祇園祭 山鉾巡行 黒主山(くろぬしやま) 2010年07月31日 12時05分18秒 | 和のディテール 黒主山(くろぬしやま)を象徴するのがこの華やかな桜。 山も鉾も、遠くから眺めているだけでは、何山なのか何鉾なのか分かりずらいものですが、この黒主山は鮮やかな桜色で、その存在を鮮やかに主張しています。 ご神体で六歌仙の一人、大伴黒主が遠くを見るように桜を仰ぐ、その後ろ姿になんともいえない憂いと哀愁が漂って見えるのは、気のせいでしょうか。 日本人であれば、人生の様々な思いを、美しい桜の花と共に思い出すのが常なのです。
祇園祭 山鉾巡行 八幡山(はちまんやま) 2010年07月31日 11時55分03秒 | トラベルフォト 鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の石清水八幡宮など、全国数万社を数える「八幡さま」。 その八幡宮を祭るのがこの八幡山(はちまんやま)。 見れば、朱の鳥居とお社(やしろ)のみという、実にシンプルな山。 しかしその実、この小祠(しょうし)をよく見ると、なんと総金箔押しの豪華な造り。 しかもこのお社の中に納められた応神天皇の騎馬像は、奈良仏師の頂点を極めた、あの運慶作とのこと。 いつかぜひともお目にかかりたい…。
祇園祭 山鉾巡行 役行者山(えんのぎょうじゃやま) 2010年07月30日 23時54分50秒 | 和のディテール 修験道の開祖 役行者(えんのぎょうじゃ)、そして一言主神、一言主神(ひとことぬしのかみ)。 この三者が主役ということは、大和の国、古(いにしえ)の奈良が舞台となった山。 山岳での厳しい修行を通して役行者(えんのぎょうじゃ)はさまざまな秘術を体得しました。 鬼使いや飛行の術などを操り、数々の伝承を残した役行者は、いわば当時のスーパーマン。 しかし、中央の洞の中に見え隠れしている役行者は、山の上からはなかなかその姿を見ることができません。 彼の特異な神秘性というものが、山の上にも表れていました。
祇園祭 山鉾巡行 橋弁慶山(はしべんけいやま) 2010年07月29日 22時38分52秒 | 和のディテール 誰もが小さい頃に絵本で見た、あのシーン。 ♪京の五条の橋の上~♪と、お馴染のメロディーが思わず頭の中を回想するあの場面です。 長刀を手に、怒りの表情で威嚇する弁慶。 欄干の上でひらりと舞い、強烈な攻撃を軽々とかわす牛若丸。 まるでこの名勝負をこの目で見ていたかののように、ありありと思い浮かべることができるのです。 しかし、この後の勝負って、一体どういう結末だったのでしょうか? 肝心なことほど憶えていないものです…。
祇園祭 山鉾巡行 北観音山(きたかんのんやま) 2010年07月29日 22時30分18秒 | 和のディテール 昨日紹介の船鉾(ふねほこ)までが前祭(さきのまつり)。 そして、ここからは先は後祭(あとのまつり)。 祇園祭 巡行の後列を飾る残り9つの山鉾が続きます。 「上り観音山」とも呼ばれていた、後祭の先頭を行く曳山が、この北観音山(きたかんのんやま)。 写真は、巡行も終わり、町内へと帰還したばかりの様子です。 ところで、山の右手前に見える“松坂屋”。 そう、もちろんあの百貨店の松坂屋のこと。呉服を仕入れるための京都仕入店だったとか。 このロケーション、実に渋い!
祇園祭 山鉾巡行 船鉾(ふねほこ) 2010年07月28日 23時02分29秒 | 和のディテール 山鉾巡行随一の変わり鉾、それがこの船鉾(ふねほこ)。 鉾全体を船の形へと変化させた、まるでアトラクションの乗り物のような存在です。 豪華な装飾で全身を固めた、煌めくような壮麗な船に、コンチキチンのめでたい鳴り物。 主役と観客の熱気が融合するこのシチュエーションといえば…。 そうです、ディズニーランドのデイパレード! 祇園祭が現在の形に定着したのが1500年ということですから、500年以上も昔から私たち日本人は、こうした華やかなパレードを毎年楽しんでいたのです。 そう、ディズニーの遥か、遥か、昔からですよ。
祇園祭 山鉾巡行 岩戸山(いわとやま) 2010年07月27日 22時49分36秒 | 和のディテール 岩戸(いわと)といえばそうです、それは当然のことながら、「天の岩戸」のこと。 大屋根の下には囃子方を、屋根の上には屋根方を乗せ、いかにもがたいの大きな鉾の形なのですが、これはあくまで「山」。 屋根の真中から頭上に突き出た、鉾頭の位置にセットされた松の枝の存在によって、この車が、確かに山であることを理解することができます。 中国の故事が元になっている山が数多い中、日本の神々の伝説が元になった立派な山もしっかりと存在していました。
