GOOなMONOたち

ケータイ、音楽、PC、デジカメ。僕らの毎日を楽しく彩るGOOなMONOたちをご紹介!

石上神宮の東天紅鶏(とうてんこう)

2009年05月16日 00時12分03秒 | BIRD
万葉の時代よりもはるかに古くからある、日本最古の神社のひとつ、石上神宮。
この境内で飼われている東天紅鶏(とうてんこう)の中で、最もいい面構えをしている彼は独眼竜。
片目が不自由な境遇にありながらも、ピンと張りつめた、孤高の存在感を漂わせています。
正確に言えば、閉じている左目もときおり開くのですが、無意識のうちにすぐに閉じられてしまいます。
行動している時間のほとんどを片目で過ごし、決して群れず、常に落ち付き払った態度でいる様子の彼に惹かれました。
しかし、迷いのない、実にいい眼をしています。

長岳寺の杜若(かきつばた) Vol.2

2009年05月14日 22時29分33秒 | トラベルフォト
朝日が差し込む長岳寺の放生池。
早朝の静かなひと時、まるで静止した一枚の美しい日本画のようにも映る景色の中に、唯一揺らめく動きを見せていたのが、この純白の鯉。
深いグレーの水面を、気ままに優雅にそよぐ姿に、ほんのり心がほぐれるようでした。
そして、新緑の中に浮かんだ杜若の紫と緑は、殊のほか目にやさしく感じられます。
この穏やかな美しい和の風景を、長きにわたって守り続けてくれている奈良の古刹 長岳寺に、ただただ感謝です。

長岳寺の杜若(かきつばた)

2009年05月12日 23時13分00秒 | 
奈良 長岳寺の杜若(かきつばた)。
見る者の視線を射るその青紫は、生(き)の色。
長岳寺を訪れたのは先週土曜日。
前日の雨はすっかり上がり、境内の放生池には、朝露に閏う杜若が一斉に咲き誇っていました。
生命力のパワーレベルは、発する色の鮮やかさに表れます。
この濃き深くも鮮やかな紫色の、その瑞々しい鮮度を見れば、この花のいのちが今が盛りであることを、確かに見て取ることができます。
しとやかで優美な葉の曲線ライン。
可憐で儚(はかな)い杜若の花びら。
自然の作り出す無心の造形は、疲れた心に真っ直ぐ届きます。

軍艦島(ぐんかんじま) Vol.7

2009年05月11日 21時28分42秒 | トラベルフォト
もとは、現在の3分の1の大きさしかなかったというこの小さな島を、6度にわたる拡張工事によって、近代建築が乱立する人工島へと変貌させたのは、良質なエネルギー資源を求める私たち人間の、一方的な要求からでした。
しかし、石炭から石油へ。
世界のエネルギー需要が一気に移行すると同時に、その役目を終えた島の命は一瞬にして絶たれました。
一切の人影がひとときで消えてしまった軍艦島。
これはまさに、巨大な使い捨てです。
この事実を、負の教訓として過去に残そうというのが、軍艦島が世界遺産暫定リストへ登録となった大きな理由。
その特異な存在感は、見る者に少なからざる衝撃を与える、廃墟に包まれた島。
様々な人の心に訴えかけてきたこのインパクトが、果たして本当に教訓として生きてくるかどうかは、この島の歴史を十分に理解することから始まります。

軍艦島(ぐんかんじま) Vol.6

2009年05月10日 13時53分45秒 | トラベルフォト
なぜ人は、その存在に恐れを抱きながらも、廃墟に魅せられてしまうのでしょう。
例えば、人の手によって美しく整えられた英国式の庭園や、フランスの近代高層建築、グランダルシュ(新凱旋門)のように、調和と均整のとれたランドスケープとは全くの対局に位置する、ただ崩れゆくままにまかせた異空間。
しかし、崩壊と荒廃が醸し出す負の空気の謎めいた力強さは、ただベクトルが異なるだけで、観る者の心を揺さぶるそのパワーにおいて、同じであるとも言えます。
映画でいえばデヴィッド・フィンチャーの「セブン:Se7en」やジョナサン・デミの「羊たちの沈黙」。古くはリチャード・ドナーの「オーメン」など、目を背けたくても視線が向いてしまう、いわば退廃の美学でしょうか。

軍艦島(ぐんかんじま) Vol.5

2009年05月09日 14時04分56秒 | トラベルフォト
ピーク時には約5300人。
人口密度でいえば、当時の東京都の9倍であったというほど、人と活気で溢れていた軍艦島。
この窓の奥のひとつひとつにも、様々な人の姿と生活があったはず。
しかし、1974年、炭鉱閉山その時から、この島はピタリと歩みを止め、高度経済成長を続けていた昭和という時代の空気をその場所に凍りつかせたまま、ただ無言で朽ち落ちていきました。
人と光と生命力に溢れていた端島(はしま)は、廃墟と影と沈黙が支配する軍艦島へ。

