思い出というのは、事実というよりは、感情のかたまりなのかもしれない。
その時、何が起こったかではなく、自分がどう感じたか。
ヨロコビであれ、カナシミであれ、
そのとき抱いた感情があるからこそ、思い出はいつまでも忘れることのない、
人生で大切な宝物になる。
たとえ、それがカナシミであっても…。
カナシミがあるからこそ、ヨロコビが一層忘れがたいものになるはず。
そんな普遍的なテーマを、
感情を表すキャラクターたちの大冒険を通して描き、
楽しくも、心熱くなるアニメーション映画。
タイトルどおり、頭の中が舞台。
感情をつかさどる5人のキャラ、
ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ビビリ、ムカムカ。
少女ライリーの感情は、この5人が司っているはずだった。
すべてのキャラクターが、ライリーの幸せを願っていて、
その目的に反する者はいない。
ある日、ヨロコビとカナシミが、
感情の指令室から遠くに放り出されてしまったことから、
ライリーの感情は制御できなくなる。
住み慣れた寒いアメリカ北部から暖かい西部に引越しをして、
大きく環境が変わる中、
両親と喧嘩して、一人閉じこもったり、
仲の良かった友達とも喧嘩し、
大好きなアイスホッケーにも消極的になる。
思春期特有の反抗期を迎えようとしているライリー。
暴走していくのは、ライリー自身で、
どのキャラクターもあらがいようがない。
感情キャラクターの5人が皆、個性的で、よくできている。
なかでも、カナシミのキャラがいい。
大きな目で、いつもうつむいて自信がなくて、いじけてばかり。
ヨロコビのキャラが、明るく、楽観的で面倒見がよく、
この二人は、いわばベストコンビ。
ビンボンという、
ライリーが幼い頃に思いついた想像上の友達というキャラクターが
おもしろい。
象やいろんな動物をかけあわせたような姿で、
バランスは悪くても、唯一無二の存在。
きっと幾つになっても、
ライリーの頭の中で生き続けるに違いない、大切な友達。
ビンボンとヨロコビとカナシミが、
歌いながら、何度も、絶望的な崖の下から、駆け上がろうと、
挑戦を繰り返すシーンは、正直、涙が出た。
この映画の中の屈指の名シーン。
ビンボンの腕がなくなった時点で、アレと思ったが、
そのことをヨロコビに知れないようにするビンボンは大人。
思わず胸が熱くなった。
ライリーのためなら死んでもかまわないという少年キャラが登場して
大活躍するくだりは、楽しくて笑うしかない。
イメージの見事な跳躍ぶり、発想の大胆さと、
わかりやすいお話で、観客の心をがっちりとらえる。
ファンタジックなイメージの世界で、
観客は、ヨロコビやカナシミと一緒に旅をして、
楽しみながらも、生きることの重みや尊さを実感する。
ストーリーのカタルシスに向けて、
総動員で駆け上がっていく勢いは、
アニメだからこそ実感できる世界で、すばらしい。
この映画の監督は、
私の大好きな『カールじいさんの空飛ぶ家』の
ピート・ドクター監督。
冒頭の出だしの雰囲気が、なんとなく似ている。
赤ちゃんとして生まれ、家族に囲まれて、今…
というライリーの人生の変遷が数十秒で綴られる。
思い出が水晶玉のような球体で、
コロコロころがり、山ほどある映像や、お城の映像を観て、
ふと筒井康隆の小説を映画化した『パプリカ』の
混沌としたイメージの世界を思い出した。
人の頭の中でイメージが拡張し暴走していったお話。
学生時代の親友が、
クラブのとても表情豊かな後輩のことを、
いつもちゃんと自分を出せているとほめていた。
感情というのは、自分の思うどおりにはいかず、
厄介なイメージがある。
怒りや、イライラ、ムカムカといった感情は、特に扱いかねる。
そういう感情とどうつきあったらいいのかは、永遠の課題。
この映画のイメージが、ちょっとしたヒントになるといいなと思うが、
なかなか感情が沸騰しかけた時に、ユーモアいっぱいのこの映画を
思い出す余裕がないのが、現実。
ライリーだけでなく、
両親の頭の中にも、それぞれ5人のキャラがいるという、
楽しいシーンは、
笑いの連続で、見事に着地。
ライリーのママとパパの頭の中の指令室がいきなり出てくる。
ラストのエンドロールも笑った。
一番おもしろかったのは、アイスホッケーの観覧席で、
ライリーとぶつかってしまった少年の頭の中。
そこでは、少年の5人の感情のキャラクターが、
皆全員、「女の子」、「女の子」と口々に叫んで、興奮して走り回っている。
一目ぼれって、こういう状態なのかなと微笑ましい。
子ども向けの映画とあなどるなかれ、
むしろ大人のための映画ともいえる。
実を言うと、この映画は、間違えて入ってしまった。
シネコンに行ったのは、ずいぶん久しぶりで、
全く同じ時間に、隣同士のスクリーンで始まっていて、
予告編が始まってから、あわてて入ったため、
全く気が付かなかった。
ドリカムの歌が流れ出した時点でも、宣伝だと思っていたが、
一曲丸ごと演奏されたのを観て、
やっと、スクリーンを間違えて入ったことに気付いた。
かれこれ座ってから10分ほど経過しており、
レイトショーとあって、ガラガラだったので、
いまさら、劇場を出ていくのは、妙にはばかられて、
そういえば、映画ツウの友達がこの映画のことをほめていたような気もして、
これも、何かのご縁、肝を据えて観てやろうと思った。
始まってみて、吹き替版とわかったが、
観ているうちに、
吹き替え版も相当苦労してつくられているのがわかり、
力の入れように、大満足。
映画のキャラクターが読んでいる新聞紙の見出しまでも、
ちゃんと日本語に訳されていて、
日本語吹替え版も、なかなか捨てたものではないようです。