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言葉

2023年02月05日 | 社会派らぼ
LGBTQなど性的少数者や同性婚のあり方について、差別的な発言があったとの理由で、首相秘書官が更迭されました。これまでからも、政治家の不用意な発言は何かと世の中を賑わせて来ています。政治家なのだから、少しは…気を付ければ良いのにと思いますが、日常の中ではつい…なのでしょうか。

かいつまんで読んでみると「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」的な発言までされたようで、それはチョットダメだろうなとは思います。ただ、こうした事がある度に、身内はともかく、他党からも「言語道断だ」との批判はもちろん、徹底追及するとの構えで肝心の審議がどこかに行って国会が空転します。

考え違いの発言をした人がいたとすれば、その発言自体で、すでにその人となりは他者から判断されています。「この人はこういう人なんだ」と、多くの人に理解されてしまいます。「一言既に出ずれば駟馬も追い難し」いったん口から出た言葉は取り返しがつかず、四頭立ての馬車で追いかけても追いつけない(なぜか子どもの頃、三頭立ての馬車でも追いつけない…と聞いた記憶が)と言われます。それほどまでに、言葉は慎むべきだとの戒めです。言った人が相応の処遇を受けることは仕方がないことなのかもしれません。

…が、発言の重さやその影響はこの際、横に置いておいて、一度何かがあると、かさにきてヤイノヤイノ…と、すぐに辞めさせる、責任追及と声を荒げるのはどうかと思ってしまうところがあります。本人がそれなりのペナルティを負った時点で、「それだけの人なのね」と切って捨てることはできないものなのでしょうか。政治家であろうとなかろうと、日本国憲法は「思想の自由」を侵してはならないものと謳っています。表現の自由も保障されているはずです。

子ども達が小学校の時、PTA代表がそのまま地域の役職に充たると言われて地域の会議に出たことがあります。世の中を賑わせている事案をめぐって、一人の方が非常に素朴な疑問を口にされました。その日はちょうど、懇親会の席が予定されており、場所移動の後にその方が「先ほどは座興で少しあらぬことを言いましたが…」的な釈明をされました。移動途中に、何らかの圧力があったのは確かです。疑問を封じ込めるようなやり方には、あまり未来は無いと感じたものでした。

「言葉」には大きな力があると私は思っています。失言をする人も、その失言をかさにかかって咎める人も、もっと美しい言葉の使い方ができないものでしょうか。言葉の持つ力…というのは、弾丸や刃のように人を直接組み伏せるものではありません。ですが、弾丸や刃にもできない「傷つけ方」もまた「救い方」もできるものであることも確かです。差別用語と言われる言葉があって、使ってはならないとされています。言葉を制限すれば、心が制限されるわけではないことを忘れてはいけないと思います。

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2 コメント

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Unknown (はむじろー)
2023-02-08 16:31:17
言葉をよく考えて選んでも相手の受け止め方は十人十色で、あー言わなきゃよかったとか、また同じ言葉でも対面と文とでも受け止められかたが違う時や真意が伝えられなくて後味悪いこともあり難しいです。特に地位の高い方なら手本になるような表現をしていただきたいし言論の自由でも言っていいこと悪いことを身につけてほしいと思うのです。
 (らぼ)
2023-02-16 20:47:29
言ってもいいこと、悪いこと…があるのは確かでしょうけれど…。かさにかかって咎めるほど、それぞれが君子であるとも思えません。

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