。

日本最初のラジオ放送をした東京放送局初代局長。

そして関東大震災後の帝都復興計画。
(東京の現在の幹線道路網は後藤の主導で構築され現在に至る)

シチズン時計と言う名を頼まれて命名。(これはおまけ)


ざっとあげただけでこれだけがずらずらと出てきます。

台湾統治は後藤が41歳のときでしたが、
このときに後藤は上に挙げたような統治を

「生物学の原則に則ったものである」

という有名な言葉で説明しています。
台湾の特殊な状況、民族や歴史や気候、これらすべてひっくるめて、

「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、
無理に変更すれば当然大きな反発を招く。
よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである」

という方針、つまり簡単に言うと

「ヒラメに鯛の目を付けることはできない」

という「生物学的理論」的考えです。
なかなか的を射た比喩ではあります。

台湾総督府も第三代総督の乃木稀典までは、すべて軍人であったので、
匪賊対策ひとつとっても「懲らしめてしまえ」というような対処をしました。
児玉源太郎も陸軍出身ですが、この時の民政局長がこの後藤でした。
つまり、この二人がコンビとなることで、台湾統治は大きく近代化に
「生物学の原則を取り入れて」前進することができたのです。

今回もあらゆるインターネット上の「台湾統治」について調べてみたのですが、
「NHKへの訴訟は間違っている。なぜなら日本は台湾を植民地にしたから」
というような雑な理論を展開しているある左翼思想を持つ人物によると、
「後藤新平は差別主義者だった」(だから統治は悪であった)とか。
どう差別主義者だったのか具体的な資料もなしに決めつけるのもどうかと思いますが、
もしこれが「差別主義だったに違いない、なぜなら日本は台湾を以下略」
だったら、わたし怒りますよ?

本当に差別主義であったかどうかはともかく、パワフルに台湾の国としての体制を
根本から作り上げた後藤と言う人物は決して清廉で潔白なだけの政治家ではなく、
清濁併せ呑む実行の人であったようで、そういう彼のスタイルは
「金権政治家の典型」「黄金至上主義」などと批判されることも多かったようです。

なかでも台湾統治時代に樟脳の専売で結びついたのがあの「鈴木商店」というあたりが、
この陰口もさもありなんと思わせます。

ただ、その目もくらむばかりの実績を知っている後世の者は
「しかしそれが何か?」と言うしかないのも事実なのですが。



後藤は数々の名言をも残していますが、死の間際に言ったという

よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。
仕事を残して死ぬ者は中だ。
人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ


という言葉は、ボーイスカウトの「白いお髭の総長さん」として少年たちに慕われた
この「怪物」の真骨頂であったと言えましょう。

「いいこともしたがそうでない部分もあった」
台湾人自身の言うところの日本の台湾統治に対する評価と、
この後藤新平への人物評価はまさに方向を同じくするものです。

後藤新平がその一生にしたことの数々は、今日も台湾や日本にとって
偉大な痕跡となり重要な意味となって存在していることに誰も否定はできないでしょう。




白洲次郎の「改憲」(おまけ・石原慎太郎の国会爺放談)

2013-02-14 | 日本のこと

   

安倍総理が中国との緊張が高まる中においても礼儀正しく
『旧正月おめでとうございます』
と在日華僑へ向けた新年の挨拶をしましたね。
これは日本国の総理大臣として恒例にしたがってたんたんと礼を尽くしたわけで、
照射したのしないのと中国側が発言を二転三転させ醜態を曝しているにも関わらず、
こちらはりっぱな文明国としての「大人の対応」であったとわたしは評価します。

元より日本は、その武士道精神から、たとえ戦争中であっても海に落ちた将兵を救出したり、
撃沈した敵国の軍艦が沈む現場に花束を投下したりと、
戦う相手にも、というかだからこそ礼節を以て相対する、というメンタリティがあります。

