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偉大

2020年09月03日 | 社会派らぼ
京都精華大講師の政治学者、白井聡氏のフェイスブック投稿が物議をかもしています。

アーティストの松任谷由実氏とは…、言わずと知れたシンガーソングライター。荒井由実の独身時代から、結婚されて松任谷由実と名乗られて以降も、絶大な人気を誇るアーティストです。その松任谷由実氏が、安倍首相の辞任会見を見て「泣いてしまった」と、ラジオ番組で語りました。安倍首相夫妻と仲が良く、プライベートでは同じ価値観を共有している…とも話し、任期を全うできなかった安倍首相の気持ちに同情された様子です。

白井氏は安倍政権の7年余を「日本史上の汚点」であると断罪する論陣を張る方です。伊藤詩織氏のレイプ問題、森友学園事件、加計学園事件、桜を見る会問題…など、不正とそれを隠す嘘で固められている日本は、もはや法治国家ではないなどと主張されています。(付け焼刃の斜め読みで申し訳ありません。)

そこであろうことか、首相に涙したユーミンに「荒井由実のまま夭逝すべきだった。醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思う」と書き入れたことが、多くの批判を浴びました。白井氏は投稿を削除し、「反省いたします」とフェイスブックで声明を出すに至りました。氏は、荒井由実時代の音楽は好きだっただけに、がっかりしたのだと釈明しています。偉大なアーティストは同時に偉大な知性であって欲しかった…と、説明を加えています。大学側も「人間尊重」の立場から、厳重な注意をした…とお詫びを発表しており、ひとまずは事態に幕が引かれるかと思います。

日本はで「思想及び良心の自由」が保障されています。政治的な立場や考え方は人それぞれで、互いに尊重されるべきだという事です。白井氏がどんな風な政治的立場を持とうと、どう主張されようと、それは尊重されるべき意見です。が、それは「自分が信じること」でしかなくて、絶対的な正義があると考えること自体が間違っています。この世の中に「絶対的正義」など存在しません。その時は、他者も自分と同様の「信じる正義」を持っているという認識が恐らく欠落していたのでしょう。

立場の主張には、論理的な展開が必要です。同じことを主張するにも、要は「物の言い方」が大切なのです。時に、自分に自信があり過ぎる人は、他人の意見を頭から押さえつけ、他を吐き捨てるように高飛車に切り捨てるきらいがあります。「早く死んだほうがいい」などという表現は、自分の言葉に力が欲しくて、威を借りたつもりなのでしょうけれど、そこには「言葉の持つ力」を感じられません。

言葉はもっと「華麗に」「荘厳に」「格調高く」「品位高く」使わなければなりません。そういう意味で、今はやりのSNSは「美しい日本語」の受け皿にはなっていないと思います。「政治」「宗教」がらみの話は人間関係を壊すから避けるように…といった意見があります。それぞれの人の立ち位置は、表面からは見えないその方の半生に支えられています。その半生に敬意を持たねばならず、それは必ずしもこちら側からすべてが見えてはいない事だという認識が必要です。魂で視ようとしなければ、見えはしない事だろうと思われます。

偉大なアーティストは同時に偉大な知性であって欲しかった。の言葉を借りるなら「偉大な知性は偉大な魂にこそ宿る」はずだと気づくべきでした。。

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