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「キネマの神様」(原田マハ著)~映画を愛し、映画に愛された人々の愛すべき物語~

随分以前に、知人から薦められて、すぐ購入したものの、ずっと積読だった一冊。
ついに読了。一気でした。
「観るたびに思う。映画は旅なのだと。」
「幕開けとともに一瞬にして観るものを別世界へ連れ出してしまう。名画とはそういうものではないか。そして、エンドロールは旅の終着駅。訪れた先々を、出逢った人々を懐かしむ追想の場所だ。だから長くたっていい。それだけじっくりと、思い出に浸れるのだから。最後の一文が消え去ったとき、旅の余韻を損なわないように、劇場内の明かりはできるだけやわらかく、さりげなく点るのがいい。」
冒頭の数行を読んだだけで、映画を愛する人が書かれた文章だなあと感じる。
私が好きな大阪の中崎町にあるプラネット映画館も、
いつもスタッフの女性が、上映前、ゆっくりと数秒かけて室内の電気を消して、
映画への誘いを大切にしてくれていたのを思い出す。

「「映画」という世界を共有する濃厚な時間、観客のあいだに不思議な連帯感が生まれるのがわかる。映画館とは、そういう場所なのではないか。同じ時間と体験を共有する、わっと盛り上がってやがて静まるお祭りのような場所」

「映画館とは、実は「娯楽の神殿」のようなところではないかと思います。あの場所は、一歩踏み込めば異次元になる結界です。映画は、結界に潜む神様への奉納物です。
小生は子供の頃より、劇場のどこかで一緒に映画をみつめるキネマの神様の存在を、幾度となく感じたものです。この神様は、捧げられた映画を喜ぶというよりも、映画を観て人間が喜ぶのをなにより楽しんでおられる。村の鎮守の神様と一緒です。神様に奉納される相撲や祭りを、結局いちばん楽しむのは人間なのです」

「なにか目には見えぬ力、人智を超えた存在を感じるときがあります。真実の名画に出合ったとき、その感じはことさら強いのです」

劇作家の井上ひさしさんが、劇場には神様がいて、
いい演劇ができたときは、客席と舞台が一体となり「宇宙」ができる、
そうして、帰りは、どことなく皆、優しくなって、譲り合いの心が自然と生まれると。
「宇宙」と呼ぶか、「連帯感」と呼ぶか、一期一会の出会いは、映画館も劇場も同じかもしれない。

映画『フィールド・オブ・ドリームス』について
「少年の頃のキャッチボールほど、鮮烈に五感に残るものはないのではないでしょうか。風と草と土の匂い、ミットに沈むボールの力強さ。父、息子、父、息子。ふたりの男のあいだを往来しているのは、ボールのかたちをした絆なのです。」

私もいい映画評を書きたいと日々目指している者として、「ボールのかたちをした絆」というフレーズはうまいなあと思った。
キャッチボールといえば、
『異人たちとの夏』(大林宜彦監督)の片岡鶴太郎と風間杜夫のキャッチボールとか、
『雪の断章 情熱』(相米慎二監督)での、斉藤由貴と男2人と3人での桜の下のキャッチボールが思い浮かぶけれど、
投げて、受け取ってと、ある意味、“思い”のキャッチボールでもあるのだなあ。

この本をなかなか読み始められなかったのは、多分、「神様」というタイトルがひっかかっていたから。
でも、神様なんて、でてこない。
映画を愛する人たちの、地面に足のついた、等身大の人間ドラマ。

主人公円山歩の父、ゴウちゃんと呼ばれる80歳の老人のキャラ設定が見事。
無類の映画好きなだけでなく、競馬やマージャンも好きで、まっすぐな性格が、文章にも出ていて、すがすがしい。
映画雑誌をつくる社員もそれぞれ個性的で、
ばるたん、ローズ・バッド、テラシンと愛称もいい。
最後は、映画愛でつながった人間同士の絆をしっかりと感じさせ、不覚にも落涙。

この本にもタイトルが出てきた『リトル・ミス・サンシャイン』は、お涙頂戴では全くなく、
でこぼこ家族の可笑しな物語で、私は大好きな映画。久しぶりに再見したくなった。

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