大東亜戦争中逝去したルーズベルト大統領を悼む弔電を送った鈴木貫太郎、
そして、国際法を無視して自国の一般船舶を沈められてもなお、
それに対する報復を諒とせず逆に捕虜を丁重に扱うよう指示した板垣征四郎。

この安倍首相の挨拶に中国人民がむしろ戸惑っているのを見て、わたしは
「これが日本の強みであり戦い方かもしれない」と思いました。


さて、政権交代後悪夢の三年が終わり、ようやく国会質疑を見ても、
その答弁の姑息なこと(つまりその場しのぎと言う本来の意味において)、
その稚拙なことに怒りと絶望のあまり胃を痛くすることもなくなり、
とりあえず外国人参政権やら人権法案やらを勝手に通される心配も遠のき、
安心とはいえないものの、切羽つまった心配をしなくともよくなり人心地がついた、
という今日この頃です。

国会で、「外国人からの違法献金や前科者との黒い交際、
あるいは手書きの領収書偽造についての質問に閣僚答えられず」
というような、どんな喜劇をも上回るブラックジョークの利いた場面をみることが
できなくなったのは、少し残念と言えば残念ですが。

答える閣僚の答弁にも実に安定感があって隙がなく、
(麻生さんの共産党議員に対する『我が国は共産国家じゃないんで』には笑った)
「ああ、良くも悪くも自民党は与党慣れしている」
と妙に感心してしまったのですが、片や昨日まで与党閣僚であった民主の皆さんの、
少数野党になったとたん本来の姿に先祖返りして、
実に品の無い与太者のようなイチャモン質疑をしてみたり、
「グーグルアースで中国の艦船の位置がわかる」となどいう愉快な、
体を張ったギャグで世間を心から笑わせてくれたり、という姿を
「ああ、良くも悪くも民主党とは野党が一番しっくりくる」
と、思わず目頭を熱くしながら見ています。(←嘘)


ところで今国会の「見もの」は民主の凋落(本当にこの言葉がぴったり)だけでなく、
石原慎太郎元東京都知事が18年ぶりに国会に帰ってきたことです。
わたしは正直言って、いまだに維新の党の立ち位置が今ひとつわからず、
「石原さんと橋下さんって、一緒に党をやるほど方向性が同じだったっけ?」
と違和感を感じたものですが、それについては今日はおきます。

昨日、その石原氏が衆議院予算委員会で質疑に立ったのを見ました。
質疑、といっても持ち時間の1時間40分、ほとんどそれは
時事放談。いや爺放談。

「シナと言って何が悪い。当の中国がほかの国にはそう呼ばせているのに」
「三木(首相)、わたしは大っ嫌いだったんだが」
「あいつが(オバマ大統領のこと)」
「私は『暴走老人』という名称が気に入っているのだが、
名付け親の田中真紀子さんは
落選してしまってこれが本当の『老婆の休日』」

しかしながら、わたしは心から思いましたね。
こんな人が国会にいるべきだと。国会に戻ってきてくれてよかったと。
この1時間40分の「爺放談」において、
民主党の議員たちの元閣僚とは思えない、ただけんか腰で噛みつくだけの、
ついでに「お前が言うか」という一言を投げつけたくなるような厚顔な質問とは、
内容も質もことなる世界が本人の見てきた歴史の重みすらをも伴って展開されました。

「自分の目の黒いうちに戦争をしたいだけ」とか「ボケ老人」などと、
特に「9条教」の方々はこのように石原氏を誹謗するわけですが、
そういう方たちに一度でもこの人の主張にじっくり耳を傾けたことがあるのか、
と聞いてみたいです。

リアルタイムのインターネット中継でわたしはこの質疑を見ていましたが、
氏がいきなり「憲法改正」について触れたので、注目しました。
石原氏はだいたいはわたしの考えと同じような「改憲論」を語ったと思います。
そしてほどなく、「あの」名前がその口から登場したのでした。
この部分を書き起こしてみましょう。

