ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

戌年スペシャル企画 第一次世界大戦の勇士スタビー軍曹

2018-01-01 | すずめ食堂

みなさま、あけましておめでとうございます。

たまたま前年度から作成していたエントリに、お正月の読み物として
もしかしたらこれ以上ないのではないかと思われるものがありました。

軍とそれに関わる、あるいは関わらされた?動物についての展示を
去年訪れた軍艦内で見つけたので、それをまとめたものです。



軍と動物、というとまず思いつくのは馬、鳩、犬でしょう。
靖国神社の境内には戦争で命を失った彼らの鎮魂碑があります。

ミリタリーアニマルシリーズ、戌年スペシャルとして王道の犬からです。


犬が軍隊に所属することは大昔から古今東西に見られる現象でした。
古代ローマでもフン族のアッティラでも警備のために犬が飼われていました。

アメリカ軍も独立戦争からイラクでもアフガニスタンでも、
その軍隊に犬の姿を見ないことはありません。

冒頭のブルテリアの雑種ですが、彼は第一次世界大戦の時
第26ヤンキー師団第102歩兵部隊に所属して17もの戦闘に加わった

スタビー軍曹

その人、じゃなくてその犬です。

コネチカットにあったトレーニングキャンプで部隊の兵士に拾われた彼は、
軍艦「ミネソタ」に飼い主によってこっそり乗せられました。

艦上で犬を見つけた司令は激怒したのですが、飼い主はスタビーに
こんなこともあろうかと?軍隊式の敬礼を仕込んでいたので、
それを見た司令はあっさりスタビーの同行を容認するようになりました。

芸は身を助くってやつですね。

しかしスタビーは単なるマスコット以上の、とんでもなく有能な犬だったのです。

軍隊と行動を共にするうちに、彼はいつのまにか当時大変な脅威であった
毒ガスのわずかな匂いを嗅ぎ分け、各塹壕を走り回って仲間にそれを警告するようになり、
しかも戦闘終了後、戦場で倒れている負傷兵を探し出したりしました。

勇猛果敢に最前線に出ていくため一度彼は手榴弾で負傷したこともあります。
しかしどんな時でも彼は必ず塹壕に帰って来ました。

そしてドイツ軍のスパイのパンツを咥えたまま放さず、味方がくるまで
スパイを足止めにしたという功績をあげた後に、スタビーは正式に
軍曹に昇進したのです。

ちなみに飼い主だったコンロイは伍長だったので、いきなりスタビーは
彼より上官になってしまいました。

海自の警備犬も曹の階級を持っているそうですが、警備犬の階級章を見るときの
士クラスの隊員なら、コンロイのこのときの気持ちがわかるかもしれません。

戦争が終わり、アメリカ国民はこのヒーローの帰国を熱狂的に迎えました。

戦勝パレードに加わったばかりか、ウィルソン大統領に会い、
大統領は軍曹の栄誉を称えて彼とがっちり(多分)握手をしました。

その後何かと表舞台に出ることの多かったスタビー軍曹は、第29代大統領ハーディング、
そして第30代のクーリッジと三代にわたる現職大統領に拝謁しています。

第一次世界大戦でもっとも有名な犬がスタビーだとすれば、
第二次世界大戦でよく知られていた犬はジャーマンシェパードの雑種、

チップス(CHIPS )

でしょう。

彼はスタビー軍曹のように拾われた犬ではなく、民間人がある程度まで育て、
そのあとはバージニア州にあった

War Dog Training Center(戦争犬訓練センター)

に送られて専門の訓練を受けたプロフェッショナルでした。

彼の第一線デビューは1943年で、ルーズベルト−チャーチル会談の時、
歩哨犬として派遣されています。

その後ヨーロッパ戦線に投入されたチップス。

シシリー島での戦闘においてチップスと彼のハンドラーは、イタリア軍に
海岸線まで追い詰められ機関銃で囲まれるという絶体絶命の危機に陥りました。

ところが彼は猛然と敵に向かっていき、激しく吠えながら相手に噛みつき、
イタリア兵のうち4人はバンカーに飛び込んで逃げました。
しかし、チップスはなおも彼らに攻撃を加え続け、4名は降参したのです。

