ぱそらぼ (ぱぁと1)

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さくら

2023年03月28日 | 雑談
まだまだひんやりしていますが、季節は「春」。公園の桜は、既に満開。とてもきれいです。このあたりの小学校の入学式は4月10日だったでしょうか。残念ながら、それまでには桜は散ってしまっているかもしれません。

特に花見に行くでもなく…ても、近所を歩けば、満開の桜に出逢いますし、車で走ると、神社や川沿いに桜並木が続いていたりして、花見に行った気分に浸っています。この頃は、スマホなるものがあって、高性能のカメラが搭載されています。わざわざカメラを構える…といった意識なく、気軽にカシャカシャとシャッターが切れますので、特に写真が好きでというわけでない人間も写真を撮る機会が増えました。当然…ですが、この一瞬の華やかな桜もついつい写真に収めてしまいます。

不思議…なのは、後から見るどの写真よりも、実際に目で見た桜の方がきれいに見えるということ。腕の問題ですね。もっとカメラの上手な人がシャッターを切れば、美しい瞬間を切り取ることができるのでしょうけれど、残念ながら「ただシャッターを押すだけ」の私には、それなりの桜は撮れても、華やかさ・気品・風格のある「あの」桜は撮れません。

自分の「眼で見る」ということは、そういう事なのかも知れません。もしかすると画像に収まった桜が本物で、目で見た桜は、その時の気分や想いや心持ちによって、実際とは異なる姿を見ているのかもしれません。けれど、想いの中で捉えたものこそが「自分にとっての本当」なのでしょう。

おそらく、咲き誇る桜だけでなく、世の中の事象全てを「見る」ということはそういう事なのかもしれません。「ありのままの真実」というものは実体のない幻で、見る人によって世の中のことは如何様にでも見える。理性は理性だけでは貧弱でか細いものでしかなく、感性が備わることで、何倍も何十倍も美しく輝くのだとしたら、感性を磨くことが大切に思えてきます。

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