「今でも神格化されているかつての名総理であった吉田総理、
この側近中の側近だった白洲次郎さんからね、わたし面白いことを聞きました。
わたしあの、割と歳早くですね、世間に出たもんだから、
当時は文壇てもんがありましてね。その文壇の催し物、ゴルフの後で、
白洲次郎の奥さんの正子さんの縁で、白洲さんも来られてたんですが、
一緒にプレイしながらいろいろな話をしたんですね。
『吉田さんは立派だった』と。しかしね。
『一つ大きな間違いをした』と。
それはね、『サンフランシスコ条約が締結されたときに、
なんで、あの憲法を廃棄しなかったのか』こう言ってましたな」

・・・みなさん。

サンフランシスコ条約が締結されたときに憲法を廃棄するべきであった

サンフランシスコ条約のときに

(つまり)昭和27年に改憲すべきだった


どうですか~?(大威張り)

威張るわけではないんですが(威張ってるけど)、
わたくしことエリス中尉が去年の末、
「改憲論者からの手紙」というログで、このように述べたことを覚えておられますか?

その部分です。

ところでこの際ですからわたしの考えを言わせていただきましょうか。
わたしは、日本は憲法を日本が独立した昭和27年、
つまりあなたの生まれた年に改訂するべきだったと思っています。



つまり、わたしはこの石原氏の爺放談によって初めて知ったのですが、
白洲次郎とわたしは全く同じ考えだったんですねー。
いやはやこれは実に目出度い。
思わず、「マッキーの案内で武相荘訪問」という、
わたし的にば「あれ」以来あまり気が進まなかったお誘いに二つ返事で飛んで行って、
この人物に纏わるところで祝杯でも上げたい気分です。飲めないけど。

ね?そうでしょ?
改憲すべきはあのタイミングしかないと、白洲次郎も思っていたってことですよね。

さらに言うと、この「すべきだった」と言う言葉の中には、
「あのとき改憲する機会を逸したため、その後日本ではするしないを巡って
それそのものが国内の言論を二分する左右陣営の対立の道具となった」
ということに対する悔恨が込められているとわたしは思っています。


ところで石原議員は(議員って呼ぶのも畏れ多いほどエラそうにしてましたが)
改憲について簡単に言うと次のように述べていましたのでご参考までに。


現行の憲法は、戦争の勝利者が、
敗戦国を統治するために強引に造った即席の憲法である。
わたしは、統治された国が、独立した後、数十年にわたって
そういう憲法を存続させたという例を世界で見たことが無い

つまり、白洲次郎とエリス中尉の言うように、「真の独立」をするためにも、
サンフランシスコ条約のときをおいて改憲すべきタイミングは無かった、
と言うわけです。

さらには

憲法は廃棄すると総理大臣が言ったとき法的に阻止する根拠はない

とも。
だから、安倍総理、頑張ってやっちゃいなさい、ってことなのですが(笑)
また、トインビーの言葉を借りて、「借り物の憲法」「借り物の国防」
に甘んじている日本の現状をこのように語りました。


いかなる大国も滅亡する運命を逃れられないものであるが、ことに
いかなる大国も自分で自分のことを決められない国は速やかに滅びる

つまり、国防を傭兵に任せたローマ帝国の滅亡例として挙げたのです。

ところで。


世間からいわば「忘れられていた」白洲次郎をNHKが持ち上げたことに、
実を言うと、わたしはこの局の「戦略」を見ています。
ドラマ「白洲次郎」に続き、その後「吉田茂」も制作されたそうですが、
前にも言ったように「白洲次郎」でNHkは近衛公を「悲劇の宰相」としてのみ描き、
「反戦」の一面(しかも近衛は全面的な反戦論者でもなんでもない)だけをクローズアップし、
白洲と吉田が作り上げた憲法に対してはただ「困難を極めた」という面でのみ語り、
しょせんは占領国憲法であったという欠陥についてはあえて無視する。
NHKの「護憲的色づけ」を、このドラマの「白洲、吉田ヨイショ」に見るというのは、
少々穿ちすぎでありましょうか。