祇園祭 山鉾巡行 放下鉾(ほうかほこ) 2010年07月27日 22時37分38秒 | 和のディテール 遥か頭上、天を衝く鉾頭。 電信柱を下に見て、見上げるほどの大きさを誇る放下鉾(ほうかほこ)の、驚くべき高さも、実は鉾の中では小さい方。 平安時代、京にはびこる様々な疫病神の面々を、強力に吸い込む為として、天高く立てられたとはいえ、何もこれほどの高さにまで掲げなくてもと、思ってしまうのですが…。 ともあれ、京を荒らした数々の疫病神たちは、勢いよく掲げられたこの鉾の先にへと、吸い込まれていくのだと信じられていたのでした。 理屈を超えた、この威容を見れば、なるほど確かにそう思えてくるのです。
祇園祭 山鉾巡行 保昌山(ほうしょうやま) 2010年07月26日 22時29分16秒 | トラベルフォト 古くは“花盗人山(はなぬすびとやま)”と呼ばれていたという保昌山(ほうしょうやま)。 和泉式部のためにと、御所の紅梅の一枝を折り、持ち去ろうとしたところを見つけられた平井保昌は、矢を射かけられながらも何とか持ち去り、恋を成就したという。 その切ない恋心が表現された一瞬のシーンが、この山で演じられています。 前のめりとなって式部へと向かう必死の保昌。 悲しくなるほど一図な男心が、見事に伝わる舞台がそこにありました。
祇園祭 山鉾巡行 芦刈山(あしかりやま) 2010年07月26日 22時20分16秒 | 和のディテール 古くて新しい感覚を兼ね備えた山、芦刈山(あしかりやま)。 重要文化財に指定された、ご神体の小袖の衣装も、ご神体そのものも、16世紀の作という ことですから、どちらも相当の年代物。 また、胴懸は、琳派の巨匠、尾形光琳原画の「燕子花図」。 しかし一方、インパクト十分の前懸はといえば、山口華楊原画となるライオンの「凝視」。 古いものと新しいものとが混然一体となった不思議な魅力が、この山にはありました。
祇園祭 山鉾巡行 占出山(うらでやま) 2010年07月25日 10時15分42秒 | 和のディテール 長い釣竿を垂らすご神体は神功皇后。 肥前の国 松浦で鮎を釣り、戦勝を占ったという伝説が元になっているという占出山(うらでやま)。 鮎で占い…。さて、動物占いの現代版といえば、やはりパウル君。 ワールドカップ2010の決勝までの8戦予想、全的中の快挙を成し遂げたスーパーオクトパス。 タコの寿命は2年ほどなので、次回ブラジルでのワールドカップを予想することはできませんが、これはこれで、伝説となりうる占いのエピソードです。
祇園祭 山鉾巡行 月鉾(つきほこ) 2010年07月25日 10時06分15秒 | 和のディテール 長刀鉾と並んで、鉾頭の飾りが象徴的な月鉾。 伊達正宗の甲冑の前立を彷彿させる凛々しい三日月の飾りが、天高く掲げられています。 見物の場所を新町通りへと移すと、京都の町屋の間の狭い空間を行く、月鉾の巨体が間近に迫り、迫力満点の臨場感。 こうした狭い路地へ入り込んで来てからが、屋根の上の屋根方の手腕が試されます。 電線や(碍子(がいし)、柱上変圧器(ちゅうじょうへんあつき)などに触れないよう、 様々な指示を繰り出し、車方と息を合わせて鉾の姿勢を保ちます。 町と人と山と鉾。 これぞ京都の祇園祭 やっぱり祭はこうでなくっちゃ。
祇園祭 山鉾巡行 蟷螂山(とうろうやま) 2010年07月24日 17時32分45秒 | 和のディテール 夏の祭に喧嘩(けんか)はつきものですが、できれば係わりたくないものです。 しかし祇園祭 山鉾巡行のこの日は、運悪く巻き込まれてしまいました。 山鉾巡行が始まって最初の辻回しが見られる四条河原町の交差点は、特に多くの人で混雑するホットエリア。 巡行も半ばを超える頃には、交差点内の歩道はどこもかしこもギュウギュウの人、人、人。 観客同志が身動き取れないほど人の群れが膨れ上がる中、通過する人の通路が急激に狭くなり、後ろの方から怒号が聞こえ始めたと思ったその時、臨界を超えた人の群れは遂に、山鉾巡行の舞台である路上へと、雪崩を打って押し出されてしまいました。 警官の警笛と人々の大声が響く現場では、登場を楽しみにしていた蟷螂山(とうろうやま)は、このからくりカマキリしか写すことができませんでした。
祇園祭 山鉾巡行 綾傘鉾(あやがさほこ) 2010年07月24日 17時22分12秒 | 和のディテール 二連の傘が特徴的な綾傘鉾(あやがさほこ)。 四条傘鉾と同様、先導する行列の中から突然お囃子が始まります。 交差点などの広場に出ると、赤熊や鬼の面の踊り手が、棒ふり囃子や太鼓囃子を踊るのです。 さて、今年も大勢の人が繰り出した祇園祭。 特に人が密集する四条河原町の交差点で、警官を巻き込んだ観客同志の大騒ぎがはじまったのはこの後。 黒山のようだった観客の列が、その飽和点を超え、大きな亀裂が生じるのです。
祇園祭 山鉾巡行 白楽天山(はくらくてんやま) 2010年07月23日 23時19分07秒 | 和のディテール まるで西洋絵画のような胴懸は、17世紀のベルギー製毛綴(タペストリー)。 前懸もベルギー製で、こちらは16世紀のもの。 鉾の装飾、山の絵画。 「動く美術館」と呼ばれるだけあって、その歴史的文化価値は確かに素晴らしいものばかり。 どうぞご覧くださいとばかりに、交差点の真ん中で1周、2周、3周と回って、観客達を楽しませてくれました。