ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

嘱託殺人

2020年07月25日 | 社会派らぼ
ALS患者に頼まれて、薬物を投与し、死に至らしめた…という事で、医師2人が嘱託殺人に問われています。事件を巡って、ネット上もにぎやかです。難病や障害を理由に安楽死を肯定することが「人為的に失わせていい命」の存在に繋がる…と懸念する声が多いようです。日本で安楽死は認められていませんが、例外的に認められる4要件というのがあって、①耐え難い肉体的苦痛 ②死期が迫っている ③肉体的苦痛除去の方法がない ④患者の明らかな意思表示 とされています。今回は、死期が迫っているわけではなかった…との理由で、議論の対象にもならないと吐き捨てる声も大きいようです。「認める」とか「認めない」といった物言い自体が、傲慢であるような気がするのですが、それが現行法の限界という事でしょうか。2人の医師は有罪を免れるものではないでしょう。但し、こうしたケースは、一般論でくくってはいけない…というのが先ず一番最初に大切なように思います。

昨夏の参院選では、ALS患者である舩後靖彦氏と脳性麻痺の木村英子氏が、れいわ新選組から立候補し、参議院議員に当選しました。共に身体は殆ど動かせず、ベッド型車椅子を使われているということで、参院本会議場は、中央玄関のスロープやイスを撤去してコンセントを追加した議席を設けるなどの改修工事が施されました。国会の場がバリアフリーになる事は、とても良いことだと思います。今後、こうした障害を持つ方に活躍の場が更に開けるか否かは、お二人の活躍次第…というところでしょうか。ただ、こうした改修工事や介助費用も公費で負担される…といった図式そのものが特例で、全ての障がい者には夢のまた夢。誰もがそうした恩恵を受けることのできる社会を目指す…というのがれいわ新選組の方針だという理解はしますが、経済的なバックボーンを持つことはなかなか難しいものがあります。

多くの人の手助けを得て、生活のクォリティを保つ事についても、経済的・信条的・精神的に、それに耐える事のできる人がいらっしゃると同時に、それができない人がおられるのも現実です。生まれながらにして、障害を負っている場合は、そうした環境に馴染むよう育てられるでしょうが、長じて障害を負った場合、葛藤はより大きいかと想像します。人は一人ひとり、状況もメンタルも信条も異なるわけで、一般論でくくれないのは、その部分かと思われます。

「生きにくい」という想いに寄り添って安楽死の権利を認めよという議論でなく、「生きる希望」に導かねばならない…という事も、今回多くの方が声を大にして言っておられます。主治医は、そうした患者の想いや状態に寄り添って、何とか生きていく手立てを患者と共に考えて行かねばならないのに、逮捕された2人は、犯行当日が初対面で、わずか10~15分で部屋を出ており、そうした事には無策であったとされています。

それでも、すべての主治医が、患者の想いをすべて受け止められるのかと言えば、それは違っています。今回の女性にも主治医はおられたようで、彼女はそうしたSOSを医師に投げかけることが、多分できなかったのではないかと想像します。もっと些末な病気ですら「病気は治して当たり前」「克服するのが美談」の世の中です。「治さない」自由や「自然に朽ちる」自由に理解を示すことのできる医師は、きっと多くはありません。SNSを通じてのやり取りの中で、冒頭のALS女性が救われたのはきっと確かです。

ただ、そうした自らの想いは、死んでしまった今、誰も代弁してはくれません。それを説明するためにこそ、女性は生きていなければならなかったのかも知れません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