ドラマヒット後(ヒットしたかどうかは実は知らないのですが)、
雨後の竹の子のように出てきたさまざまの書物においても、
白洲が「憲法」をどう評価していたかについては、作成作業終了直後の

「監禁されて強姦されたらアイノコが生まれた」

以外の証言は全く述べられていません。
唯一つ、
(憲法について)「いいものはいい」と白洲が言ったことを、
「どういう欠陥があってもこの憲法はいいものである」
という無茶苦茶な解釈をしている文章を見たのみです。

わたしはこの「いいもの」とは、これも一連のログで述べたように
「現代にも通用し、改正する必要の全くない部分」
のことであり、白洲本人も「そのような部分は変える必要はない」
と言う意味で言ったのだと解釈しているのですが。



いま一度石原慎太郎についてです。
石原議員は冒頭、「国民に遺言をするつもりで国政に出てきた」と言いました。
そして、なぜ「暴走老人」と言われながらもこの挙に出たかというのは
靖国神社で見た齢九十歳の戦争未亡人の句に押されたからだと語りました。

その句とは、

「かくまでも醜い国になりたれば捧げし人の唯に惜しまる」

と言うのだそうです。
石原議員の証言による白洲次郎の言葉と同じくらい、
わたしはこの句に対し身の引き締まるような思いを持ったのですが、
あなたはこの未亡人の言葉をどのようにお感じになりますか。





台湾を行く~蒋介石と忠烈祠

2013-02-11 | 日本のこと

台湾旅行を機に台湾の歴史について調べるうち、
台湾が親日であることに始まって、日本が統治時代にしたことの数々、
たとえばこのブログでもお話しした八田ダムなどのインフラ建設や、
教育、そして社会基盤を整えたことなどを挙げるブログをいくつも発見しました。
わたしのように台湾旅行をきっかけにそのようなことを知った、というブロガーも
かなりいるように見受けられました。

しかし、彼らの記述を見て気になったことがあります。

日本が統治時代に台湾にしたことのいろいろを挙げ、だからこそ台湾は親日なのだ、
と書きながら、最後に言い訳のように

「しかし、日本が台湾を植民地にしたことは決して許されることではないが」
「統治したことを正しいというわけではないが」

などと、お約束のように付け足している言論が非常に多いことです。

いつも思うのですが、日本人には、どういうわけか歴史を自分のことのように捉え、
かつそれに対して罪悪感を感じ、ときとして謝罪までしてしまう「善人」が多すぎます。
それが日本人らしい美点と言えば美点でもあるのですが。

二国間の間に支配、被支配の関係が生じるとき、そこにあるのはパワーバランスの不均衡、
強いものが支配し、弱いものが支配されるという事象があるだけで、
何度も言うようですが、それは善と悪という関係ではなかったのです。
しかも支配した側でありながら統治を悪であると反省してしまうような民族は、
世界広しと言えども日本人だけです。

中国や韓国がそれをいまだに善悪で語り「謝罪と賠償」を要求するのも、
日本が戦後、前代未聞の自虐史観によりそれを自ら認めてしまったからなのです。

そもそも、歴史上支配側が支配したことを悪と考え、支配された民族に謝罪する、
こんな例は古今東西探してもどこにもありません。
(ドイツの首相の謝罪は言っておきますがノーカウントですから念のため)

ただ日本だけが、GHQに与えられた自虐史観を拗らせた「謝罪マゾヒスト」、
(ある種の人たちは懺悔によってアドレナリンが出て、陶酔するという心理に至るらしい)
またはその揚げ足を取って政治利用しようとする政治家などによって、
「被支配側」あるいはさらに謝罪の必要などない戦争相手に遡及のすきを与え、
それを政治カードに取られてしまったというだけのことです。

NHKの「Japanデビュー集団訴訟問題」でNHKを訴えた台湾人たちは、
統治していた日本を恨んでいるわけでも、全面的に肯定しているわけでもなく、

「統治にはいろんな面があった。
しかし、少なくともNHKの捏造したような、
一方的な弾圧や差別を含む
過酷なものなどではなかった」

という主張のもとに訴訟を起こしたわけです。
(いえーい、NHKの人見てる?)

