噛みつき評論 ブログ版

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たいてい慣れる

2015-08-17 09:18:54 | マスメディア
 この2月、近くの公園は珍しく20cmほどの雪に覆われました。その公園での出来事です。突然、飼い主の制御が利かなくなったやや大きい犬が猫を襲ってきました。猫は雪に足をとられて素早く動けなかったので、私が犬の胴体にしがみついて止め、ことなきを得ました。

 公園で犬を放すことは禁じられており、飼い主に注意したところ、逆上される始末。このあと同様なことが4回ありましたが、うち3回は口論となりました。

 自覚的にルール違反をしているとき、それを注意されると腹の立つことがあります・・・理不尽なことですが。とくに管理者ではなく第三者に注意されると余計に腹が立つようです。仕事でもないのに要らぬおせっかいを、という気持ちになるためでしょう。

 そのようなことは承知しているので、「この公園で犬を放すことは禁止されているので引き綱をお願いします」と、出来る限りの低姿勢で臨むのですが、多くは見事に反発を買いました。40~50代の女性だけは理解してくれましたが、60代と思われる男性らと口論となり、売り言葉に買い言葉、最後は捨てぜりふです(大人げないですね)。

 社会経験豊かな60代でもこの始末ですから、若者に注意するときはさらに慎重さが必要です。注意することは本当に難しい。89年には毎日新聞の記者が暴走族の暴走行為を注意して若者に殺された事件もありました。かといって皆が無関心では困るわけです。

 この出来事で気づいたことがあります。それは慣れるということが思いのほか強力な仕組みだということです。私はもともとケンカ好きではなかったので、たまに口論をするとしばらくの間、不愉快になりました。それが何回か口論をして、慣れてしまったのです。すぐに忘れ、後味の悪さも感じなくなりました。

 繰り返すことで、それに新鮮味を感じられなくなり、強い印象がなくなったということでしょう。「飽きる」はあまりいい意味では使われませんが「慣れる」と同じ現象の両側面と言ってもよいでしょう。

 両足を切断した人々に対する外国での調査結果を聞いたことがあります。記憶ですが、切断直後は誰もが悲嘆にくれているが6ヵ月後には相当回復し、切断前の90%程度の幸福度になっていたという話です(幸福度をどのように計ったものかはわかりません)。裏づけを取ろうと検索してみましたが、見つからなかったので信頼度は不明ですが「慣れ」を説明する、ありそうな話です。

 慣れてはいけないこともあります。中国の公船が尖閣周辺で領海侵犯を繰り返し侵入していますが、今では小さなベタ記事にしかなりません。メディアが慣れてしまったのでしょう。しかしその扱いの軽さがたいした問題ではないという認識を与えてしまいます。それこそ中国の狙いなのでしょうが、何隻もの船を使って侵犯を繰り返すには相応の目的がある筈です。

 侵入のたびに一面トップでデカデカと報道して世論を喚起し、大騒ぎすれば中国に対する強い牽制、抑止力になると思います。これは非軍事的な抑止力です。中国寄りの左派メディアにはちょっと期待できませんけれど。