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戯言

2023年02月16日 | 雑談
6日、トルコ南部シリア国境近くで、マグニチュード7.8の大地震が発生しました。両国の犠牲者は合わせて4万人以上にも上り、72時間が勝負とも言われる時期を大きく超えた今、現地では懸命な救助活動が続いていますが、犠牲者はさらに増えるかと思われています。

と同時に、広範囲にわたって町が破壊され、何百万人もの子どもたちが緊急の人道支援を必要としていると報じられています。冬の寒さの中で路上で寝泊まりしている子もおり、ユニセフは多くの子どもが「絶望的な状況」にあると表現しています。既に、各国から医療支援チームが駆け付け、被災者の治療に当たるほか、支援活動なども行われてはいますが、現地が平穏を取り戻すまでには、相当な時間が必要であり、その間継続的な支援が必要であると思われます。

自然災害は人間には抗うことができないもので、仕方がないといえば仕方がないのですが、ロシアの侵攻以降、1万3000人にも上るウクライナ兵士が死亡したとも報道されています。戦争状態の中ではロシア兵・ウクライナ兵・民間人のいずれにも死傷者が出ており、おそらく正確な数は測りようが無いのではないかと思われます。自然災害とは異なり、人の意思によってもたらされている悲劇であり、人間の無能さを示しているといっても過言ではないかもしれません。

またロシアは、生後4か月から17歳までの子どもを、少なくとも6000人連れ去り、組織的な再教育をしているとの疑いが発表されています。教育というのは恐ろしいもので、偏った見方を刷り込まれると、偏っているということ自体に気づくことが困難になります。

そんなこんなの世の中を見渡せば、日本の「今」がいかに恵まれているかは歴然としているのですが、その日本の子どもたちは、果たして正しい感性を持ち合わせているのかと考えると…。教育は恐ろしいものです。何を学び、何を吸収するかによって、価値観や人生観が異なってしまうはずなのに、現在の教育は「人が人としてどうあるべきか」という根幹を放棄しているような気がすることがあります。

戦時下での偏った教育への反省から、自由と自主性を重んじるとする今の教育に切り替わりました。自分の可能性を最大限に発揮し、幸福な人生を自ら創りだしていくことが大切だとされていますし、きっとそれは正しい事だと思うのですが、世界のあちこちで人が苦しんでいるような社会の中で、自らの生き方をどう襟を正さねばならないか的な視点が、そこには欠けているような気がします。

自分の可能性を生かすこと。自らが輝ける生き方であること。光り輝いている字面を追えば、それは素晴らしい理念であると思いますが、そのために自らをどう律していくべきか、自分がどうありたいかではなくどうあるべきなのか…といった、生きる根幹に関わることがそっくり欠如しているような感覚に陥るのはなぜでしょうか。

ウクライナの悲劇はどうすることもできません。トルコで苦しんでいる人たちに手を差し伸べる方法は、寄付をするくらいしか思いつきません。撃ち落さなければならないのは、空中を飛んでくる気球ではなく、自分たちの中に巣くっている「お金が手に入ればいい」「楽して生きていければそれでいい」とする退廃なのかもしれません。「お国のため」と洗脳したかつての教育は間違っていると思いますが、自らが人間的な高みを目指して、自分自身の「在り方」を模索する必要はあるのではないかと。

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