戦後日本には、お人好しで根が善人の日本人が、自分の歴史に対し、
「いいこともしたけど、やっぱり植民地化はよくない」と―善良な市井の人までが、
なんとなく言い訳しないといけない気になってしまう土壌が築かれてしまいました。
もちろんこれはNHKや朝日毎日の日々の刷り込みによるところが大です。

その昔台湾や朝鮮がどんな国で、なぜ彼らが日本政府の治世を受け入れたかとか
台湾では日本統治の後、国民党によって殺戮や弾圧が起き、皆統治時代を懐かしんだとか、
こんなことをほとんど知りもしないのに、なんとなく日本を「悪者」にしてしまう。

メディアと左翼の刷り込みによって今日「愛国者」=「右翼」と思い込む日本人のなんと多いことか。


もう半年以上前になりますが、台湾の高砂族部隊について書いた稿に、
予科練にもおられたという戦中派の読者の方がコメントを下さっていました。
その方が30年前、この忠烈祠を見学した時の話で、

館内の資料ケースの中に敗戦後、復員する日本兵の船上の写真が有りました。
そこには「以恩報怨」 と書かれてました。
蒋介石が過去の事を忘れて日本軍を早く帰国させる為に取った措置だそうです。
中共やソ連と雲泥の差があり感心しました。

というものでした。

一方、今回忠烈祠の見学を薦めてくださった読者の方は

「抗日関係の展示物には凄まじい”モノ”が有った印象があります。
怨念というか・・・」

と書いておられました。
これでわざわざ見なくても忠烈祠の展示内容がわかってしまいました(笑)


当時、蒋介石の国民党は、毛沢東率いる共産党に対する
「自由主義陣営」という位置にありました。
言わば日本にとっては「仲間」というわけです、

そして特に戦中派、大陸から引き揚げてきた日本人は

「蒋介石は以徳報怨といって、復讐をしないように中国の民衆に呼びかけた。
しかも、日本に対して賠償を放棄して一銭も求めなかった」

などといって、蒋介石を尊敬したりこれに感謝したりしたのだそうです。
しかし、わたしが台北で今回お会いした「元日本人」蔡焜燦(さい・こんさん)氏は、
こういう日本人を、このように評します。

「日本人は律儀すぎるほど律儀なのだ」

戦後の日本が外交政策として自由主義陣営とされる国民党と手を組むのは、
中国共産党への対抗上仕方のないことであったと言えます。
そもそも日本人は、当時台湾が凄惨な虐殺を伴う戒厳令下にあることなど、
全く知る由もありませんでした。
表面的な賠償放棄と「以徳報怨」ですっかり騙されたのも致し方なかったといえます。

・「戦後賠償放棄」の真実

そこで改めて、この冒頭の絵をご覧ください。
蒋介石とその妻、宋美齢の仲睦まじい様子ですが、
注目していただきたいのは、宋美齢の写真に見られるいでたちです。
まあ、趣味がいいかどうか、というのは読者の個人的な見解に任せるとして、
チャイナドレスの上に洋風のジャケットを羽織り、大きな指輪をはめ、
全く必要もなさそうなポーズのためだけの皮手袋を、気取った様子で持っています。

この宋美齢が中国4大財閥のご令嬢で、幼き日からアメリカに留学し、
アメリカで抗日を訴え、反日の象徴としてマドンナのようになっていた、ということは
もしかしたらみなさんも「宗家の三姉妹」などという映画でご存知かもしれません。
彼女はこの写真からも覗えるように、非常に自分の容姿に自信を持っており、
さらに自他ともに認めるお洒落番長(笑)だったので、何しろその維持が大変。

アメリカで抗日を訴えてアメリカ人から集めた寄付金は、
全て彼女の滞在した高級ホテルや衣装宝石自家用車お化粧代に消えてしまったそうです。
まあ要するに、この彼女のお衣装にも途方もないお金がかかっていたわけですね。
趣味はともかくね。
さてそこで質問です。
この妻を満足させるだけのお金を、蒋介石は戦後どうやって捻出したと思います?