軍艦島(ぐんかんじま) Vol.4

2009年05月08日 22時08分09秒 | トラベルフォト
今回参加したやまさ海運主催の上陸ツアーコースの中で、第3会場にあたるこの場所。
一切の生命力が感じられない、荒涼とした瓦礫と廃墟の世界の中に立つと、この異空間と自分との正しい距離感が分からなくなり、何かに惑わされているような、不安な感覚に捉われました。
平和な時代に生まれた僕にとって、これまで体験したことのないような焦燥感。
身の回りの大切なもの全てが失われてしまったような、この恐れに近い感覚を例えるとするなら、突然、戦場か被災現場にひとり放り出されたような、そんな感じなのかもしれません。
写真正面に見えるのが、日本で初めて建てられたという、当時では最先端建築であった鉄筋コンクリート造の高層アパート。
そんなアナウンスも、この無残で痛ましい姿を前にしては、空しく聞こえました。

軍艦島(ぐんかんじま) Vol.3

2009年05月07日 22時00分36秒 | トラベルフォト
わずか35年。
日本の長い歴史の中でみればほんの一瞬の出来事。
日本最古の木造建築、法隆寺 五重塔が約1300年もの長き間、その美しい姿を今も留めている一方で、コンクリート造の強固な住宅群が、たったの数十年でここまで崩壊が進んだのは、島を取り巻く苛酷な自然条件のためでした。
台風の通り道となっていたこの軍艦島には、そのたびに容赦なく大波が打ちつけ、時には島全体を一波がさらっていくこともあったとか。
5000人を超える島民たちが、廃山と同時に一人残らず島を去ったその瞬間から、生活の全てが凝縮されていたこの近代都市は、無人のゴーストタウンへと変貌しました。

軍艦島(ぐんかんじま) Vol.2

2009年05月06日 08時50分40秒 | トラベルフォト
上陸してすぐに、ここが異質な空間であることを、肌で感じ取りました。
かつては、活気溢れる人達の賑わう声が行きかっていたであろうこの場所を覆っている、無機質で寂寥(せきりょう)たる静寂。
そして、島の遥か上空の高台には、空を悠然と旋回する、鳶と烏の鳴き声と黒いシルエット。
そこは、人々から見捨てられた空間、疑うことなき廃墟そのものでした。
後方に見えるのは、元 三菱社立の尋常小学校(後に町立小中学校へと移行)であった、RC造7階建ての校舎。
4階までが小学校、5階と7階が中学校。そしてその間の6階には図書館や音楽室などが設けられ、昭和45年当時には給食用のエレベーターまで完備していたという、当時としては非常に近代的な設備が整えられた校舎でした。
限られた島内の中で遊び場を工夫していた子供たちは、屋上で野球などをして楽しんでいたそうです。
そしてその手前に見える矩形ブリッジの列。
これは、この島がまさに炭鉱の場であったことを示す遺構のうちの一つ。
当時製炭された石炭は、この支柱の上に敷かれた大きなベルトコンベアーで次々と運び出され、日本のエネルギーや製鉄産業を支える原動力となっていました。

軍艦島(ぐんかんじま)

2009年05月05日 13時39分14秒 | トラベルフォト
長崎港から南西約19kmの沖合に位置する、現在無人の島「端島(はしま)」。
軍艦「土佐」のシルエットと酷似していることから呼ばれるようになったという、通称「軍艦島(ぐんかんじま)」です。
昨日、小雨の降る中訪れたのですが、廃墟と化した島全体が濡れそぼる光景は、枯れ朽ちた人工物が奏でる悲哀の度を、更に深めていました。
かつては三菱の炭鉱として賑わった面影は微塵もなく、過酷な自然に晒された35年の歳月が変えたその異容は、人間を寄せ付けないほどのオーラを放っています。
なぜいま、この軍艦島が、世界遺産の候補として挙げられているのか。
それは、島に上陸して、その本当の姿を目の前にしてみて、初めて理解できました。
明日からは、廃墟の巨城へ。

長岳寺の平戸つつじ Vol.2

2009年05月01日 15時22分24秒 | トラベルフォト
長岳寺の本堂前にある大きな池、放生池の片側には杜若(かきつばた)が群生しています。
この日、杜若はまだ数えるほどしかその花を咲かせていませんでしたが、この群生が一面開花した時は本当に見事な景色だそうです。
手前に杜若の青紫。
後方に中紅(なかべに)の平戸つつじ。
その鮮やかな色彩を従えた長岳寺本堂を映す放生池が見せる、この上ない景色は、仏が導く浄土の美しさを彷彿させるに違いありません。
その和の色彩美を、いつかこの眼にしたいものです。