◎誰もペトロ2世を名乗れない
オリーブの栄光とは、聖マラキの予言で、最後から2番目の教皇とされる人物のことである。
聖マラキは、12世紀に活躍した北アイルランドの司教で、歴代教皇を幻視して、最後の教皇のことまで予言している。
現代も活動するカトリック教会最古の修道会であるベネディクト会に伝わる言い伝えに、「世の終りの前にはベネディクト会から教皇が立つ」というのがある。ベネディクト会はまたの名をオリーブ会と呼ぶところから、これはマラキ予言の最後から2番目の教皇がオリーブの栄光と呼ばれることと符号する。
ベネディクト16世がベネディクト会出身かどうかは調べきれなかったが、ベネディクトを名乗る教皇が必ずしもベネディクト会出身ではないことはわかった。
予言というのはそのものズバリではなく、霊統がベネディクト会出身であることを見て、「オリーブ」の名をあてることもあるのだろうから、物理的にベネディクト会出身でなくともハズレと断定はできない。
前教皇没後に枢機卿たちの選挙で次の教皇を決めるが、これをコンクラーヴェという。コンクラーヴェで選出された教皇は、その法名を決めるが、「ペトロ」だけは選んではならないしきたりになっている。
というのは、「ペトロ」は、漁師出身の初代教皇聖ペトロであり、歴代教皇は、漁師の指輪をつけ、漁師の靴をはき、この世の舟を操る。聖ペトロを憚(はばか)るためである。
つまり今のしきたりでは、新教皇は絶対にペトロは名乗れないはずなのだが、聖マラキ予言では、最後の教皇の名はペトロ2世。
つまり、カトリック教会が存続を危ぶまれるほどに追い込まれて、その教会組織全体の最期が見えるような段階にならないと、新教皇がペトロ2世を名乗るようなシチュエーションにはならないだろうから、教会に対する迫害の終りにペトロ2世が出るという意味はよくよく考えてみなければならないと思う。
オリーブの栄光とは、聖マラキの予言で、最後から2番目の教皇とされる人物のことである。
聖マラキは、12世紀に活躍した北アイルランドの司教で、歴代教皇を幻視して、最後の教皇のことまで予言している。
現代も活動するカトリック教会最古の修道会であるベネディクト会に伝わる言い伝えに、「世の終りの前にはベネディクト会から教皇が立つ」というのがある。ベネディクト会はまたの名をオリーブ会と呼ぶところから、これはマラキ予言の最後から2番目の教皇がオリーブの栄光と呼ばれることと符号する。
ベネディクト16世がベネディクト会出身かどうかは調べきれなかったが、ベネディクトを名乗る教皇が必ずしもベネディクト会出身ではないことはわかった。
予言というのはそのものズバリではなく、霊統がベネディクト会出身であることを見て、「オリーブ」の名をあてることもあるのだろうから、物理的にベネディクト会出身でなくともハズレと断定はできない。
前教皇没後に枢機卿たちの選挙で次の教皇を決めるが、これをコンクラーヴェという。コンクラーヴェで選出された教皇は、その法名を決めるが、「ペトロ」だけは選んではならないしきたりになっている。
というのは、「ペトロ」は、漁師出身の初代教皇聖ペトロであり、歴代教皇は、漁師の指輪をつけ、漁師の靴をはき、この世の舟を操る。聖ペトロを憚(はばか)るためである。
つまり今のしきたりでは、新教皇は絶対にペトロは名乗れないはずなのだが、聖マラキ予言では、最後の教皇の名はペトロ2世。
つまり、カトリック教会が存続を危ぶまれるほどに追い込まれて、その教会組織全体の最期が見えるような段階にならないと、新教皇がペトロ2世を名乗るようなシチュエーションにはならないだろうから、教会に対する迫害の終りにペトロ2世が出るという意味はよくよく考えてみなければならないと思う。