戦争が終わり、日本の台湾統治も終わりました。
実は、日本が台湾に施したインフラは勿論、台湾に残された「日産」(日本の資産)及び、
日本人の私有財産、これを蒋介石は、日本が持ち帰ることを一切許しませんでした。

台湾にいた日本人が国に持ち帰るのを許されたのは手荷物だけ。
国家予算の5パーセントに当たるこの巨額の資産を、国民党は実質
「賠償金」として全て私的に(つまり国としてではなく党として)接収してしまったのです。

ちなみに、日本はこの残した資産を清算するように国民党に何度も要求しています。

さらに、国民党政府は、日本が残していった事業を設備から何からそのまま引き継ぎ、
安定した利益をすぐさま上げることができたのです。
戦後内戦に敗れて大陸から無一文で逃げ込んだも同然の国民党は、
これら日本人の残した財産によって肥え太り「世界一の金持ち政党」となったのです。

しかも蒋介石は、戒厳令によって台湾人を弾圧し、表向きは日本と自由主義陣営同士の
連携を謳いながら、実は国内では強烈な反日教育を推し進めていたのです。
「東洋鬼」
「小日本」
と日本をあざけることを教え、同時に統治時代の痕跡を尽く破壊していきました。
利用できる堅牢な日本の建築物はちゃっかり残して。




現在この忠烈祠の在る場所には、昔、日本の護国神社がありました。
日本の英霊を祀る場であるからこそ、蒋介石はこれをあえて潰して、
抗日戦争で亡くなった中国人の魂を顕彰する祠を作ったのです。

 

自分の神格化も勿論のことしっかりと行っております。

 

そしてこれ。
台湾に行ったことのある方は、この非常に目立つ、
とても趣味がいいとは言えないこの巨大な中華風建築の建物が、
宋美齢が日本の神社を潰して作った超高級ホテル」という事をご存知でしたか?

ここには、隣の護国神社と寄り添うように「台湾神社」がありました。
それを宋美齢は壊して、国有地にわざわざホテルを作り、それで私腹を肥やし、
さらになんだかんだ言い訳をして税金すら払わなかったというのですから畏れ入ります。
この目障りで風情もくそもない醜悪な建物は、空港からも非常によく見え、
そんな彼女の極道ぶりを今に伝える立派な証拠となっております。



一度ここが火事で焼けたとき、蔡さんら「トウサン世代」の台湾人は皆
「ざまあみろ!」
と快哉を叫んだというくらい、評判の悪い建物でした。

蒋介石と宋美齢はたった半世紀の間に15億ドルもの蓄財を為しています。

蒋介石は、狭い台湾に40箇所もの「行宮」(あんぐう)という豪華な別荘を建て、
視察に泊まるときだけ利用しました。
日月潭も、日本から取り上げた宿泊施設を行宮にしたものです。
夫妻のためだけに造られたこの行宮は、夫妻が一度泊まると、
そのたびに浴槽と便器を壊して取り替えたと言われています。

ちなみにこの行宮は「あんぐう」を変換すると出てくる単語ですが、
中国の「皇帝」の別荘のことを言うのです。
まさに、この二人は自分たちが「皇帝、皇后」になったつもりだったのでしょう。
宋美齢はかつて
「私が”中華民国”だ」
と言い放ちました。