そのときチップスは頭皮を火薬で火傷していたのですが、さらにそのあとも
戦場で10人のイタリア兵を捕虜にすることに成功しました。

のちの大統領、ドワイト・アイゼンハワーはチップスに感謝の意を表し、
その勇気ある戦闘行動を称えました。

彼は戦功に対するルバースター勲章と、自らの負った負傷に対し
パープルハート勲章を授与されています。

ただし、上の写真に添えられた説明によると、

「ただし彼はドーナツのご褒美をもらう方がハッピーだっただろう」

ごもっともです。
彼にドーナツ?をあげているのは、ハンドラーだったジョン・ローウェル一等兵。
後ろのテントには「ドーナツショップ」と書いてありますね(笑)

 

戦争が終わり、除隊になったチップスは、元の飼い主だったレン家に戻り、
穏やかな一生を終えたということです。

彼の一生を見てなんだかディズニーみたいだなと思ったらやっぱり(笑)
1990年になって、ウォルト・ディズニー社が彼の活躍を

Chips, the War Dog(軍犬チップス)

というドラマにしています。

ちなみに彼は最初からトレーニングを受けた軍犬でしたが、規定により
軍の階級は与えられないままでした。

陸軍は犬、海軍は猫、というイメージが(あくまでもわたしの中で)ありましたが、
実は海軍やコーストガードでは犬は普通にポピュラーなマスコットだそうです。

外国の海岸線をパトロールするときには犬は必須ですし、最悪の場合?
食べ物を探してくれることもあります。
しかし何と言っても長い航海で兵士たちの心の友になってくれることでした。

海軍は、また哨戒艇に犬を乗せることもありました。
敵潜水艦のシュノーケルからでる空気の匂いを嗅ぎ分けさせるのです。

 

大型犬だけではなく、小型犬も軍犬として活躍しています。

ヨークシャーテリアのスモーキーは第二次世界大戦で海軍に従事しました。
スモーキーが発見されたのは1944年のニューギニア。
日本軍が撤退したあとの壕にいたので、犬を見つけた兵士は最初スモーキーを
”ジャップ”だと思ったのですが、日本語もドイツ語も通じませんでした。
(どちらも試してみたってことですね)
その後犬の訓練士でもあったウィリアム・ウィンに7ドルくらいで売られました。

ポーカーの掛け金を手っ取り早く手に入れたかったからだそうです。

それから2年もの間、スモーキーはウィンと太平洋戦線に従事しました。
正式な軍犬ではなかったため、彼女は(メスだったのです)Cレーションや
スパムを分けてもらったり、ゲームテーブルのグリーンのフェルトの上で寝て、
暑さと異常な湿度に飼い主と一緒に耐え続けました。

ウィンによると、彼女は

The South Pacific with the 5th Air Force,

26th Photo Recon Squadron

flew 12 air/sea rescue and photo reconnaissance missions

つまり偵察隊の飛行機に同乗していました。
そして何時間も偵察機の機銃近くの乗組員の肩にぶらさがって大人しくしていたそうです。

そんな状態で150回ものミッションをこなし、(沖縄で台風にも遭遇している)
12回もの戦闘に生き残り、これに対してサービススターを与えられています。

空中勤務の時、万が一の場合に備えて、スモーキー専用のパラシュートも作られ、
彼女はその実験のために9.1mの高さからパラシュート降下を行なっています。

ウィンは彼女のことを

「壕から来た天使」

と読んでいたそうですが、その理由はスモーキーによって命を救われたからでした。
輸送船の上で砲弾がこちらに向かってくるのを彼女に教えられ、
姿勢を低くした次の瞬間、彼の隣にいた8名にそれがヒットしたのです。

 

オフタイムには、エンターテイナーとしてもスモーキーは人気者でした。
賢い彼女はいくつかの手品芸を覚え、病院の慰問も行なっています。
ウィンによると彼女は彼が教える以上のことをその犬としての人生?に
たくさん教えてくれたということで、1944年、ある雑誌は彼女のことを

「南太平洋戦線のチャンピオンマスコット」

とタイトルにしたそうです。

スモーキーはまた、ルソンやリンガエン湾など、敵前線にある
重要な基地の建設でもエンジニアを助けることによってヒーローとなりました。

(アメリカでは女性でもこういう時にはヒーローと言います)

