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大分教員採用汚職・・・腐敗の背後にある事情

2008-07-28 09:11:44 | Weblog
 大分県の教員採用汚職事件は教員採用だけでなく、教頭や校長のポストも「売買」されていた疑いが持たれています。そしてこの「職の売買・口利きシステム」は数十年前からの慣行であり、多くの人が知っていたそうです。数千人の記者を擁するマスコミだけが知らなかったのか、あるいは知らんふりをしていただけなのでしょうか。

 警察が動き、事件が発覚した後も、他人の不祥事が何よりも好きという朝日はなぜか報道に消極的でした。朝日のこの異常な姿勢は朝日の友好勢力への暖かい配慮なのかもしれませんが、それは逆にこの事件の背後にある特別な構造の存在を疑わせます。

 公正さが強く要求される教育の場で、なぜこのような不正が長期間行われ、かつ表面化しなかったのか、ということに注意を向けるのも無駄ではないと思います。恐らく大分県だけのローカルな問題ではないでしょうから。

 各都道府県の教育委員会に対するNHKの調査によると、19都道府県で採用試験の問題の持ち帰りを禁止しており、9都道府県で解答を非公開、30都道府県で選考基準を非公開としています。受験者が自分の得点を確かめ、結果を納得することができないような秘密主義が公的な組織に存在していたことには驚きます。大分県はこのすべてを実施していた3冠王です(3冠王は他に4県)。

 「職の売買システム」は正当に採用されるべき人にとって許せない行為であるだけでなく、不適切な人が採用されることによって教育機能の低下を招きます。平成19年度の全国学力テストにおける大分県の成績は47都道府県中で小学校44位、中学校32位となっており、教育機能の低さを裏付けた形となってます(学力は様々な要素の影響を受けるので断定はできません)。

 大分県教育委員会は教育より教員仲間の利益を優先する体質だと見られても仕方ありません。点数改ざんの自由を保証した非公開中心の採用制度と「職の売買システム」は内部の利益を図るための車の両輪であったのでしょう。答案の早期廃棄もそのシステムを保証するための仕組みでした。事件の原因を教育の世界の閉鎖性に求める見方がありますが、逆に、教員仲間の利益のために閉鎖性を作り上げたというべきでしょう。

 選考基準の公開など、試験制度の改善を図る動きが全国で始まっており、今後は同様な不正行為の防止はある程度可能でしょう。しかし教員仲間の利益を優先する体質が変わらなければ、十分とは言えません。この体質を生んだ原因を突き止め、それをも取り除く必要があります。以下は報道からの抜粋です。

『同県内の元労組幹部も10年ほど前、県教組の当時の役員から「県教組には定員の1割の枠が与えられていると打ち明けられた」と話している』『大分県教組の組織率は公表されていないが、60%以上と言われ、九州では最も高い。大分県は、北海道や広島県、兵庫県などとともに、県教委に対する組合の影響力が強いことで知られている』(7月11日asahi.comより。因みに北海道の学力は小学校46位、中学校44位となっています)

 『大分県の教育界は、教委と教職員組合との癒着が指摘され、平成13年、教育長がそれまでの教委出身者から知事部局出身者に代わった。(中略)
 「それ以前は教育長も教委出身者でもっと閉鎖的、もっとおおっぴらに不正をやっていた。知事部局出身になって、こっそりやるようになったのだ」。大分県の教育界に詳しい関係者はこんな証言もする』(7月20日産経【公教育を問う】第6部 教員採用汚職[上])

『「PTAから教職員の人事まで、あらゆる分野を教職員組合が牛耳っている。教育委員会と組合の癒着構造にもメスを入れてほしい」。地元の保護者はため息をつく。』(7月10日産経)

 上の事実は教育委員会と教職員組合との関係の重要性を示唆しています。教育委員会が単独で腐敗したのか、あるいは教職員組合などが関わったのか、大変興味あるところです。合格者の半数といわれる不正合格者の「ルート」の解明などにより、内部利益優先の構造を解明し、構造そのものを変える努力を期待したいと思います。
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上に都道府県別の学力順位を載せましたが、これは昨年、約40年ぶりに再開された全国学力テストに基づくものです。全国学力テストは1966年以来、日教組の反対によって実施されなかったとされています。教員の勤務実態調査も日教組の反対によって1966年以来40年間できませんでした。これらは教育の閉鎖性を高める役割を果たし、今回の事件の温床の一因となりました。またゆとり教育も日教組の努力で実現し、学力の低下を招きましたが、本当のねらいは教員のゆとりを目指したものではないかとも言われています。(参考 誰のための「ゆとり教育」であったのか)


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