「宗家の三姉妹」の宣伝文句によると、
「一人は金と、一人は国家と、そしてもう一人は権力と結婚した」。
実業家と結婚した長女、中国革命の父孫文と結婚した次女、
そして三女の美齢は国民党の首領であるこの蒋介石と。

「権力と結婚した女」
これは、絶大な権力をほしいままにした宋美齢を何よりも表しています。


・「以徳報怨」

これについても少し。
蒋介石に対する評価は政治家ですから毀誉褒貶はなはだしいのも当然ですが、
もちろんのこと評価する声は今日もあります。(昔ほどではありませんが)
この人物に対するわたし個人の評価はやはり「日本の台湾統治」と同じ。
良くも悪くも政治家である限り、善悪ではくくれないとしか言いようがありません。
ただし、日本人がこの人物をやたら評価していることに対しては、
228事件の痕跡などを今回見る限り、疑問を持たずにはいられないのも事実です。

まず、好評価の一つとして蒋介石が「陸軍士官学校に学んだ」と言う経歴があります。
実際本人にとってもこれが「売り」で、また彼個人は日本で結婚式を挙げたがったほど。
日本と日本の文化に傾倒していたというのはどうやら事実だったようです。

しかし蒋介石が留学していたのは「振武学校」といういわば陸士の予備校でした。
つまり「士官学校卒」は思いっきり経歴詐称だったのです。


一個人として蒋介石が日本に対してどう思っていたかはともかく、政治家としての彼が
在日中の経験から学んだのは要するに「美辞麗句に騙されやすい日本人の性質」と
それに基づく「日本人のあしらい方」であった、というのは少し言いすぎでしょうか。

表向きは「戦後賠償放棄」「以徳報怨」などとぶてば、日本人は単純に感激する。
実は戦後補償どころではない資産を没収されたとも知らず。

これが政治家蒋介石の日本分析であり、それに基づき日本にしたことであったとも言えます。

・蒋介石と金

政治家蒋介石が、いわば中国の腐敗体質を象徴するような「金に汚い男」
であることを、実はアメリカですら苦々しく思っていたようです。
涙ながらに反日を訴え、アメリカの要人に取り入った宋美齢には、
彼女をいわば利用したアメリカ男たちも非常に甘かったようですが・・・・・。

たとえば「フライングタイガース」の結成の時、カーチスのP-40を一機購入するたび、
当時で一万ドルが蒋介石の懐に不正操作されて入っていましたし、
日中戦争の際にはアメリカは支援物資を送りましたが、それは必ずと言っていいほど
途中で行方不明になり現地に届いたためしはありませんでした。
つまり、それらは横流しされて、お金はこれも蒋介石のポケットに、というわけです。

トルーマンはそのことを知っており、

「もうあんな国に誰が援助金を送るか!
あの国に金を送っても、ただアメリカの土地が高くなるだけだ」

と怒りをあらわにしたと言われています。

しかし、わたしは蒋介石を「悪」だと決めつけるつもりはありません。
日本統治が台湾にとって「善でも悪でもなかった」と評価するのと同じで、
蒋介石に対しても単にそういう歴史上の人物がいたと評価するのみです。


ただ、このことから言えることは、
「統治したことは決していいことじゃない」
なんて言い訳をわれわれ日本人がする必要もなければ、
ましてや戦後の賠償放棄や「以徳報恩」を恩義に思う必要もないということです。

その時日本はそこで「日本」を作ろうとした。
ダムを造り、鉄道を敷いて学校を作り、道徳と秩序ある、日本と同じような、
いや、日本そのものを台湾に造ろうとした。
そこには抵抗するものや差別される者も、敵対する勢力もあった。
感謝する者も恨みに思うものも、どんな体制にもあるように一定数いた。

どこの世界にも普通にある社会の構図。歴史という事象。
真実はそれだけなのです。

蒋介石の言葉を借りるならば
「以史知実」・・・・・うーん、もう一つかな(照れ)