ルソン基地で長さ20m、直径8インチ(20センチ)のパイプの中に
電信線を通さなければならなくなった時、体長4インチの彼女が
その重要な役目を任命されました。

ウィンが戦後テレビでこう語っています。

私はスモーキーの襟に紐(ワイヤーに縛られた紐)を結び、暗渠の反対側に走った。
彼女はいろんなことをされて一旦逃げ出したが、私はもう彼女に

「おいで、スモーキー」

そうはっきりと言って、もう一度やり直した。

彼女が約パイプを10フィート進んだ時、ひもが引っ掛かった。
紐で繋がれている自分の肩をみた彼女はまるでこう言っているようだった。

『そこに行けば一体何があるの?』

紐は解けて、彼女は再びこちらに歩んで来た。
彼女が歩くたびにほこりやカビが舞い上がり、もはやその姿は見えなくなった。

どこまで彼女が来ているか全くわからないまま、私は彼女を呼んだ。
すると約20フィート離れたところに私は2つの小さい琥珀色の目を見つけた。
そしてかすかなぼんやりとした音を聞いた。

15フィートまで来た時、彼女は走り出した。

彼女がうまくやり遂げたことが嬉しくて、私たちはおよそ5分間の間、
ずっと彼女を撫でたり抱きしめたりしてやった

彼女がたった5分でやり遂げた仕事は、250人の地上員を動員し、
敵の爆撃からの警戒に40機の戦闘機と偵察機を運用し、
3日間かけて掘削を行った上で行われた最後の工程でした。

終戦の年の12月7日、ウィンとスモーキーは、地元紙のの第一面記事で取り上げられ、
(二つ上の写真)すぐにアメリカ中の話題の犬となります。
彼らはその後10年間、ハリウッドはじめ全米各地で目隠しをしながら綱渡りをするなどの
驚くべきデモンストレーションを見せて回りました。
42回ライブで出演した番組で彼らは二度と同じトリックを行いませんでした。

退役軍人病院への慰問も彼らの大事な仕事となりました。

ウィンがご覧のようにハンサムな青年だったこともその人気に拍車をかけたようです。
そしてウィンによるとスモーキーは、

「1940年代後半から1950年代初めに数百万ドルを稼いだ」

ということです。
ポーカー代金の7ドルで買われた犬が大変な恩返しをしたってことですね。

1957年2月21日、「コーポラル・スモーキー」(彼女の芸名)は14歳で亡くなり、
クリーブランド・メトロパークで30口型弾薬ボックスに入れて葬られました。

ほぼ50年後、退役軍人の日である2005年11月11日に、2トンの花崗岩のベースの上に
GIのヘルメットに置かれたスモーキーのブロンズ実物サイズの彫刻が発表されました。

記念碑には、

「スモーキー ヨークリー・ドゥードル・ダンディー、
そしてすべての戦争の犬に捧ぐ」

とあります。

この後ヨークシャーテリアが有名になり、人気の犬種になったことも
いわばスモーキーの「功績」の一つだそうです。

 

今日では人間の10万倍という嗅覚の鋭さを生かした訓練を受け、
時としてその訓練士とともに大変危険な任務に赴くことがあります。

例えば敵のテリトリーで爆弾や地雷の危険のある地域を先導し
危険を察知すれば対処するといったような。

写真はアメリカニューヨークの同時多発テロ発生時、
ニューヨーク警察のK-9部隊に所属していた捜索救助犬、アポロです。

事件発生の15分後に彼と相棒はワールドトレードセンターに到着し、
人命救助に当たりました。
炎とその後のビル崩壊で彼らは危うく命を失うところでしたが、
ひるむことなく危険な現場で救助を続け、その功績によって
アポロはディッキン・メダルを授与されたのでした。

「チップス」の項で、彼が最初「ジャップの犬かと思われていた」と書きましたが、
これは海兵隊がグアムでの日本軍掃討作戦の後、現場で顎を砕かれていた
日本軍の犬に救命のための緊急手術を行っているところです。

人を憎んで犬は憎まず、ってところですか。


それからやはりチップスの欄で、イタリア兵が次々と投降した、と書きましたが、
幾ら何でも犬一匹に、と思ったあなた、あなたは甘い。

軍用犬の用途の一つに「脅迫」「脅し」に使うというのがあるんですよ。

写真はバグダッドのアグレイブ刑務所で囚人を脅すアメリカ兵。
脅かされる囚人。
マジで怖がっているらしいのがその表情と後ろにそらした上半身でわかります。
いやー、これ確かに怖いと思う。

最後に。

スタビー軍曹は、1926年にお亡くなりになった後、
スミソニアン自然史博物館によって剥製にされました。

その障害に受けた数々のメダルをつけたケープとともに、
現在は国立アメリカ歴史博物館に展示されているということです。

 

 

続く。

 

 



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